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デタッチメント作戦(硫黄島攻略)1945年2月16日-3月26日

DATA

戦力 損害 日本軍の標語 参考資料

戦力

  アメリカ軍 日本軍
歩兵 27個大隊 9個大隊
戦車 3個大隊 150輌 1個聯隊 中戦車11輌、軽戦車12輌
砲兵

14個大隊
 75mm榴弾砲…48門 181,510発
 105mm榴弾砲…96門 224,851発
 155mm榴弾砲…24門 43,795発

陸軍5個大隊強
 十二糎榴弾砲…10門
 野山砲…24門
 臼砲…12門
 迫撃砲…62門
 噴進砲…40門

海軍
 水平砲十五糎砲…4門
 水平砲十四糎砲…4門
 水平砲十二糎砲…7門
 水平砲短十二糎砲…8門

他に四十七粍速射砲76門

航空 延4,000機以上 特攻機延75機
艦砲 14,250トン 支援無し
総兵力

110,000名
上陸部隊約82,000名

海兵隊70,647名
  第3海兵師団…17,715名
  第4海兵師団…18,241名
  第5海兵師団…18,311名

21,152名

(戦史叢書中部太平洋陸軍作戦によれば20,933名
 内訳は陸軍13,586名、海軍7,347名)

 アメリカ軍は日本軍のほぼ四倍(サイパンでは約二倍)。しかし、前線部隊の戦力は第3海兵連隊の未投入もあることや、日本軍が守備に徹していることから、中盤以降、シュミット少将や各師団長を悩ませる兵員不足は当然といえるかもしれません。日本軍が良く凌いだと言うべきか、海兵隊は良く攻め抜いたと言うべきか。

 砲兵もほぼ倍以上ですが、155mm砲の幾つかは初日に海へ転げ落ちたのは周知のとおり。しかも、全て榴弾砲で掩蔽壕の破壊に効果の高い155mmカノン-通称ロングトムは無し。作戦終了後の評価では日本軍の堅固な防御陣地を破壊できたのは155mm砲のみ(しかも10発前後が必要)で、結局、戦車や自走砲による直接射撃、更には対戦車砲を掩蔽壕の前面まで人力で押していって直射、そして火炎放射器と爆薬による肉薄攻撃が最も効果的であると同時に人的損害を増やした要因ともなりました。

 戦車は、日本軍は最初から戦車戦など考えずに地面や溝を利用して装甲の脆弱さを補っていました。クッシュマンズ・ポケットの戦いで、西中佐は鹵獲したシャーマンも用いて第3海兵師団の攻勢を何度も撃退することに成功しました。海兵隊も、150輌を投入。これまでと違って、エンジンがガソリンエンジンとなったM4A3で、シャーマンベースの火炎放射戦車も投入されました。しかし、硫黄島の地形は待ち伏せに有利で、正面装甲は無理でも日本軍には側面や後方から撃つ機会は幾らでもありました。例えば最初の三日間で実に98輌が損耗(内破壊は24輌)。混成第二旅団直轄独立速射砲第八大隊第二中隊第一小隊長中村貞雄少尉は四十七粍速射砲を自ら操り、LVT20輌を破壊、戦車を揚陸しようとしたLSM3隻に損害を与え、更に戦車ドーザー1輌を撃破する戦果をあげ、栗林将軍から感状を授与され、上奏もされましたし、同第十二大隊の早内正雄大尉も2月22日に数輌を擱座炎上させ,感状を授与されました(その後、爆薬を抱えて突撃して戦死)。2月25日にも日本軍は獅子岩の戦いで9輌を撃破しています。

 小笠原兵団に対する事前見積もりは下記のとおり

 混成第2旅団…4,720名
 歩兵第百四十五聯隊…4,000名
 第二対戦車大隊…1,000名
 臼砲大隊…600名から700名
 戦車第二十六聯隊分遣隊…350名
 第五十九碇泊場司令部硫黄島支部…25名
 陸軍要塞班…20名
 海軍飛行場要員…400名
 建設要員…700名

