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最近の出来事

2005/6/29 6/25の記事 架橋中隊は部隊を接続させ続ける
2005/6/22 6/17の記事 アル・アサドの衛生兵は107周年を祝う
2005/6/15 6/11の記事 I中隊は、敵の攻撃への反撃の基本を貫く
2005/6/8 6/6の記事 第2海兵師団は、地下の反乱者の隠れ家を発見する
2005/6/1 5/27の記事 民間業務は、医療機関までイラク人を運び医療援助を提供する
2005/5/25 5/18の記事 M1A1エイブラムスは、イラクの反乱者を包み込む
2005/5/18 5/9の記事 大隊の捜索の達人は捜索網で珍しい物を発見したと自己宣言した
2005/5/11 5/3の記事 ハーバードの卒業生は、イラクの街路に知識を与える
2005/5/4 4/27の記事 HOAで第26MEU迫撃砲チームは鋭くなる
2005/4/27 4/10の記事 イラク軍、祖国の未来のための訓練に対する海兵隊の仕事
2005/4/20 4/14の記事 ハイペースなライフスタイルを送る海兵隊
4/17の記事 第15MEU (SOC)のバグダッドの任務後の ESGへの帰還
2005/4/13 4/17の記事 イラクにおける地雷除去任務
2005/4/6 3/21の記事 コブラゴールド演習に向けた砲兵中隊訓練
2005/3/30 3/11の記事 女性海兵隊員祝賀会
2005/3/23 3/3の記事 キャンプ富士における滑走路修復演習
2005/3/16 3/12の記事 イラクにおける爆弾検知犬の話
2005/3/9 3/2の記事 ノルウェー:バトルグリフィン
2005/3/2 2/19の記事 硫黄島60周年式典
2005/2/23 2/12の記事 岩国におけるMALS-12の再教育
2005/2/16 2/6の記事 拍車作戦
2005/2/9 2/1の記事 イラク・バグダディ投票所
2005/2/2 1/31の記事 ドイツで実施されたFASTの訓練
2005/1/26 1/12の記事 アル・アンバーにおける捜索活動
2005/1/19 1/17の記事 スマトラ地震津波災害の救援活動
2005/1/12 1/5の記事 アル・アラマディにおけるサーチ&デストロイ
2005/1/5 12/31の記事 ファルージャ外縁部のパトロール任務
2005年下半期掲載分

2005/6/25の記事

20050625

ノースカロライナ州キャンプレジューン海兵隊基地(2005/6/25)

 M1A1エイブラムス主力戦車が浮くのを目撃するのは、特にそれが重量68トンを越えているために多くは何かとてもありえないことに思われる。

 第2部隊業務支援集団第8整備支援大隊架橋中隊は、不可能な可能性を作り、海兵隊の最も大きい機械の"モンスター"をあらゆる水域を横断させることができる。彼らのサービスは、全てのあらゆる部隊のリクエストに応じることである。

「我々は、合衆国海兵隊における唯一活動中の架橋中隊である」とジェリー・B・グリフィン軍曹(中隊艀指揮官)は言った。「あらゆる部隊が水域を横切る必要があるとき、我々はそこにいるだろう」

 この中隊には、部隊、装備そして車両を渡河させる多数の方法がある、とグリフィン(8アラバマ州アシュランド出身)は言った。

「理想的に私たちの(輸送する)戦車は戦う他に、我々の艀は二つの海兵隊水上船舶により、接続された多重ブリッジからなり、完全戦闘装備の15名を収容することができる」とグリフィンは言った。

 架橋中隊が同様に両岸を繋ぐ仮の浮き橋を組み立て、建設することもできる、とグリフィンは言った。

「私がイラクにいた約2年の間、そこで我々はチグリス(川)を横断する橋を造った」とグリフィンは言った。「今、民間と軍の交通のために(橋は)使われている」

2005062502

 架橋中隊の任務は、戦術的なだけではなく、同様に彼らは最も最近の顧客である第2海兵師団第2戦車大隊デルタ中隊のような部隊のために実用的なことの何が役立つかを証明する。

