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病気 病気と言うのは、今まで説法の中でお友達と言う事を話ししてきた。 この末法の時代に入って、病気と言うのは、理念を繰り返そうとしている。 この理念とは創造神がこの世にアメーバの様なものから、現に人間としての脊椎動物、(精神を入れた)まで 進化、これを逆にたどろうとしていると言う事。 この病気とお友達と言う事は、人間の身体の細胞は、病原体で、出来ていると言う事。 だから、病気に対して、自分の身体に抵抗力がある。つまり、身体が弱ってくれば、細胞そのものが冒される と言う事は、抵抗力が全く無くなるのでなくて薄くなって来ると言う事である。だから人間と病気はあくまでも、 お友達であると言う事や。病原と言う事は、どこから病原と言うのが出来るのかと言うと、今、(人間、脊椎動 物)精神、知恵、と言うのを、人間の中に入れて来た。光によって、音によって、心によって、これを入れて来 た。創造神の念によって入れて来た。 しかし、これを逆にたどって行くのが、病原であると言う事。だからこの病原とは、人間の一万年前、二万年 前と言う先祖。さかのぼって行くと、この先祖は、アメーバも自分の先祖に当たると言う事や。成仏できなくっ て、不成仏霊になっている霊性、これも先祖であると言う事や。この先祖が色々な愛着、執着、すべてを身につ けている場合には、成仏出来ない。逆にたどって行くと、アメーバであっても、人間までに進化が出来たと言う 事や、これは何故かとゆうとアメーバですら、人間に近づく精神、これを持とうとし、知恵を持とうとして、進 化をしていったと言う事。脊椎動物になるまでに、進化をさせて行ったと言う事や。それも、すべて先祖である。 病気はどの様にして人間の身体を冒すかと言うと、今言った様に、細胞そのものが病原で出来ている、そうす れば、その先祖達が霊性を持って、色んな愛着、執着、色んなものに囲われていくと、光に押され、負け、だん だん小さくなって行く、と言う事。だんだんだんだん小さくなっていった場合には、最後には、今までは霊体か ら霊性に進化をしていったものがこの進化の逆を辿ると言う事は、霊性が醜い心を起して行けば、何千年、何万 年後には病原にしかならないって言う事や。 この病原と言うものは霊性から逆に霊体へ退化しようとしている。霊体に退化して行けば、又その時にでも、 色んな霊体そのものに愛着、執着と言う心、音が残っていれば、人間の身体に張り着いて、痛み、苦しみ、その 様なものを人間の病原体(細胞)の体を、これが喰い荒そうとすると言う事。食物に対する執着、愛着があるか らには、それを喰い荒そうとする。これを喰い荒そうとするから、人間には病原と言うのが出来てくると言う事。 つまり、顕微鏡で病原を見ていても、心が見えない、と言う事は、霊体を見る事はできないから病気の解明は、 今の医学者には出来ないと言う事。実際に大きい光を持っている人がいて、顕微鏡をのぞけば、病原を恐しい、 恐しいと思わなくていいって言う事や。自分の手に傷が付いていて、たとえ癌の細胞をさわろうと、色んな毒の 細胞をさわろうと、自分の体に入って来ても、それは害ではないと言う事や。自分は病原体で保護されている 細胞であると言う事。自分が大きい光を持てば、もう、びくつく事は何もないはずや。 自分の心が醜いから、病原に冒されるのである。と言う事。光がないから、つまり大きい光を持っていれば、 霊体を潰す事が出来る。それから、細胞は病気で出来ている。そうすれば、体の中で大きい光によっておのずと 潰す事が出来る。びくつく事がないって言う事や。だから、病気に対して自分が指先から、足の先から、体の傷 ついているところから冒されて行く事は全くないと言う事。 つまり、大きい光を持っていれば、びくつく事がない。何千年、何万年と言う先祖。つまり、アメーバから人 間までに進化して来た霊性から、逆に霊体に退化してきた病気を、大きい光によって消滅させる事が出来るって 言う事や。 しかし、病気になる人は、光の無い人ばっかりではないって言う事や。つまり、光の持っている人も病気にな るって言うこと。 何故、病気になるんかと言うと、光は一人一人、心と音と言うものが含まれているから、一人一人の光に顔が あると仮定するならば、その顔がよその病気を自分の体に入れて消滅しようとして、病原を呼びこむ場合がある。 しかしながら、呼び込んでも自分の体をいたわっていれば、心の三原則を守っていれば、それを消滅させる事が 出来る。しかし、三原則のうち一つでもかければ、自分の体を労わると言う事をしなかったら、自ずと自分の体が 疲れてくる。その時呼び込めば必ず、その病気にかかると言う事になる。 だから、病気はすべて見えるもの、見えないものまで全部消滅させる事が出来る原則に成立つ。 いかに光が大事かと言う事や。 だから医者に治されない病気が、ある宗教団体にいけば、癌すら消滅させてしまう。それは、宗教と言うもの が、人間の日常生活に於いてマッチし、一致して自分がそれのみに入って行けばやの、宗教も社会環境、生活に 於いても全部自分のものになると言う事や。結局、宗教団体は宗教のみでなく、法、お経で唱えている社会生活 と言うのを教えていると言う事。社会生活と宗教とミックスさせようとしているのが一つの宗教であると言う事。 