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Quotation(海兵隊を語る言葉)

「俺たちは終わりの無い戦争の、目標の無い戦いで、数字を持たない道の名前の無い村を通って行進する」
”We would march through villages that had no name on roads that had no number to battles that had no purpose in a war that had no end.”
-海兵隊員ロン・スージー

ベトナム戦争

 1965年、ダナンに第3海兵旅団が上陸し、アメリカのベトナムにおける治安活動(公式にはあくまで治安活動)が本格化しました。海兵隊は、この軍事行動で有効な手段を見抜いていましたが、ウェストモーランド将軍は聞く耳持たず。結果的に、ベトナム戦争は戦術的には幾らでも勝利するものの、戦略的には敗北続きという泥沼の戦いへと突き進んでいくことになります。かつて、イギリスが独立戦争で経験したように。
かつて、パラマリーンの一員として日本軍と戦った太平洋艦隊海兵軍司令官ヴィクター・H・クルラク中将は1965年4月、ベトナムへ向けて出発する海兵隊部隊へ向けて、こう語りました。

「準備することは重要ではない。君がそこに到着したとき、勝つことこそが重要である」
”Being ready is not what matters. What matters is winning after you get there.”

 クルラク中将自身は、ベトナムにおける戦いが、これまでとは違うことを早い内から見抜いていましたし、ウェストモーランド将軍のやり方を認めつつも、南ベトナム軍と共同でベトコンを一掃した後、家の再建や井戸の採掘などを行い民兵を組織化。これを一つ一つ根気よく行い拡大していく方法、「インク・ブロット方式」を提唱しましたが、テイラー長官や現地のウェストモーランド大将には受け入れられず、駐ベトナムアメリカ軍は規模を拡大していくことになります。
*そのあげくに、ウェストモーランド大将は、海兵隊が惰性で戦っていると非難する訳で…

「そのために戦う彼らのために、その生命を守られたものは決して知らない味を持つ」
”For those who fight for it, life has a flavor the protected never know.”
-1968年、南ベトナム非武装地帯にいる機関銃手のボディアーマーの背中に書かれた文句

「私は、私たちが外人部隊について考えるように合衆国海兵隊のことを考える。寛大な心とともにおしゃべりとして」
”I think of the U.S. Marines like we used to think of the Foreign Legion; as big mouths with big hearts.”
-1968年フエの海兵隊員を取材したフランス人ジャーナリスト、キャシー・ルロイ

「それは、それを破壊するか、損害を与える武器を使わずに中世の要塞を攻撃するように命令された戦争の非常に破壊的な機関の全てを所有した現代の戦う男の、滑稽で、正気でない状況であった」
-フエの戦いを書いたデイル・A・ダイ大尉(退役)の"Run Between The Raindrops."4ページ

「それは"銃撃、それから動く"のではない。それは"銃撃、或いは動く"ではない。それは"銃撃、そして動く"である。君はこの大隊で、行動し、銃撃する」
”It's not 'fire then maneuver.' It's not 'fire or maneuver.' It's 'fire and maneuver.' You move and shoot in this battalion.”
-1969年、ウィリアム・ドラムライト中佐。"攻撃戦術offensive tactics"

「攻撃において、人々は死に、そして負傷する。何人かの負傷者は叫ぶ。君は叫び声をあげる人のために襲撃を遅らせてはならない」
”In the attack people get killed and wounded. Some wounded will scream. Don't let the screamers slow your assault.”
-ウィリアム・ドラムライト中佐。"目標the objective"

「今日、私は橋にいる海兵隊歩哨を見た。彼は、より軽くたどり着くために、彼の防弾チョッキからプレートを取り出した。彼は一つのポケットにプレイボーイ誌、そして他のポケットにケチャップのボトルを持っていた。この男は世界に向けて言った。"俺のリーダーは愚か者、そして俺は乳漿のようにこの服を着ている"」
-ウィリアム・ドラムライト中佐。"規律discipline"

「起きてください、中尉。我々の丘の近くに敵がいます。連中が接近するとき、我々は連中を殺すつもりです。あなたは、それを見る必要がある」
-スムーザーマン二等軍曹。1969年"防衛戦術defensive tactics"

「夜間の戦いと昼間の戦いの唯一の違いは、夜は同様に見ることができない」
-リー・ゴーンド中尉。1969年"夜間任務night operations"

「君は、君が大学で学んだ多くの物を再び使うことはないだろう。しかし、パトロールクラス…では君は再び使う。君は、今日、君自身の職業を学んでいる」
-キング・ディクソン少佐。1969年"理論対応用theory versus application"

「もし君が、士官候補生たちが同時に正しいことへ君の目を向けるなら、私は彼らのひらめきを聞かなければならない。今、私は彼らのひらめきを聞くことができる」
-ジェームズ・スティーダム二等軍曹。1969年クアンティコ"チームワークteamwork"

「Dear Lord、この海兵隊員が歩く地面が常に丘を下る斜面であることを聞き入れ給え」
-第5海兵連隊第2大隊E中隊E・L・レーン。ゲイリー・G・マーフィ軍曹の誕生日に。

