管理人の独り言
2007年度上半期 |
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2007下半期掲載分 |
2007/6/29
硫黄島の名称が、「いおうじま」から「いおうとう」に戻されました。そのことで、アメリカが怒っていると記事になっていましたが。
とはいえ、アメリカというより、海兵隊にとっては、硫黄島の戦いは、フォレスタル長官の、
「あの旗を掲揚することは海兵隊の更なる500年を意味する」
が示すようにその後の存続を決定づけたといっても間違いない戦いです。もっとも、すかさず、"ハウリング・マッド"スミス中将が、
「平和が訪れれば硫黄島戦が500あったとしても関係無い」
と言い返し、戦後の数年間はまさにスミス将軍の言葉通りになってしまう訳ですが、それでも、トルーマン大統領の海兵隊廃止の動きを議会が止めたのは、議会が大統領を嫌いだったこともありますが、何より、硫黄島を初めとした海兵隊の奮戦が大きな影響を与えました。
ただ、向こうのマスコミも、日本と同じで、自分の妄想に即した捏造は平気でやるので、「ああそうですか」くらいの感覚で十分な気もしますが。
しかし、これで日本海の向こうが似たようなことで喚いたら、あらぬ方向で、喚くマスコミもいただろうな、と。
国土地理院ではなく、敢えて硫黄島(気象庁)。摺鉢山、擂鉢山、どっちだ?
もう一つが、本物の旗を掲揚した一人チャールズ・リンドバーグ氏が死去。ローゼンソール氏の写真と違って、ロワリー軍曹の写真が本国へ送られたのは作戦終了後。それ故にこの最初の旗の写真は埋もれてしまいました。
カービンを持つマイケルズ一等兵の後ろに立っているのが、先日亡くなったチャールズ・リンドバーグ伍長。
2007/6/29
2007/6/22
海兵隊装備変な物
イベント用
Mr.ダッキー
某ぬいぐるみ
逃げる奴は悪い子だ。逃げない奴は良く訓練された悪い子だ。
2007/6/22
2007/6/15
単純に比較という訳でもないのですが。
やはり、陸軍が、ACU採用した意味が良く分からない…迷彩に関しては海兵隊の方がこだわっていると思いますが(第2次世界大戦ではダックハンターパターンの全面導入を試みたり、ベトナムではERDLの支給を達成したり)。
2007/6/15
2007/6/8
ネタが無いので、ようつべの海兵隊バンド
Commandant's Own
29パームス
パリスアイランド
2007/6/8
2007/6/1
今の海兵隊の装備を調べていて、アメリカ国防省のサイトで見付けた写真。
ヘルメット血液型を記入。最近、ヤフオクで見かけたブーツにも、血液型がマジックで記入してあるものがありました。そして、サングラスは、泥を塗って余分な部分を隠しています。
そして、ストックが伸縮式の物。M249もストックだけ、伸縮式の物に交換しているのを良く見ますが、アーマーのせいでしょうか?
それはともかく。国防省ですから、当然、他の軍の写真もあり。陸軍の第2歩兵師団と第1騎兵師団の写真もあったのですが。
見ていて、涙が出てきました。
…やはり、海兵隊は予算配算が…
2007/6/1
2007/5/25
今年も、静岡ホビーショーに行ってきました。今回は、新幹線ではなく、車で。4月に引っ越したので、片道340キロ。今の車のタンク容量、以前の車より、大きいのに航続距離が同等…まあ、覚悟の上で購入しましたが。
今年の東京マルイは、目玉がZゲージ。興味は今のところありませんが、気が向いたら、購入するかもしれない。
大物は、89式の折りたたみストックバージョンと、20連タイプマガジン。
ガスブローバックは、ファイブセブン、デトニクス、そして俗に言うMEUピストル。取り敢えず、MEUは購入かな、と。USPの電動は…スコーピオンもですが、2挺必要か、という気分が…
取り敢えず、海兵隊物。ハセガワのA4
タミヤ本社に展示してあったジオラマ
