RAIDERS(海兵強襲部隊)
ニュージョージアキャンペーン第2幕:カエルカ
同時期、第4強襲大隊の残りN及びQ中隊も休んでいたわけではなく、別の場所で最初の試練を経験していました。こちらは大隊副官ジェームズ・R・クラーク中佐が指揮し、6月30日のヴァングル占領とウィッカム・アレンジへ接近する陸軍第103歩兵連隊(レスター・E・ブラウン中佐指揮)の第2大隊を支援する任務が与えられました。
港湾監視員からは、島は約100名の日本軍によって占拠されているという情報がもたらされており、これを受けて強襲部隊は無防備のオロアナ湾へ夜明け前に先鋒として上陸することが求められました。レイダースが上陸した後に陸軍が上陸して橋頭堡を確保するというまさに「陸軍が安心して道を歩けるようにする」任務では、更に数マイル東の海岸に沿って移動し、村にいる日本軍に対処することも含まれています。
夜明け前、海は悪天候によって荒れに荒れました。悪天候に翻弄されたAPDは揚陸地点を誤り、更に降ろされたヒギンズボートは隊形を崩し、結局、二つに強襲中隊は海岸線7マイルに渡って撒き散らされ、夜が明けて上陸した陸軍を出迎えたのは75名の海兵隊員でした。
6月中旬に二名編成(レイダースと陸軍大隊から中尉が一名ずつ)のパトロールが現地人スカウトの支援を受けて海岸の偵察を行い日本軍の駐屯部隊の正確な位置を突き止めており、これにより、合同部隊は北東の、それらの目的地を目指して進軍しました。一握りの海兵隊員が現地人スカウトと共に連携する陸軍中隊(F中隊とG中隊)とともに先導を務め、残りのレイダースはできるだけ早く彼らと合流する予定になっていました。
とにもかくにも、アメリカ軍は一個小隊を除いた全てが村の数百ヤード北の出発点に設けた前線の到達に成功しました。
攻撃計画自体は単純でした。陸軍部隊は最東部の拠点を確保するために進み、全ての隊列はただ右を向いて、南の敵に狙いを定めました。
前線上に置かれた合同大隊は、中央をN中隊、Q中隊はカエルカ河の土手の右翼、F中隊は左翼でQ中隊の行動を導く。D中隊は予備として後方で待機。
前進開始数分で合同大隊は、日本軍の抵抗に遭遇しました。特に河の西の土手から浴びせられる日本軍の銃撃は激しく、この驚異にはQ中隊が対応し、同時間、F中隊が強固な防衛拠点の左に向かって移動。その間隙を埋めるためにG中隊が前進。
午後遅くまでにアメリカ軍は河の東の土手を掃討し、ブラウン中佐の命令を受けてQ中隊は西の土手を離れ、河口の大隊防衛線の守備につくことになりました。
この戦闘で、海兵隊10名が戦死、21名が負傷。陸軍も同様の損害を受けています。
日本軍は、その夜、直接攻めては来ませんでしたが、迫撃砲と機関銃を定期的にアメリカ軍の前線に向けて撃ち込んできました。
0200時、日本軍の艀三隻が現れ、どうやら戦闘に気付いていないらしく、そのまま海岸へと接近してきたために海に面した場所を守る海兵隊は攻撃を開始。一隻は即座に沈められ、二隻は方向を転じます。海兵隊2名と陸軍兵士1名が、この銃撃戦で戦死しましたが、120名と見積もられた日本軍は全員が海上と海辺で全滅しました。
翌朝、ブラウンは再編成とカエルカへ向けて直接火力支援を行うためにヴェラ村まで撤退することを決めました。日本軍の銃撃にもっぱら悩まされながら、大隊は撤退し、航空、砲撃、そして艦砲射撃による事前攻撃が行われた日の後7月3日にカエルカへ戻ると、小規模の抵抗を退けて、日本兵7名を殺害して、1名を捕虜にすると村を占拠しました。
強襲部隊は翌日以降、LCIに乗り込むとオロアナ湾へと戻り、7月9日にはガツカイ島へ50名の日本軍部隊がいるという情報の裏付けを取るために上陸。しかし、痕跡はありましたが、日本軍との接触は無く、翌7月10日にオロアナ湾へ再び戻ると、11日にガダルカナルへと出発し、そこでカーリン中佐と他の第4強襲大隊と合流しました。