World WarII:第2次世界大戦1941年12月-1945年9月
概要
海兵隊が、本当の意味で伝説を築いたのが、第2次世界大戦でした。それまでは第1次世界大戦で勇猛果敢ぶりを示し、内外にその存在を誇示したものの戦後は規模が縮小され、それが宿命であるかのように廃止の声が上がります。
幸いだったのは海兵隊には政界に顔が利く司令官レジューン少将と、彼の友人でもあったエリス少佐の二人が存在していたことでした。
二人は、海兵隊の生き残りをかけて、独自の戦術を考案。ここに単に兵士を乗せた船を海岸へ送り込むという従来の上陸作戦を発展させ、上陸後、敵の拠点を叩き潰して防衛陣地を占領する「水陸両用作戦」が編み出されます。
水陸両用作戦の発案者にして、1945年の勝利を1920年の時点で決定づけたアール・H・エリス少佐
以降、海兵隊は、水陸両用作戦の実現に向けて、独自の装備開発、航空隊の創設や水陸両用車の開発などを行い組織の改編に尽力することになります。
1939年にドイツとソビエトの侵略によって第2次世界大戦が勃発。当時のアメリカでは民主党のルーズベルト政権のニューディール政策が失敗に終わろうとしていたため、参戦に向けての動きが活発化します。
これに伴って軍備増強が始まったため、海兵隊でも、海軍の「予算不足」という逃げ口上を気にせずに、新装備の開発と新兵器LVT(LandingVehicleTransporter:上陸輸送車両)の配備に踏み切ることが可能となります。
増員も行われ、第1及び第2海兵師団が1941年2月1日付で誕生。更に幾つかの思いつきで強襲部隊(Raiders)や空挺部隊(ParaMarine)も編成されました。
12月8日、南雲提督率いる連合艦隊による真珠湾攻撃とともにフィリピンなどに対しても攻撃が始まります。
海兵隊はフィリピン、グアムそしてウェーキ島に部隊を駐屯させていましたが、フィリピンでは敗退に継ぐ敗退。グアムもあえなく陥落。唯一、ウェーキ島だけが奮戦し、日本海軍駆逐艦2隻を撃沈、22日まで持ちこたえていました。
翌42年、ミッドウェー島攻略を察知したアメリカ軍は機動部隊を派遣、一方、ミッドウェー島のアメリカ海兵隊航空隊は、凡作以下とも言われながらも、なぜか、フィンランドでは大活躍したF2Aブファローで日本海軍の零式艦上戦闘機相手に奮戦し、これが南雲提督にミッドウェー島爆撃を決断させ、空母4隻を失わせた遠因となります。
それでも、まだ日本が主導権を握っていましたが、中止されたMO作戦の延長でガダルカナルに基地を建設し始めると、それを察知したアメリカは、ここに第1海兵師団の派遣を慌ただしく決定し実行に移します。
1942年8月7日、連合軍初の反撃となるウォッチタワー(通称シューストリングス)作戦により、第1海兵師団はガダルカナルへ上陸。この後、翌年2月まで続く戦いと、これに付随して発生したソロモン海戦で遂に日本軍は主導権を失いました。
1943年11月20日、ガルヴァニック作戦をもってアメリカ軍は逆に攻勢に転じます。以降、クウェゼリン、エニウェトク、サイパン・ティニアン、グアム、ペリリュー、硫黄島、そして海兵隊にとって第2次世界大戦における最後の地上戦となった沖縄を反撃の主力として攻略していきます。
また、ヨーロッパ方面でも、第1海兵旅団が各上陸作戦の支援と同時に参加し、ドイツ軍と銃火を交わしています。
日本がポツダム宣言を受諾した後8月30日には横須賀に上陸し、翌月には九州に上陸、武装解除と治安活動に従事して海兵隊による第2次世界大戦は1946年3月まで継続されました。
参加人員 |
戦死 |
負傷 |
名誉勲章 |
約500,000 |
19,733 |
68,207 |
82 |
第2次世界大戦における海兵隊
軍
FMF,Pacific: Fleet Marine Force,Pacific 太平洋艦隊海兵軍 |
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IMAC:First Amphibious Corps 第1海兵水陸両用軍団 |