タミヤも、今回は新作が無いので、オープンハウスをざっと見て、撤収し、秋葉原へ一ヶ月半ぶり。実はそこがメイン。革首のマスコット2人、あれから、色々改良していまして、そのパーツの関係で…
おまけで、去年のTIGER Iが完成していました。自走もするし、砲塔も動く6分の1。
2007/5/25
2007/5/18
愛知の人質籠城事件で、現場のリポーターが、特別な装備を持った警察官がいないか聞かれて、とんちんかんなことを答えていたのと、防弾チョッキを着ていなかったのか、という話を見て。
前者は、質問した方は、この前の籠城事件で出動した警察の特殊部隊のことを尋ねたのだろう、と。
後者は、多分、防弾チョッキがあれば、核兵器ですら平気だと思っているのだろう、と。
ライフル弾を受けて助かった記事が載ることがありますが、つまりは軍用の防弾プレート内蔵でも助かる可能性が上がる程度のもの。その生存率を高めることが重要な点ですが。
今のボディアーマーは完全状態だと何キロくらいなのかは…M1955で4キロ。PASGTも同じくらい。それにプレートの重量が…
2007/5/18
2007/5/11
Force Reconnaissance Companyの映像集
勘違い編。コメントでも突っ込まれていますが、袖に第1歩兵師団の師団章や部隊章がついているうえに、AH-64アパッチの映像まで。
前も、海兵隊の映像と言って、第1歩兵師団の兵士たちの映像だった物を見たことありますが。ある意味、命知らず。
2007/5/11
2007/5/4
イラク撤退法案にブッシュ大統領が拒否権発動。まあ、それは当然でしょう。
で、そちらに注目するよりも、むしろ、民主党が軍の予算追加を認めない方に注目すると、現状、アメリカ軍、補充するべく装備の調達が危機的状況とかにあるので、やっぱり、民主党は、昨年の兵士は無教養発言が示すように、兵士たちが何人死のうが知ったことではない、ということに。
ちなみに、アメリカ軍兵士の学歴は、世間一般で流布されているよりも高いのが事実です。ついでに言えば、白人の割合が高いのもまた事実だったり。
まあ、未だに、アメリカ軍が徴兵制と思っている人も多い訳ですが。
2007/5/4
2007/4/27
海兵隊の伝説的スナイパーをモデルとしたスワガーシリーズが、6月から公開ということで。
原作は読んでいませんが。
まあ、ベストセラーの映画に名作無しとは言いますが。
同じ人物をモデルにした映画、山猫は眠らないは、2はまだしも、3は、まさにパート3に名作無しを地でいったな、と。
一番の問題は、今、住んでいるところの近くに映画館が無いorz
2007/4/27
2007/4/20
イラクで海兵隊特殊部隊(毎回思うのですが、架空の名称ではなく、正しい部隊名で書け、と)が虐殺をやったとか言う話は放っておくとして。オスプレイが、ようやく実戦配備ということで。
ベル社は、このタイプの航空機の研究開発を長年やっていましたが、ようやく実ったことに。
機体の問題と言うより、操作性が独特なので慣れていないから落ちたような…
2007/4/20
2007/4/13
沖縄の参加部隊と指揮官を作りましたが、第6海兵師団第29海兵連隊第3大隊の3人目の大隊長に、リロイ・P・ハントJr.中佐という人物。同作戦で陽動部隊を率いたリロイ・P・ハント准将(最終は大将)と親子ですね。ハント将軍は、ガダルカナル以来のベテラン。
第18代司令官アレキサンダー・A・ヴァンデグリフト大将も、長男がサイパン、硫黄島で戦ったアレキサンダー・A・ヴァンデグリフト中佐。
良く艦隊海兵軍水陸両用偵察大隊(後のフォースリーコン)指揮官として、何度も名前の出て来るジェームズ・L・ジョーンズ大尉(沖縄戦では少佐)は、第32代司令官ジェームズ・L・ジョーンズ大将の父。
やはり、親子代々はいますね。
(海兵隊のチェリーポイント基地の司令官だったパットン将軍は、あのパットン大将のお孫さんでいいのでしょうか?)