「今日、我々は艀で彼らの戦車を移動させることによって(第2戦車の)多くの時間と資金を節約した」とジャスティン・L・レスター上等兵(架橋中隊戦闘整備兵)は言った。「これは、彼らを全体の基地周辺に移動させる必要性から、彼らを守るために行う」

 信頼性を彼らが貢献する部隊に供給するために海兵の架橋中隊は試みている」とヒューストン出身者は説明した。

「彼ら部隊は、彼らが我々が、彼らの時間どおりに向かう必要がある場所までの移動手段を得るために頼ることが可能だと知る」とレスターは言った。

「他の理由で架橋中隊は特別で、全ての海兵隊員は実際に作業を行いながら訓練される」とグリフィンは言った。

「彼ら買い下手員は、艀について(戦闘工兵学校)学ばない」とグリフィンは言った。「これは彼らが中隊に配属されたとき、彼らに教えなければならないことである」

 中隊を出入りする新しい海兵隊員について、海兵隊員を訓練された状態に保つことは最高の重要性を持っている、とグリフィンは言った。

「このトレーニングは、双方の感触を得る良い方法である」とグリフィンは言った。「それは我々が我々の配置に付く前に、この新技術を海兵隊員に教えることを助ける」

 仕事の時間を、学びながら働くことは正常な合衆国海兵隊の標準と比べ、精力的で事案ル要に思われるかも知れないが、架橋中隊の海兵隊員は彼らの休息とは異なる何かをし始めることをまた楽しむ。

「単に水上に出ることは素晴らしい」とアルヴェルツ(カンザスシティ出身)は言った。「何度もそれを行ったせいで、それはもはや仕事のようでありもしない」

 架橋中隊が割り当てられる全ての任務は、トレーニングの別な日の一遍として、彼らがそのように行うことができるものとなる。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 60年前の沖縄の戦いでは、天候が荒れに荒れた上に日本軍によって橋が爆破されたために急遽、架橋する作業が必要となり、たまたま欧州戦線で架橋工事を行った将校がかり出されました。

 55年前の朝鮮戦争では、第1海兵師団が中国第9群集団12個師団という包囲網を突破する際に、最後の難関を越えるために架橋設備を空中投下するという前代未聞の作戦が実行され、第1海兵師団は、見事に脱出に成功しました。

 その時、当時の師団長オリバー・スミス少将が、

「撤退だと? 背後の敵に向かって前進しているだけだ!」

 というのはマスコミの誇張だったりしますが、海兵隊的には通常レベルのような気がしないでもないのはキャッチ22にて。

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2005/6/17の記事

20050617

イラク アル・アサド(2005/6/17)

 この日、水兵と海兵隊員は、ここでアメリカ海軍病院軍団の107周年を祝うために集まった。

 小さなセレモニーの間の第2海兵航空隊、海軍建設大隊24及び海軍予報医療部隊からの海軍衛生兵と同様に追憶、反映、そして祝賀のために全ての飛行大隊そして群からの海軍衛生兵と海兵隊員が集まった。

 海軍衛生兵と観衆の形成は、第2MAW 司令官ロバート・E・ミルスティード Jr.准将に話しかけ、アメリカ海兵隊と素晴らしく勇敢なドクの間の重要な絆について話した。

「何者も、彼ら海軍衛生兵以上に解隊による高い尊敬を得ることはできない」とミルスティード准将は語った。「どこであれ、あなたは海軍衛生兵を発見するし、特に戦時には、"義務の要求を越え、そしてより上の"という句をあなたは聞く」

 海兵隊が戦いに行くたびに、病院軍団の水兵は、彼らと一緒だった。硫黄島でさえも、ジョン"ドク"・ブラッドリー二等兵曹は、5人の海兵隊員が海兵隊の象徴になるであろう旗を立てるのを助けた。

 中佐の祈りの後、ランダル・ブラウン従軍司祭(第2MAW)及び指揮官によって、航空大隊からの海軍衛生兵が海軍病院軍団の偉大な歴史と、勇気のために国家の最高の章を受けた23人の水兵の内の3人三等兵曹R・E・ブッシュ、R・R・イングラムとW・M・キャロンの名誉勲章感状を読んだ。

