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デタッチメント作戦(硫黄島攻略)1945年2月16日-3月26日

硫黄島

 B-29のギャンブルが成功したアメリカ陸軍航空隊は、占領したサイパンに日本本土を爆撃するための前線基地を設けました。

 この爆撃ルートにおいて、サイパンから日本本土の中間点に位置したのが硫黄島。日本本土爆撃のためには、この地にいる日本軍航空隊の要撃と、事前警告によって本土の防空体制が到着前に整えられてしまうために、B-29は爆弾搭載量を減らして燃料を積み、迂回ルートを取らざるを得ませんでした。つまり、硫黄島を占領することは、これらの弊害を取り除くだけでなく、直衛戦闘機の離発着基地として、そして爆撃機の緊急着陸地としての利用が可能となる利点がありました。

 更に予定されていた台湾攻略が諸般の事情と幾つかの紆余曲折(マッカーサーの我が儘とか、マッカーサーの我が儘とか、マッカーサーの我が儘など)により中止となったことも無関係ではありません。

 これにより、硫黄島攻略作戦デタッチメントが決定しました。

 一方、日本軍は硫黄島に栗林中将を司令官として派遣します。栗林中将は、これまでの事例(タラワ、サイパン、ノルマンディ等)から、水際防衛作戦は上陸の遅延が可能なだけであり、万歳突撃は無駄に戦力を消耗する贅沢な戦術と判断し、一人十殺を遂行するために第1海兵師団を壊滅させたペリリューを参考に敵を防御陣地に引きずり込んで殲滅する方針をとります。

※ペリリューの場合は、水際で攻撃し、更に内陸に引きずり込んで攻撃するという方法で、事実上、第1海兵師団は壊滅し、日本軍主力の掃討を陸軍に委ねて撤退しなければなりませんでした。

 こうして硫黄島の要塞化が始まる頃、海兵隊では第4海兵師団と新規編成された第5海兵師団が船に乗り込み、またサイパンで日本軍の敗残兵と交戦しながら実戦経験を積んでいた第3海兵師団を集結させます。

 作戦実行へのすりあわせをしている間に、海兵隊のスミス中将を激怒させる事態が起こりました。

 海軍は、主力艦隊による硫黄島攻撃を三日間に制限。これは日本本土攻撃によるものでしたが、この作戦自体は、陸軍航空隊に対抗するためだけのもので、副次的な作戦に過ぎませんでした。

 それでも、タラワから始まった水陸両用作戦の経験の積み重ねは、緊密な攻撃計画を完成させています。

 しかし、最後に必要なのは結局ライフルを手にした生身の兵士たちでした。

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