2007/4/13
2007/4/6
引越後の荷物の片付け、未だ終わらず。物がどこにあるのやら。6畳に良く収まっていたな。
更に仕事も忙しく。なので短く。
海兵隊で入れ墨が禁止に。陸軍では人員募集を図るために入れ墨を容認したのとは対照的に。
そこが海兵隊と陸軍の違い、と。
おまけ。
2007/4/6
2007/3/30
アレイバーグ級イージス艦59番艦DDG-109の名前が昨年11月10日に名誉勲章を授与されたジェイソン・ダナム伍長にちなんで、USSダナムに決定したと言うことなので。
名誉勲章受章発表の映像。
昔は写真すら無いこともあったのに、今では、こうして生前の画像も遺されているというのは時代ですね。
ダナム伍長の行為を語る一冊
2007/3/30
2007/3/23
引っ越し作業中で、部屋が狭い。コンテンツをいじる暇が無い。
その割には、余計なことに力入れていたりするのはともかく…ようつべの海兵隊映像。
アメリカ海兵隊
歴史的には最古となるスペイン海兵隊
老舗オランダ海兵隊
アメリカ海兵隊の祖のイギリス海兵隊
ネタだという話ですが。多分、沖合には、イッツマンがいるのではないか、と思う。或いは彼らがイッツマン。
2007/3/23
2007/3/16
ヴィギアーニ二等軍曹の海軍十字章授与式の映像。旗の動きを見る限り、それなりに風が強かったようですが、微動だにせず。帽子も飛ばないものですね。
勲章と感状を渡すときに、写る女性海兵隊員の撮った写真が、これ、と。
2007/3/16
2007/3/9
昨年公開で、注目を集めた父親たちの星条旗と硫黄島からの手紙のDVDの発売が決定。父親たちの星条旗の方が後なのと、二本セットが無いのが意外でしたが。
父親たちの星条旗も、硫黄島からの手紙については、真実語っている訳でも、事実を正確に記している訳でもありませんが。硫11黄島の激戦地の中を無傷で一周した西郷の軌跡とか
取り敢えず、ノミネートされましたが、そもそも、受賞する可能性など、あったのか、と……(日本で、受賞の可能性云々とマスコミがはしゃぐと大抵逃す。昔、WOWOWで、授賞式の特別番組でレポーターで派遣された女優2人が受賞予想全て外したことがあったなあ)。
で、どれ買えばいいのだろう?
2007/3/9
2007/3/2
ようつべも、色々な映像がありますが、こういうのを見ると、やはり、DIは激務だな、と思う訳ですが。
1967年7月のパリスアイランド。フルメタルジャケットとほぼ同時代。
こちらの映像は、モンティパイソンの「ガスクッカースケッチ」を思い出しました。
段々、増えていく(゜_゜)
2007/3/2
2007/2/23
大分、古いネタの続きですが、館山に行ってきました。
ここも軍事施設が大量にある場所で、海軍の砲術学校跡地に建てられた平和の塔には、
といったように噴進砲などが置かれていました。硫黄島で見付かった銃剣も。
他にも特攻兵器震洋の格納庫や発進基地などなど。赤山掩体壕は無料公開中。ヘルメットと懐中電灯は貸してくれますが、懐中電灯は強力な奴を持参した方がいいかもしれません。
2007/2/16
2007/2/16
先日、購入したダックハンターパターンを着てゲームを実施。ウールシャツを間違えて、サイズの小さい奴を持って行ったために、非常に寒かった。
左は、ライバー迷彩。まあ、スイスのアルペンカモ改造ですが。
手賀沼フィールドにおいては、割と両者とも目立たない。これが普通のユーティリティだと大分目立つので、やはり、迷彩は重要ということでしょうか。まあ、自衛隊のデジタル迷彩が多分最強だと思いますが。次がMARPAT。陸軍新型のACU迷彩は本当にどうなんだろう? 手賀沼には着ている人間いないもので。
2007/2/16
2007/2/9
秋葉原にて、リー・アーメイ一等軍曹のトーキングフィギュアを発見したので思わず衝動買い。正直、服のできはあまり良くありませんが、有り難いお言葉が聞けるだけで十分。在庫は、後二つほど。
日本において、海兵隊軍曹と言えば、エミール・フォレイ軍曹でも、ハイウェー軍曹でも、ストライカー軍曹でも、エンダーズ軍曹でも、ディクシー・スミス軍曹でも、サイクス軍曹でもなく、ハートマン一等軍曹殿なわけで。
さて、誰がどの映画に出たでしょう?
