Title
カウンター

RAIDERS(海兵強襲部隊)

タシムボコ

 8月。上陸部隊を見捨ててとんずらした輸送船団が再びソロモンに戻ってきた頃。

 日本軍は駆逐艦などにより、増援部隊を送り込み始めました。

 海兵隊は、8月21日にこれらの部隊とテナウ河にて交戦し、これを撃退します。

 ヴァンデグリフト少将は、それでも、飛行場周辺地域の防衛には集められるだけの兵力が必要であるとし、海の向こうから、強襲部隊と空挺部隊を引っ張ってきてルンガポイント近郊に予備として配置します。

 この際、ガブツ-タナンボコの戦闘で、指揮官を含めて大損害を受けた第1空挺大隊は"レッドマイク"エドソン中佐の指揮下に置かれました。

※ガブツ-タナンボコの戦闘については、パラ・マリーン参照

 エドソン中佐は、すぐに師団作戦参謀のトーマス中佐との密接な関係を確立し、自分の部隊を攻撃的に使ってくれと説得します。

 この努力により、9月4日に、敵が監視所を置いていると推測されたサボ島に対する偵察任務がレイダース二個中隊に与えられました。同時に作戦の指揮はグリフィス少佐に任せ、エドソン中佐自身は翌日のエスペランサ岬の部隊偵察を計画しています。

 サボ島の偵察は、結局、日本軍を発見できず、午後遅くに部隊はAPD3グレゴリーとAPD4リトルに帰還します。この際、命令の行き違いがあり、次の作戦準備を行うために船上に止まるよう命令が届く前に彼らは上陸していました。エドソン中佐は、この過ちに気付くと即座に揚陸作業の継続を許可します。

 夜、東京急行の駆逐艦によって、APD二隻が撃沈され、更にガダルカナルへ移動中に日本軍の航空攻撃により、APD2コルホーンも撃沈されました。

 こうした中、9月6日までに集められた情報により、タシムボコの村が、東京急行の主要な終着点であることが明白になったため、エドソン中佐とトーマス中佐はエスペランサ岬の偵察をとりやめ、代わりにタシムボコに対する強襲計画を立て、ヴァンデグリフト少将から認可を受けます。ただ、既に三隻のAPDを失った現状では、貴重な船舶を割り振ることもできず、強襲部隊(及び空挺部隊)は、APD1マンレーとAPD5マッケーンを補うために作戦のために改造したマグロ漁船が用意され、最初に夜陰に紛れてライフル中隊が上陸し、武器中隊と空挺部隊は折り返してきたAPDやマグロ漁船で後を追うこととなりました。

 現地のスカウトの報告で、地域には数千に増強された日本軍がいるとされますが、師団参謀はその数を誇張であるとしました。しかし、エドソン中佐は海兵隊の防衛戦に向かって西に日本軍が集結しているという情報を信じ、日本軍の背面から攻撃を加えるために上陸して村を通過する部隊と陸路前進する部隊の二つに分けました。

 9月8日0520時に上陸したレイダースたちは、それらの情報がいかに正しかったかを目の当たりにしました。彼らは砂浜近辺で、整然と置かれた救命具、多数の塹壕そして37mm対戦車砲を発見します。前日、川口少将率いる川口支隊はタシムボコに上陸すると、約300名の後衛部隊を残し、本隊は内陸へと進軍していました。

 この部隊だけでも、レイダースの第一波を上回る規模であり、彼らがD中隊を残して前進を開始した直後にココナツ農園からの75mm砲を含む頑強な抵抗に遭遇しました。

 エドソン中佐はグリフィス少佐とA中隊を左翼に展開させ、これにより0755時に空挺大隊C中隊が無事に上陸。

 後方ではD中隊が増援の空挺部隊と合流し、防衛に入りました。

 これらの動きの中で、エドソン中佐は西側の上陸部隊が敵主力とぶつかったのではないかと懸念し、師団に対し、増援部隊の要請を行います。

「もしそうしないのなら、私の行動に関する指示を請う」

 この最後の一節が、中佐の抱えている問題を表していると師団では受け止め、その45分後、更に増援部隊と航空支援の要請があったため、師団は、戦闘を中止し、撤退するよう命令がくだります。

 エドソン中佐は、撤退命令を無視して戦闘を続行。間もなく日本軍の抵抗も静まり、正午頃に部隊は村へと足を踏み入れることができました。

 ここで彼らは大量の食料、弾薬、そして75mm砲の部品を発見。

 この報告を受けたヴァンデグリフトは、

「良くやった」

 と伝え、再び撤退命令を繰り返しましたが、エドソン中佐も再び命令を無視し、彼の部下は可能な限り、備蓄物資の破壊を開始しました。彼らは強力な通信施設を破壊し、食料の缶に銃剣を突き立て、米の袋を引き裂いて地面へぶちまけ、更に深みへ引きずり込み、最後に火を放ちました。

 日が暮れて、始めて彼らは撤退を開始し、彼らは新たに解放された食料、たばこ、そしてアルコールで構成された防衛戦へと立ち向かっていきました。

 この強襲は、地味な勝利でしたが、この時点で彼らは日本軍の兵站、火力支援、そして通信手段に対し、深刻な損害を与え、更に、次の日本軍の攻撃計画の大半を細部に渡って明らかにする重要な情報も獲得するなど、ガダルカナルの戦いにおいて後々大きな影響を与えた勝利でもありました。

※戦死2名、負傷者6名の損害で日本軍27名の死体を確認し、50名を戦死させたと見積もります(鯖も読んでいるでしょう)。

 このタシムボコの活躍がレイダースの価値を高め、彼らは獲得した食料、たばこ、そしてアルコールと言った勝利の果実を堪能するのですが、彼らには新たな激戦が用意されていました。

指揮官たち
ジープに乗る強襲大隊に深い関わりを持つ指揮官
1942年ガダルカナルにて

左前:レイダースを(不承不承ながら)創設させた17代司令官ホルコム少将

左後:第1強襲大隊長エドソン中佐

右後:レイダースを活用し、そして1944年に解散させる第1海兵師団長ヴァンデグリフト少将

右前:運転手

前へ

TOPへ
TOPへ
サイトについて | サイトマップ| LINK | (C)Copyright 2004.THE LEATHERNECK FAN.All rights Reserved.