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信心と信行 最初に、宗教の、仏教の基礎知識ということ。それは人としての道、信心、信行という言葉がある。これをみなさんはよく理解しなくして、この道に入っている人が多いと思う。 それにつき、一般に宗教という名が付くと、1つのこだわった信仰であると思いがちである。たとえば儀式である。そして神様、仏様の前にいき合掌(想像)し、一時的なご利益を頂こうとする。それが信心であり信行であると思いがちである。しかし、宗教というものを理解したならばそのようなものではない。そういうことがよく分かる。まず宗教とは何かということを己自身が復習し、そして、これを取得(念=すべて目に見えないものみえるものを吸収する力)しておかなければならないことである。 宗教とは、まず我々が住んでいる地球を含み、超自然そのものが宗教である。その中に太陽もあれば月もある、星もある、地球もあるというふうに、いろいろなものが我々の目の前に現れている。しかし、これを眺めているだけでは本当の宗教とは言えない。その中に、我々が今生活していくうえに必要なもの、それは物質物体が身近に必要なものであっても、それに律なり、人としての心なりがなければ何にもならない。つまり、宗教(すべて与えられている想像力)の中に我々はいま”生かされている”という自覚を人として持たなければならない。それわ分けると、宗教の中に我々の心が入っている「人間宗教」というものが含まれてくる。その「人間宗教」の中に、一般に信仰しているというふうに… 黄光龍説法 心をひらく 第二章 信心と信行より▲先頭に戻る |
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