それと、ようつべにあるDIの映像。コメント欄が、みんな揃って、自分がRecruitだった当時を懐かしがっているのが、むしろ面白かったり。
2007/2/9
2007/2/2
硫黄島からの手紙を最近見たという 知人と色々話していて、やはり、西郷の態度が、二等兵にしては上等兵や一等兵にタメ口なので実はもっと古参なのではないか説は有力。
それとは別に。多少は関係しているかもしれませんが。
転戦の順序。
2月16日−22日 摺鉢山。(スタート)
2月22日夜 摺鉢山を脱出。闇雲に走って弾幕に打ち倒される仲間を尻目に、冷静に死角をついて突破に成功。
2月23日 摺鉢山陥落。元山の混成第二旅団と合流。伊藤中尉に首を斬られかけるが、栗林将軍に助けられる。(1)
3月8日 玉名山で混成第二旅団の突撃に参加。合流失敗と同時に発見されたことにより、一端、撤退し、再び出撃するものの、西中佐の登場もあって救われる。(2)
3月9日 西中佐とともに東山に移動。(3)
3月14日 西中佐負傷し、失明。包囲網も狭まったためにクッシュマンズ・ポケット(東山)から脱出。西中佐は全員が洞窟を出た直後に自決(史実では、西中佐が自決したとされるのは21日)。
3月15日 西郷は脱走に失敗。しかし、成功した清水は捕虜となるが、捕虜の見張りを面倒がった海兵隊員に射殺される。
16日頃 北の鼻の栗林将軍の司令部到達。(4)
17日 硫黄島の歌を聞き入る栗林将軍の姿を目撃。
23日 栗林将軍司令部壕を放棄。遺品の整理を命じられて壕に残り、そのとき、手紙を埋める。
25日 日本軍総攻撃の日、一人でスコップ担いで包囲網脱出。(5)
26日朝 西海岸近くで栗林中将の自決に立ち会い、遺体を埋め隠した後、捕虜。
26日夕方 捕虜となり、担架に寝かされ、西海岸で夕日を眺める。(6)
軌跡を地図で大雑把に描いてみると…
戦史叢書付図が元
なんだか、有り得ないだろうという話になってきた気もしますが、あの包囲下で硫黄島を、ほぼ一周。しかも、ただ逃げていただけではないどころかスタート地点は最初に集中的に攻撃が仕掛けられたホットロック(摺鉢山)。その後、訪れたのが海兵隊が特に激しい戦闘が繰り広げられたことを記録する硫黄島三大激戦地ミートグラインダー(元山、玉名山周辺)、クッシュマンズ・ポケット(東山)、そしてゴージ(北の鼻周辺)。
映画的には主人公(ヒーロー効果を漏れなく装備)だからですが、物語的には、何としてでも妻とまだ見ぬ子供の元へ生きて帰ろうとした執念の結果と。それで幾つかの幸運はともかく、激戦地を巡りながら無事に生き延びた才覚からして、やはり、古参兵なのではないかと。
2007/2/2
2007/1/26
今年のアカデミー賞ノミネートで、硫黄島からの手紙が作品賞と監督賞に。考証は色々問題があるようですが、ともかく、日本人の描き方は、ラストサムライ以上にまともでした。
ということで日本兵の扱い。特殊な例としては、1952年公開の日系人部隊である第442連隊戦闘チームの活躍を描いた「Go for Broken(邦題:二世部隊)」では、体格でも体力でも劣る日系人兵士が、知恵と柔術で悪しきナチスを投げ飛ばす。この映画に登場する日系人兵士たちは、少し違ったGIであり、変な風習は持っていません。もっとも、クライマックスの丘の戦いで、救出された兵士たちが、救出した442ndRCTの兵士たちを見もしなかったのは、映画の趣旨と、エキストラの意識は反対側だった、と。
時代を遡り、1943年。戦時中の戦意高揚映画として、海兵隊協力で作られたガダルカナルダイヤリー。これに登場する日本兵を演じているのは中国系で、片言日本語、やる気の無い演技。最初に捕虜になる2人は、優しい海兵隊から治療受けて礼を言う辺りは、いかにも戦意高揚映画ですが。劇中では、日本軍の騙し討ちについて度々言及されていますが、映画の中ではそういう行動を日本軍は取らず、せいぜいが待ち伏せなので全体的には、やられ役で、最後は海岸で容赦なく戦車に囲まれ、逃げようと海へ飛び込んで行ったところをなぶり殺し。予告編だけ見たことある同じ年の映画「Gung-Ho」も似たような感じでしたが。
海兵隊が長年の宿敵「不要・廃止論」と戦っていた時期。1949年の硫黄島の砂。やられ役ですが、あまり、姿を見せず突如として襲い掛かる難敵。でも、タラワの掩蔽壕の開口部は広すぎだろう。演じているのは、やはり、中国系の人のようです。
朝鮮戦争中の1951年。地獄の戦場。作戦の目的が、日本軍を捕虜にするため。それだけにしては作戦大掛かりですが。ここに登場する日本兵はやられ役であり、突如として襲い掛かる強敵ですが、明治大学野球部出身のロケット砲部隊指揮官と設定はあれですが、野蛮な異国の侵略者から、知略を巡らす強敵としてその中佐が巧妙に隠したロケット部隊がどこにいるかも物語の軸となっています。同時期の「太平洋航空作戦」は、そもそも出番も少ないのですが、零戦を操る強敵として描かれています。この辺りは、当時、日本が重要な後方基地だったことと無縁では無いでしょう。
