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心と魂
心と魂
「心は全部、目に見えるものである。魂は目に見えない。正直言って明日、今日、今この時点で命が断たれるかもしれない。それを魂と言う。
だからそれを仏教で精進と言う。精進とは努力。努力せねば自分の心というのは磨かれない。あくまでも人間と霊性が一体になるまでは自力であって、一体になって初めて自分が他力になり、自分の魂、霊性が自分の修行に入って行くと言う事。
それまでは、自分が解脱するまでは、一生懸命、善悪をわきまえる智恵、自分をかばう、精進、精進という事これが無くては、全体に心は成り立たない。それ以上の魂という事は、何かと言うと今、自分の生命、またこの本の生命、またこのテーブルの生命があるけれど、この生命に関するものは、善か悪かと言うと、それは自分の魂を逆に持て余す事になる。
何故、魂を持て余す事になるか。自分が生かされていると言う事が認識不足である。だから今、生命に関すると言う事が、自分が生かされていると言う事すら忘れている。自分が生かされていると言う意識を持った事があるか。そういう言葉が出ると言う事は、自分の想念、今、肉体が有り心も有り魂も有りと言うことは全てが生かされているという認識の上に心・魂というものが成り立つ。だから喋っていても「この言葉が見えるか。」「見えない。」これも命。目で見て触れて、良く見て、また頭の中に想念、観念すべての念というのが残っている。仏教でいう集滅道、それすら横を向いていても頭の中に描かれる事が出来る。それが命。
だから、心と魂は全く違う。だから自分が自分の魂と言うのは、自分の頭の天辺から足の先までが魂。触って何でも感じる。見て、これが花や眼鏡や人間や数珠やと感じて行くのが、生命であり魂であって、心と言うのは、それとは違うと言う事。生かされていると言う認識の上から自分が行に入るのが心である。
行う。業。
つまりここに本が2冊ある。中身を読んでいないのに読んでいないのに、ちょっと表紙が汚れたからと言って新しいのを買って来る。そして、ポッと捨てる。これが無になる。何の価値もなくなる。そういう事を日常生活に於いて、大いにやっている。自分で再確認、再認識を持ってこそ本当の自分の心と言うのが開かれる。これは、善悪をわきまえる智恵に欠けているという事。中を見て違う本を求めるのとは、また違う。それすら日常生活に於いて善悪をわきまえるという事が既に欠けている。魂は今、生かされているという原点に立ってこそ、始めて生命というものが分かる。
心は全て目に見える。
善悪をわきまえる智恵。
自分を労わるという事はどういう事かというと、人が医者へ行きなさいと、十人が十人言っていても、自分の体は自分が知っている、と医者へ行かないと言う人は、自分の魂すら、痛めることになる。その心と言うのは、自分の労わる心を自分自身が捨てている。自分の体は自分がよく知っている、行きませんと言う事は、十人が十人医者へ行く様に言った場合には、何か原因があるから、十人が十人その人の為に心を入れようとしている。「治しなさい。体を病院へ行って治したらどうですか、見てもらったらどうですか。」と言う言葉に対して自分の体は自分が知っていると言う事によって、それすら、善悪の道を捨てている。悪に入り込もう、入り込もうとしている。すでに自分の体すら労わろうとしない、また自分も治そうとしない。逆に言うと精進に欠けている。
 だから、心とは皆、目に見えている。そうする事によって素直になって行けば、多数決かも知れないが医者に行って診てもらう。自分を労わる事になる。後の十人の人が十人共、心が和む。病院へ行かなかったなら十人が十人いつまでも、そういう念を抱きながら「あの人はまだ行かんか、行かんか。」と心を痛める。また、その人達は自分を労わる事でなくて、人の心を労わるから、自分の労わりの気持ちが薄くなってくる。だから、素直に医者へ行く事により、自分の体を労わる事にもなり、相手の体すら労わる心が出来てくる。それが心である。
 心は全て目に見える。魂は見えない。生命というのは魂であると言う事。生かされていると言う事を再確認、再認識する事によって、心も分かって来るし、「あっこれが魂か。」と分かってくる。これを先ず知識とこう言う。それを頭の中に叩き込む。それを自分が大きく一歩一歩反省する事によって魂・心すら磨く事が出来る。反省を無くしては、魂も心も磨く事は出来ない。

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