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1775-1790

海兵隊の出来事
世界での出来事
海兵隊司令官
1664   イギリス海兵隊誕生
1740 第43植民地連隊グーク海兵隊創設  
1775

大陸会議「大陸海兵隊(ContinentalMarine)」2個大隊の創設を承認(11/10)

独立戦争勃発

コンコードの戦い(4/18)

バンカーヒルの戦い(6/17)

ワシントン総司令官に任命(7/3)


サミュエル・ニコラス少佐
1775.11.28-1783. 8
1776

イギリス領バハマ諸島ニュープロビデンス島にて初の上陸作戦(3/3)

トレントンの戦いにおける陸軍支援(12/26)

アメリカ独立宣言(7/4)

1777

プリンストンの戦い(1/3)

首都フィラデルフィア陥落(9/25)

イギリス軍主力を率いるバーゴイン将軍サラトガにて降伏(10/17)

1778

イギリス商船をフランス軍とともに襲撃し、多数のマスケットを押収(3/11)

ワイオミングバレーの虐殺(7/4)

フランス参戦(7/17)

チェリーバレーの虐殺(11/11)

1779

ボノムリチャード号とセラピス号の海戦(9/23)

海兵委員会が廃止され、海軍本部委員会が設置

スペイン参戦(5/8)

1780

カムデンの戦い(8/16)

1781

カウペンズの戦い(1/17)

ヨークタウン戦役(10/6-19)

1782

セイント諸島の海戦(4/12)

予備条約調印(11/30)

1783

海兵隊解散(8/)

大陸軍に戦闘停止通達(4/19)

和平条約調印(9/3)

最後のイギリス軍が輸送船に乗り込む(11/25)

1784

ワシントン、マウントバーノンの自宅に帰宅(12/24)


1785

米英外交関係樹立

1786

1787

1788

1789

ジョージ・ワシントン初代大統領に就任

1790

初代司令官サミュエル・ニコラス死去(8/27)



海兵隊の誕生

 1775年4月19日、レキシントンのコンコード橋で対峙したイギリス軍とミニットマンの間に、一発の銃弾が飛び、ここに独立戦争(Revolution War:革命戦争)が勃発します。

 大陸議会は、大陸軍編成を始めました。第2回の大陸会議において、海上での戦闘、沿岸部の戦闘や艦隊戦の戦闘員としてそして、艦内警備及び戦闘員として大陸海兵隊(ContinentalMarine)2個大隊の編成が許可されます。

※この他にマサチューセッツ州、バージニア州、メリーランド州の各州で編成された州海兵隊(StatesMarine)と、私掠船搭乗の植民地(ColonialMarine)が編成されています(1798年に統合される)。

 この施行日である11月10日が、アメリカ合衆国海兵隊の誕生した日となりました。

 編成の理由は、

「イギリス海兵隊があるから」

 ということだそうですが、ともかく、兵士を集めるために、居酒屋タン・タバーンにて所有者ロバート・ムランの手によって隊員募集が始められました。

 なぜ、居酒屋かというと、酒を飲ませて酔っ払わせて契約させるためです。この当時、この徴兵方法は、当時、非常に一般的な方法でした。

※イギリス海軍など、港に到着すると部隊を編成して、酒場と宿屋を強襲して使えそうな人間を片っ端から連行していくというのを良くやっていました。

 こうして集められたのが、将校10名と兵士200名。最初の実戦は、1776年3月3日イギリス領バハマ諸島ニュープロビデンス島になります。

 この作戦は順調に進み、司令官ニコラス少佐は規模の拡張に努めます。最終的には2000名規模の組織にまで発展していきます。

 独立戦争における海兵隊は、目立った存在ではなく、トレントンの戦いなどにおける陸軍の支援や、洋上での海戦がほとんどでした。

 独立までの海兵隊の損害は、119名(死者49名、負傷者70名)。

 さて、どうにか独立の日を迎えますが、予算不足で総司令官ワシントン将軍が自腹を切ることまでやっていたくらいのアメリカ軍です。優秀な兵士が、給料のよい私掠船に走って人数集めに苦労することを理解していた大陸会議は、海軍を廃止し、これと同時に海兵隊も廃止されました。

 初代司令官サミュエル・ニコラス少佐も、戦争終了とともに一般人としての生活に戻り、1890年8月27日に死去されました。

※戦争終了時、ワシントンによる軍事独裁政権が示唆されたこともありました。しかし、ワシントン自身がそれを拒絶したために後のフランス革命のような恐怖政治からの専制政治への移行はおろか、ロシア革命のような大量虐殺も行われないという希有な結果を生みます。もっとも、逆に数年間の無秩序状態に陥って、「これじゃ駄目だ」とアメリカ合衆国が誕生するのですが。

 この戦争の後、アメリカ軍は解散されます。常備軍は金がかかり、政治的には危険だという認識があったために、治安活動は各邦(後の州)が独自に編成する民兵(後の州兵)に任され、連邦政府自体の部隊は数が抑えられています。



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