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幸せとは
幸せとは
幸せということは、因縁、縁起十二支、全てを指している。
これからは意識を持って善の道に入るのもよし、意識を持って悪の道に入るのもよし、全てその人の心にお任せします。ただ自分が正しいと思った道を進みなさい。しかしどの道に入ろうと、十二支縁起、因縁というのは必ず付きまといますよということである。どこへ行っても善であれ悪であれ苦の中からは絶対に逃げることはできない。
苦悩の中から自分を投げ出すことは絶対にできない。赤ん坊でも人間であるからには娑婆世界の苦からは絶対に逃げ出すことはできないということである。
なぜ逃げ出す事ができないかというと、人間には悪であれ善であれ煩悩というものが付きまとう。些細な煩悩、また大煩悩もある。この苦というものを求めにかかったならば「寒くなってきた。セーターを着よう。オーバーを着よう」という。これも煩悩である。絶対にそういう苦の中からは逃げ出すことができない。どっちに入ろうと、それは自分の心にお任せしますということである。
しかし、正しい法、悪が正しいと思えばそれでよし、善が正しいと思えばそれでよし。どちらかの正しい法、自分にとってどちらが正法か選択しなさいということである。
しかし悪であったならば、大光明の功徳に満ち給わり生なるものはない。自分が選んだ道であるが悪であったならばそれが無いということである。自分が悪でもよし、善でもよし、これからは自分でやることはその人の選択に任すということである。人からの注意、アドバイスもこれからは消え去る。
 なぜ消え去るかというと、これからは善のみが生き延びようとしていく時代に入っていく。悪は生き延びられるはずが無い。善の人同志が行動を取っている場合には注意をしなくてもよろしい。注意することすらいらないということである。お互いに悟りを得たならば、悟りの業を得たならば、お互いに心と心が通じ合い、やること、為すことすべてが善であるから、後から、あれが悪かったからこうしなさい、これが良かったから今度からこうしたら良いでしょうという、アドバイスすら無くなってくる。アドバイスが即ち自分の作る業である。その人の上に立とうと思う心が働くから業に変わってくるということである。
末法の時代に入ったならば善としての自力の修行が必要になってくるということである。しかし、これからはその中に他力が交じってくる。他力とは善、善の行動を取りアドバイスも何も無いのが他力である。これからはその他力の中に大きい大きい意味が含まれてくる。その大きい意味というのは、自分が耐えられるだけの善悪に対する智慧、実践、自分の心を浄化する自分の力、これが他力になってくる。それはどこから頂いているのかというと、人間としてこの娑婆世界からいくら見上げても分からない世界、そこからの力がこれからは大いにかかってくるということである。
今からはもう完全に自分勝手な行動は取れないということである。
完全に自分は生かされている、自分の職にしても与えられている。遊ぶにしても自分の考えをまとめた上で遊べば善である。遊びは煩悩につながる。しかしこれからは遊ぶこともできないだろう。完全に自分の心から与えられるもの、そういう行動ということになる。
宇宙の真理は「逆らうのではない」ということである。
自分の心に素直になりなさい。高い所から低い所に水は流れる。低い所から高い所へは水は流れていかない。自分の心も高い所から低い所へ流れるような行動、つまりこの世に逆らっていくものでは宗教的実践にならないということである。逆らわず、自分が心の中で「コノヤロー」と思ってもよい。しかし「アッ、これは駄目だ」というその場の反省が必要になってくるということである。これが宗教的実践である。そこから因果が生まれる。因と果が生まれる。つまり、これからは因を下して、果が上に上がる時代である。因があって果があったけれども、これからは因が振り下ろされ、果が消えようとしている時、その実践を行いなさいということである。必ず人間の精神、魂までが潰されてしまうということである。因が下りてきて果が無くなろうとしている。因のみの世界が出来上がろうとしている時期に果だけを求めるのは駄目である。すべてこれからはそれが神理である。それを求めていくのが幸せである。
自分が生き延びていかれるだけが幸せである。
いま生かされている、与えられているという、これを幸せと思いなさいということである。
幸せはどこから求められるか。
幸せというのは形の無いものから本当の幸せが求められるという。その形の無いものとは、個人個人が持っている佛性というのに当たる。
この佛性とは何か。人間が持っている佛性とは霊性である。

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幸せとは

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