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放逸 無気力
放逸
今日の課題は「放逸」、今まで「放逸」という前には、「精進」という言葉が沢山でてきたと思う。 この「精進」、「放逸の中の精進」ということについて少し話す。 「放逸の中の精進」ということは、真理を求めて自分が努力するという、この言葉に変わる。精進は真理を 求めて、自分が努力していく。 その放逸の中にも「不放逸」というのと、一般的に言われている「放逸」というのがある。これは、教科書 どうりに紐繙いていくと、「放逸」というのは無気力、根性がないというのに変わってくる。この「不放逸」 というのは、注意深いというものに変わっていく。この無気力さ、根性がないというのは、「不放逸」の話し をすると、この「放逸」というのが分かってくる。 永遠に真理を求めて行をしていく、という意味がここで分かる。 不放逸というのは、己という自分の仏性があまりにも注意深いというのではなく放漫すぎるということに変わる。 放漫すぎるということは、この自然において、山、川、海、人間の姿、心までが移り変わっていくのだから全部、 これは自然の真理と、こういうふうに自分が頭の中では汲み取らなければならない。なぜそのように汲みとらなければ ならないのかというと、人間というものは恐れるものがあって、恐れるものがないということになってくる。自分 勝手に自分が生きているから気持のうえで恐れることがない。自然の中に自分が溶け込み、生かされて いるということに自分を置き換えるならば、自然そのものは恐ろしいということになる。 この不放逸ということはそこから出て来ている。自分が道を歩いていても、先程の話でないけれど、せこせこするなということは、 胸を張って歩けということではない。せこせこということは、繰り返すけれど胸を張って歩けということではない。無理 をして、胸を張って歩くならば、何も無いということ。先ず、自分が身に付けなければ、本当の放逸は分からない。 何に恐ろしいかということ、ただ、自分が粋がって道を歩いていたり、粋がっている人生では、何も本当の真理を 求めることも出来ないし、すべてが自分に与えられているという、そういう心が薄らいでいくということ。今、病気にしろ 何にしろ、自然界から出来て、自然界のものを自分のものに入れている。病気になって初めて人間は、胸を張ることをやめて、 病気に恐れて縮まって歩くようになってくる。それを、その心の目をもっと大きく真理を求める所へ目をもっていきなさい。 例えば道を歩くならば、道が今、地震になって大地が割れて、自分がそこへ落ち込むかもしれない。落ち込んでしまえば、 また、大地が元へ戻る場合にはもう自分は死んでしまう。そういう自然においての恐ろしさ、そういうものを自分が絶えず 心の中に置いておくことによって、自分が胸を張って歩かれるような心になってくる。 なぜ、そのような心にならないかというと、この無気力、根性がないという、この真理を求めていく自分の心から恐れるというもの が欠けている。無気力というのは、何事に対してもなげやりな気持ちというのが無気力であり、根性がないという。仏教ではこの二つをまとめて 途中挫折の因縁という言葉を使っている。 なぜ、この放逸が無気力、根性がないというのに変わっていくかということ、同じ物体、物質を、同じ知恵を持った 人間、同じ心を持った人間が物を1つ作り上げていくのに、相当な年数、心の打ち込み、心をいやし、痛め、物を作って いくのに対して、ただ、それを求めている心、求めてそれをただ求めっぱなしの人間が多すぎる、その心の持ち主が多すぎる ということ。 ともかく、買ってきても飽きがきたらポイと投げて、また新しい物を求めていって、またそれが古くならないうち、まだ使える うちにそれを捨ててまた新しい物、新しい物と求めていくのが人間の無気力さである。人が作ったものを、自分が与えたならば、それを 大事に使っていってこそ、気力、根性というものが備わってくるということになる。それが…

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