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Quotation(海兵隊を語る言葉)

「悪魔の犬ども!」"Teufelhunde!(地獄の猟犬)”"Devil dogs)
-ベローの森で回収されたドイツ軍の報告書に載っていたとされる言葉(実際には原典不明)

第1次世界大戦

 第1次世界大戦で、アメリカは当初ヨーロッパの問題として関与することを避けていましたが、ドイツの無差別攻撃などにより、最後の最後になってヨーロッパへと部隊を派遣することとなりました。このときに、最初の師団第1歩兵師団などは誕生し、ジョン・パーシング将軍を司令官にアメリカはヨーロッパへと軍を派遣しました。

 当時の海兵隊司令官ジョージ・バーネット准将は、これを機会に恒例行事のように廃止論と戦ってきた海兵隊の立場を盤石なものにしようと各方面で顰蹙を買いながらも運動を繰り広げ、どうにか一個連隊を派遣軍に加えることに成功します。

 しかし、陸軍側は、海兵隊に対し、陸軍の軍服を着ることを要求したり、当初所属していた第1歩兵師団から、第2歩兵師団へ配属を動かすなど、その心境を表すような待遇をしました。

 海兵隊員たちは、支給された陸軍の軍服から、ボタンをはぎ取って、海兵隊のボタンへと付け替え、闘志を燃やしました。

「最初に戦う」
"First to fight."
-A・S・マクレモーネ少佐による第1次世界大戦時の海兵隊のスローガン

「私は、世界で軍団(アメリカ海兵隊)のより洗練され、より扱いやすく、より手際が良くて、より順応性が高い組織体は無いと確信している…スピックとスパンには常に、国家は彼らに大きな負債を払わなければならず、瞬時に警告する準備が整っている」
-アメリカ人の小説家ウインストン・チャーチル(1917年)

 1917年11月10日、ジョン・J"ブラックジャック"パーシング将軍は、海兵隊司令官ジョージ・バーネット少将へ下記の書簡を送りました。
 *なお、11月10日が海兵隊誕生日となるのは5年後。

「君の海兵隊員たちが、およそ6ヶ月、私の指揮下にあったことで、私は陸軍とそれらの将軍の良き指導の彼らの兄弟とともに、彼らの素晴らしい評価について、君に際立った報告を与えることができると感じている」

 海兵隊の最初の実戦は、ドイツ軍に突破されつつあるベローの森でした。海兵隊が到着したとき、既にフランス軍は撤退を開始していました。フランス軍から、撤退するように言われた第2歩兵師団第5海兵連隊第2大隊長フレデリック・M"ドピー(ぼんやり)"ワイズ大佐は憤慨し、

「撤退だって畜生! 俺たちはたった今ここに着いたところだぞ!」
"Retreat Hell! We've Just got here!"

 と怒鳴り、海兵隊の伝説の言葉を生み出しました。この言葉自体は、後にベローで戦った海兵隊将校数人に起因するとされていますが、誰が、この言葉を叫んだにせよ、海兵隊はベローの森で攻撃を開始しました。

  ドイツ軍の攻撃に海兵隊の足が止まったとき、一人の軍曹が躍り出て怒鳴りました。

「着いてこい、貴様ら、ろくでなしどもは伝説になりたくないのか?」
"Come on you sons of bitches! Do you want to live forever?"

 その軍曹こそ、1900年、北京に籠城して戦い、素手で敵と渡り合ったことで名誉勲章を受け、ハイチで二つ目の名誉勲章を授与された英雄ダニエル・ダン・ダリー一等軍曹でした。そして、この言葉-live foreverは、後々まで引用されることになります。

 この戦いにおける海兵隊の恐ろしさについて、ドイツ陸軍の歴史部門エルンスト・オットー中佐は、

「彼らの火のような前進と、偉大な粘り強さは、彼らの敵によって十分認められた」

 と書き記しています。

 ベローの森で死闘を繰り広げ、奪還に成功した海兵隊はソイッソンの戦いでも、同様の死闘を繰り広げました。陸軍第2師団の記録では、1918年7月19日午前10時45分、

「私は、我が中隊の僅か2名と幾つかの他の中隊からはぐれた20名を持っている。我々は支援を必要としているが、我々は機銃掃射と、集中砲火が我々に浴びせられているとき、ここでそれを確保する試みはほとんど自殺行為である。私の左翼には誰もおらず、そして私の右翼には少数がいるにすぎない。私は、ここを確保する」

 と96中隊クリフトン・B・ケイツ少尉が報告したことが記されています。このケイツ少尉こそ、後にロイ・ナムール、サイパン・ティニアン、そして硫黄島で第4海兵師団を率い、第19代海兵隊司令官ともなる人物でした。

  こうした海兵隊の活躍はフランスを狂喜乱舞させ、海兵隊を疎んじていた陸軍からも、

「世界で最も致命的な武器は、海兵隊員と彼のライフルである!」
"The deadliest weapon in the world is a Marine and his rifle!"

