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苦しみに苦しみを重ねる 仏をみるものは法をみる 法をみるものは仏をみる という言葉が残されている。皆さんもこの言葉をよく知っていると思う。 この中を紐繙いていくと、まず「因縁」というものにぶつかる。それから「解脱」というものにぶつかっていく。この「解脱」には何がかかっていくかというと、誰しもが体験している経験しているというこの苦というものにぶつかってくる。苦とは苦しみである。 まず生まれた時から今日現在まで人間としての思考力、そして身体が成長していく。そのうえには必ずしも環境によって楽さがあっても苦しさもあるということ。人間の環境、そして世間の環境、それに家庭の環境という中に、誰しもが解け込んでいかなければならないということ。その中より生み出される苦というものがある。 さて「解脱」という問題にかかってくると今言った苦である。苦はどのように解脱すればよいか。よく一般には「苦しみから逃げる、苦しみを忘れることが解脱の道である」と説かれているところが多くある。しかし、この浄教宗で説くことは、まず、 苦しみに苦しみを重ねなさい 教典には苦しみに苦しみを重ねなさいということは1つも書かれていない。しかし、人間は誰しもが嫌な所、そういう場所からは逃げたいものだある。自分の心の中では向って行こう、向って行こうとしていても、身体、または思考する力はその場から立ち去りたい立ち去りたいというのが本音であるから、今言った苦しみに苦しみをもう一度かけなさいということは、それを180度回転させて、まず向う心、逃げ出さない心というのを持つために苦しみに苦しみを重ねなければならないということである。 なぜ苦しみに苦しみを重ねなさいというかといえば、例えば、今何かにつけて悩んでいる、人にも相談ができない。自分でもなかなか解決ができないというふうな思いに自分が今到達したとする。そして、いつしかこれはまたまた忘れ去っていくものである。いつまでもこのようなことを思っているならば行動も取れない、また、世間にでるのも嫌になるというふうに変わってくる。だから、いくら悩んだところで、いずれは知らずのうちに過去になってしまうものである。 しかし、人間は流れ放しでは駄目である。ここで説いている「法」、「真理」というものを求めるのには逃げてはならない。目にみえるもの、見えないものがあっても、確実に自分の心の中ではむかって行かなければならないということである。苦しみに苦しみを重ねるということは同じような苦しみを二度起こしなさんな、常に横這いの苦しみではない、新しい苦しみに向かって行くということが苦しみに苦しみを重ねることである。横這いの苦しみとは、今苦しんでいたものを1日後には流れさっていくものであっても、また同じような場に直面した時には必ず同じような苦しみが湧いてくるものである。しかし、いつまでもこれを繰り返しているのでは何にもならない。1秒でも早く解決し、その苦しみを捨てていくのが「解脱」である。 「解脱」=苦しみに苦しみを重ねるということである。常に捨て去り、新しい苦しみにむかっていくという心が必要である。今、我々は人間をしている間は、肉体が滅びるまでは絶対にこの苦しみから逃げることはできない。魂も心も逃げ出すことはできないということをよく頭の中に入れておいて、常に前向きな気持、前向きな思いによって苦しみに苦しみを求めていきなさいということで… 黄光龍説法 心をひらく 第二章 苦しみに苦しみを重ねるより▲先頭に戻る |
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