RAIDERS(海兵強襲部隊)
さらば戦場:コイアリ
当初計画より、一日遅れの11月29日、第3強襲大隊M中隊はコイアリ襲撃のために第1空挺大隊の指揮下に入りました(指揮官は第1空挺大隊長リチャード・ファガン少佐)。タシムボコ強襲の再来を目指して部隊はコイアリに上陸。この際、味方と勘違いした日本軍の将校が親しげに挨拶してきて捕虜になったことにより、上陸地点側に日本軍の大規模な補給物資集積場が存在していることが明らかとなりました。
当然のことながら、大規模な日本軍の部隊も存在しており、激しい攻撃によって海兵隊を海岸に釘付けにし、更に日本軍は夜明けと共に上陸した海兵隊に対し、90mm迫撃砲、擲弾筒、機関銃そしてライフルを用いての攻撃を開始し、その火力を増す中、海兵隊の防衛ラインへ肉薄攻撃を仕掛けます。
どうにか0930時、状況が多少改善したため、部隊は砂浜まで後退しますが、大隊の無線機は故障しており、ファガン少佐はI-MACとの連絡ができない状態でしたが、M中隊の方は独自に持ち込んだ無線機で-少佐も知らないまま-155mm砲の砲撃を指示していました。
午前中、包囲された部隊を救出するために1128時に75mm砲搭載のハーフトラックが手配され、近接支援のための航空機も用意される中、ファガン少佐は撤退の許可を要請、しかし、返答を通信の不備で受け取れずに乏しくなりつつある弾薬の補給に奔走しなければなりませんでした。
※通信の不備は、M中隊が独自に持ち込んだ無線機を持った通信手が狼狽して砲撃を要請し続けたためでした。
司令部は何とか彼らを救出しようと上陸舟艇の接岸を試みます。一度目は1600時。日本軍の迫撃砲により、一端、断念して再度接近しますが、またもや激しい攻撃を受け、結局、接岸はできませんでした。
日没、視界が無くなり、事態は悪化する一方で海兵隊員たちは撃退した日本軍の武器を手にして夜襲に備えました。
1800時、駆逐艦フラム、ランスドーン及びラードナー。そして二隻のLCI砲艦が現れ、近距離砲撃を行い日本軍の迫撃砲陣地を沈黙させたことで、1920時にボートは海岸に到達することができ、支援砲撃の中、空挺大隊と強襲大隊は整然と後退を始めます。
落伍者がいないことを確認するために数名の海兵隊が21:00時まで残り、上陸舟艇に乗り込み戦場を後にし、撤退は完了しました。
この襲撃は、計画どおりに行かず、失敗した作戦の一つに含まれますが、それでも日本軍の弾薬、食料及び医療品などの大量の備蓄を破壊することに成功し、また―正確な数字を確認する術はありませんが―おおざっぱに見て日本軍に死傷者300名の損害を与えています。
この戦いの後、陸軍部隊が引き続き、防衛線拡張のために投入され、12月15日、上陸部隊の指揮はIMAC(第1海兵水陸両用軍団)から、陸軍XIV軍団に委譲されました。
第3海兵師団は、次第にアメリカル師団と交替していき、この月の大半を第2強襲連隊は軍団予備として前線までの弾薬供給や滑走路の作業要員として時間を潰し、12月21日、第1空挺大隊と第145歩兵連隊の大隊の増強を受けて、第3海兵連隊が占拠した拠点に入り、翌年の1月11日までとどまり、そして陸軍部隊と交替すると1月12日に輸送船に乗り込みガダルカナルへと出航し、ここにレイダースの最後の戦いが終わりました。