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恩の心 報恩行
恩の心
「恩」とゆうことは、大生命の中に生まれる道徳、律、因果関係、縁起。すべてを“義”とするものまで含まれている。 どこの神社仏閣へ行っても「報恩」ということを良く聞く。 「報恩行」この行事の持つ意味、または思想を理解しなければ本当の“恩”は分からない。 これは、感謝、情け、恵みとゆうような意味、これをまとめて“恩”と言う。日常生活においてたくさんの“恩”という言葉がある。知恩、報恩、如来恩、諸仏菩薩の恩徳、恩恵、恩義、恩愛、拝恩、慈恩あげてゆくと切りがない程ある。 四恩について 特に、我々に身近に含まれている「報恩行」の持つ意味について説く。この中にも「父母の恩」「三宝の恩」「衆生の恩」「国王の恩」という4つの恩がある。 三宝とは仏、法、僧を言う、目王の恩と仏教経典には書いてあるが国王の恩の意味において本来の仏教の教えでは違う意味があるがこれは後に述べる。 この四恩の中でも「父母の持つ恩」が説くに我々に響いてくる。 どこの神社仏閣へ行っても形式、儀式のあり方として「内陣」とゆうのがあり曼陀羅がかけてあるが、この曼陀羅を“恩”という意味でみれば「我(外から)見るものからの感謝にあたる」ということ。何故ならば、その曼陀羅を見て人間から「心を入れて見させていただきます」という心に自分がなってゆかなければならない。そうゆう“見解”に自分を立たさなければならない。あちらから「見せてあげる」と言うのではなく、こちらから「見せて頂いています」と言う見解。 つまりこの心というのは生命の中より生み出されるものである。「見る」と言うのでは無く「見させて頂いています」という生命の中から生み出してくるものである。 寺、神社仏閣に行くとまず、仏の教えというのをどこでも説いている。これを「恩教」と読み上げている。この神理は仏教を広めていったその開祖、子孫を指す。これを「大恩教」という。その中にあって僧侶が説法をしてゆく。 この説法者の恩は“恩が重い”という。 すべて“恩”を理解しながら世の中を広く見てゆくと、何一つ求めても「万有万物」に世話にならないものは一つもない。四つの恩の「国王の恩」は政府(国民の財産、生命を守るための政治)と思えばよい。「父母の恩」「衆生の恩」は与えられている全てのと生あるものすべて“大生命”とだけ覚えておけば良い。すなわち「万有万物」に世話にならないものはこの世においてもあの世(霊界)へ行っても誰一人としていない。そこから恩の思想(考え方)が生まれてくる。 有はすべての説法者であり恩である 話をしていても話をしていなくとも「有」はすべてこれもまた説法者である。僧侶だけではない。草、木を目で眺めていても我々に語りかけてきてくれる。語りかけてきてくれるものは説法者である。これもまた、我々が真理を求めていくうえの“恩”である。 また、手に取るもの「無常・無我」として、また、有として求めるものである。すべてが説法者であるならば、それはまた恩である。つまり、報恩ということになる。 天地万有のものすべてが成り立っているこれを“因”と指す。 因を正しく見つめる。 この恵みに感謝することにより恩という意が働くのである。 これらを求める。つまり「真理」理法を一つでも知恵にすることにより我々は一般によい人、立派な人と言われている人は「恩を知り恩を感じる」という心が感謝として働くのである。 身近において“恩”の中にも仏説として「仏恩抄」というのがある。真言宗ではこれを特に重視している。この経典は弘法大師、空海がつくりあげた。この恩の中には、父母、国王、衆生、三法(仏法僧)の四恩が説かれている。 まず「父母の因縁」、特に父母の因縁はすべて必ず持っている。人の子であるならば必ず親がいる。例え世の中に捨てられた子供であっても、元は父母がいる。父母を忘れ去ることはできない。自分の身体にそれが入っている。だから、「父母の恩」を特に思わなければならない。とにかく、父母の因縁の恩ということは、幼い頃から 身体が悪くなれば医者に連れていってもらう。大きくなれば、恩を忘れ去り、養老院へいれたり、また「医者へ連れて行ってほしい」と親が言っても医者へ連れていかない人もいる。本当の「報恩行」の意味が全く忘れさられている。 報恩思想について 次に報恩思想、報恩行について説く。 仏教の「父母恩重経」のお経の中には父母の恩について説かれている。この教義の中には具体的な救済法が説かれている。これは支那、今の中国からこの教義が書き直された。 これは「目蓮」が行のすえに六通明を得て、彼が母の恩・慈恩に報いるために得た力で母を見てみると母は修羅道に落ちていた。目蓮が食物を与えても食べようとすると火になって食べられない。そこで目蓮は、母の罪恨が深すぎて一人では救うことができないことを知り、仏に向かって「どのような供養をしたら良いか」とお聞きした。そうすると、十方の衆僧、威神力を持っているすべてのものに“供養”することによって母親は“解脱”できる。七世の父母、現在の父母の危難をそれで脱けることができたということが書かれている。その時の供養について、百味、五果、渡灌、盆器、香、錠、燭床、敷賢などをもって供養したと書かれている。 世の中の飲食をお盆に入れ十方の大徳思想に供養せよと説かれているが、何故このような意味が含まれているのかとゆうと、あまりにも愛着、執着を持ちすぎると、ものに対しての投げやりな気持、粗末にする気持とゆうのがこの中の“神理”によく含まれている。 ただ経典の話ばかりを眺めていたところで何にもならない。現在のこの経典を眺め今、現在の世の中を眺めてゆくならば現在の“心”を見るということ。 恩と法律、道徳 「父母の恩」とは今生で言う法律、道徳ということ。世間に対しての理解する知識である。人間に対しての知識から良心というものが奪われてくるのである。それはしばられる、しばられないという意識である。その思想から「報恩」、「報恩行」ほんこさんが生まれてきた。

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