デタッチメント作戦(硫黄島攻略)1945年2月16日-3月26日
D+5 2月24日
日本軍の激しい銃撃に身を伏せる3/28の海兵隊員
北への進軍
D+5の2月24日、シュミット将軍は、東海岸に沿った左翼に第5師団第26連隊、中央に第3師団第21連隊、そして右翼に第4師団第24連隊を配置させ、三個海兵連隊からなる戦闘チームを並行して進ませる計画を立てていました。
0930に、かつては島民の住んでいた北集落への前進を始める前に、第2飛行場の北にある高地に沿うように準備砲撃が行われ、またこの攻撃のためにシュミット将軍は三個師団の各戦車大隊を引き抜き、第5師団第5戦車大隊長ウィリアム・"リップ"コリンズ中佐の指揮下におくことで、海兵隊ではこれまでで最大規模の装甲連隊となる装甲任務部隊を編制させる処置を行いました。
※海兵隊では陸軍と違って、各師団に一個戦車大隊の編制(現在も同様)
前進は予定通り、開始されましたが、間もなく前線部隊は自分たちが日本軍の主力防衛線へ突っ込んでいることに気付かされました。正確に照準を合わせた攻撃が前線全てで始まり、前進は当然のごとく停止。第26連隊だけは、戦車の支援もあって更に進むことができましたが、これも間もなく同様に前進が不可能となり、進んだ距離も全体と比較すれば僅かにという程度の話でした。
左翼では戦車部隊が地雷と速射砲の直接砲撃に悩まされていました。日本軍の47mm砲は確かにシャーマンには非力でしたが、硫黄島の待ち伏せに好都合な地形は極めて守備部隊に有利に働き、さすがに正面は無理でも至近距離から側面を撃たれればシャーマン戦車といえども無事ではありませんでした。
そして、右翼では、この日、第24海兵連隊第3大隊長のアレキサンダー・A・ヴァンデグリフトJr.中佐が重傷を負って後送され、ドイル・A・スタウト少佐が指揮を引き継いでします。
※ヴァンデグリフト中佐は、第18代司令官ヴァンデグリフト中将のご子息
海岸地帯
この日、シュミット将軍は、旗艦AGC-10オバーンから硫黄島へとVAC司令部を移動させ、以降、前線指揮官として硫黄島の戦いを直接現場で島で戦う海兵隊員たちと同様に日本軍の砲撃、悪天候の中で過ごしながら率いていくことになります。
またカイゼル髭が印象的なハワード・N・ケニヨン大佐の第3海兵師団第9海兵連隊も硫黄島へ上陸し、師団長アースカイン将軍自身も第3海兵師団司令部を上陸させました。
第3海兵師団司令部と第9海兵連隊の上陸に合わせ、既に上陸して前線で戦っている第21海兵連隊は、第4海兵師団の指揮を離れ、親部隊の指揮下へと戻され、また師団砲兵部隊の第12海兵連隊(レイモンド・F・クリストJr.中佐指揮)も、この日から機材の揚陸を開始しました。
こうして硫黄島には海兵隊三個師団(八個歩兵連隊、三個砲兵連隊)が上陸し、戦闘に参加することになりましたが、北部への進撃は食い止められ、状況の打開を求めてシュミット将軍は、スミス将軍へ第3海兵連隊も上陸させるように最初の要請を出しました。
これが後の議論の的となる最初の要請と、そしてスミス将軍の拒否となります。
この時点で、VACは6,845名を失っていましたが、この時点でも楽観視する意見があり、また日本軍の兵力が見積もりの13,000名の倍であることも未だ判明していない状態でした。
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