「あなたは知らなければならない。あなたが行こうとしているところに達し、どこへいたかを」と一等兵曹トム・D・ボゲス(第26海兵航空戦術航空隊海軍衛生兵。オハイオ州ロレイン出身)は語った。「今日、私たちは私たちの前にいた人々を思い出すために休止する」

 1898年6月12日の会議によって編成された病院軍団の水兵は、船、潜水艦、国外地域と戦場に務める。彼らの仲間の海兵隊と海上生活を彼ら自身より上位において、彼らは私たち軍団の組織に織られる。

 一世紀以上の紛争と戦闘における海兵隊の側で役立ち、病院軍団の勇敢な男女は彼らの海兵隊員の最も深い尊敬と賞賛を得た。

「私たちは、私たちの前任が築き上げた物のために今日の知識と道具を持っている」と二等兵曹マシュー・T・ヴァースプア(第2海兵航空司令部航空大隊病院海軍衛生兵。ニューヨーク州デリー出身)は語った。「彼らは次に来る者のために全ての衛生兵の基礎を築いた」

 病院軍団の歴史と偉業を記憶した後、彼ら水兵は海軍衛生兵の誓いを繰り返した。

 挙げられた右手に関し、彼ら衛生兵は攻撃下の介護を提供し、そして彼らの畏敬の念を起こさせるを任務を私心無く行うことに彼らが専念することを再び誓った。

「…私は恩恵と神聖な信用であるために病気及び負傷した者の世話を行う…」と彼らは言った。「…私は、私の心、精神及び忍耐を私の職務に捧げる…」

 第2MAWの衛生兵のために、彼らの戦闘地域における保護を誓った海兵隊員とともに今年の創立記念日は特別な意味を持った。

「このイラクで祝うことは特に特別です」とヴァースプアは語った。「これは私たちが訓練を受けたものであり―このために私たちはここにいる」

 今日、彼らの英雄的行動と彼らの誓いの言葉と共に衛生兵は生き続ける。負傷した海兵隊員を戦場から救助するためのヘリコプターに、或いは敵を通りから掃討する海兵隊射撃チームとともにいるか否かにかかわらず、最愛の"Devil Dogs"の病院軍団は、「衛生兵来てくれ!」という呼び掛けに答え続ける。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 戦場で、最後の頼みの綱となる衛生兵。陸軍の衛生兵も仲間からは尊敬を集めますが、海兵隊とともにある海軍衛生兵に対する尊敬はそれ以上です。

 海兵隊は、自分たちの衛生兵を持たず、海軍に依存していますが、そのため、海軍衛生兵は海軍から海兵隊に派遣される時に、海兵隊の訓練も受けるからです。

 つまり、かつては徴兵された後で志願し、海兵隊の訓練を耐え抜いた者として、現在は二度の志願を行う者として。そして、自分たちの命を助けるために駆け付けてくる者として。

例によってケーキです。味についてはキャッチ22
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2005/6/11の記事

20050611

イラク キャンプ・デルタ(2005/6/11)

 第2小隊分隊長アダム・J・ミラー伍長は、地平線の上でピークに達した太陽の下、アル・カルマ近郊の砂と泥を通る定期巡回に彼の部下とイラク治安部隊兵士を導いた。

 例え、第8海兵連隊第3大隊I中隊の定期巡回があったとしても、あらゆる危険な行為は生じるだろう。ミネソタ州レイクヴィル出身の海兵隊員によれば、作戦中、油断せず、慎重な状態を維持し、そして彼らの任務を完遂するために基礎訓練中に学んだ技術に最大限依存しなければならない。

 ミラーの用いる技術は、それぞれ歩兵訓練所で彼らの軍事占領専門訓練を完了している間に海兵の歩兵が学ぶ技術である。テロリストと世界的な戦争で戦っている間にパトロールをするのと同様の作戦を行っているとき、海兵隊員は毎日優先的にこれらの技術を使う。

