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心の中
心の中
 3つの心があると言った。この3つの言葉は、いま現在、我々に身近に身近な思考力という、行動という、この3つにつながるということ。これは分かり易く説明をすると、
 一、善悪の判断
 二、己をいたわる
 三、精進・努力
この3つを取得し、また、これを自分の己の行動に移してほしい。(黄光龍説法 宗教と心(霊界T)心の行参照)まず最初に善悪の判断ということ。どのように善悪の判断をしていくか…。まず、皆さんは日常生活に意識をもって行動をとっているというつもりであっても、ほかから見れば、なかなか善悪の判断を混えたうえの意識を持つ行動というものは、なかなか思うようにはいっていない。それには、まず次に述べられるいたわるということが欠けているということである。
まず、いたわるということを最初に説明すると、他の人に「あなたは体が悪い、体が悪いならばお医者さんに行って来なさい」といって声をかけられる。しかし、「自分の身体は自分がよく知っている。行かなくても良い」というような思いに囚われるということ。そうすればどうなるか…。他の人は行きなさいと教えてくれる。それは1人ではなく、10人、20人、30人と自分が逢う人ごとに言われたとする。そうすれば自分・己だけが行かなくても良いと思っていたところで、今言った他の20人、30人の人が心配をする。そうすれば、まず自分よりか他の人に心配を起こさせるのがいたわることではないということ。まず、素直に自分が「はい、分かりました」と、お医者さんに行くことによって、自分の身体を自分がいたわることになる。そして、他人までもいたわってあげるということが出来るということ。
 そのいたわるというこの中に、自分の思考する善悪の判断があるということ。今言ったように、自分が自分の身体をよく知っていると思い止めてしまうならば、他をいたわることではないから、それは善と悪に分けるならば悪であるということ。素直にお医者さんに行くならば、それは他をいたわり、そして自分もいたわり、素直な心が出るということは、これは善である。そういうふうに、善悪の判断というのは日常生活の中に多く含まれているものである。特別に構えたことはいらないということ。今、ここで仏の教えというのをお話している。各寺院、教団、そういうところだけに善悪の判断とか、または「懺悔」という言葉があるのではない。日常生活の中に多く含まれている。それをよく見きわめていくというのが善悪の判断であるという…

黄光龍説法 心をひらく 第二章 心の中より▲先頭に戻る

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