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Quotation(海兵隊を語る言葉)

「紳士よ、立ちたまえ! 彼はサマルで戦った!」
-1902年にフィリピンに派遣されて生存した海兵隊員が会食やクラブに入った際に、常に与えられた指令

海外派遣

 南北戦争後、アメリカは徐々に活動の範囲を海外へと広げていきました。

 1883年、海兵隊は、新たなモットーとして、ラテン語で、「常なる忠誠」を意味する、

“Semper Fidelis”

 を採用し、そして、この言葉は、現在に至るまで受け継がれていくことになります。

「国家の賛美
我らは、これまで見られた中で最も素晴らしく
そして我らは合衆国海兵隊のタイトルで栄光を誇る」
Admiration of the Nation
We're the finest ever seen
And we glory in the title
Of United States Marines.
-初期の海兵隊賛歌で歌われた一番の歌詞の最後の一説

  この時期、海兵隊はウォール街の警備部隊と揶揄されるように各地で活動を行っていました。

「海兵隊は、いざとなれば前進と私が審査するためにあなたに任せた彼らの才能を良く実行する方法だった。ティルトン大尉と彼の海兵隊員にとって、行進し、前進を導く際に、砦に入り、そして前哨兵として行動するために海岸へ最初に上陸し、最後に立ち去ることは栄誉に属する」
1871年、旗艦コロラドのL・A・キンバリー中佐がジョン・ロジャーズ少将へ送った朝鮮に上陸した海兵隊大隊の報告

 1900年、義和団の乱によって北京に籠城することになった連合部隊は日本の柴五郎中佐を指揮官に必死の抵抗を行いました。包囲されたのが、在外公館であったこともあり、各国の主力は各国海兵隊及び海軍でした。

 この北京の55日の籠城戦は、海兵隊に33名の名誉勲章をもたらす戦いとなり、戦いの後、柴五郎中佐は報告書の中で、海兵隊の戦いぶりを賞賛し、アメリカ大使エドウィン・N・コンガーも、

「我々の海兵隊員たちによって、巨大な都市の防壁と主城門で我々に近いために守備側の最も困難で危険な部分は減少した…海兵隊員たちは、彼ら自身、気高く振る舞った」

 と讃えます。そして、最大の賛辞は、共に戦った日本軍の守田利遠中尉による次の言葉にあるでしょう。

「列国中もっとも強きは米国の兵なり。米兵の強さは蛮勇的な強さに非ずして、よくその義務を守るという一点において強し。これまさに文明国の兵というべし」

 しかし、こうした海外進出については、元々、海外に関わるのを是としない意見もあり、

「私は、自身の胸全体に巨大な海兵隊の紋章を入れ墨することを選んだ。それは幾度かの着座と私に猛烈な痛みを要求したが、完成した作品は痛み分の価値はあった。私は、喉から腰にかけて海兵隊を誇らしげに外へ示した。紋章は、まだ私とともにある。この世にいる限り、それを剥ぎ取ることも、除去することも無い」

 とアジアにいた中尉時代を回想する二度名誉勲章を授与されたスメドリー・D・バトラー少将は、1933年のスピーチでは、

「私は、少尉から、少将まで将校として任命された全てで従事した。そして、その期間の間、私はウォール街や銀行家のため、大きなビジネスのために、高級なマッスルマンでいることに私の時間の大半を費やした。詰まるところ、私は、資本主義のためのギャング、脅迫者であった」

 と皮肉りました。一方で1915年4月にC・ハンダートマーク二等兵は、"Recruiter's Bulletin,"で、下記のように述べています。

「信条と階級の人々、
あらゆる国と気候の
星条旗へ彼らの敬意を示せ
一つあるいは他の時に
時々、彼らは彼ら自身の間でトラブルを起こす、
そして、誰かが間に入らなければならない
そして派遣される最高の男は、
そう大統領は、
合衆国海兵隊と断言する」
The people of creed and class,
Of every country and clime
Have paid their respects to the Stars and Stripes
At one or another time;
At times they raise trouble among themselves,
And some one must intervene
Then the best man to send, so the President says
Is a United States Marine.

 ちょうど19世紀の終わりから、20世紀の初め、海兵隊には危機が訪れていました。時の戦争大好き人間セオドア・ルーズベルト大統領は海兵隊を廃止し、全隊員を陸軍へ編入し、海兵隊の受け持つ艦内や基地の警備は海軍が行うものとすると発表し、海軍で、かつて海兵隊廃止運動を掲げた00少佐が、今度は准将の立場からそれに賛同しました。
この騒ぎで海兵隊擁護に回ったのも海軍でした。皮肉なことに、この騒動は海兵隊の知名度を押し上げることとなり、やっと海兵隊が何を任務とするかが定められる切っ掛けともなりました。

「私は、我が祖国には海兵隊より高度に高能率な軍の組織体は存在しないと考えたいと思う。彼らの軍団精神は極めて高い。彼らは、彼らの専門職業意識に素晴らしい誇りを持っている。彼らは決して人を怠けさせることは無かった」
1916年、下院委員会でのC・M・ウィンズロー少将の言葉

 ウィンズロー少将の証言があろうと、海兵隊としては早急に、その立場を盤石にする必要性があるのは皆が感じていることでした。

南北戦争

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