「あなたがそこをパトロールしているとき、それは正しい気分をあなた自身に維持させている」と2001年度のアップルバレー高校卒業生は説明した。

 パトロール中、海兵隊員は通常とは違うものを油断無く警戒する。細部に注意し、新兵訓練で学んだ基礎技術の一つを手助けに、反乱者が隠れ潜むことが可能な地域を確認する。

「私たちが外に出てパトロールしていた際、私は家の中か、地面に埋められたあらゆる武器貯蔵庫をチェックするために将来、そこへ戻るかもしれない」とミラーは説明する。

 どんな場所であろうと、ミラーと彼の海兵隊員は何が無いか、或いは場違いに見えるものが無いかを捜す。彼らが向かう幾つかの場所で彼らは大変な重大事は滅多に発見しないだろうが、しかし、彼らがある時大当たりを引き当てるかもしれない。

「広大な砂漠地帯で、多分、私たちが発見するものは少ないだろう。しかし、常に大きな武器貯蔵庫を発見するために誰かが私たちに切っ掛けを与えてくれるかもしれない僅かな可能性がある」とミラーは語った。

「敵が、私たちや現地の人が銃撃されることを阻止する可能性は、なぜ私たちが毎日基礎的なことをするかにかかっている」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 反乱分子や、テロリストの力を弱めるためには、基礎訓練で学んだ技術を発揮するのが重要だそうです。

 前回のような大規模な武器貯蔵施設の発見は、イラクの市民の通報の力もありました。だから、パトロールを続ける。

 それもありますが、写真を見て気づいたのですが、ミラー伍長がゴーグルのヘッドバンドを止めるために使っている金具が、正規の物ではなく、

 装備をベルトに固定するあのベルトキーパーです。MOLLY装備の採用で、次第に姿を消しつつありますが、こんな風に生き残っている……というより、正規のゴーグル止めを無くした? というのはキャッチ22かな?

 ちなみに日本では一個100円程度。

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2005/6/6の記事

20050608

イラク アル・ラマディ キャンプ・ブルーダイヤモンド(2005/6/6)

 第2海兵師団は、イラク安全部隊(ISF:Iraq Security Force)の支援により、おそらく今年アルアンバー省で発見された一連の反乱者の武器貯蔵庫の中で最大の物を発見した。

 最大の拠点はファルージャの北にある小さな都市カマフで発見された。長さ902フィート、幅558フィートの拠点は、放棄された採石場で発見され、ここで作戦が開始されて以来、地下の反乱者の隠れ家として使われる掩蔽壕関連で発見されたものの中では最大の一つだった。

「これらの発見は地域において進行中の対反乱者作戦の一つである」アンドリュー・D・ブランカ中佐(第2海兵師団作戦将校)によれば、「我々は、精力的な海兵、イラク治安部隊のパトロール、そして地域住民からの秘密情報によってこれらあちこちにある一連の貯蔵庫を発見している」とブランカは語った。「その情報は、3月と4月に30から40の報告が我々の秘密情報ラインを経てしばしばもたらされる。しかし、先月、我々は、120の告発できる秘密情報を数え上げ、それは(即製爆発物の)場所と貯蔵庫を明らかにした。

「貯蔵庫の発見は、これによりIEDの驚異を著しく減少させる意味深さがある」とブランによれば、「路傍の爆弾は、車道に接着剤で接合された厚紙の下でペットボトルによって隠されており、遠隔装置によって爆発させられる」

 設備を作り上げられた様々な部屋の中で、ISFと連合軍は四つの十分な家具付きのリビングスペース、生鮮食品の置かれた台所、二つのシャワー設備、そして稼働中のエアコンを発見した。他の掩蔽壕は、安全な避難場所としてのシリア国境まで西に広がる砂漠の広大な広がりを使うアラブ-スンニ派の抵抗組織によって使用されると思われる武器と弾薬に満ちていた。

「補給倉庫と思われる物は、他の貯蔵庫と同様に開けた砂漠の5マイルに及んで発見された」とブランカは語った。「海兵隊員とイラク人は、孤立したビルディングをカマウの都市近くをパトロール中に発見した。捜索中、彼らは冷蔵戸棚を動かし、そして一カ所で地下への入口を発見した」