 陸軍合計…10,600名から10,800名
 海軍合計…1,900名から2,400名
 建設要員…700名
 総合計…13,200名から13,900名

 1945年1月6日時点での見積もり。1月末時点で、硫黄島には上記の兵力がいたので、過小評価したと良く非難されるネタにされています。しかし、当初の予定で硫黄島に進出した最後の部隊である要塞建築勤務第五中隊の到着日1944年11月10日時点での小笠原兵団の戦力は父島の伊支隊4,883名除くと13,586名で見積もりの範囲内だったりします。

 アメリカ軍は航空偵察は2月10日まで実施していましたが、正確な兵力や防御陣地を確認するために行った潜水艦スピアフィッシュによる潜望鏡による写真偵察は12月初め。ところが、硫黄島守備部隊の兵力増強が再開されるのは12月中旬以降。作戦決行がフィリピン攻略の余波で1月10日から2月19日に延期されたことと合わせて栗林将軍は、ここでも幸運に恵まれていたと言えるかもしれません。

※つまりはコーンパイプのおっさんが…

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損害

 
アメリカ軍
日本軍
戦死
海兵隊 将校
303
陸軍
12,723
下士官兵
5,591
海軍
881
海軍
7,406
陸軍
9
合計
6,784
合計
20,129
負傷 海兵隊 将校
870
捕虜
1,023
下士官兵
19,097
海軍
1,917
陸軍
28
合計
21,912
合計
28,696
21,152

 日本軍の死傷者について、戦史叢書においては、20,933名。内訳は戦死19,900名(陸軍12,850名、海軍7,050名)、負傷1,033名(陸軍736名、海軍が軍属76名を含めた297名)。とはいえ、生還者=負傷者というわけではありませんが。

 アメリカ軍の死傷者数は全体で28,686名で、これは海兵隊戦史「IWO JIMA」の数字が元ですが、他の資料と必ずしも一致していませんし、同資料中も差が生じています。更に当サイトの数値は他と一致しないはずです。というのも、再計算したところ、IWO JIMAの合計何カ所か間違っていましたので表は再計算したものを用いています(もちろん、下記の内訳の数字が正しいとも限りません)。

  なお、負傷した後に前線に戻って、死傷した例は幾つも見られました。

 部隊の中で最大の損失を被ったのは第5海兵師団で同第26海兵連隊は歴代2位となる2,675名の損害を出しています。

※第1位は沖縄の第6海兵師団第29海兵連隊2,821名、第3位はペリリューの第1海兵師団第1海兵連隊1,749名。上位三つの戦場が全て水際防御ではなく、縦深陣地による徹底抗戦の場でした。

損害詳細

損害推移
  
戦死
戦傷死
負傷
行方不明
戦闘疲労
合計
D-Day 
501
47
1,755
18
99
2,420
主力防衛戦での戦い(D+1-D+5)  
773
261
3,741
5
558
5,338
D+6-D+19   第3師団(中央部)
627
200
2,241
4
491
3,563
11.930
第4師団(右翼)
642
205
2,836
1
391
4,075
第5師団(左翼) 
830
263
2,974
5
220
4,292
D+20-D+36  第3師団
147
60
505
0
53
765
3,885
第4師団
139
87
442
0
52
720
第5師団
467
168
1,640
3
122
2,400

 一日の損害は、やはり、D-day(2月19日)が最大。第1主力防衛線を突破してからは損害も減っていきますが、逆に死亡率は高くなっています。これは砲弾による攻撃ではなく、機関銃やライフルなどによる接近戦が増えたからと思われます。

