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煩悩 人間は、苦しみに苦しみを重ねて行く事によって、自分の智恵というのが良く見えにかかる。自分の自力の行であり、人間としての業である。業である。服を着るのも何をするのも人間は全て煩悩に生かされている。心も魂も煩悩、人間の業である。釈迦牟尼佛は煩悩を捨てなさいとは言わなかった。自分で描かれた煩悩の一線を越えないようにしなさいと、教えて行かれた。煩悩無くしては人間の生命すら保つ事が出来ない。 何故か。煩悩を全部捨てなくてもよいという事。一線を越えない煩悩であれば捨てなくても良い。煩悩、大煩悩、凡夫と言う言葉がある。大煩悩とは一線を越えた事を言う。今、善悪をわきまえない智恵、自分を労わらないというのも大煩悩に入ってくる。今、自分が服を着ていて、自分の体温を保つ。食事をして自分の生命を保っていく。水を飲み、仕事をし、色んな事をして、やっていく。煩悩の中に成り立っていく。だから、今の心の行と言うのは一線を越えない、大煩悩を起こさない様にしていくのが、心の行である… 黄光龍説法 宗教と心(霊界1)煩悩より   ▲先頭に戻る |
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