「海兵隊員がそうすることができるように、なぜ、地獄で陸軍にそれができないのか。彼らは、男の本質であり続ける、なぜ、彼らは海兵隊員のようになれないのか?」
-ジョン・J"ブラックジャック"パーシング将軍

「どのように、これら海兵隊員の戦った勇敢さを語るべきか! 142高地の斜面、マレス農場、ボイス・デ・ベロー、そしてボーレッシュの村は彼らの血で染められ、そして、フランス人に対する彼らの前進の完全な流れにおいてドイツ兵から奪還するだけでなく、毎日毎日、毎晩毎晩反撃に対し、我が少年たちによって確保された。私は私の目に涙を浮かべなくして彼らの見事な勇敢さについて書くことはできない」
-ジェームズ・G・ハーボード陸軍少将著「Leaves from a War Diary」

「何人足りと海兵隊員が見事な方法で彼らの仕事を行うことに期待を裏切られたと断言することはできない」

「私は、経緯を感じる経験なしに合衆国海兵隊に再び会うことは決してできない」
-ジョンソン・ハグッド陸軍少将

 と称賛させますが、結局、これが海兵隊と陸軍の確執の始まりともなってしまいました。

「マルヌの戦いはドイツ兵にとって始まりと終わりだった-栄光に満ちたアメリカの海兵隊はマルヌの名とともに常にある」
-1918年、フランス総領事ガストン・リベール

「さて、俺たちは、ちょうどいい食い物を食べて、今、俺たちは幾つかの新しい制服を受け取るつもりで、俺は信じて彼らの何人かはしゃれている。まったくあらゆる制服を俺はこれまで見た。俺はそれらを自由に着られる機会が来るまで待つことができない。フォレストグリーンとパッチポケット」

「俺は、俺がどうあっても、海兵隊に俺が加わったときから、俺は見た物を逃さない」

「全ては俺が、取り戻すことができるのは、記憶と俺を信じる、それで十分だ。俺は、より早く帰宅し、そして落ち着いて、できる限り、このことを忘れることができる程度には俺はよく満足している。でも、一部を忘れることは不可能だ。俺はあまり理解していなかったが、俺は、確かに俺が再び見たいと望むより、多くのものを見た。民間人の服は、俺の人生の残りの間、十分、俺に相応しい」

「俺は俺たちが俺たちの連隊旗でクロワ・ラ・ゲール(原文ママ)に対する価値を決めたが、それがどれだけ真実かについては知らないと聞いた。とにかく、海兵隊員は彼らの役割を果たしている。俺はドイツ兵が、俺たちを、悪魔の犬ども、と呼ぶのを聞いたが、それは多分でたらめだろう」
-1917年6月22日から1918年7月18日まで第2師団第6連隊に所属したレナード・D・フィロ二等兵の言葉。

「彼らは麦わら色の髪を持つ北西部人…そして、彼らは東部地方の大学の刻印のある繊細な話し方をする男。太平洋沿岸の材木キャンプから来た大きな骨の人、そして背が高く、まだるっこい声で優しく、驚くほどの悪態をつく痩せた南部人。彼らはコーンベルトから来たがさつな農民、そしてネクタイとは反対に武器へ、いわば跳ねっ返りの若者たち。そして彼らは珍し物好きの傾向のある何人かの多様な人々と、鍛えられた肩と骨まで達する日焼けとともに、地球上のほぼ全ての寛大な嘲笑がありもした…
彼らはレザーネックであった…アメリカ正規軍の古強者、家と戦争で務めることを任務と考える。そして彼らは海兵旅団の集団を満たした高潔な志願者多数の気性と性質、そして視点を伝えた。
戦いに向かうために進む、殺人道具を背負った汗染みた男について些細なことが特に輝かしい。そして、まだ―そのような縦列は、28,000人以上の人間が師団に召集された多数を代表する。それらの男たちの後にある全てもまた、その縦列にある:長く忘れられた古い戦いで、我が祖国を守った…人の伝統が耐え、そして、連隊のように永遠を伝えることを達成した…そして、私は、その純粋な人は、決して戦闘兵士がいずれに触れるのを聞かなかった愛国心を呼び出した―接触の一歩手前まで、この種のもの全ては前方の領域に移り。そこで、戦争は戦慄の腹帯となる。そして、腹部の強烈な切望と恐怖の適切な刺激とともに、平凡な男はこれらの戦慄に耐えて、それらを克服する。そして、これこそが、私の考える栄光である」
-第1次世界大戦で海兵隊員として従軍したジョン・W・トーマソンJr.大尉著"Fix Bayonets"

「…人類に 海兵隊員によって作られる記録は、それを私は他の全てのアメリカ人と共有することをしよう」
-1918年10月17日、セオドア・ルーズベルト

「おお、永遠の父、我々は海兵隊の一員の加護と世話を委ねます。我らの国に対する防衛において、そして、国家間の正義の維持において彼らを導き、指示しされ給え。危機の時に彼らを保護され給え。汝、どこで彼らが従事しても、彼らが彼らの高い伝統に忠実でありえ、常に彼らが彼らの信頼を置くだろうことを認め給え。我らの主イエス・キリストを通じ。アーメン」
-元監督教会議長、そして第1次世界大戦の英雄、シェリル司教による海兵隊への祈り

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