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意識 さて、意識の持ち方ということ。まず意識を持つ前に、仏教の1つの用語として理解しておかなければならないことがある。さおれは皆さんもよくよく知っている心の中の心をひらくということにおいて、八正道という言葉がこの教えの中に含まれているということ。この八正道(宗教と心(霊界T)聖八支道参照)とは、正しい言葉(正語)、正しい念(正念)、正しい精進(正精進)、正しい業(正業)、正しい掟(正定)、正しい思い(正思)、正しく見える(正見)、正しい命(正命)という八つの用語が並べてあるということ。 しかしこの今、現在我々が生活しているうえに、この八つの言葉を常に思い出し、これでは大丈夫か…、今いっている言葉が「正語」か、今思っていることが「正思」か、今行っている行動が「正業」か、というふうに思い浮かべながらの行動というのはなかなか取れない。また取れるはずがないということ。だから、それを一応頭の片すみに置いて、それから、まず自分の身というものを正す。これを実践しなければならない。それには、一番最初に言った意識を持つことが必要である。さて、意識を持ちなさいと言ったところで、どこに意識を働かしてよいのか分からない、なかなか分かるものでもない。 しかし、この意識を持つ実践というのは簡単である。1つ、自分のポイントを掴まえれば簡単である。例えば、我が家とか他人の家でお茶を飲むことがある。今、他人の家へ行ったとする。玄関で「こんにちは、ごめんください」という、まず声をかける。そうすると、中から家の人が出て来て「いらっしゃい、どうぞ中へ入ってください」という、声のやりとりがある。しかしそれは本当に本音としてその声のやり取りがあるのか。また向い入れる人が「また嫌な人が来たな、仕方ない、建前上入ってくださいといわなければならない…」という、2つの思いがある。この思いの、最初の本当に心から「入って休息してください」というのは正語である。そして建前上「中へ入ってください」というのは正語ではないということ。本当の心、本当の思考することは「嫌だな、また来た、この人…」という、これであるということ。しかしそれはなぜそのような心になっていくのか。それには分かり易く説明すると、時間がなさすぎるということ。そして、心は平安ではない。つまり、心の精神状態がリラックスしていない。リラックスでもない、平安でもないということ。だから2つの心が働こうとするのである。だから、常に平安、そしてリラックスということを求めなければならない。それが意識であるということ。その持ち方である。 まず、一番最初に戻ると、まず玄関に入って「ごめんください」という。その玄関先にたってその座敷に通されるまでのことをすべて眺めることができるか…。ただ、単に案内されてその部屋に入るだけでは、玄関先から部屋までのことは何も自分の記憶に残らないということになる。だから案内される前に自分が通ったところをすべて覚えておく。眺めることによって、脳の片すみにでも記憶するということができるということ。 意識の説法をご拝聴することができます。 意識 黄光龍説法 心をひらく 第二章 意識より▲先頭に戻る |
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