1960年、スペクタクル映画が全盛だったものの次第にかげりが見え始めた頃。1900年の連合軍による北京籠城戦を描いた「北京の55日」。主演はチャールトン・ヘストン演じる海兵隊少佐と、デビット・ニーブン演じるイギリス公使で、実際の最先任将校である伊丹一三(後の伊丹十三監督)演じる日本軍駐在武官は極めて影が薄いのですが、逆にそれで破綻が無かったのかもしれません。ただ、最後の最後で、
「敬礼しながらお辞儀する」
というのをやってしまいましたが。でも、日本軍が味方という点では希有な映画ではあります。
「水戸黄門ハワイ編」或いは「寅さん(日本公開版のみ)」−基「トラ・トラ・トラ」での日本軍は、日本側は日本が制作したので、そう破綻があるわけでもなく。ただ、最後の山本五十六提督の台詞(史実ではない)は、「やられたけれど、後でやりかえしてやったぜ」という意味かもしれません。
シンレッドライン。先鞭を担ったプライベートライアンのドイツ兵は、往年の戦争映画を彷彿とさせる「生きた標的」でしたが、この映画の日本兵は、人間でした。原作の方には、日本兵がアメリカ兵を捕虜にして、後日、虐待された痕跡を残した死体で発見される描写がありますが、映画ではガダルカナルに上陸して前線基地へ向かう間に発見された死体のみ、逆に第27歩兵連隊の陸軍連中の、捕虜虐待や日本兵の死体から金歯を抜こうとするシーンはしっかり描かれていたり(原作はもっと露骨ですが)。
パールハーバーは…マイケル・ベイだからしょうがない。どこか別の世界の日本と真珠湾。多分、その世界では東に太陽が沈んだりするに違いない。
日本兵ではなく、映画に登場する日本人といえば、スーツ姿に眼鏡かけて、首からカメラを提げて、全員空手の達人が相場なのですが、影響は燃えよカンフーか、燃えよドラゴンか。毎朝、川で行水するなど、珍妙な日本人描写で、「あんな日本人いない」とアメリカ人に言われた日本の自動車工場でのアメリカ人スタッフと日本人スタッフの文化の違いを描いたコメディ「ガン・ホー」というのもありますが。
もっとも、日本だって、基本パターンは存在するので、別段、ハリウッドに限った話でもありませんが。
2007/1/26
2007/1/19
父親たちの星条旗のパンフレットに記載されている海兵隊の第2次世界大戦における名誉勲章受章者84名の数字の元は原作のようです。原書もそうですから、そのまま数字を持ってきたのでしょう。
つまりは全然調べていない訳で…。
アメリカ陸軍の歴史部門のサイトには、名誉勲章受章者の詳細データが載っていますが、全軍の受賞者数戦争別一覧表も載っています。
※2007年1月18日の時点でイラクはまだ(海兵隊と陸軍1名ずつ)。また陸軍では朝鮮戦争時の功績で1名が新たに受賞していますが。
繰り返しますが、82名です。
栗林将軍の家族への手紙を軸に描いたドキュメンタリー「散るぞ悲しき」も同様なのは惜しいと思います。
摺鉢山の星条旗掲揚地点にある記念碑にあるのは、確かに「Victory」のVですが、それ以前に第5海兵師団の師団マークです、とか。
それと戦史IWO JIMA内の死傷者数の合計は本文中とも一致していないのですが、ともかく、この合計が戦史叢書を始めとした資料の基になっています。
誤植の可能性もありますが、実際はどうなんでしょう?
2007/1/19
2007/1/12
チームの新年会で、黒穴にはいかずに、中田商店御徒町集合。
その後、松崎商店へ。今の時期、松崎商店で買い物をすると、希少な松崎手拭いが貰えます。家には、以前、貰った物も含めて三枚ありますが。
その後、笠俊商店まで歩く。M1941カーゴパックのナイロンの奴を発見。二つも。しかも、大抵、紛失している側面のストラップも健在。
で、初期型が1万円。後期型が6,000円。ヤフオクでは、上だけで15,000円とか行っていたような…私は、以前、アメリカ屋で2,800円か、3,800円で購入しましたが。気が付けば、暴騰しているアイテム。隊長と仲間一人がそれぞれ購入。多少、ぼろですが、安いと言えば安い。何しろ、上下セットでその値段。
その後、なぜか、浅草へ。本当になぜか。
店を探して回りながら、結局、上野へ戻り、そこで居酒屋にて新年会で解散。
浅草行きだけは余計だったような…。
2007/1/12
2007/1/5
あけましておめでようございます。
ということで、今年の目標などを。
他と比べて、地味、と散々言われましたが。
2007/1/5