「この中隊の最も素晴らしい将校の一人へ私たちは最高の誇りとともに誕生日おめでとう。あなたのシェルターハーフ(テント)は雨漏りは無いでしょう、あなたの寝袋は常に暖かいでしょう、そして、あなたの両足は常に乾いたままでしょう」
-第5海兵連隊第2大隊E中隊E・L・レーン。チャールズ・W・ハーンJr.少尉の誕生日に。

「ヴェトナムの我らの若者たちは、戦闘作戦中に傑出した方法で振る舞うだけではなかったが、彼らは同様に重要な市民活動の親善と南ベトナムの苦しめられた民衆に対する非聖域化活動の傑出した使節であった」
-ルイス・W・ウォルト大将。1970年1月14日、ワシントンDC、フットボールコーチ協会年次大会"Football and Freedom"

「中尉。もしあなたが成人向け映画を見ようというなら、私はあなたの母親に手紙を書いて、彼女に話す」
-チャールズ・スキナー曹長。1970年"行為の基準standards of conduct"

「低く撃て。銃口を押し下げろ。お前が最初の銃撃がどこに当たるかを見ることができる。お前は跳弾で奴を捉えることができる」
-キャンベル上等兵。1970年"瞬殺射撃術quick-kill marksmanship"

「海兵隊には、いかなる人種問題もない。彼らは誰でも黒人のように扱う」
-ダニエル・"チャッピー"ジェームズJr.空軍大将。1970年頃

「合衆国海兵隊は、冷静に、上手く、そしてプロの分遣隊の精神において大統領と議会が示すであろう、いつでも、どこでも、いかなる敵でも戦うための準備を整えているプロである。彼は憎しみのために鍛えることはなく、そして、戦いのため、或いは軍団が果たすよう頼まれる他のいかなる任務のためにも、彼は感情的に動かされることはない。愛国心とプロ気質は、彼の無比の二つの"イズム"である」
1-970年、ロバート・D・ハイヌルJr.大佐(退役)

「合衆国海兵隊において、五つの危険な考え:
一等兵は言う。「私はブーツキャンプ(新兵訓練所)でこのことを学んだ…」
軍曹は言う。「私を信じてください。サー…」
少尉は言う。「私の経験においては…」
ガニー(一等軍曹)はほくそ笑む。「このS***を見ろ…」
彼の考える真の海兵隊員とはA-6パイロット!」
”The five dangerous things in the U.S. Marine Corps:
A private first class saying, “I learned this in boot camp…”
A sergeant saying, “trust me, Sir…”
A second lieutenant saying, “Based on my experience…”
A gunny chuckling, “Watch this s***…”
An A-6 pilot who thinks he's a real Marine!”
-ラリー・レイトン

「航空界はダイナミックな職業である。装備の旧式化率は高く、そして新たな航空機は現代の戦争の必要条件と並んでいるために定期的に在庫としておかれていなければならない」
「その航空の作戦管制の維持力は、航空のその攻撃的火力の重要な部分を構成し、軍団の空地チームにとって重要である」
-キース・B・マカッチャン大将。海軍レビュー1971年134ページ"ベトナムにおける海兵隊航空戦1962-1970"

「およそ25のメダルの後、あなたはそれらを付けるための肩が尽きる」
-名誉勲章受章者でベトナム捕虜の元海兵隊員ジョージ・デイ空軍大佐(退役)。

「戦争、常人に最も都合がいい平凡なものから逃げる手段」
”War, the ordinary man's most convenient means of escaping from the ordinary.”
-フィリップ・カプト中尉著「Rumor of War」

「君が一体どこにいるか、或いは、君の仕事が一体どこにあるか、誤った優先順位によって混乱或いは変更を行ってはならない。我々には実行すべき唯一の任務だけを持つ-それは戦い、そして勝つことだ。そして、我々は世界を何者よりも良くしなければならない」
-レスリー・E・ブラウン中将

「海兵隊員は、私がこれまでに目撃した人間の中で最も独特な種類である。彼らはまるで何かのカルトのように、彼らの軍務を楽しみ、彼ら自身の所有するほとんど全てに彼らの紋章を貼り付け、非紳士的な長さの髪型と共に正気でない狂信者のような格好で彼ら自身を最高にし、彼らの司令官をまるで彼が神であるかのように崇拝し、そして蛮人の一団のような怪しげな騒音を立てる。彼らは小さな戦闘のために、まさに待ってましたとばかりに狂犬のように戦うだろう、そして私がこれまで知る限り、最も自惚れたSOBである。大半が汚れきった口と男の普通の限界を超えた量を飲む、しかし、それらからは引き離された彼らの高潔な精神と兄弟の絆は、一般的に言って、私が接触した合衆国海兵隊員は最高のプロの兵士であり、素晴らしい男であり、私は会えることを喜んだ。
-名も無きカナダ人の言葉

 1971年に海兵隊は大使館警備部隊を残して撤退を完了。1975年に再び戻ってきた彼らはサイゴンからの脱出作戦フリークウィンドを実行し、ベトナムを離れました。

1950年-1960年代

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