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RAIDERS(海兵強襲部隊)

再び戦場へ

  1943年に入り、ガダルカナルの戦いも終わりが近付くと、次の目的地の選定にアメリカ軍は動きました。ここで当然のように南西太平洋地域の日本軍主力基地ラバウルが候補に挙がりました。

 規模も立地条件も、今後のアメリカ軍の攻撃ルートの驚異に成りうる、この航空及び海軍基地に対し、アメリカ軍は直接攻めるのではなく、ソロモン諸島とニューギニアへ通過して無力化する方向に諸般の事情(マッカーサーの我が儘とか、マッカーサーの我が儘とか、マッカーサーの我が儘など)により決定し、ウィリアム・F・ハルゼー提督の南太平洋司令部はソロモン諸島を更に前進することとなり、マッカーサーはニューギニア方面へと進むこととなります。

 ソロモン諸島の更なる攻略を行うこととなったハルゼー提督の司令部が最初に目をつけたのはソロモン列島中央に位置するニュージョージア島でした。1942年12月の時点で、日本軍が同島のムンガポイントに滑走路を建設していたため、ここを占領すれば日本軍の驚異を除外し、更に連合軍の航空部隊を更にラバウル近くまで前進できるからです。

 しかし、同時に南太平洋司令部ではガダルカナルのエスペランサ岬北西30マイルにあるラッセル島での日本軍の活発な活動に対する不安もありました。此島はガダルカナルからの撤退に続く日本軍増援部隊の集結地点であり、ガダルカナル自体に対する驚異であるだけでなくニュージョージア島攻略の障害になる可能性も考慮され、ついでにそこにアメリカ軍の航空基地を置けばニュージョージア攻略の航空支援が効果的に行えるとされ、こうして、とにかく他の島を攻撃する前にラッセル島を占領することが決定されました。

 作戦名クリーンズレイトは、第3強襲大隊と第43歩兵師団によって行われるとされ、パブブの確保を海兵隊が、バニカ島を陸軍が担当することとなります。

 2月中旬、第12輸送船団のAPDに乗り込んだ第3強襲大隊はエスピリッツ・サントからガダルカナルへと運ばれました。

 2月17日、レイダースの中尉と軍曹がラッセル島を偵察。日本軍が既に島を引き払っていることを発見し、こうして第3強襲大隊の初作戦となる2月21日のD-Dayは無血上陸となるのですが、この作戦の際、これまでの経験から敵勢力圏内における上陸作戦は迅速な揚陸と素早い撤退が不可欠であるとされ、レイダースは彼らのゴムボートを事前に補給品と共にヒギンズボートへ搭載していました。


パブブに上陸する第3強襲大隊

 占領自体は、後続として上陸した陸軍第159歩兵連隊と共に一日もかからなかったのですが、上陸日にゴムボートへ乗り込んだのはいいものの船外機の故障が頻発し、上陸フォーメーションはめちゃくちゃとなり、リヴァセッジ中佐が作戦後に戦闘報告で、

「深刻な影響」

 をもたらした、と指摘したように上陸後に海岸から内陸に設けた臨時集積所まで物資を運ぼうとした際に輸送手段の欠如に四苦八苦するはめとなり、大隊の四週間の滞在で野戦食の不足と厳しい熱帯気候によって、全員が減量に成功し、その3分の1が皮膚の疾患を抱え、数十人がマラリアを初めとした風土病に冒されていました。


内陸へ進む第3強襲大隊

 これらは計画立案者の完全な手落ちとされるのですが、結局、クリーンズレイト作戦は兵力の浪費となり、本来の作戦行動を行ったレイダースは二名編成の偵察チームだけでした。

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