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管理人の独り言

2007年度上半期
2008年上半期掲載分

2007/12/29

 ……萌え萌え二次大戦は今ひとつ、萌えない……

 さて、今年最後の更新です。今年は、ようやく、硫黄島コンテンツが完成できました(直したい部分はそこかしこにありますが)。

 来年の目標の一つで、色々、写真見ていたのですが、今はインターセプターではなく、ほとんどMTVに切り替わったようですね。

20071229

 イラクの人たちからの挨拶に応じるタスクフォース・ウルフパック第2海兵連隊第3大隊K中隊(先週の最近の出来事の記事とは別な記事の写真)の三人ともMTVです。右の海兵隊員は、ピクセルグリーンのパックを背負っています。それはともかく、中央の海兵隊員ですが、あからさまに陸軍の無線機パックを背負っています。深い意味はありません。何となく気になっただけで。それと左の海兵隊員の持っているのは、MEUピストル。

2007/12/29

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2007/12/22

 さて、いろいろな意味で話題な、これが発売になりました。

『萌え萌え2次大戦』応援中!

 まだ買っていませんが。予約しませんでしたし。今日、買いに行く予定。

 体験版をプレイした限りでは……

 何はともあれ、バナーの関係で、たまに、このサイトが、微エロサイトになる。

 中古で買っても値段の差は無いだろうなあ。しかし、発売日当日に並ぶ新作のソフトってなんだろう、といつも思う。

 後は、プレステ3を先日買いまして、トロ・ステーションのやりたい放題ぶりに感激しながら、エースコンバットZEROをやっている今日この頃。コールオブデューティ3を同時購入しましたが、あっさりとクリアできまして。次は、これか、と。FPS専用ゲーム機になりかねないのですが。

 デモムービーを見て、マニアックだな、と思ったのは、トンプソンが、M1A1ではなく、M1928だったところ。

 で、余談ですが、毎年、触れているので今年も。例のサンタ追跡は今年も実行。追跡して、撃墜、でしたっけ?

 サンタ撃墜追跡プログラムhttp://www.noradsanta.org/

 なんだか、今年は、Flash使ったりして、パワーアップしている……なお、今年はGoogleEarthによる追跡も可能になっています。

 本当に、一気にパワーアップしましたね。

 なお、あちこちでサンタが、どこそこに参加しているから、クリスマス中止というデマが流れますが、NORADが追跡しているので、それ以外の物は全て偽物です。撃墜したりしなければ。

2007/12/22

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2007/12/15

 軍隊は保守的。なので、既に無用な長物と化した銃剣を未だに使用している。第2次世界大戦では既に銃剣を振り回していたのは日本軍くらいで、他の国はそんなことはなかった、という話をずいぶん昔の本で読んだことがあります。当時は、そうかと思ったものですが……。ブラックホークダウンにおいて、レンジャー部隊の指揮官スティール大尉は、銃剣を携行させなかったことを悔やむ描写がありますし、精神的な支えとしては、銃剣は専門屋がいうほど無用な代物ではないと思います。取りあえず、近頃、銃剣突撃かまして勝利したイギリス軍は放っておきましょう。第2次世界大戦でも、駆逐艦コサックでドイツの輸送艦に18世紀さながらに横付けして、白兵戦でぶんどった国ですから。あそこは。

 勿論、今のM16が、例えA2で強度を増すための改良が施されたにせよ、白兵戦に向いていそうにないのは変わりませんが。

 さて、その第2次世界大戦ですが。まだ旧来の戦いも細々と生き残っていたこの時代。日本軍だけが長い銃剣を使っていた訳ではなく、むしろ、当時としては長い銃剣が当たり前でした。アメリカ軍もM-1小銃の銃剣は、刀身の長いM1942銃剣でした。

1215

 しかし、長い銃剣はいらないという判断で、M1942銃剣は改修され、摺りあげられてM-1銃剣となりました。そのせいで、M1942銃剣は生き残りが少なく貴重になりました。それでも、

20071215

 のようにタラワやクウェゼリンでは、長い銃剣のままですし、実際、白兵戦となれば長い方が有利でした。ちなみに銃剣術では、日本軍よりも海兵隊の方が優秀だったとか。

 しかし、長い銃剣は、その長さだけで邪魔であり、マーシャル諸島攻略時には、

20071215

 とM-1銃剣が使用されています。しかし、一部では白兵戦を考えて返すのを拒んだ者もいるようでして、海兵隊ではありませんが、1945年3月26日、ドイツの町を進む第1歩兵師団の兵士のように、

2007121520071215

 という風に生き残っている例もあるわけでして(もっとも、この兵士、生地が薄いために損傷がひどく、また容量が大きすぎるために不評だったM1943パックを背負っているあたり、物持ちよすぎます)。

 忘れたか、勘違いか、海兵隊も後期の戦場でも、M1942銃剣を装備している例はあります。

 だからでもありませんが。70年代とか、80年代あたりの資料は、鵜呑みにしたら、いけないよなあ、と。

 それらとは別に。M1941パックシステムは、左側面に銃剣が取り付けられるようになっているのですが、元々、M1942銃剣を想定してあるので、M-1銃剣をつけるとすぐに先端がストラップから抜けて、案外、始末が悪かったりします。

