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RAIDERS(海兵強襲部隊)

強襲部隊の旅立ち:The departure of the Raiders.


サモア諸島でゴムボートによる強襲上陸演習を行う第1強襲大隊
1942年の夏に撮影

 強襲部隊が、出撃するまでそれほど時間は掛かりませんでした。部隊創設から二ヶ月後、1942年4月には第1レイダースの大多数が列車に乗り込み、西海岸へと向かい、彼らはそこで輸送船ゼイリンへ乗り込むと、月末までにはサモア諸島に到着し、そこに駐屯する海兵旅団に加わります。

 この際、D中隊、81mm迫撃砲小隊と司令部の一部、そして武器中隊はクアンティコに残され、これらの部隊は、最近、数ヶ月のイギリスコマンドゥ部隊の視察を終えて帰国し、強襲部隊に配属された大隊副官サミュエル・B・グリフィスII世少佐の指揮下に置かれました。この小規模の部隊は、東海岸にある程度の強襲能力を保持し、そして後に第3強襲大隊の中核を構成することになります。

 第2レイダースは、4月の間をゴムボートの操船技術を学ぶために過ごし、海軍が、保有するAPD三隻を西海岸へ移したため、カールソン中佐は、サン・クレメンテ島の上陸演習でそれらを使用することが可能となりました。

 第2レイダースは、5月にハワイへと移動します(真珠湾到着は5月17日)。

 しかし、第2レイダースの装備一式は、ハワイにほとんど到着せず、更にCinCPac/CinCPOA( 太平洋艦隊及び太平洋地域司令官:commander-in-chief of the Pacific Fleet and the Pacific Ocean Areas) チェスター・W・ニミッツ提督が、暗号通信の傍受によって次の日本軍の目標であるミッドウェーの防備を固めるためにレイダースの2個中隊を派遣するように命じました。これにより、5月25日にC中隊がサンド島、D中隊がイースタン島へと到着し、本来の隠密及び潜入活動とは全く違う限定された地域防衛という行うはめになり、これがレイダースの初実戦ともなりました。

 結局、現地の海軍と海兵隊の航空隊が奮戦したこともあり、ミッドウェー海戦と後に呼ばれる戦いはアメリカ海軍の勝利となりまた。日本軍は再三ミッドウェーに対する攻勢を仕掛け、かなりの損害を与えることはできましたが、これによる強襲部隊の死傷者はありません。

 この戦闘の後、二つの中隊はミッドウェーを離れてハワイへ戻り、大隊と合流しました。

 1942年8月7日。第1強襲大隊は、ソロモン諸島へ第1海兵師団と共に旅立ち、ツラギ島攻略を開始。

 そして、第2強襲大隊には、これらの陽動のため、ギルバート諸島マキン環礁への上陸が命じられました。

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