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RAIDERS(海兵強襲部隊)

血塗れの丘

 タシムボコから帰還した翌日、エドソン中佐は師団の参謀たちと状況を議論している間に捕獲した文書が翻訳され、タシムボコ南西のジャングルに約3,000名の日本軍が移動中であることが明らかとなりました。

 エドソン中佐は、日本軍の狙いが飛行場周辺地域の中で、防御の手薄な南を狙っていると確信し、航空写真から飛行場からナイフのように突き出した一つの丘を防衛地点として選びました。中佐の確信は、ジャングルにおいて日本軍と戦った経験に基づき、唯一海上からの火力支援を受けられる夜間に攻撃が行われると想定されます。

 このエドソン中佐の指摘にトーマス少佐は同意しますが、師団長ヴァンデグリフト少将は、これを認めませんでした。しかし、二人は強襲部隊と空挺部隊をそこに配置させることによって空港周辺の爆撃から逃れられると説得した結果、9月10日、両大隊は新たな拠点へと移動しました。

 ちなみに両大隊の隊員たちは、自分たちが前線へ行くなど微塵も思っていなかったのですが。

※後方で休息に入ると思っていたら、最前線だった時の彼らの様子を思い浮かべると……。

 11日と12日に日本軍の爆撃があり、彼らは塹壕を掘り始めます。その間に現地のスカウトが接近する日本軍を発見したとの報告を行いました。

 確認のためにレイダースの斥候が派遣され、すぐにその情報が正しいことが確認されました。

 俄然、塹壕構築にやる気の出た彼らですが、有刺鉄線も土嚢も無いばかりか、土木用の道具もなく、地面は少し掘れば珊瑚に打ち当たるために深い塹壕が掘れないという最悪の地形で、更には両側面は敵の動きを隠蔽する密生したジャングルに阻まれ、これまでの戦闘による損耗を助長するように新鮮な食べ物の欠如と風土病が彼らを蝕んでいきました。

 それでも、エドソン中佐とトーマス少佐の二人は限られた資源の中でベストを尽くしました。丘の尾根が二つの大隊の分割点に用いられ、空挺部隊一個中隊が側面を守ることとなり、ルンガ河に繋がる右翼側面はレイダース二個中隊が守りました。

 エドソン中佐は機関銃を装備させた中隊を前線に配置し、残りを予備としますが、この際、前線の塹壕全てを満たすために三つのライフル中隊の大部分を割り当てていたため、D中隊にいたっては小隊規模ですらありませんでした。そして、司令部は前線後方僅か数百ヤードしかない120高地に置かれます。

 トーマス少佐は、第5海兵連隊第2大隊を丘と空港間に予備として配置。砲兵隊の前線観測員がエドソンの直接指揮下に入り、榴弾砲が配備されます。このように準備は万端でしたが、一方で防衛の心臓部が丘であることはギャンブルとも思われていました。ルンガ河の向こうには水陸両用車大隊と工兵隊がいることは利点でしたが、前線の東(左翼)は兵力の配置できないジャングルに過ぎなかったからです。


部隊配置

 しかし、対する日本軍―川口支隊も問題を抱えている最中でした。タシムボコの戦闘で補給物資を失っただけでなく、鬱蒼と茂るジャングルに道を開きながら、起伏の激しい土地を進軍しなければならないという苦難によって思うように進めなかったためです。

 若干、自業自得の部分もありますが、川口将軍は南から攻勢をかけるという決定を下し、これにより自軍の大砲と大量の補給物資を残すという事態を招き、結果、火力支援もほとんど行えず、更に乏しい兵站との戦いにも突入してしまいました。また、目的達成の必要時間を過小評価し、テナウ河に陽動として四個大隊中一個大隊2,500名を送ってもいました。

 9月12日の夜。攻撃開始の時点で川口将軍の下には僅か一個大隊しかありませんでした。一帯の偵察も行えなかったために将軍は攻撃延期を望みましたが、連絡に失敗してしまいます。

 2200時、予定どおり、日本軍の航空機が海兵隊の防御陣地に照明弾を投下。続いて巡洋艦と三隻の駆逐艦が砲撃を開始。が、20分間の間行われ艦砲射撃の大半は丘を飛び越えてジャングルへ落下、中には日本軍の間に落ちたものすらありました。

