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浄土三部経
浄土三部経
創造神が説かれている神理そのものが浄土三部経の中に説かれている。観無量寿経、大無量寿経には、釈迦牟尼佛が説いて行ったと言う事に対して色々な事があるけれど、弥勒菩薩とか阿難とかに説いで聞かせている言葉がある。実際、これは釈迦牟尼佛が説いて行ったのではなく、大勢の人がこれを書かれたのだけれども、その中に「自力」と言うのが説かれている。ただ、阿弥陀様を念じるだけでは全然駄目と言う事が、まず書かれている。この浄土三部経を読めば分かる。
「この道理に招き、人情の自然に浮かぶ何よりも、必ず宿世におかした因業が利・非とその報意を現してその人を縛るのである。しばらくの間は勝手気ままにそれを欲するか、人によって消えるが、まもなく、その罪果が前途に達するに及び同じ生命を保ち、帰命の最後を楽しみ、その人を地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落し、生まれ死ぬという二世の永きに渡って苦悩せしめるのである。こうして再び流黒の中に入るや否や限りなくそれを繰り返し千億劫を経ようとも五悪を滅することなく、その魂はことわりに熱し、誠に哀れな限りと言わねばならぬ。」
これは浄土三部経の中の無量寿経。いつも浄土真宗の人が僧侶にあげて貰うお経の一説。これも自力と言うのがここに説かれている。「見よ自分の行っている悪業」と言う事。善行、悪業。利と書かれているのは善行である。非と説かれているのは悪業である。非の悪業の業が行われている。この悪業する場合には、自分が罪悪感すら感じない悪業と言う悪は生きていながら、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に落ちる。生きていて落ちる。ここで阿弥陀様が救ってあげると言う事は、この中で何も言っていない。光のみ阿弥陀様が救ってあげると言う、つまり生きていて、自分が地獄とか餓鬼・畜生この三悪道に落ち込んでいれば人間としての肉体が亡んで他界しても霊性がそこへ行っているから、自ずと自分の人間としての意識が死後の世界へ行った時には、すでにこの三悪道の中に自分が含まれている。ここから這い上がるのは並大抵のものではない。五百年、又は、千億劫と言う年月をかけて、又、この三悪道の中で自分が行をし、そしてここから這い上がらなくてはならないと言う事を教えている。だから、生きていて極楽浄土、つまり、自分が生きていて、この世を自分達が極楽浄土にすると言う、そういう気持ちが必要である。だから天地の道理仰ぎ、人情の自然に逆らうな、つまり善悪をわきまえる智恵であっても、善も悪もその智恵はあるという事。ただ悪業に囚われる事なく自分自身が善の利の行に入っていきなさい。道の人になりなさい。そうする事によって法蔵比丘が建てて行った四十八願、この念頭が自分に生かされますよという事が書かれている。誰しもが、醜い人を今、人間として同じ色を持っていれば、善行を積んだ人が、悪行三昧している人に対して言葉をかけてあげる事が十分に出来る。その霊性を目覚めさせ、その霊性に光を求めなさいと言う事が出来る。
しかし、仏の世界からは人間に対してその人の霊性が目覚めてない場合には、幾等声をかけたところで、霊性には声が聞こえない、何故かと言うと目覚めていないから、だから人間に仏の世界から声をかけようと一生懸命しているがその声を聞こえる人はいない。だから生きていてこの世を極楽浄土にする場合には、一人が悟ればその善行の積み重ねをその人にその法を伝えて行く。伝えて行けば目覚める。そしてその人が信じ込む事によって、信じる信仰を行う事によって、その人が自ずと善行に入って行き、三悪道には落ちない。自分が人間として目覚め、人間の中に入っている霊性が目覚めて心の行をすれば三悪道は無い。生きていてこの世が極楽浄土である。他界して行っても、死後の世界へ行ってもそのまま極楽、阿弥陀の世界へ入って行ける。
でも人間というのは、悪行、悪の業をやっていても何等気付かない者が多い。この佛説無量寿経、佛説観無量寿経、佛説阿弥陀経(浄土三部経)の中には、死後の世界とが説かれている。唯、「南無阿弥陀仏」と唱えると言う事は、一つの信仰集団では悪行やっていても「南無阿弥陀仏」と唱える事によって必ず救われる、必ず極楽浄土に生まれ変わる事が出来ると教えていても浄土三部経の中には、全くこういう事は説かれていない。悪行すれば三悪道に落ちて行く。何か自分の都合の良いように解釈し、唯、間違って法が皆に伝わっている。正規には伝われていない。悪行三昧していて「南無阿弥陀仏」と唱えていても救われる訳がないという事。そういう事がこの中にすべて説かれている。
これもすべてあくまでも三悪道に落ちない場合には、自分が善行を行いなさいと言う事が書かれている。自分の心をきれいにし、早く自分が目覚めてその世界、仏の世界、また人間としてもう一辺、与えられた霊界、そこを信じなさいと言う事がこの中に書かれている。いくら信仰・宗教を行っていても…

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