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求不得苦
求不得苦
今まで、苦しみの中に苦しみを重ねてこそ本当に自分の悟りを得ることが出来る。その苦しみの中に愛、憎しみもあればいろんな全てのものが含まれてくる。それを実践し、自分の知慧に含まれてくると、ただ漠然と苦を説いてきた。苦諦の中に苦は七つある。その七つの単語を並べると、愛別離苦、求不得苦、怨憎会苦、五蘊盛苦、生、老、死である。
求不得苦の大ざっぱな意味は、視野、目で見える範囲しか自分の苦はないと自分が勝手に決めているだけであるということ。自分で見える範囲とは、自分の愛着、憎しみ等によって自分の自我から出ていく苦である。自分の自我から出ていくのが求不得苦である。とかく人間というのは他のこと、自分以外のものに愛着を持ちすぎる。ということは、仏教哲学において苦はあってないものであって、他を見ようとするから苦が重って自分に降りかかってくるものであると、釈迦牟尼佛は説いている。自分か心の行・光を求めるならば周りは気にしなくて良ろしい。いつも自分がこの仏教、大きく言って宗教を学ぼう、本当に真理を学ぼうとするならば、自分から実践を行ない、悟りを得るのが第一である。
しかし、人間の心は常に移り変っていく心になっている。いま科学万能のこの時代に、どこの家庭をのぞいても洗濯機、水飯器、昔みたいに薪でごはんを飲いておいしく食べようというのではなくて、電気製品やたくさんの物が目に写ってしようがないということ。ここから現代の煩悩が大きく自分の自我にふくれ上がろうとしていく。最初からそういうものを求めなかったら苦はない。自然に自分か煩悩を下げて行ける。
自分の荒らされる精神状態というのが求不得苦である。自分の中で自我によって荒らされていく精神不安定、精神状態を仏教では求不得苦と説いている。これが求不得苦の煩悩でもある。
とかく、精神というのはどのように移り変っていくか。物を自分の見える範囲、求めようとする範囲以上のものを自分かもう一辺求めようとして精神を荒らす状態に持っていく。これが苦の根本原因である。
求めざるして求めようとする苦とは、他人が物を持っていれば自分か同じような物を持っていてもまたそれを欲しくなる。例えば商売をしている場合、自分が人の商売の物質的なものを自分で作っていく。物質的なものを比較してそれを真似しようとして真似をするならば良し、しかし、それを真似しようとして真似をするならば自分の製品に噛ち合わせて一つの製品として自分の所から売りに出そうとする醜い心というのが含まれてくる。自分の心からその製品に対して仏性を見い出して自分の物にしていくならばこれは善であるが、ただ真似をしてやろうということになれば、求不得苦である。苦しみである。
だから精神の荒れと、この求不得苦のもう一つの意味は自分の精神の中に善と悪魔がふくれ上がっていると言うこと。常に自分の行動は善の行動でなく絶えず自分のアートマン、この心の中には悪魔が自分を左右して行動を取っていることになる。理解すると、自分が善と自分で認めていても、もう一つの心の中に入っている悪魔が常に行動を取ろうとしていく。この行動をまたもう一つの善の心を見分けていくことによってこの求不得苦という苦しみが湧いてくる。だから自分の見える範囲内で自分が求めていくならば求不得苦の煩悩、精神状態を荒らしていく憎しみというものが下がって行く。一線を下げて行かれるということ。
とかく自分以外のものをよく人間が自分の肉眼、自分の精神状態によって自分が求めている中からもう一段他の方へ大きい目を開いて自分のものにならなかった時に初めて求不得苦が生まれる。だから、常に自分の精神の中からこの求不得苦を求めているということになるから自分の自我に治めるだけの、自分の悟りの行動範囲、これに自分を移し変えていくことによってこの求不得苦という意味も掴まえられるし、これも無くなってくる。すべて七つの苦しみの中から煩悩が湧いて来るならば一つ一つその苦しみを自分のものにして行ってこそ、その場その場で滅して行くものである。だから、自分が分からない自分の欲を出した物質物体、また、欲の出した心、おごりの心というのが求不得苦に結びついていく。おごりの心だから、自分の出来る範囲、出来ない範囲は自分ではしない。そうすればこの求不得苦は自ずと自分から消え去っていく。

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