 砲撃が終了すると川口支隊は自らの照明弾を打ち上げ、最初の突撃を開始します。

 最初の攻撃は礁湖周辺の低地に集中し、密生したジャングルが火力に勝る海兵隊の利点を相殺したこともあり、いくつもの突入する余地を発見。そこから次々と後方へと侵入していき、C中隊の三つの小隊は孤立化させられます。丘の方は比較的損害が軽かったことや、夜明けが近付いたために川口支隊は攻撃をいったん中断し、ジャングルの中でばらばらになった部隊の再編成を行います。

 朝、エドソン中佐は予備中隊による反撃を命令しますが、兵力に勝る日本軍によって前進を阻まれたためにレッドマイクは彼らを徹底させると同時に粉砕された前線を保持するために全体を予備地点まで後退させます。これにより日本軍は海兵隊の塹壕に到達するには丘の開けた場所を横切らなくてはならないという意味も含んでいました。

 午後遅くになって強襲部隊と空挺部隊の双方のB中隊が後退し、80高地と120高地の間の間道で停止しました。

 トーマス少佐はエドソン中佐が丘の右翼に投入した工兵中隊を派遣、強襲大隊A中隊が工兵中隊とルンガ間の残りの距離を埋めました。他の二個空挺中隊が若干後退し、左翼を増強。C中隊とD中隊の残余が丘の西斜面―120高地の後ろの予備地点に。エドソン中佐の司令部はそのまま止まりました。

 日本軍は日中の時間を有効に活用して次の攻撃準備を整えました。川口将軍は今度はジャングルで身動きが取れなくなると言う愚を避けるため、エドソン中佐が予想したとおりに丘の開けた場所へ集中させることとなります。

 日暮れと共に再び攻撃が始まりました。最初の攻撃はB中隊右翼を襲撃し、雄叫びを上げながら突進する日本軍は、彼らをC中隊の連結部まで後退させます。

 しかし、川口将軍はこれによって生じた間隙を広げることをしませんでした。

※海兵隊側の見解では、この攻撃は陽動で、別な場所の主力攻撃を邪魔させないためとされています。

 エドソン中佐は、兵力を失いつつある予備部隊で間隙をふさぐが、敢えて次の攻撃に備え、包囲されている前面中央を保持するかの決断に迫られますが、日本軍は2100時までに丘の南端に終結していることが判明。

 これにより正面攻撃を行うために前線中央部を狙うことがはっきりし、エドソン中佐は強襲大隊C中隊と空挺大隊A中隊に120高地側面の前線で予備防衛線を構築するように命じました。

 日本軍の迫撃砲と機関銃が丘をなぎ払い、海兵隊は日本軍がいると思われる地点へ砲撃の返答を行う。

 2200時、日本軍の突撃波が押し寄せ、これは海兵隊中央部を一気に突き崩しました。空挺大隊B中隊左翼が集中的に狙われ始めると同大隊副官ハリー・L・トーガソン大尉は後退を命じ、C中隊も後退します。トーガソン大尉は120高地上のA中隊拠点後部で二つの部隊を集結し、再編成を開始。残された強襲大隊B中隊は中央で分離され、状況は絶望的に思われました。

 このとき、日本軍の攻勢が一端途絶えます。この間に激しい砲撃が丘に浴びせられましたが、日本軍の突撃は行われず、逆にエドソン中佐は多数の砲撃支援を要請すると同時に彼の部隊にB中隊を撤退させるための援護射撃を命じます。

 それでも、120高地周辺に日本軍が侵入を始めるなど、後方の一連の動きが怪しくなってきます。エドソン中佐は、前線の12ヤード後方で、これが最終局面であると告げ、この言葉は即座に前線へ広まり、中でも、ベイリー少佐は、前線を歩き回りながら、怒鳴りました。

動くな。お前たちは、この塹壕で死ね

 海兵隊的にはおそらく普通の激励によって、前線の兵士たちは新たな勇気を吹き込まれますが、空挺大隊の指揮官はまだ取り乱していたため、エドソン中佐は即座にトーガソン大尉と交替させます。