 隠れ家の一カ所で、合同そしてISFは、数多くの迫撃砲、ロケットそして砲弾を含む軍需物資と多種類の機関銃を発見した。同じく、彼らは黒いユニフォーム、スキーマスク、暗視ゴーグルと充電された携帯電話を発見した。

 生鮮食品や充電された携帯電話は、何者かが最近そこにいたことを示した。

「我々には、どのくらいその掩蔽壕が使用中だったかは分からない」とブランカは語った。「しかし、我々は、地域をまだ捜索しており、そして我々が発見する全てに注記つけている。地域における貯蔵庫の数は上昇し続けている」

 地域における他の貯蔵庫の所在に関する貴重な情報をアメリカ及びイラク部隊に提供する抑留者からの情報を蓄えた。海兵隊は、制御した爆発によって全ての武器と軍需品を破壊し、情報により現在の敷地で功績を上げ続けている。

「連立側の忍耐とISF兵士は、同様に発見された貯蔵庫の数に大きな影響を及ぼしている」ブランカによれば、「この発見は、更にイラクをその市民のために更に安全で安定した場所にすることへの我々のゴールへ向かう正しいもう一つのステップである」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 先日、報道されたテロリストの大規模な基地が発見を海兵隊、早速、膨大な写真と共に報じていました。

 今回は、イラク人からの通報などによって発見に至ったそうで、イラクの方々もいい加減、テロリストが鬱陶しくてしょうがないようです。現実には、イラクの民間人が、武装勢力と自主的に銃撃戦を繰り広げたりもしているように、支持している方が珍しいのですが。

 それより、捕獲された武器に、またマニアな武器が混じっているのかな、というのはマニアの呟きとしてキャッチ22でお願いします。

 MP44とか……

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2005/5/27の記事

20050601

イラク キャンプデルタ(2005/5/27)

 そのサイレンは、道を降りた医療機関で止まり、そして迅速に第8海兵連隊第3大隊とともに仕事をする第5民間業務集団(CAG:Civil Affairs Group)の海兵隊員は、彼らの装備をつけ、そして夜に運び出した助けを必要とした市民の一人を運び出した。

 民間軍事作戦センター(CMOC:Civil Military Operations Center)の海兵隊員は、救急患者の生じたイラクの家で停止した地方の救急車の運転手に護送隊を提供した。

「私たちが助けを必要とした人々に救急車を送り、そしてエスコートすることによって安全を提供した海兵隊員の一人でした」とジョン・E・フレミング上等兵は語った(輸送車操作員そしてCAGで働くメリーランド州ソールズベリー出身者)。

 救急車の安全は、"明瞭な決定"作戦の一部で、作戦は、都市の至る所にある武器貯蔵庫と反乱者を根絶やしにする打撃と隔離で成り立っている。救急車の安全によって-誰が作戦中、医療機関へ搬送するか心配する-地方の市民は適切な方法で病院及び医療機関へ搬送されることが可能になった。

 サイレンの合図は、初期医療による将来へと向かう先触れでもあった。この作戦が続いたので、CAGの海兵隊員たちによって都市を抜けてエスコートを必要とする内科の患者は増加した。

 救急車のエスコートが広がったとの話で、更に多くの人々が治療を必要とする医療機関へ現れた。何人かは病院に搬送される必要があると地元の医者によって診察された。

「私は、我々が我々の仕事をする都市の外に出ているとき、安全を提供する海兵隊員の一人です」とパークサイド高校2003年度卒業生は語った。「予備役だったので、私はそれらがここの配置についたとき、CAGとともに行くことを志願しました」

 午前中、フレミングと集団の他の海兵隊員はエスコートを続けながら前進した。患者を持つ多数の家は、都市の至る所に散在し、そしてそれは彼らが必要とされた場所で患者を搬出するために朝の大部分を費やした。

 エスコートを完了した後に、海兵隊員は彼らがサッカーボールを贈った子供たちの集団の作ったCMOCへ戻った。海兵隊員は、CMOCが"明瞭な決定"作戦の間に行った他の業務に関する大人たちと話し合うために、その後街路を歩いた。

 第5CAG第2分遣隊チーム2指揮官マーク・フラー少佐は、彼の海兵隊員とともにCMOCの行う食糧配給サービス、問題処理そして医療扶助についての周知活動を行うために、閉鎖され、多少、人気の無い通りを歩いた。

