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Birthday Ball(創立記念式典)

 アメリカ合衆国海兵隊の創立記念日が11月10日になったのは創立146周年の1921年。それ以前は1798年に再建された7月11日を創設記念日としていました。

 しかし、1921年10月21日、エドウィン・マッケラン少佐が、当時の司令官ジョン・レジューン少将に覚書を送り、1775年11月10日を本来の誕生日とすることを宣言するよう提案しました。

 他にもワシントンで晩餐会を開き、その賓客として海兵隊、陸軍そして海軍、さらに独立戦争の子孫となる著名人を招くようにも提案しています。

 こうして1921年11月1日に海兵隊指令第47号により、11月10日が正式に海兵隊創立記念日として決定します。

 その後、他の司令部では数年の間に祝賀の様式が拡張され、1923年にはミフリン基地では兵舎でダンスパーティを実施。ノーフォーク海軍基地では観閲式場での演習を実施しています。

※内容は午前は屋外スポーツ、水上スポーツ及び射撃大会。午後は野球。夜はボクシングの試合が実施されました。

 最初に行われたいわゆる「Birthday Ball(誕生日式典)」は1925年で、そこで海兵隊が創設されたタンタバーンの記念碑が披露されています。

 1937年の式典では、ケーキセレモニーが開催され、当時の司令官トーマス・ホルコム少将がケーキカットを行い、1951年には、誕生日を祝した最初の行進が実施されました。

 1952年10月28日、レナード・シェパード大将によって、記念日に対する正式な概要を定めるように指示がなされ、1956年1月26日、正式に海兵隊の訓練マニュアルに記載されます。

 1937年に始まったケーキセレモニーですが、これは伝統的に最初に切られた物が最年長の海兵隊員に与えられ、二つ目が最も若い海兵隊員に与えられることとされています。この伝統がいつから始まったのかは定かではありません。

 現在、全ての式典は海兵隊第47号に基づき、実施されています。

2021年海兵隊司令官メッセージ

 1970年11月10日、チャップマン司令官は戦闘に配置された或いは最近帰還した現役と非現役、老若、全海兵隊員に、「振り返るのではなく、未来に目を向ける」よう挑戦させた。彼は、「約二世紀に渡る献身の終わりとしてではなく、新たな貢献、新たな献身、そして新たな業績への準備として」私たちは私たちの記念日を祝うと強調した。それらの思慮深い言葉は時を超えて鳴り響き、51年前と同様に今日でも適用できる。

 我らが軍団は、我々と過去に制服を着た選ばれた戦士たちとを結びつける伝統を維持しているが、我々が世代を超えて受け継ぐ伝統は、確固たる誇示、象徴、または風習を遙かに超えている。私たちを過去から受け継ぎ、未来へ引き継がなければならない最も重要な伝統は、勇気、信頼、規律、忠誠、尊敬、忍耐、適応性、そしてリーダーシップの伝統という無形のものである。我々の戦闘の遺産が始まってから246年目の今日、私たちは過去と現在、全ての海兵隊員を鍛えたそれらの特徴を祝う。

 海兵隊の特徴は、我々の揺るぎない献身と絶え間ない卓越性への追及は、戦争の性格が絶えず変化しているにもかかわらず、過去の世代から変化しないままである。これらの変化により、海兵隊員は最も得意とすること、戦闘に勝利し、危機へ対応するために適応し、新境地を開く必要がある。過去20年間、イラクとアフガニスタンで戦った海兵隊員たちが1970年代の海兵隊員たちにはあまりにも馴染みのあった長引く対ゲリラ活動作戦の要求に適応したように、我々は最近の過去からの厳しい教訓から学びながら、現在と未来の要求に適応する。未来の戦場がどうなるか、或いは我々の戦闘技術が祖国への脅威へどのように再定義されるかは分からないが、それらの戦場で戦う海兵隊員たちが、かつての全海兵隊員と同じ勇気、精神、そして卓越した戦いを推し進めることは保証できる。

 今日、従事する我々は246年に及ぶ途切れることのない連鎖を象徴する。我々が記念日を迎えるとき、我々は私たちの前に行った人々を思い出し、「新たな職務、新たな献身、そして新たな功績」の地平線を見渡し、彼らの名誉、勇気、そして献身を鼓舞することを厳粛に誓う。

246回目の誕生日おめでとう海兵隊員たち。

Semper Fidelis 海兵隊司令官デヴィッド・H・バーガー海兵隊大将


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