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Quotation(海兵隊を語る言葉)

「一度海兵隊員となれば、永遠に海兵隊員である!」
”Once a Marine, always a Marine!”
-勤務40年の海兵隊員ポール・ウォイシュナー上級曹長の言葉。退役する海兵隊員との酒場での口論中、この表現を使ったとされる。

新たな伝統

 ヨーロッパの戦場の活躍で、名声を高めた海兵隊はバーネット司令官の思惑通り、その地位を盤石なものにしたかに思えました。バーネット少将には、1919年8月14日ウィルソン大統領から、

 「…私たちは、彼らの崇高な記録を熱く誇りに思う、そして、アメリカが大事に保持する大義が危なくなったとき、彼らが彼らの力でどれくらい圧倒的かについて見る世界を持ったことを喜ばしく思う」

 という言葉が贈られましたが、戦後は軍縮によってアメリカ軍も数を減らし、一時期は8万を有した海兵隊も、以前のように2万人にも満たない規模に戻りました。

  そして、恒例行事の海兵隊廃止の動きも。

 この時期、司令官に任ぜられたのはジョン・A・レジューン少将でした。このレジューン少将の下、海兵隊は新たな生存への道を模索するとともに、新たな伝統を築いていくことになります。

「軍の儀礼の細目の遵守は、規律に則った軍勢の特徴である」(1919年)

「貴君の部下ともに貴君の関係においては寛大でありなさい。お気に入りを作ってはならない。彼らを慈悲で鍛えられる正義が常に期待されることができるように感じさせなさい。これは緩むことの無い規律。命令と規則への服従は常に主張されなければならず、そして部下には良い実施法が強要される。特に海兵隊員が従事する外国の一般市民に対して、それはなされなければならない」(1920年)

 という書簡を全将校宛てに送り、

「将校と部下の関係は、上級者と下級者でも、支配者と従者であってもならない、むしろ教師と生徒のそれである。実際、特に部隊指揮官の将校は彼らの命令下にいる若者の規律と軍事教練と同様に身体的、精神、道徳的な福祉に対して責任を負うほどの父と息子の関係の自然の性質がなければならない」
-1929年の海兵隊教本

「我々全員が、同じように偉大な家族である…社交界の行事では、厳しく軍の儀式の形式は、ゆるめられなければならず、そして親しみやすさと親善の精神が勝らなければならない」

 と海兵隊員としてあるべき姿を示すともに、

「艦隊は基地無くして、軍事行動を行うことはできない」
-1920年3月13日、下院海軍活動委員会でのジョン・A・レジューン少将の発言

 と海兵隊の存在意義を示しました。

「海兵隊の将来の成功は2つの要因に依存する。一つ目、その将校と部下が与えられた職務を効果的に遂行する。二つ目、即座に政府の適当な当局者とアメリカ国民に、この有効性の注意を引くように至らせること」

 というレジューン少将の言葉は、後々、海兵隊の宣伝能力を高める指針でもありました。政界との繋がりの深いレジューン少将は、この時期の司令官としては最適の人物でしたが、任期の延長は認められず、惜しまれつつ退官。海兵隊の新たな道は後任の司令官たちに引き継がれていきます。

「どんな将校も、彼の軍曹によってやっていける。あなたがあなたのものを知っているために所有している軍曹である。私は、ただ他の将校より、むしろ目立つ軍曹だった」
-ダニエル・ダン・ダリー曹長

「君たち、彼らはいくつかの点でまるで他のどの少女のようでもある、なぜなら、彼らはそれらの上で海兵隊員の紋章で鏡を運んでいる。しかし、彼らは正規の海兵隊員である、彼らは彼らの容姿を非常に誇りに思い、彼ら自身のパウダーを運んでいる」
海兵隊予備役(F)レザーネック1919年。

「第1軍曹は、名義と同様、実際に部隊の第1軍曹でなければならない」
-1920年の海兵隊マニュアル

「そう。海兵隊員はジャングル地帯の下におり、そして彼らは戦争で男を殺し、そしてかなり多くの人々は何も知ることがなかった」
-アール・H・エリス少佐(1921年)

「…議会への特別教書では、大統領は生活、借款、対外投資を保護することことの名において、関与を広げた…彼は、彼がニカラグア軍に武器の販売を認可して、海兵隊員の上陸部隊を拡大すると発表した。大統領は、彼の行動をアメリカの干渉主義者を満足させた任期として正当化した。内政干渉は、”共産主義”の拡散するのを止めるのに必要だった…そして、外国の生活と経済利権を保護する。上院外交委員会の前の宣言にもかかわらず…まさに海兵隊員がニカラグアに出航したとき、内政干渉の議会の批判は衰えなかった」
-1927年1月19日、議会前のクーリッジ大統領の報告

「海兵隊員は上陸し、そして状況を上手く手中に収める」
-1935年のパナマ上陸後に従軍記者リチャード・ハーディング・デーヴィスが書いたことで知られるようになった言葉。原典は更に遡るものの不明

「10ドルの賞賛を与えずに、1ドルの非難を人に与えてはならない」
”Never give a man a dollar's worth of blame without a dimes' worth of praise.”
-1937年、リロイ・P・ハント大佐

第1次世界大戦

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