2007/12/15

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2007/12/8

 真珠湾攻撃66周年ですが。

 関係なく。

 コールオブデューティ4、X-BOXでも発売。それに合わせてか、発売延期prz

 TPOの忘年会の時に買って帰るか( ´−`)


X-BOX版


PS3版

 ぺけ箱だと、エースコンバット6があるのですが、Blu-rayで、フルメタルジャケットが存在する以上は……。

 遠すぎた橋や、空軍大戦略もBlu-rayで出るのですが、あまり、ハイビジョン映像とは関係なさそうな作品ではあります。父親たちの星条旗は差はあるかもしれませんが。

 DVDの方は購入したのですが、まだ見ていない。そして、12月と1月に、硫黄島からの手紙と父親たちの星条旗がWOWOWで放送。

2007/12/8

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2007/12/1

 第2次世界大戦の伝説の始まり

Tarawa

 今、コンテンツに手を付けていますが、まあ、呆れるのを通り越えて、感心するくらいぐだぐだな作戦です。本当に、上陸した第2海兵師団の奮闘無ければどうなっていたことやら、と。

 そして、来週は、海兵隊の伝説の始まりを告げる「真珠湾」。横須賀では、それとは関係ないイベントをやるそうですが、従業員のストライキは大丈夫?

2007/12/1

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2007/11/24

 海兵隊誕生日は、各基地で式典があった訳ですが

 アメリカ海兵隊、恐るべし!

 海兵隊は、宣伝しっかりやらないと「組織ごと消される」危険性を多々経験しており、努力の結果が、トルーマン大統領に、

「彼らはスターリンのものにほとんど等しい宣伝機関を持っている」

 とまで言わせたわけです。

 ところで、私は、この記事に登場する人物の1人を知っているような気が……

2007/11/24

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2007/11/17

手賀沼条約機構は、毎年、長時間に渡って継続するゲームを行う。今年は4時間に渡って陣地を巡る攻防戦が繰り広げられた。

手賀沼条約機構は、毎年、長時間に渡って継続するゲームを行う。今年は4時間に渡って陣地を巡る攻防戦が繰り広げられた。

 毎年、手賀沼条約機構は本来のサバイバルゲームとは違ったルールでゲームを行う。2007年11月11日、千葉県千葉市において、それは、”長時間戦”として今年も開催された。

 本来のサバイバルゲームは、相手チームを全滅、或いはフラッグを確保することで勝敗を決するが、長時間戦においては、ゲーム開始から、終了までにいかに多くの陣地を確保するかが勝敗を決め、時間内であれば本陣に帰ることで何度でも復帰することが可能だ。

 などと、海兵隊ニュース風に。11月11日、手賀沼条約機構の長時間戦に参加。ダックハンターパターンの上下にヘルメットカバー。M1941パックシステム、テントとイントレンチングツールとゲームには一切関係ない装備も持って。M-1ライフルは中身が、M-14なだけあって、非常にいい柔軟ですが、結論的には、やっぱり、戦いは、”射程”よりも、”火力”かな、と。M-1ライフル、ルール的に長射程なんですが、フルオートと撃ち合うと確実に負ける。

 それと、次第にヘルメットを脱ぎ、バックパックを降ろしていきました。長時間戦、ぶっ続けでゲームをやるので。第2次世界大戦の頃の海兵隊員は50kg近い荷物を背負って戦っていたわけですが。

 ゲーム当日、誕生日でして。おかげで沢山、BB弾を貰いました。戦死回数は、前半トップ。後半は抜かれましたが、2位でした。

 自慢することでも無いですが。

 私と、もう1人がダックハンター(共にM-1ライフル)で、1人が通常のユーティリティ(M-1サブマシンガン)でした。もう1人来る予定でしたが、三度寝したとかでドタキャン。

 ゲームの詳細は、手賀沼条約機構の各チームのサイトを。

2007/11/17

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2007/11/10

 海兵隊誕生232周年。当サイトも三周年。四年目へと。

 今年は、リニューアルと言うより、レイアウト変更ですが。

 今年の海兵隊司令官のメッセージ。


 我々の国家の誕生から、我々の自由は、強い信念、偉大な勇気、そして勇気ある行動の勇敢な男女によって獲得された。しばしば血と大きな犠牲の損失があった。アメリカは自由の番人であり、合衆国海兵隊は戦争の年代記で最も素晴らしい軍団として数えられている。1775年以降、海兵隊員は臆することなく銃声に向かって行進し、専制政治と恐怖の災いを打ち破るために、果敢に、そして立派に戦った。私たちは海兵隊員である-それは私たちが行うことである。