 新たな拠点は、むき出しの斜面上に幾つかの部隊から掻き集められた隊員が、丘の周辺小さな蹄鉄状に配置されているだけで決して強固ではありませんでした。

 従ってエドソン中佐は、彼の前線に沿った至近距離に味方の集中砲火を浴びせ続けるように指示します。これによって日本軍は鉛と鉄の豪雨の中を突き進まなくてはならず、また海兵隊も姿を認めるか、或いは音がした方向全て―要するに怪しいと思えば即座に擲弾を撃ち込み、手榴弾を投げ込み始めました。

 当然、弾薬の残量は少なくなり、師団本部は機関銃弾と手榴弾を即座に前線へ送り始めます。

 しかし、それでも日本軍の一部が左翼を包囲しようとする驚異を与えつつ、ジャングルの際に沿った砲撃を回避して接近していました。

 トーガソン大尉はレッドマイクの命令に従い、再編成した二個空挺中隊による反撃を試み、これによって日本軍の再度の進撃を阻止するために前線の拡張に成功します。

 この空挺部隊の活躍を後にエドソン中佐は、

「我々の最後の勝利の決定的要素」

 とその努力を讃えることとなります。

 とはいえ、戦いはまだ継続中で、0400時にエドソン中佐は、トーマス少佐の消耗した前線を支えるための予備大隊の投入を要求し、長い夜を生き延びた人々で構成された中隊は、丘の頂に沿って配置され、そこへ第5海兵連隊第2大隊の隊員たちが増援として配備されました。

 日本軍は、その時点で兵力を消耗しきっていたために、更に二度の攻撃を行ったものの当初のような脅威を与えることはできずに、逆に砲撃によって損害を受ける始末でした。しかし、一方的に叩かれている状況であるにもかかわらず、小規模の部隊が丘を突破し、空港周辺にまで達していました(空港周辺で配置に付いていた海兵隊によって排除)。

 夜が明けた時点で、日本軍の残存部隊は海兵隊の陣取る丘の側面と後方のジャングル各所に散らばっており、既に攻勢に移るための力を失っていました。

 エドソン中佐は、この時点で残存する狙撃兵等の掃討に移り、丘の南端に陣取る日本軍に対する航空支援を要請し、これに応じてP400が野ざらしの日本軍に向けて機銃掃射を実施しました。

 この日の午後に川口将軍は失敗を認め、支隊の退却を決意し、攻防戦は幕を閉じました。

 レイダースと空挺隊員は、その朝には丘の拠点から退き、新たに別な海兵隊員たちが配置に付いていました。

 この戦闘による第1強襲大隊の損失は135名、第1空挺大隊は128名で、このうち、59名が戦死或いは行方不明となったものの戦場には700名の日本軍の戦死体が散らばり、川口支隊は別に500名の負傷者を抱えて撤退しますが、海岸へ向かう行程中にほとんどが亡くなりました。

 この戦いは、ガダルカナルの雌雄を決するものとして極めて重要なものであり、エドソン中佐と彼の下で戦った将兵たちはヘンダーソン飛行場に大しての次第の驚異を撃退したことになります。もしこの戦いで敗北していれば、飛行場は日本軍の物となり、航空支援が望めない以上、第1海兵師団は敗北し、それはガダルカナルの損失に繋がり、これらは結果として戦争全体の流れを変え、海兵隊にすら深刻な影響を与えたと評価されました。

 この戦いの後、ヴァンデグリフト少将は、即座にエドソン中佐とベイリー少佐に大して名誉勲章受賞の推薦を行いました。"レッドマイク"エドソン中佐の感状には、

「際立って冷静なリーダーシップと個人的勇気」

 と記され、この戦いの最中、味方の砲弾が前線の僅か75ヤード先に着弾し、日本軍の迫撃砲と機関銃弾が丘を掃射する中でも、司令部として用いられた浅い穴の中で冷静に指揮を続けたエドソン中佐の勇気を讃えました。

 戦いの後、同地を訪れた従軍記者は、日本名ムカデ高地と呼ばれる丘に、新たな名前を与えました。

「Edson's Ridge(エドソンズリッジ:エドソンの丘)」

 それが、このムカデ高地或いは血塗れの丘と知られる場所に対する海兵隊の呼び名です。

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