海兵隊
部隊名
戦死者
戦傷による死亡
負傷
合計
将校
下士官兵
将校
下士官兵

将校

下士官兵
将校
下士官兵
総合計
VAC
1
25
0
14
22
212
23
251
274
第3海兵師団
65
861
12
255
171
3,329
248
4,445
4,693
師団所属
6
151
2
41
25
573
33
765
798
第9連隊
41
413
6
104
60
1,212
107
1,729
1,836
 H&S及び武器中隊
0
15
0
5
7
74
7
94
101
 第1大隊
5
124
1
34
14
423
20
581
601
 第2大隊
4
170
2
41
20
389
26
600
626
 第3大隊
32
104
3
24
19
326
54
454
508
第21連隊
16
255
2
97
55
1,220
73
1,572
1,645
 H&S及び武器中隊
0
2
0
0
1
0
1
2
3
 第1大隊
3
69
1
51
16
396
20
516
536
 第2大隊
8
95
0
20
20
441
28
556
584
 第3大隊
5
89
1
26
18
383
24
498
522
第12連隊
2
11
2
6
15
107
19
124
143
 H&S砲兵中隊
0
0
0
0
0
4
0
4
4
 第1大隊
0
6
1
2
8
38
9
46
55
 第2大隊
1
3
1
4
3
38
5
45
50
 第3大隊
0
0
0
0
1
9
1
9
10
 第4大隊
1
2
0
0
3
18
4
20
24
第3戦車大隊
0
23
0
2
8
85
8
110
118
第3整備大隊
0
5
0
4
3
92
3
101
104
第3工兵大隊
0
3
0
0
1
8
1
11
12
第3役務大隊
0
0
0
1
3
13
3
14
17
第3輸送車大隊
0
0
0
0
1
7
1
7
8
第3医療大隊
0
0
0
0
0
12
0
12
12
第4海兵師団
90
1,541
18
357
306
5,905
414
7,803
8,217
師団所属
16
105
2
24
23
504
41
633
674
第23連隊
19
392
5
88
73
1,479
97
1,959
2,056
 H&S及び武器中隊
0
24
0
3
5
81
5
108
113
 第1大隊
8
142
1
33
20
417
29
592
621
 第2大隊
5
125
3
30
26
538
34
693
727
 第3大隊
6
101
1
22
22
443
29
566
595
第24連隊
14
396
6
91
66
1,587
86
2,074
2,160
 H&S及び武器中隊
0
5
0
0
1
53
1
58
59
 第1大隊
4
112
5
27
18
460
27
599
626
 第2大隊
9
138
1
31
20
516
30
685
715
 第3大隊
1
141
0
33
27
558
28
732
760
第25連隊
26
500
0
126
73
1,567
99
2,193
2,292
 H&S及び武器中隊
2
9
0
6
12
79
14
94
108
 第1大隊
6
111
0
31
16
446
22
588
610
 第2大隊
8
196
0
51
19
540
27
787
814
 第3大隊
10
184
0
38
26
502
36
724
760
第14連隊
7
37
1
11
21
203
30
251
281
 H&S砲兵中隊
0
0
0
0
1
1
1
1
2
 第1大隊
2
14
0
8
4
75
6
97
103
 第2大隊
1
10
0
0
7
45
8
55
63
 第3大隊
3
11
1
2
7
51
11
64
75
 第4大隊
1
2
0
1
2
31
3
34
37
第4戦車大隊
0
20
2
3
12
86
14
109
123
第4整備大隊
4
51
1
9
22
244
27
304
331
第4工兵大隊
2
24
1
4
15
143
18
171
190
第4役務大隊
0
0
0
0
1
18
1
18
19
第4輸送車大隊
0
1
0
0
0
7
0
8
8
第4医療大隊
0
0
0
0
0
5
0
5
5
第5水陸両用車大隊
2
8
0
0
0
35
2
43
45
第10水陸両用車大隊
0
7
0
1
0
27
0
35
35
第5海兵師団
82
1,868
30
604
320
7,021
432
9,493
9.925
師団所属
22
393
2
107
32
941
56
1,441
1,497
第26連隊
12
471
10
157
91
1,934
113
2,562
2,675
 H&S及び武器中隊
1
19
2
6
9
109
12
134
146
 第1大隊
4
177
2
64
30
748
36
989
1,025
 第2大隊
2
125
4
54
28
570
34
749
783
 第3大隊
5
150
2
33
24
507
31
690
721
第27連隊
17
383
9
157
72
1,631
98
2,171
2,269
 H&S及び武器中隊
4
19
1
8
8
111
13
138
151
 第1大隊
6
161
5
61
27
530
38
752
790
 第2大隊
2
85
2
35
22
481
26
601
627
 第3大隊
5
118
1
53
15
509
21
680
701
第28連隊
16
457
4
115
69
1,715
89
2,287
2,376
 H&S及び武器中隊
1
23
0
7
3
92
4
122
126
 第1大隊
4
134
3
40
25
573
32
747
779
 第2大隊
6
138
0
34
25
586
31
758
789
 第3大隊
5
162
1
34
16
464
22
660
682
第13連隊
7
80
4
20
17
252
28
352
380
 H&S砲兵中隊
0
4
0
1
0
11
0
16
16
 第1大隊
4
27
2
7
5
58
11
92
103
 第2大隊
1
9
0
3
2
50
3
62
65
 第3大隊
2
22
2
6
9
78
13
106
119
 第4大隊
0
18
0
3
1
55
1
76
77
第5戦車大隊
1
12
0
5
8
52
9
69
78
第5整備大隊
1
30
0
24
11
187
12
241
253
第5工兵大隊
5
25
0
11
10
168
15
204
219
第5役務大隊
1
5
0
2
0
41
1
48
49
第5輸送車大隊
0
7
1
0
4
53
5
60
65
第5医療大隊
0
1
0
0
0
2
0
3
3
第3水陸両用車大隊
0
3
0
5
0
17
0
25
25
第11水陸両用車大隊
0
1
0
1
6
28
6
30
36
航空隊及び艦船分遣隊
2
23
0
0
5
28
7
51
58
海兵隊死傷者合計
240
4,318
60
1,230
824
16,495
1,124
22,043
23,167

