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小乗仏教と大乗仏教
小乗仏教と大乗仏教
仏の教えというのは小乗が本当の釈迦牟尼佛の教えである。世論では分かれているが釈迦牟尼佛の教えは小乗以外にはない。大乗は教えてはいない。大乗というのは人間が作り上げていくもの、衆生すべてが作り上げていくものを大乗とこう言う。だから、言葉も現代に合わせた、だんだん時代に合わせていく言葉に乗って行っている。
小乗というのは真理を求める人、菩提薩捶依ということ。自分が何かを求めようとしている、真理を求めている人、自分を見つめようとする。超自然の中から自分が求めて自分は一体何者だろう、自分はどこへ行くのだろう、何だろうと自分が悟っていくのが菩提薩捶依、その道である。それが小乗であって、大乗は人間が「無」という言葉を作ったように仏教のカスとして出来上がったものである。小乗ではなかなか人に仏の教えを浸透させることができないから今の時代では大乗から小乗へ引っ張り込んでいるのである。「無」というものを人間が作り上げている、それから大乗というものが仏教、仏の教えから出来上がっていった。小乗に引っ張り込むためのダルマ(法)、大乗でもダルマを使っている、小乗でもダルマを使っている。ここでいう理念である。小乗ではちょっと難しく感じて誰も悟ろうとしない。だから、人間が「無」の意識を作ったように大乗というのを投げかけてそれを浸透させたうえで、もう一度自分の真理を求め悟ろうとする、智慧を開発しようとする、この道に輪廻を繰り返させようとしている。だから大乗は教典、小乗は仏教。それが今の仏教家によく分かっていない。ただ建前にとらわれようとしている。建前から今度、真理へと引っ張り込むには小乗以外にはないということ。
小乗は本当の釈迦牟尼佛の教え、大乗は後の人間(衆生)が衆生で作りあげた教典にしかすぎない。そのように理解しておくとよい。どんな仏教の本にどんな事が書かれておるか知らないがよく考えて見なさい。仏教は釈迦牟尼佛が開祖である。釈迦牟尼佛そのものが説法をしだしたその前には何をしていた。ぐうっと遡っていくと真理を悟ったのである。それには真理を求めて行った。小乗しか釈迦牟尼佛は教えていかなかった。大乗の教典を見ると世尊がこういうふうに申しました。なんていっているけれど全然違う。真理だけを皆に伝えようとして行った。しかし小乗としてなかなか浸透しないから一つの「方便」というものが出来った。もう一度そこに求めるために、小乗的に人を入れていくために。小乗を消して自分勝手な行ではない。自然を眺めながら一人一人の人間、個人個人に対しての自然から自分が学び自分を見つめていくことになる。

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