 フラーと彼の海兵隊員が彼らのパトロールルートに沿って子供に遭遇したとき、彼らはおもちゃやサッカーボールを彼らに贈るだろう。

「サッカーボールやおもちゃを子供たちに贈るのは喜ばしいことです」とフレミングは語った。「私は、楽しみを持って外へ出て、そして私はアメリカ海兵隊員であり、そしてここで我々の仕事を行うことが大好きです」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 イラクのことなど微塵も考えていない連中のせいで、イラクのまっとうな市民は病院へ行くのも危険が伴う。そのため、アメリカ海兵隊は救急車の護衛任務を実施し、市民が安心して病院へ行けるようにし、また急患を搬送するための手はずも整える。

 粗野なイメージを抱かれるように偏向した報道をされる海兵隊ですが、アフガニスタンやイラクで、陸軍特殊部隊通称"グリーンベレー"が培った地元住民との信頼をぶち壊しまくっている空挺部隊とは違い、海兵隊は、昔から、こういう地域密着型の支援活動を得意としています。全く条件が違うのに、同一視されることが多いベトナムでも、海兵隊だけは地域住民の支援を優先させていましたが、手間がかかるとウェストモーランド大将によって方針を変えさせられたこともあります。

 連日、何人死んだ、という報道はされますが、こういう人道援助の報道はされません。自衛隊の活躍も、宿営地に砲弾が撃ち込まれたという話以外はほとんどなくなりました。一部のメディアがはしゃいで暴露しているのは、彼らにとっては人が死んでくれないと困るってことはキャッチ22?

 それとは別に。

 実はむきになっていません?

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2005/5/18の記事

20050525

イラク ハヂサ・ダム(2005/5/18)

 テロリズムに対する世界的な戦争が進展するため、アメリカ海兵隊は陸上兵器の脅威を与える一つとして……M1A1エイブラムス主力戦車を使用し続ける。

 この戦車は、畏敬の念を起こさせる火力を供給でき、最大で70トンの重さがあり、1990年代初頭中にアメリカ海兵隊に採用され、そして最初の地上攻撃に通常組み込まれる。

 反乱者が、我々がゆっくりと進行してくるのを見て、彼らは(即製の爆発物を)爆発させるかもしれない」とリチャード・J・レイトン一等軍曹(第25海兵連隊第3大隊の支援する第1戦車大隊第4戦車中隊所属の戦車長)は語った。「しかし、それはこういった大物には通じず、そして我々は単にそれを通過して進み続ける。それは奴らが、奴らの持つ最良の武器が我々に対して役に立たないことを思い知らせ、ある程度の反乱者に我々を攻撃することを思いとどまらせる」

 戦車に対して、奴らの重火器を使う機械は滅多に無いと同時に、戦車は緊急時にはあらゆる反乱者の迫撃砲やRPGの発射に対応する準備が整っている。

「我々は、120mm主砲、.50口径(重機関銃)、そしてM240 中機関銃を持っている」とオーバーブルック高校1994年卒業生は語った。「我々は、ただ、じっと腰を据えて待ち、そして誰かが我々の部隊に発砲するかどうかを選択するのを待つ。従って我々は致命的な正確さによって、その後対応できる」

 同様に戦車は、都市の地上部隊に安全を提供する。

「我々は、従って、彼ら歩兵が心配しなくてもパトロールできる環境と他の(車両爆弾)激しい攻撃を妨害するのを開始した」と31歳は語った。

 彼らの戦車もまたビルディングを容易に突破し、そして海兵隊員が入る必要のある待ちの区画を壁でふさいだ。

200505025

「多くの海兵隊員は、IEDの最初の爆発或いは都市の強固に防備を固められた地域に侵入するために我々がそこにいなかったならば、負傷するか、或いは殺されるだろう」とレイトンは語った。