 ジョン・F・ケネディ大統領の言葉において、「世界の長い歴史において、ほんの僅かな世代だけが、最大の危機のその時に自由を守る役割を与えられた」ベローの森の小麦畑で、チョシンの雪の中で、そして、フエ市の通りで気高い英雄たちは戦った。現在、諸君らの世代は、この責務を負い、そして、それは強大で能力のある肩に担われている。まさにベローの森のように-私たちは、地上で継続する任務に再び遭遇した。まさにベローの森のように-海兵隊員は最も困難な地域を与えられ、強力で決然とした敵に打ち勝った-誰が我々の達成のために我々の報いを受けたか。もう一度、あらゆる努力のように、道は間違いなく遠く離れた先にあるが、海兵隊員である私たちは、まさに我々の運命を受け入れる-私たちは、それを実現する。

 我々の232回目の誕生日に、全ての海兵隊員-今なお、ユニフォームを着ている人々と過去に立派に働いた人々-にとって、諸君が何者であるかと諸君が何を成すべきかを誇りに思い給え。諸君の国民としての義務が完全に報いられたことを知り給え。諸君は、この国家の精鋭の軍人クラスの一部である。素晴らしい支援、不変の決意、そして不動の忍耐を提供する我々の家族を大事にしなさい。従事した人々と倒れた人々を忘れてはいけない-彼らの名は、アメリカの英雄たちの当直将校の点呼において刻まれる。我々の軍団の戦旗を運んだ人々は、我々の遺産を創り出し、我々の未来のレザーネックの図表を生み出した。誇りと共に軍旗を運び給え。名誉と共に運び給え。

 海兵隊、誕生日おめでとう!

 Semper Fidelis

第33代海兵隊司令官 ジェームズ・T・コンウェイ大将


 いつもなら、含まれていて当然の地名が一つありませんね。

2007/11/10

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2007/11/2

 第1次世界大戦に参戦することとなったアメリカ軍ですが、当時、兵士を砲弾の破片から守るための装備を選択する必要がありました。選ばれたのは、フランス軍ではなく、イギリス軍のヘルメットで、ほぼコピーした物がM1917として採用されます。

20071102
イギリス軍のヘルメットですが、形は一緒。

 実のところ、防御能力は見た目とは裏腹に、イギリス軍の方が優れており、選択は正しかったのですが、やはり、塹壕線において上から降り注ぐ破片を防ぐ能力には優れていても、側面の防御は弱い欠点がありました。特にアメリカ軍は、イギリス軍と違って、ヘルメットの中に完全に体を収納させて空を飛ぶ技術は会得しませんでしたから。

 ヨーロッパの情勢が怪しくなり始めた頃、アメリカ軍はM1917の縁を切り落として頭頂部からのラインを延長する形で新型のヘルメットを採用。

20071102

 当時としては、ドイツ軍のヘルメットに次ぐ性能を誇るM-1ヘルメットの誕生でした。戦時中に細かな改良が加えられ、後期型としてストラップの金具が溶接ではなく、リベット止めになった物が採用された頃には戦争が終わり、本格的な支給は朝鮮戦争を待たなければなりません。

 朝鮮戦争が終わるとアメリカ軍は本格的な装備改編が行われ、M-1ヘルメットにも1950年代半ばあたりに改良が加えられました。

20071102

 金具が可倒式になり、ライナーも、材質をナイロン製として防御力を高め、更に内部もより深くかぶって安定性を向上させるようにされ、内部のバンドもナイロン製となり、実質的には別物に近いのですが、名称は、M-1ヘルメットのままで、M-2やM-1-56は分類上の通称。

20071102>これがこうなる>20071102
※左のライナーのヘルメットバンドはナイロンの物(元からのがぼろぼろだったので仕方なく)

 とはいえ、ベトナム戦争では、旧型新型が混在しており、初期型ライナーの特徴ともいえる革のチンストラップがヘルメットの縁に引っかけられている姿は撤退間近まで確認できます。それと海兵隊は、なぜか、空挺部隊用のライナーを使用している例が多々。

 M-1ヘルメットの最後の改良では内部自体はマイナーチェンジでしたが、本格的な形状変更が加えられ、全高が低くなり、正面の傾斜がきつくなっています。

20071102

 ちなみに、プライベートライアンに端を発する第2次世界大戦映画で使用されるのは、実は、このタイプがベース。

 そして、1970年代にPASGT装備の開発が進むと、ここでこれまでスチール製が主流だったヘルメット界の歴史を塗り替える新素材が導入されます。

 ケブラー樹脂を利用することで、プレスではできなかった自由な形状を作り出すことが可能となりました。そこでM-1ヘルメットの縁を湾曲させ、耳をおおうような形状になったのですが、その形状が、ドイツ軍のヘルメットに似ていることから、フリッツヘルメットと呼ばれるPASGTヘルメット(ケブラーポッド、K-ポッドがアメリカでの呼称)です。

20071102

 ドイツ軍のヘルメットを参考にしたというより、結果的に似たような形になっただけと思いますが。元々、M-1ヘルメットも被弾性能は悪くはなかったわけで。基本ラインは、M-1ヘルメットのままです。

