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妙法蓮華経 序品第一 若し広野の中において 土を積みて仏廟を成し 乃至 童子の戯れに 砂をあつめて仏塔を為れる かくの如き諸の人等は 皆 己に仏道を成じたり 若し人が 仏のための故に 諸の形像を建立し 刻彫して衆相を成せば 皆 己に仏道を成じたり。 或いは七宝をもって成し 鍮石 赤白銅 白鑞及び鉛 錫 鉄 木及び泥 或いは膠漆の布をもって 厳飾して仏像を作れる かくの如き諸の人等は 皆 己に仏道を成じたり。 彩画して仏像の 百福荘厳の相を作るに 自ら作り 若しくは人をもせしめば皆 己に仏道を成じたり。 乃至 童子の戯れに 若しくは草木及び筆 或いは指の爪甲をもって 画いて仏像を作る かくの如き諸の人等は 漸漸に功徳を積み 大悲心を具足して 皆 己に仏道を成じ 但 諸の菩薩を化いて 無量の衆を度脱せり 若し人 塔廟の 宝像及び画像において 華 香 幡 蓋をもって 敬心にして供養し 若しくは人をして楽を作さしめ 鼓を撃ち 角 貝を吹き 簫 笛 琴 箜篌 琵琶 鐃 銅鈑 かくの如き衆の妙音を 尽く持って 或いは歓喜の心を以て 歌唄して仏の徳を頌し 乃至 一の小音をもってせしも 皆 己に仏道を成ぜり。 この中には仏性という自分達が佛に成っていく要素があると書かれている。 ここに書かれている仏廟とは墓、ストゥパー。衆相とは佛の三十二相、佛としての相が具わっているもの。そして、宝石や真鍮や銅ばどのいろんなもので仏像を作ったり、佛の絵を描いて佛を供養するという。これらによって今、我々が何を必要としているかというと大乗仏教におかれては菩薩行ということが言われている。自分が菩薩になっていく。この流れというものがこの中に書かれているということである。 菩薩行を完成させていくがために、まず縁を持つということである。まず、… 黄光龍説法 近代仏教思想(一元論における思想)より▲先頭に戻る |
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