 他に、46名(将校3名、下士官兵43名)が行方不明。また、2,648名(将校46名、下士官兵2,602名)が戦闘疲労(負傷扱い)。

 各歩兵大隊や日本軍の防御陣地の破壊に当たった工兵部隊の損害もさることながら、本来、後方にいるはずの司令部部隊、各支援部隊、そして砲兵部隊の損害も少なくなく、また大隊長の入れ替わりの激しさも硫黄島において安全な場所が少なかったことが伺えます。

海軍
部隊
戦死
戦傷による死亡
負傷
行方不明
合計
衛生官
176
19
529
0
724
医療及び歯科将校
2
0
12
0
14
建設大隊(シービーズ)
42
7
218
2
269
艦船及び航空隊
143
44
1,158
446
1,791
海軍死傷者合計
363
70
1,917
448
2,798

 海兵隊の歩兵部隊と同行する衛生官の損害もさることながら、戦う土建屋シービーズや軍医の損害も硫黄島では顕著なものでした。

陸軍
部隊
戦死
戦傷による死亡
負傷
行方不明
合計
VAC所属部隊
7
1
28
1
37

 陸軍の損失は、あくまで作戦中、輸送に携わった兵士や滑走路周辺に配置された対空砲部隊のもの。

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日本軍の標語

敢闘ノ誓

 一 我等ハ全力ヲ奮ツテ本島ヲ守リ抜カン

 一 我等ハ爆薬ヲ擁キテ敵ノ戦車ニブツカリ之ヲ粉砕セン

 一 我等ハ挺身敵中ニ斬込ミ敵ヲ塵殺セン

 一 我等ハ一発必中ノ射撃ニ依ツテ敵ヲ撃チ斃サン

 一 我等ハ各自敵十人ヲ殪ササレハ死ストモ死セス

 一 我等jハ最後ノ一人トナルモ「ゲリラ」ニ依ツテ敵ヲ悩マサン 

日本精神錬成五誓(硫黄島部隊誓訓)