 言ってしまうと、アメリカ軍のヘルメットは、全てM1917の派生型で、アメリカ軍は、イギリス軍の皿ヘルをどこまで改良できるか挑戦し続けている、と。

 PASGTヘルメットは、シェルとライナーという二重構造が無くなり、ヘルメットライナーのストラップはシェルに直接取り付けられるようになったことでより深くかぶれるようになり、安定性は向上しました。もっとも、軽量化も期待されましたが、それは成し得ず。

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 とはいえ、これを見ると先祖返りしたように見えなくもないですが。20071102

 安定性は向上しましたが、開発時は高価で普及が進んでいなかった暗視装置が、次第に支給率が高まっていくと新たな問題が発生しました。暗視ゴーグルを装着すると格段に装着感が悪化するようになったことで、PASGTのライナーは安定性を高め、よりしっかりと頭部に固定されるようになりました。

 現在、海兵隊は新たなヘルメットを採用。陸軍と違い海兵隊が選んだのはLWH(LightWeight Helmet)でした。

20071102

 形状はそのままですが、素材を更に変えたことで、M-1ヘルメット以来、1.5kg保っていた重量が1kgにまで軽量化。軽量になったものの防御力はそれ以上というものです。

 ライナーにある海兵隊のエンブレムが誇らしい。

20071102

 内部は、本来のライナーが外されて、パッドが装着されているので本来の形ではありません。なお、PASGTヘルメットとLWHはサイズがあるのも、M-1ヘルメットではできなかったこと。

 と、先日、LWHを購入した今日この頃。PASGTヘルメットとLWHを持つと本当に、その軽さに感心します。

2007/11/2

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2007/10/26

 LVTのお話

 映像では軽快に陸上を走っていますが、今のAAV-7が誕生するまで地上走ると壊れるのが基本でした。

 サイパンに沈むLVTの残骸。

2007/10/26

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2007/10/19

 以前、紹介した奴がサイトリニューアルしていたのと、応援キャンペーンやっていました。

『萌え萌え2次大戦』応援中!

 本音言えば、未だに微妙な気分と、連合軍サイドが無いのが不満ですが。海兵隊は確実に関係ないでしょうし(というより、基本的に、歩兵系は重要だけれど、敵と交戦したら敗北必至なので性能の強弱があまり意味無い)。枢軸側は、彼女たち兵器の搭乗員として有名な人物の名前。連合側は、兵器の名前をもじった物、と。本当に、ミハイルを、虎ではなく、三突に持ってくるあたりは渋いというか。

 まあ、一応、応援と言うことで。気が付くと家にあったりする場合がたまに。。

 そして、このたび、Call of dutyシリーズ最新作。メダルオブオナーシリーズは、一人のアメリカ軍兵士の個の奮闘でした(パシフィックアサルトは少し違うにせよ)。こちらはあくまで集の一人。というほどでもありませんが、MOHシリーズよりは味方が頑張ってはくれます。

 アメリカ軍空挺部隊が主役と思いきや、実は1も2もソビエト軍万歳なゲームですが(3は未プレイ)。

 今回の最新作は、Call of duty4 Modern warfareというように、現代戦がテーマ。今回の敵は、ロシアのテロ組織なので、かつては主役が今回は敵になったと。そして、プレイヤー側は、イギリスのSAS。そして、アメリカ海兵隊。もう一つの海兵隊FPS、First to Fightは輸入盤しかありませんでしたが。

 こちらは、買うのは、それこそ、Call of Dutyなんだろうな……。ただ、プレステ3もX-BOXも持っていません。PCで出てくれるのが一番ありがたいのですが。コントローラーで照準するのは苦手なもので。

 それはともかく、バナー応援キャンペーンとかで、バナーを置く余地がデザイン的に、革首にはあまり無いのは実感中。

2007/10/19

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2007/10/12

 硫黄島続き

 島の場所と情景の描写、栗林将軍が、東条英機に呼ばれて硫黄島守備隊指揮官に任命される部分も(選ばれたのは名誉ですという返答は、台詞ではなく本文中の文章ですが。また、彼の兄に、とはあるものの名前の記載は無し)。

 そういえば、映画では栗林将軍は飛行場に降り立ちますが、実際には船で東海岸から硫黄島に上陸。

 硫黄島の指揮官たちの紹介で、

 Soon Colonel Atsuchi followed with five battalions of soldiers.
 まもなく、厚地大佐の指揮下にも、五個大隊が送られてきた。