だから、光のある道場、宗教団体にいけば、病気も光によって消滅させる事が出来ると言う事や。光のない人 は逆に光のない道場、宗教団体へ行くそう言う醜い心の人、醜い霊性の人は。 病気は醜い霊性であり、霊体であると言う事は、醜い人の所へは行き易いと言う事や。強い光には負けるから、 光のない人の所へ行って大いに病気を持つと言う事は、その人の細胞を喰い荒そうとする愛着があると言う事。 だから病気そのものはもう末法の時代に入って消え去るものであるって言う事。 何故消え去るかと言うと、もう創造神は上から病原に対しても、人間の精子に対しても、大きい光を落として いると言う事。つまり、病原を消滅して、その残った色んな光子、原子、その中には炭酸ガスやら水素、マグネ シウムという、いろいろなものが含まれている。 これが公害であると言う事や。病気の潰れた公害である。この公害も大きい光によって全部浄化する事が出来 ると言う事。 だからこれからは、人間の病気すらその自分の心と言うのを、三原則を守り、心を磨くと言う浄化する事によ って、病気すら無くなって行く事が出来る。こう言う理論に成り立つと言う事やの。 人間の外傷は治す事が出来ないかも知れない外傷とは外からの傷。骨が折れたとか、刃物で傷つけられたとか 言う事は、光によって治す事が出来ないかも知れない、しかし霊性の外傷は治せる。病気で冒されたものは公害で あり、霊体であるから、霊体を潰せばその公害はガスとなり、火となり、炭酸ガスとなって出てしまうと言う事。 創造神しか知らない、創られた者には解けない。私が一番ピカピカしている時に、体が一番ピカピカして、ゴー ルドの光を出している時に、病気をぎゅっと手で潰してしまう。見てる間に消滅してしまう。何故かと言うと、 抵抗力を持っている。病原体の細胞何ともない。光が薄い時に必ず汚染されてしまう。光がカッカッと強い時に、 病原体の中へ手を突っ込み出して来て、手についたままでも、きれいに逆に光によって霊体を潰すのだから、残 るのは人間と同じ様な炭酸ガスとか、窒素とか、酸素とか、水素とか、こう言うものしか残らないんだから、ガ ス以外のものは公害として上って行く。 公害の病気、公害下による喘息とか、公害による病気とか言うてるけどあるわけがない。公害による喘息でな い。病原による喘息、公害から病気にかからない公害、公害と言う中にも、食物の中に、食物に愛着を持ってい る霊体と言うのが付いているがその食物を食べるから一つの公害の食物となる。実際、上に上ると公害は何もな い。食物に対する汚染公害はあるけれど。その中に霊性から逆に退化する。今、霊体から霊性に進化していった ものを、逆に霊性から霊体に退化して行くこれをたどって行くだけだから。でも、食べていても、四日市喘息の 公害と言ってるけどね。もし公害であれば四日市の人全部、喘息にかからなければならないが一部分の人がなって いるだけ。すぐそばにいてもならない。私は、四日市に長く仕事していたけど喘息にならなかった。 強い光を持っていれば、公害なんか関係ない。食物に対しても、食べてから皆消滅するのや。ガスになり、炭 酸ガスに、お腹の中で皆圧縮して吐き出す。光のない一部分の人だけが、四日市喘息になって泡くっている。私 は、あそこに半年いたけど、全く、半年もいれば喘息になると言うけど、ムクムク煙出したすぐ側にいたけど、 公害を受けなかった。食物に対しての公害はあるけど、それは食べて光で消滅する。 食べても負けると言う人に悪である。心の三原則を守っていないと言う事や。だから喘息にもなる。 又、病気を呼びこむ人もいる。自分の体が弱っていれば、霊体が喰い荒す。その時に又、体をいたわって強い 光になった時には、それさえ消滅する事が出来る。病気は気から、病いは気から、精神を強く持てば、病気すら捨 てる事が出来る。 何故かと言うと、その気の中には身口意が入っている。それは光だから光が入る事によって、それを消滅する 事が出来る。光の中には精神力も入れば、知恵も入れば、すべて入っている。悟りまで入っている。それを身に つける事によって、全部潰す事が出来る。何ももう理論はない。これからは金、銀、瑠璃の世界、大きい光にな ってくるんだから、もう病原体、今までの不成仏霊、今までの先祖の霊が霊性から霊体に変って、全部潰されて しまう。もう病気すらない極楽の浄土が出来上ってくる。 「この人癌です。」と言われて医者で治されない。何故、ここで治せるのか。 「音と光」 「強い光」 「心」や。無になって、相手を治してあげ様と思って印を振る事によって音と強い光、 悟り、すべてが入って来てその病原体を、霊体をピシャリと潰す。残るのは、一般に言われている病気(細胞) と言うもの。これは何かと言うと、その人間の中の細胞は病気で出来ている身体には逆に癌に対する抵抗力で、 あまり詰まるとガスになり、口からはく息になり出ていってしまう。そうすると病気が治る。何故治る。医者で 治らんものが何故ここで治る。理論を考えればわかる。 薬と言うのは、何かと言うと光の屑である。その霊体に… 病気の説法をご拝聴することができます。 病気 黄光龍説法 病気の因果規律 黄光龍説法 末法の時代・篩の時 宗教と心(霊界1)病気より▲先頭に戻る |
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