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心と魂
心と魂
 「黄光龍説法 宗教と心(霊界1)」の33ページから35ページまでに書かれている「心と魂」について、これをよく理解してもらったうえで、心とは何か、魂とは何かということを、自分なりにその思い思考力というものを働かしてもらう。
 まず先に「初心に戻る」。初心のことを思い出すという言葉、この言葉を言葉として皆さんは使っているだけあって、現実として本当に初心に戻っているかということ。まあ、私が見ている範囲では、言葉では戻っていても現実に初心に戻っているということはない。それはどういうことかというと、まず、この世には男と女、つまり、すべてオスとメスがある。このマイクにしても、電気の差し込みにしろ必ず電気というものは+と−、陽と陰というふうに法則は成り立っている。
 その一例をとって見ると、一人前の人間に成長していくならば、必ず途中には夫婦という縁が出来上がるということ。男と女であるならば、夫婦という縁が出来上がる、これは当然のことである。(中には出来上がらない人もいるが)。普通、一般常識では男と女が結び合い、夫婦になっていくということ。女性であれば嫁にいく人もいればあ、男性であれ、女性の所へ養子にいく人もいるということ。そこのところをよく理解しておく。
 今から話をすることは、まず居るとおもってもらいたいということ。まず、姑さんがいる。まだ嫁にいっていない人もいる。また、そこには弟になる人もいる。すべての平均家庭というものを頭の中に描いてほしいということ。嫁に行く時には白無垢を着てその家に嫁ぐ。その時の意識というのは、まず、今まで自分が住んでいた環境、そして、その嫁に行ったところの環境というのは似通っていても必ず違うところがあるということ。だから、嫁に行ったならば、必ず、まず半年、1年ぐらいは嫁は舅(姑)さんとは喧嘩しない。その家庭の中において、小舅(姑)とも仲良く半年、一年ぐらいはやれるはずである。しかし半年、一年と進んでいくと、舅(姑)さんは嫁の悪口を言いにかかる。嫁は舅(姑)さんの悪口を言いにかかるのが現実であるということ。なぜそのような違いが出来上がってくるのかというと、それは嫁に行った時には環境が違うから一生懸命その環境に慣れよう、また染まろうとしていく。そして舅(姑)さんの言うことは1から10まで”聞く耳”を持って、そして、その行動をとっていこうとする。それがいつしか慣れてくると、もう自分の思いですべてが出来るという思いに自分が囚われるということ。その時に舅(姑)さんは嫁のいろんな悪口を言う。嫁は舅(姑)さんの悪口を言いにかかる。そして他人の所へ行って、そのくどきをやろうとしていく、おなじように…。と、その他人は、必ず「嫁に来た時のことを思い出しなさい」つまり「初心を思い出しなさい」ということを必ず話をしてくれる。今、舅(姑)さんと嫁の話をしていても、これは会社を設立した人も、今から設立そうとする人も、すべてこれを自分に置き換えて、この話を聞いてほしいということである。
 しかし「初心に戻る」、さあ、自分は初心に戻りましょうと一生懸命努力をしていく。言葉では初心に戻っている。しかし現実は何も戻ってはいないということ。到達はしていない。言葉と思いが初心に戻ろうとしているだけで、その時の意識の回復が全く有り得ないということ。戻れないのだから、相変わらず喧嘩をしているのだから…。言葉では「初心・初心」と言っていても戻ってはいない。それにはまず今言ったように、その環境を一生懸命思い―つまり、どういうことかというと、…。
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