 原文は、厚地大佐が硫黄島に先に到着していたとなっていますが、実際には

 まもなく、厚地大佐が兵士五個大隊とともにやってきた。

 ですから、同時にやってきたとあります。このあと、小畑中将が砲の配置変更を命じます。そして、

 That was in March, and now it was nearly July. The Allies had landed in Normandy, crushing German defense that were among the most powerful ever constructed. The American Marines and the Army were lodged on Saipan, beginning the reduction of the Marianas, Japan's strongest bastion. It was clear to Kuribayashi that no beach defense could hold against the Americans. He ordered the artillery dragged back to the north, or hidden in the foot of Suribachi.
 それは三月のことだった。ところが、焼け付くような太陽が照りつけ始めた七月になって、陸軍中枢は水際防御が旧式だと気づいた。その間、連合軍はヨーロッパでノルマンディに上陸し、史上最強を誇ったドイツ軍の要塞を粉砕して、怒濤のように進撃した。股アメリカ海兵隊と陸軍はサイパン島を攻め、日本軍の孤島防御をあっという間にたたきつぶして、マリアナ群島をまっすぐに攻め上っていた。これらの島は日本で最強の要塞と言われたが、アメリカ軍の砲爆撃にはかなわなかった。そこで栗林は、水際作戦が無限の物量を誇るアメリカ軍に対して役に立たないと悟った。着任早々、将軍は火砲をまた北方台地に引き上げるかたわら、摺鉢山麓の砲兵陣地を地下に隠すよう命じた。

 ここは例によって、文章が追加されている部分です。

 それは三月のことで、そして、今は七月近くになった。連合軍はノルマンディに上陸し、史上最強のドイツ軍防衛を粉砕した。アメリカ軍の海兵隊員と陸軍は、日本最強の要塞、マリアナ諸島の征服を開始し、サイパンに打ち込まれた。それは海岸防御はアメリカ軍に対して耐えられなかったと栗林に悟らせた。彼は、砲を北部へ引き上げるように、或いは摺鉢の麓に隠すように命じた。

  以前、ボライソーシリーズで、主人公ボライソーが戦死する場面を、原著では割とあっさりと戦死するのが気に入らなかったのか、翻訳者がまるまる死の場面を創作してしまった事件(※)があったのを思い出しました。

※第2版で、原著に忠実に直されましたが、その後も、初版は平行して売られたことで激怒したファンを更に激怒させました。ちなみに、発覚したのはファンが、改竄された場面に違和感を感じて、原著を取り寄せたことで発覚。

2007/10/12

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2007/10/5

 多少、皮肉と嫌みを込めて。

 意味はともかく。そう来るか、と。

 横だと思ってました。

 なんだか、よくわかりませんが。勝負の意図が。高く上昇した方が勝ち?

2007/10/5

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2007/9/28

 光人社から発売されている「硫黄島 太平洋戦争死闘記」は、硫黄島の戦いを知るためには欠かせない資料で、R.F.ニューカム氏の著書は硫黄島を扱う本では必ず資料にあげられています。

 ただ、硫黄島のコンテンツを作成している際に、原文と大分違う文章があることに気付きました。単なる間違いならともかく、辻褄を合わせるために文章を作り直している部分もありました。日本軍の戦車にバズーカを撃ち込む間に、もう一人が爆弾を仕掛ける場面など、そのプライス伍長は戦車もろとも爆死したことにされていますが、原文では爆風で吹き飛ばされた後に、バズーカ手のフレデリック一等兵と共に散らばった砲弾をかき集めて二人揃って脱出していますし、名誉勲章ジャック・ラマス中尉の死の間際の台詞が、

「先生、ニューヨーク・ジャイアンツが、いい試合を落としたようなもんですな」

 となっています。実際には、

"Doc," he said, "it looks like the New York Giants have lost a damn good end."
「先生」と彼は言った。「ニューヨーク・ジャイアンツは、すごく優れたエンド(フットボールのポジション)を失いそうですね」

 で、冗談を言ったとも書かれていません。ラマス中尉が、大学時代フットボール選手で、1941年にニューヨーク・ジャイアンツと選手契約を結んでいたことを考えると意味も違ってくるでしょう。

 ということで、

Part One Sulfur Island
第一章 運命の島

原文は、単純に、「硫黄島」。

Chapter I

  General Kuribayashi was not alarmed by his first view of Iwo Jima.True, there was much barren ground, but it was June and there were fringes of green on the slopes of Suribachi.
栗林将軍は初めて硫黄島の土を踏みしめたとき、なんの感動も覚えなかった。島はほとんど荒れ地に等しい。内地では青葉若葉の六月だというのに、島では摺鉢山の山腹のところどころに、灌木のくすんだ緑がこびりついているだけだった。

 栗林将軍は、彼が硫黄島を最初に見たとき、驚かなかった。実際、それは多くが不毛の土地だったが、6月なので摺鉢山の斜面に緑の縁飾りがあった。

 最初の一文から、相当、文章追加しています。

 Tuft grass and bean vines had been planted on the sandy saddle of land between Sribadhi and the plateau in the north. There were some tree, and off to the east of Motoyama there was even an oak forest. Fumes from sulphur springs were heavy over the village, but nearly a hundred children stood outside the little school, waving flags to greet him.
摺鉢山と北方高地の間の、馬の背のような砂地に雑草やえんどうが育ち、元山東方にはいくらか木も生えていた。また、カシの茂みもあった。硫黄の噴気孔からもれる臭いガスが、こぢんまりとした小学校のあたりに漂っていたが、子供たちは元気に日の丸の小旗を振って栗林忠通を迎えた。