1942/10/1-1944/4/14 1944/4/15にIIIACに変更 |
ソロモン諸島 |
IIIAC:Third Amphibious Corps 第3水陸両用軍団 |
1944/4/15- | グアム ペリリュー 沖縄 |
VAC:Fifth Amphibious Corps 第5水陸両用軍団 |
1943/8/25- | タラワ マーシャル諸島 サイパン ティニアン 硫黄島 |
Marine Division:師団
第1海兵師団 1941/2/1- |
第1海兵連隊 第5海兵連隊 第7海兵連隊 第11海兵連隊(砲兵) 第17海兵連隊(工兵) |
ガダルカナル ニュー・ブリテン ペリリュー 沖縄 |
第2海兵師団 1941/2/1- |
第2海兵連隊 第6海兵連隊 第8海兵連隊 第10海兵連隊(砲兵) 第18海兵連隊(工兵) |
ガダルカナル タラワ サイパン ティニアン 沖縄 |
第3海兵師団 1942/9/16- |
第3海兵連隊 第9海兵連隊 第21海兵連隊 第12海兵連隊(砲兵) 第19海兵連隊(工兵) |
ブーゲンビル グアム 硫黄島 |
第4海兵師団 1943/8/16- |
第23海兵連隊 第24海兵連隊 第25海兵連隊 第14海兵連隊(砲兵) 第20海兵連隊(工兵) |
ロイ・ナムール サイパン ティニアン 硫黄島 |
第5海兵師団 1944/1/21- |
第26海兵連隊 第27海兵連隊 第28海兵連隊 第13海兵連隊(砲兵) |
硫黄島 九州 |
第6海兵師団 1944/9/7- |
第4海兵連隊 第22海兵連隊 第29海兵連隊 第15海兵連隊(砲兵) |
グアム(第1臨時海兵旅団として) 沖縄 横須賀 富津岬 |
戦車大隊
軽戦車大隊
水陸両用車大隊
各種支援大隊(海軍管轄の戦う土建屋こと建設工兵大隊(SEABEES)や医療大隊等も含)
によって構成。なお、工兵連隊(17-20)は1944年の組織改正時に廃止。
Marine Aircraft Wing:航空団
AirFMFPac:Aircrft, Fleet Marine Force, Pacific | 1944/9/16- | |
MAW,PAC:Marine Aircraft Wings, Pacific 太平洋海兵航空団 |
1942/8/15- | |
1st MAW:Marine Aircraft Wings 第1海兵航空団 |
1941/7/7- | ガダルカナル ニュー・ジョージア ブーゲンビル |
2nd MAW:Marine Aircraft Wings 第2海兵航空団 |
1941/7/10- | ハワイ ウェーキ島 ミッドウェー ガダルカナル ペリリュー ティニアン 沖縄 |
3rd MAW:Marine Aircraft Wings 第3海兵航空団 |
1942/11/10- | 防空任務のみ |
4th MAW:Marine Aircraft Wings 第4海兵航空団 |
1944/11/10- | サイパン 硫黄島 |
その他
第1強襲連隊 | マキン ソロモン諸島 |
1944/2/1に第4海兵連隊に組織変更 |
第1空挺連隊 | ソロモン諸島 | 第5海兵師団に吸収 |
第4海兵連隊(旧) | フィリピン コレヒドール |
第1次世界大戦以来の伝統部隊でしたが、緒戦において消滅 |
第1海兵旅団 | アイスランド | 1941/2/1に第1海兵師団に編成替 |
第2海兵旅団 | 1941/2/1に第2海兵師団に編成替 | |
第3海兵旅団 |
主要作戦
ガダルカナル上陸作戦ウォッチタワー(1942/8/7-1943/2/7)
タラワ環礁上陸作戦ガルヴァニック(1943/11/20-23)
クウェゼリン環礁侵攻作戦フリントロック(1944/1/31-2/2)
エニウェトク環礁上陸作戦キャッチポール(1944/2/17-19)
サイパン・ティニアン島攻略作戦フォリジャー(1944/6/15-8/1)
ペリリュー島攻略作戦スティルメイトII(9/15-11/24)