海兵隊の人員推移
創設当初は、200名ほどの人員でしかなく、独立戦争終了前に海軍の解散に合わせて、海兵隊も解散させられます。
1798年に再建が決まったときには、僅か83名(将校25名、兵下士官58名)。翌年には368名(将校25名、兵下士官343名)に増員がされますが、1000名を超えたのは1835年(1417名。将校68名、兵下士官1349名)のことになります。
以降、増員と減員を繰り返しながら、1890年以降は徐々に増員傾向になり、1914年には一万名を超える兵力を有します。
1798年-1940年までの人員推移
1917年に第1次世界大戦を踏まえて増員が進み、参戦が決定した翌年約28,000名から、53,000名に増員が行われました。
海兵隊にとって、生き残りをかけた第1次世界大戦における奮戦は、海兵隊の名を世界に知らしめ、盤石のものになったかに思えましたが、戦後はあっさりと規模が縮小され、20,000人体制が続きます。
※海兵隊に限りませんが。
第2次世界大戦以降
そして、1941年に真珠湾攻撃で参戦が決定したことを切っ掛けに増員が進み、1941年には54,000名だった兵力が翌年には14万、1945年までに約475,000名の規模にまで増強されました。
海兵隊の伝説を築き上げた第2次世界大戦によって、海兵隊の存在は盤石のものに思えましたが、戦後は、1950年までに約75,000名にまで縮小されます。
※海兵隊に限らず、1947年に独立した空軍以外の全てが存続の危機に陥ろうとしていました。
しかし、朝鮮戦争を切っ掛けに1951年には19万、1952年以降は20万を超える兵力を保有します。
朝鮮戦争が終結してから、ベトナム戦争にいたるまでは17万から19万の間を前後しますが、ベトナム戦争の本格介入が始まると再度増強が図られ、1968年には30万にまで増員が進みます。
しかし、二年後の1970年、ベトナム化政策による戦線縮小と同時に規模も縮小され、ベトナム戦争以降は20万規模に戻されます。更に1990年代に組織の効率化を計ったことにより、18万を割り、911以降、若干の増強がはかられたものの大規模な増員は行われず、2000年の時点で、173,321名(前年より2,167名増)となり、イラクの自由作戦が行われた2003年に3,012名増の177,030名。そして、2007年時点では186,342名(前年より7,865名増)と15年ぶりに18万名を越え、2016年は183,420名(将校20,786名、下士官兵162,632名)で2015年から223名増(将校102名、兵下士官121名)となっています。