 雑草と豆のつるが摺鉢山と北部の高地の間の地の砂のサドルに植えられていた。若干の木もあり、そして、元山の東には樫の森さえあった。硫黄の源泉からの蒸気がひどく村を覆っていたが、小学校の外側に100人近い子供たちが立って、彼を歓迎するために旗を振った。

 訳文だと、硫黄の臭気が漂っていたですが、実際にはかなりひどい臭気が漂っていたのが伺えますし、「こぢんまりとした小学校」とありますが、「The little school」は、児童自立支援施設とあるので、小学校だけかと。あと、Forestは、Bushとは大分違うような。それと子供の人数はありますが、元気に、とは書かれていません。

 Some pandanus and sugarcane had been planted in swales, and near the houses in the village the vegetable gardens looked green and flesh. There were patches of lemon grass, which the villagers distilled for lemon oil, and of derris elliptica, from which they made rotenone. Now and then a bird sang, and the General was fond of both birds and children. A little north and west of the village were a small sugar refinery and vats for the recovery of sulphur. (The sulphur obtained from the island, of course, accounted for the name Iwo Jima, or Sulphur Island.)
荒れ地では、かろうじてタコの木や砂糖黍が栽培され、村の家々の周りで、野菜畑の新鮮な緑がひときわ目を引いた。また、こうすいがやも育って、これか村民は殺虫剤を作っていた。ときどき、鳥の鳴き声が聞こえる。将軍は鳥も子供も好きであった。村の少し北西に小さな製糖所と硫黄の精製工場があった。硫黄がとれるので、この島は硫黄島と呼ばれた。

 僅かな蛸の木とサトウキビは窪地に植えられており、村の家の近くの菜園では青々と新鮮さを見せていた。こうすいがや(レモン草)を、村民はレモン油のために蒸留し、そして、デリス・エリプチカから、彼らは殺虫剤を作った。時々、鳥がさえずり、将軍は鳥と子供たちが好きだった。村の少し北と西では、硫黄の抽出のための桶と小さな砂糖精錬所があった。(もちろん、島から得られる硫黄は、Iwo Jima或いはSulphur Islandの名前の由来となった)