 1 日本精神根源ハ敬神祟祖ノ念ヨリ生ス 我等ハ純一無雑ノ心境ニ立チテ益々此ノ念ヲ深クシ我等ノ責務ニ全身全霊ヲ捧ケンコトヲ誓フ

 2 日本精神ノ基幹は悠久三千年の尊厳なる国体より生ず 我等ハ此の精神を蹂躙する敵撃滅の為凡有苦難を克服することを誓フ

 3 日本精神の涵養は御勅諭の精神を貫徹することに在り 我等ハ愈々至厳なる軍紀風紀を確立し猛訓練に絶え必勝の信念を益々鞏固ナラシメンコトヲ誓う

 4 我等ハ国防の第一線に在り 作戦第一主義を以て日本精神を昂揚し上聖明に応え奉ると共に下殉国勇士の忠誠と銃後国民の期待に背カサランコトヲ誓う

 5 我等ハ国民の儀表ナリ 此の矜持と責務を自覚し身を侍すること厳かに人を俟ツコト寛カニ日本精神を宣化センコトヲ誓フ

膽兵の戦闘心得

戦闘準備

 1 十倍の敵打ちのめす堅陣とせよ 一国惜しんで空襲中も戦闘中も

 2 八方より襲うも撃てる砦とせよ 火網に隙間を作らずに戦友斃れても

 3 陣地には糧と水とを蓄へよ 烈しき砲爆、補給は絶えるそれも覚悟で準備を急げ

防禦戦闘

 1 猛射で米鬼を滅すぞ 腕を磨けよ一発必中近づけて

 2 演習のように無暗に突っ込むな 打ちのめした隙に乗ぜよ他の敵弾に気をつけて

 3 一人死すとも陣地に穴が空く 身守る工事と地物を生せ 偽装遮蔽にぬかりなく

 4 爆薬で敵の戦車を打ち壊せ 敵数人を戦車と共に これぞ殊勲の最なるぞ

 5 轟々と戦車が来ても驚くな 速射や戦車で撃ちまくれ

 6 陣内に敵が入っても驚くな 陣地死守して打ち殺せ

 7 広くまばらに疎開して 指揮掌握は難しい 進んで幹部に握られよ

 8 長斃れても一人で陣地を守り抜け 任務第一 勲を立てよ

 9 喰はず飲まずで敵撃滅ぞ

 10 一人の強さが勝の因 頑張れ武夫 休めず眠れぬとも

 11 一人でも多く斃せば遂に勝つ 名誉の戦士は十人斃して死ねるのだ

 12 負傷しても頑張り戦へ虜となるな 最後は敵と刺し違へ

参考資料

アメリカ海兵隊の太平洋上陸作戦〈中〉旧日本軍の持久防衛と完成した米軍強襲上陸侵攻
著:河津 幸英

アメリカ海兵隊の太平洋上陸作戦〈下〉対硫黄島縦深立体要塞と「首里」複層要塞リング戦編
著:河津 幸英

サボ島沖海戦―米海軍史上最大の敗北
著:リチャード・F・ニューカム 訳:田中 至

硫黄島―太平洋戦争死闘記
著:リチャード・F・ニューカム 訳:田中 至

Iwo Jima
著:Richard・F・Newcomb

硫黄島 勝者無き戦場
著:ビル・D・ロス 訳:湊 和夫

IWO JIMA Legacy of Valor
著:Bill D ROSS

硫黄島の星条旗
著:ジェームズ・ブラッドリー、ロン・パワーズ 訳:島田 三蔵

Flags Of Our Fathers: Heroes of Iwo Jima
著:James Bradley、Ron Powers

散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道
著:梯 久美子

Us Marine Corps Pacific Theater Of Operations, 1944-45 (Battle Orders)
著:Gordon L Rottman

戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦<2>ペリリュー、アンガウル、硫黄島
著:防衛庁防衛研修所戦史室

硫黄島の死闘 恐怖の洞窟戦
著:小谷 秀二郎

IWO JIMA: AMPHIBIOUS EPIC
編集:USMC HQ G-3 Division,Historical Branch

WESTERN PACIFIC:OPERATIONS HISTORY OF U. S . MARINE CORPS OPERATIONS IN WORLD WAR II
著:Historical Division, Headquarters, U . S. Marine Corps

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