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幻の心
幻の心
宗教というものを少し理解しなくては仏教の本来の心はなかなかわからない。
この宗教というのは、今この自然を眺めるということは、月、太陽、星、地球等たくさんある。これを仏教の言葉では「霊性」とこう呼んでいる。自然の摂理、つまり 宇宙そのもの全てを「霊性」と呼ぶ。
この宗教というのは、我々は今、生かされている、自分勝手に生きている人は一人もいない。今、我々の口に入る食事も、人が作って我々が食べてエネルギーにして 生活しているというこの基本のもとからいくと、我々は生かされている。そして何事も与えられているということが宗教である。生きている事が宗教である。 酸素を吸い炭酸ガスを吐き出す自然の摂理、この中に我々がいるということは、宗教は“生かされている”“与えられている”というのが宗教の基本である。
そして今、息をして酸素を吸い炭酸ガスを吐き出している。そして1+1=2と覚えていく。そして、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、自分の子供、 孫と自分の頭の中に入れていき、そして悪い事をしてはいけない、できるだけ善い事をしなさい、それをしたら危ない、こうしたら危なくないという、その心を 入れていくのが仏教である。
だから自然に我々が“生かされていて与えられている”のが宗教であり、そして、言葉を話す事、目で眺める事、そして自分の先祖、子孫、両隣の人、大きく言うと 人間そのもの全て、地球に住んでいる人間すべての目に写り、そして、一人一人の思いがあってそれを話していき聞いていく。それから日常生活においてご飯を食べる事、 女の人はそこでお勝手をする事、もう一つ言うとトイレに入っているまでが仏教の心である。だから、宗教の心、仏教の心というのはそこから本当の心というものが生まれ てくるということ。だから…

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