 こうなると比較のために全訳してみたい気もしますが。一ページ目で、全然違う、と。でも、今はネットで検索すればいいので、調べ物は楽ですね。

 不定期にやっていこうと思ってはいます(むしろ、ブログでやるネタかもしれない)。

2007/9/28

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2007/9/21

 M1941パックの組み立て方を実演付きで説明したところ。

 やっぱり、複雑過ぎるようでした。

 参考になったのはイギリス海兵隊ですが、イギリスの影響でしょうか。

 コンバットマガジンで、陸軍より、優秀かも知れないと言われた水筒カバーですが、フラップながすぎて、一度取り出すとなかなか元に戻せない、非常に使いにくい代物ですし。

2007/9/21

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2007/9/14

 日本で、海兵隊訓練教官ですと、ハートマン一等軍曹だけのイメージ、ですが。

 人間以下の生命体を人間を超えた海兵隊員にまで仕立てるわけです。

 で、R.リー.アーメイ一等軍曹殿ですが。

 このジョン・ウェイン、巨大なる戦場の奴だよなあ。

 先日の横田で、ミラーを飲み、やはり、アメリカのビールは薄い。

 モンティパイソン・ハリウッドボールの一遍

「アメリカのビールとかけて、カヌーの***ととく。その心は、ほとんど水に近い」

 買い物するスーパー、エビスとかはセールをやるけれど、普通のビールはセール対象にならないので、エビスの方が安かったりするので、濃いのしか飲まない。

2007/9/14

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2007/9/7

 予定的には、M1941フィールドパックシステムをやろうと思っていましたが、結局、どこかに埋まっている装備を引っ張り出し、撮影する暇が無く。

  大戦略シリーズを世に送り出したシステムソフトが、ソフト開発自体から撤退し、その後を引き継いだシステムソフトアルファーの新作。

 萌え萌え2時大戦

 システムソフトお前もか…orz

 キャラクターデザイン、美樹本晴彦氏、北爪宏幸氏、六道紳士氏、と言ってみれば懐かしい面々がやっていますが…デザインも、塗りもなっていない。

 コナミのメカ娘シリーズを意識しているのでしょうが、アレンジが今一つ。

 というより、大戦略でわざわざ萌えに走る理由も分かりませんが。

 三突に、ミハイルと名付けるのはマニアですが、どうせなら、長砲身ではなく、短砲身だろう、と。Tigerが、タイガーと呼ぶな、というのはぱくりだろう、と。

 一方で、システムソフトを追い出されたスタッフが作ったエロゲーもある訳でして。

 本当に、システムソフトとちくるったか。こうして、ワゴンセール行きのソフトがまた一つ。

 いや、お前が言うな、なんですけれどね。

2007/9/7

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2007/8/31

 毎年恒例、横田基地の友好祭。

20070831

 今年の検問ゲートの免罪符アイテム。カバンの中に入れていたLC−2サスペンダーとベルト。見た途端、

「Hey,Look」

 と隣の同僚に声をかけ、行っていいよ、と。意外な物が受けました。

 今年は、アメリカ空軍が誕生してから、60年。記念展示は地味ながら。

 非常に地味。プロモーション流していたけれど。

2007083120070831

 毎年恒例、暴走列車。今年はおとなしかったけれど、例年以上にテンション高く。暑くてハイになっているだけかもしれない。

20070831

 今年は、全般的に値上がり。ハンバーガーは200円から350円。ステーキセットも1000円が1200円。今年は、下士官クラブで食事を購入。肉は将校クラブの方が断然上ですが、厚さとかはなかなか。巨大なステーキソースのポンプとか、アメリカだなあ、と。

20070831

 で、ビールは、ミラー。いや、薄いこと薄いこと。帰りに東京駅のキリンビール直営店で飲んだブラウンマイスターの旨いこと、旨いこと。

 センパーファイ会。今年は、色々、アイテム増やしていましたが。Tシャツとコインを購入。

20070831

20070831
展示機。はいつものごとし、と思いきや、

F-16
F16D

F-15
F15も初めて見たような。

20070831
プラウラーは、毎年来ますが、毎年違う機体。

 海兵隊からは2機参加。F/A18。どっちも同じかと思えば、もう一機は偵察機型。

20070831

 翼にはマーパット迷彩カバー付きのヘルメットが。

20070831

 思ったのですが、海兵隊のパイロットたちはタンカラーのフライトスーツでした。先日硫黄島来訪の記事に写っていた海兵隊員は、硫黄島でデザート迷彩でした。今、森林迷彩のパターン、購入していない?

注)元海兵さんのご指摘で、今年8月、夏は砂漠迷彩、冬は森林迷彩で統一するよう通達があったそうです。

 で、その海兵隊のパイロット。

20070831

 日陰は重要です。

 トランスフォーマー中盤で活躍の今年の干支。30mm機関砲の連射はすてきだった。

20070831

 疣猪は、イノシシではないですが。トランスフォーマーは、マイケル・ベイらしい、人間描写がへたくそな映画でしたが、それ以外は最高。

 恒例のパラシュート。今年は離陸から。
20070831

 離陸から、一時間後に途中下車開始
20070831

 爆弾処理班では、本物さわり放題。M4、Mk14、M240、M79、M1911A1、M9などなど。帰りの電車でカップルの男の方が、実銃のスライドは重い、エアガンはやっぱりおもちゃだとか言っていたけれど。実弾の圧力と、玩具で使用できるガスやキャップ火薬の圧力を比較するな、と。M136ランチャーも空撃ちさせてくれました。実物のヘルメットとアーマーを着せてくれたうえで。みんな重いと言っていたが…

 今のヘルメットとアーマーって軽いんですね。

 わがまま突撃隊の隊長さんの話だと翌日は全部動かないようにされていたそうで。誰か指でも挟んだのかもしれない。

 会場で見かけた光景、滑走路をセグウェイで移動する空軍の人。

20070831

 ある意味、この日、一番感激した代物。

 しかし、カメラもう一台欲しくなってきました。レンズ交換の手間のせいで。D-300発売決定…

 本命はD-3。58万円。

2007/8/31

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2007/8/24

 横田基地祭りは行くつもりです。今年は、下士官クラブと、ケーキに挑戦、が目標です。

 その前に、行くだけでも大変ですが。つくづく新幹線は偉大だと。同じ時間で広島までいける。

 次回は横田基地祭りレポート。次々回は、仲間内から、「やってくれ」と言われている海兵隊の立体パズルM1941パックシステムを解説してみようかな、と。気力さえあれば…(多分、横田で力尽きる)。

2007/8/24

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2007/8/17

 ミリタリー系の資料は、やはり、アメリカが豊富です。日本では、全体の紹介しか出ませんが、洋書を見れば、それこそ部隊単位で本が出版されています。

 師団単位の本なら、まだ分かりますが、パラマリーンだけ、とか、第1特殊作戦任務群だけの本とか、M1ヘルメットだけ(他のヘルメットもそれぞれに専門書がある)の本とか、タイガーストライプだけの本とか。専門書だけあって、非常に細かく読み応えもありますが。

 パラマリーンの本は欲しいのですが、高い(一番安いのは、あそこかな、と)。一時期、アマゾンでは一万切っていたのですが。

 それが本当に必要かは人それぞれですが、全体を紹介しながら、事細かにやっている本も欲しいところで。ということで、第2次世界大戦中に支給されたアイテムのコレクターガイドブック。

 何があったかを知るには非常にありがたい資料です。いろいろ、物欲刺激してくれもしますが。

 海兵隊では、最近、購入したのが、この本です。

 以前、購入した物の方が細かいのですが、こちらはカラー。海兵隊が、意地でも陸軍と同じ物を使用するかと言う気合いが何となく伺えます。同じようで、微妙に違う。微妙すぎて分からないくらいに。

