海兵隊の標語
Semper Fidelis(常なる忠誠)
海兵隊のモットーである「Semper Fidelis(常なる忠誠)」 は、ラテン語であり、海兵隊は、このモットーに従いアメリカに対して決して反乱はおろか、それらの計画すらたてることはありませんでした。
南北戦争で、南軍に参加した人々は忘れてください。あれはモットーの採用前ですから。
そのSemper Fidelis は1883年に海兵隊のモットーとして採用されました。
それ以前には、3 つのモットー、
「Fortitudine(ラテン語:不屈の精神)」
「By Sea and by Land(海から陸まで)」
「From the Halls of the Montezumas to the Shores of Tripoli(モンテズマのホールから、トリポリの海岸まで)」
と定められていました。
※二つめのモットーは、イギリス海兵隊のぱくりです。三つ目は海兵隊賛歌の一節目の原点となりました。
Gung-Ho(闘魂)
スローガン「Gung-Ho(闘魂、共闘せよ)」は、1937年に第4海兵連隊に所属していたエヴァンス・F・カールソン中佐が同行した八路軍に共感し、帰国後、大統領の後押しもあって編成することになった第2強襲大隊のモットーとして用いた言葉です。
エヴァンス・カールソン中佐が、第4海兵連隊に所属し、上海にいた時、彼は日本軍の侵攻を目の当たりにしました。彼は、直後に八路軍への同行を求め、許可を受けるとこれに同行、そこでゲリラ戦術と思想を学んだカールソン中佐は、編成を命じられた第2強襲大隊に、その思想を導入します。
ここで、カールソン中佐が、用いたスローガンが、「ガン・ホー(Gung-Ho:共闘せよ)でした。
カールソン中佐は、彼の部下たちに、調和と協力し合うことの大切さを訴えかけます。当初は中佐が後に語ったように、
「我々は利己的な民族であるために彼らにそれを理解させることは難しかった」
と言うように浸透には時間を要しましたが、次第に部隊へは浸透していき、彼らは自分たちの独自装備であるジャケットやナイフに、ガン・ホーの名を冠することになっただけでなく、強襲部隊の本拠地となるニューヘブリディーズ諸島のエスピリッッツ岬のキャンプに、「ガン・ホー」と名付けるほどにもなりました。
しかし、カールソン中佐の後任となったアラン・シャプリー中佐は、これらの思想は逆に有害(組織として考えれば現実的でもない)だとして、カールソン中佐の影響の排除に努めた結果、ガン・ホー精神はシャプリー中佐の就任と共に失われます。
※実際、カールソン中佐はマキン島で、この精神に則り、指揮官を集めますが、結局、支離滅裂の指示になってしまいます。 >Gung-Ho!!海兵強襲部隊レイダース
後に朝鮮戦争の際のラジオ番組などで、何度か、このGung-Hoは引用として取り上げられますが。
つまり、共産主義の言葉を唱えて、共産主義の軍隊と戦っていた、と。
なお、この言葉に引っかけて、取り分けて熱心な海兵隊員のことを、「gungy」と呼ぶそうです。