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デタッチメント作戦(硫黄島攻略)1945年2月16日-3月26日

D+2 2月21日

 三日目。相変わらず冷たい風と雨に凍えながら、海兵隊員たちは朝を迎えました。

 夜間も海は荒れ狂い、ヒル提督は二度海岸を閉鎖しましたが、幸か不幸か、この悪天候で海岸の残骸の一部が流され、前日、船酔いに苦しめられて6時間を過ごした第3海兵師団第21海兵連隊の上陸が可能となりました。上陸した第21連隊をシュミット将軍は、一端、第4海兵師団に預けます。

 同じ頃、第25連隊第1大隊長マスティン中佐は、前線へ向かっていました。途中、第3大隊長のチェンバース中佐と出会い、少し話をして立ち去ろうとした中佐の前に日本軍の戦車が現れ、チェンバース中佐の見ている前でマスティン中佐は主砲を受けて戦死し、これにより、第25海兵連隊の大隊長の生き残りはチェンバース中佐ただ一人となりました。

 一方、第5海兵師団の第28連隊が、ゆっくりと摺鉢山への突撃を再開していました。同連隊第1大隊が、摺鉢山への砲撃と艦砲射撃の支援を最大限に利用して前進していきましたが、他の場所では日本軍の激しい抵抗に阻まれて進むことができず。特に第2大隊は山の至る所から機銃掃射を受け、隊員の一人は自分たちをチェス盤の上でもてあそばれるチェスと評しました。海兵隊員は、火炎放射器を押し進め、陣地を一つ一つ焼き払い、爆薬で吹き飛ばしますが、ロッキー将軍は、この日の前進を諦めて部隊に後退を命じました。

御楯特別攻撃隊

 その日、千葉県香取飛行場から、日本軍機が飛び立ちました。この御楯特別攻撃隊は、八丈島で燃料を補給すると再び飛び立ち、一路、硫黄島へと向かっていきます。

 アメリカ軍は、同部隊を発見し、迎撃を開始。成功したかに見えましたが、数機が防空網を突破。

 1702、レキシントン級空母サラトガ(CV-3)に一機が突入することに成功。これを中破させましたが、離発着は辛うじて可能のため、同艦は収容を継続、あるサラトガ搭載のパイロットは、

「サラトガはひどい目に遭っていたぜ。あっちに降りなくて良かったよ」

 と着艦したサラトガの乗組員に語りました。それでも、この損害により、サラトガは終戦まで戦線を離れることとなりました。

 この神風は、更に続き、1845にボーグ級ビスマルクシーが特攻機をまともに受けて大破炎上。「全員退艦せよ」と命令が下った15分後の1900にビスマルクシーは爆発を起こし、轟沈します。

 その他にも数隻が損傷しました。

 当然のことですが、御楯特別攻撃隊は一機も帰ることはありませんでした。

D+3 2月22日

第1飛行場


第1飛行場で破壊されて横たわる日本軍機

 四日目となるD+3の朝は、これまで以上に激しい雨が降り注ぎました。

 上陸以来戦ってきた第23連隊と第27連隊は交替し、第21連隊と第26連隊が前線を引き継ぎ、日本軍主力防衛線の末端に狙いを定め、複雑に入り組む掩蔽壕の森へ、雨によって泥となった火山灰で半ば使い物にならなくなった武器を手に海兵隊員たちは反撃のために駆け回って攻撃準備をし、転がり、這い蹲って地面を引っ掻くように前進していきました。

 一ヤードごとに死傷者を積み重ね、約200ヤードの前進を達成し、第1飛行場を確保しますが、第2飛行場西端で日本軍の高射砲に阻まれ、それ以上の戦線拡大はできなかったばかりか、第26連隊第3大隊長トム・M・トロッティ中佐が砲撃により戦死。第21海兵連隊第1大隊長マーロー・C・ウィリアムズ中佐も迫撃砲弾の破片を腕に突き刺したまま指揮を続けていましたが、夜中、後送されて副大隊長のクレイ・M・ムレイ少佐と交替。ところがムレイ少佐も翌日を迎える前に負傷して後送とあいなり、ロバート・H・ハウザー少佐が最終的に第1大隊を率いることになりました。

 また、右翼では3/25をチェンバース中佐が、綽名のジャンピングが示すように飛び跳ねるように大またで闊歩しながら、部隊の再編成を行い部隊を先導し続けていました。かつて、ツラギやサイパンでも同様に部下を導いたチェンバース中佐でしたが、この日の午後、機関銃弾に撃ち倒されました。

 倒れた中佐へ駆け寄った友人でもあるジェームズ・C・ヘッドレイ大尉は、大隊長が致命傷を負ったのを悟ると、中佐の足を蹴飛ばしました。死を覚悟しながら、倒れた中佐は、後に、

「私は次第に意識が薄れていった。私は、私の口からほとばしる血の泡以外、あまり多くは覚えていない…それから誰かが私の足をひどく蹴り始めた。その(大尉のジェームズ)ヘッドリーは言った。"起きろよ。君はツラギでもっとひどい傷を受けただろ!"」

 と回想することになりますが、起き上がろうとしたところで力尽き、ヘッドリー大尉は大隊長がショック状態にならないように努力しながら、大隊付医務官のマイケル・F・ケラハー中尉が部下の衛生官とともに匍匐前進で到達するのを待ちました。

 中佐は、崖下の応急処置所に運ばれた後、夕方にはDUKWに乗せられ、病院船へと運ばれていきました。こうして第25海兵連隊は全ての大隊長を失いました。ヘッドリー大尉が第3大隊の指揮を引き継ぎ、チェンバース中佐は、この三日間を通じた活躍により、名誉勲章の栄誉を授かることとなります。

摺鉢山


摺鉢山への砲撃を行う第14海兵連隊

 この日、第28海兵連隊だけは不思議と順調でした。この日、全ての目標地点の到達に成功し、摺鉢山への前進を開始していました。

 この日遅く、第1大隊と第2大隊の戦闘パトロール部隊が、ついに合流を果たしました。偵察部隊は大隊長のチャンドラー・W・ジョンソン中佐に北斜面に日本兵の兆候が見られないことを報告。

 こうして摺鉢山への登頂への道が開きました。

 包囲される寸前に摺鉢山を脱出し、報告に現れた将校を斬ろうとした井上大佐は、副官に止められ、そして、摺鉢山の喪失に泣き崩れました。

 同じ頃、第28海兵連隊長リヴァセッジ大佐は、第2大隊司令部を訪れ、大隊長のジョンソン大佐に告げます。

「我々は明日摺鉢山に登る」

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