 ところで、この2冊を読み比べていたら、なぜか、涙が…

 もう一冊、当時の「戦闘には一切関係ない支給品資料本」というのもあるのですが、マニア過ぎる(笑

2007/8/17

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2007/8/10

 横須賀行きたかったなあ。去年より、見られる場所増えていたようですし。

 月末の横田こそは。

 こういうショーは望むべくもありませんが。

 一応、ミラマー。

2007/8/10

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2007/8/3

 重装備映像。

M1A1メインバトルタンク

LAV-25

M198

AAV-7

はしゃいでカメラを落としている。

HUMVEE

2007/8/3

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2007/7/27

 第1次世界大戦で、名を馳せた海兵隊でしたが、そもそも、世間に存在を知られたのが、セオドア・ルーズベルト大統領が解散の話を持ち出したため、と言うように、その時点でも、存在意義は疑問視されていました。第1次世界大戦では、確かに名声を勝ち取りましたが、やったのは陸軍の仕事でしたから、海兵隊独自の路線を模索する必要がありました。

 ちょうどこの時期に司令官になったのはジョン・A・レジューン少将。この将軍の元で、エリス少佐を初めとする海兵隊将校たちは水陸両用作戦という戦法を考案し、研鑽していくことになります。

 そのレジューン少将は、また現在の海兵隊の伝統を築いた人物でもありました。そのレジューン少将は、こんな言葉を残しています。

「海兵隊の将来の成功は2つの要因に依存する。一つ目、その将校と部下が与えられた職務を効果的に遂行する。二つ目、即座に政府の適当な当局者とアメリカ国民に、この有効性の注意を引くように至らせること」

 つまり、宣伝活動大いにやるべし。

 このためもあってか、海兵隊は戦争報道に極めて熱心でした。従軍記者は大抵、最前線には姿を見せず、安全になった場所で写真を撮るだけでしたが、海兵隊の報道員たちは最前線で写真を撮り続けました。摺鉢山の最初の星条旗の写真を撮影したロワリー軍曹も上陸初日に部隊に同行し、いくつもの写真を収めています。

20070727
硫黄島の海岸に釘付けになった海兵隊。何人かは二度と起き上がらない。

 太平洋の戦いでは、確かに陸軍が約20個師団を投入して主力でしたが、一部の例を除けば僅か6個師団の海兵隊が太平洋戦線の名声を勝ち取りました。もっとも、陸軍20個師団といっても、一時にそれだけ投入されたわけではありませんが。海兵隊も、実質、4個師団ですし(第5は硫黄島だけ。第6は沖縄だけ)。

 こうした宣伝力は、戦後、海兵隊を潰そうとしたトルーマン大統領の企みを失敗に終わらせ、大統領が、

「彼らはスターリンのものにほとんど等しい宣伝機関を持っている」

 と言ったくらいでした。

 映画フルメタルジャケットでは、主人公のジェイムズ・T・デイヴィス軍曹(ジョーカー)が戦闘報道員でした。彼らは最前線でカメラとライフルを手に戦闘に参加し、戦闘シーンを記録していきます。ハートマン一等軍曹は、ミッキー・スピレーンか? と罵りますし、原作のガーハイム一等軍曹も、奴らのせいで軍規がゆるむと嫌悪感を隠しませんでした。

 しかし、そのジョーカーたちが卒業した年の末。第1海兵師団の小隊に同行した戦闘報道員ウィリアム・T・パーキンス Jr.伍長は仲間を救うために手榴弾に覆い被さり戦死し、名誉勲章を受章しました。

20070727
報道カメラマンとして、名誉勲章を受章したパーキンス伍長

 ハートマン、ガーハイム両軍曹は、その年の初めに射殺されているので知るよしもありませんが。

 そんな彼らを目撃した従軍記者の言葉があります。

「勇敢な奴は敵を撃つ。いかれた奴はそれを撮る」

2007/7/27

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2007/7/20

 陸軍のXM16A1のニュース映像

XM16E1

 それはともかく、海兵隊のM16A2

 M249

 投稿したのは映像の本人のよう。

 M240

 M203

 総合…実戦とも言う。装備からすると2003年から2004年あたり?

 4分50秒頃に家を飛び出すところで、暴発させてる…

2007/7/20

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2007/7/13

 久しぶりに、サバゲに参加。今回、電動M-1ライフルを使用。

 当然ながら、写真を撮ると自分が撮れずで、しかも、ライフルとかの写真は撮り忘れorz

 ダックハンターパターンは、案外、有効な迷彩です。

 で、盛り上がったネタが、上下だけの値段とか、装備の値段とか、桁が一つばかり違うんですよね…

2007/7/13

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2007/7/6

 アメリカは建国231周年。しかし、アメリカ軍は、海兵隊、海軍、そして陸軍は232年目になります。自宅の庭でも遭難できる空軍だけは、今年60周年ですが。

 なお、7月11日は、海兵隊復活209周年です。

2007/7/6

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