 戦車は、過去の遺物と言われてきた。しかし、レイトンによればそれは完全に間違っている。

 何人かの人間によれば、戦車の必要性は終わっている。

「その言葉に対する私の答えは、"君は、飛行機が無くては空で勝つことはできず、そして、君は戦車なしでは地上で勝つことができない"である」と大きな微笑みを浮かべながら、レイトンは言った。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 地上兵器として、未だに最強兵器の地位を確保し続ける戦車。対戦車ミサイルの登場によって、中東戦争では戦車不要論が奔出しましたが、イスラエル軍の強者は対戦車ミサイルを機動力で回避(戦車砲弾すら避けた強者もいるらしい)。逆に対戦車ミサイルの限界を決定づけました。

 対戦車ヘリも、空を飛ぶ以上、常にそこにいられる訳もなく、また制空権が無ければ使えないなど、結局のところ、戦車の存在意義は変わっていないようです。

 しかし、戦車不要論を言う人って何十年前で時代が止まっているんでしょうか? 銃剣不要論も言われて久しく、その場合、「軍は保守的だから」と言っていますが、ブラックシーの戦いにおいて、レンジャー部隊の指揮官スティール大尉は、部下に銃剣を持たせなかったことを後悔しましたし、海兵隊では昔から6インチのナイフを支給(通称KA-BAR)をするなど、白兵戦を必ず考慮しています。

 結局、専門家の言い分なんて……というのはキャッチ22なんでしょうか?

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2005/5/9の記事

20050518

イラク アル・ラマディ(2005/5/9)

 第5海兵連隊第1大隊所属のテイラー・S・トロビリオン伍長と仲間の海兵隊員は、この町で彼らが発見したものに我が目を疑った。

 トロビリオンは、A中隊第2小隊第3分隊に属する12名の海兵隊員の一人として、彼らがテキサスのトラックナンバープレートをつけた奇妙な組み合わせの車両に遭遇したとき、彼らの小隊は区域の駐留哨戒を遂行中だった。

「私は、"ありえない"と思った」とトロビリオン(テキサス州Richardsonから来た第3分隊チームリーダー兼擲弾手)は語った。

「私が、それらを見たとき、私は我が目を疑った。それらは私のトラックについている私が持つプレートと同じように見えた」

 けれども、23歳のダッジラム1500ピックアップ2002年モデルの所有者が初めて車両見たのではなかった。アダム・C・デーグル伍長(第3分隊の勲章を持つチームリーダー兼ライフルマン)、

「ちょうど、我々がそこの正門を超えて入ったとき、私はそれを見た」とコネチカット州クロムウェルから来た20歳は思い出す。「私が最初に考えたのは、トロビリオンに示すことだった」

 第3分隊のトロビリオンの他に二人の海兵隊員がテキサス出身だった。リカルド・A・オレガ二等兵はヒューストンから来た21歳のライフルマン。そしてホセ・A・ゴンザレスはテキサス州レーク・ジャクソンから来た21歳のライフルマンである。

 彼らのプレートが、いかにローンスター州(※テキサス州の別名)からはるばるイラクまで来たのか、知りたいと思い、トロビリオンは、彼の配置の前に多少の言語授業を受けて、アラビア語をある程度話せる人に、彼がそれらをどこで取得したのかを乗り物の所有者に尋ねさせた。

「だが、彼はどこで彼がそれらを取得したかは私に教えてくれないだろう」と2000年プラノ東高校卒業生は言った。

 ビルディングの詳細な捜索を行い、そして安全だと思った後で、トロビリオンと彼の小隊軍曹フィデル・A・アルコセス軍曹(同様にテキサス州サンアントニオ出身者)は、彼らの任務を続ける前に故郷を僅かに思い出させるものとともに、彼らの写真をとって休止した。

 トロビリオンによれば、イラクの自由作戦を支援した彼らの展開が三月上旬に始まってから、それは第3分隊の最も奇妙な発見だったことに加えて、彼らは通常とは全く違った物を発見することを専門にしている。

「私たちの分隊は、発見する才能を知られている」と彼は誇らしげに語った。「私たちは、狙撃銃、幾つかのIED(improvised explosive devices:即席爆弾)、現金そしてその他の武器を発見した」

 彼と彼の仲間の第3分隊の海兵隊員は、隠された反乱者の物質を発見することのエキスパートであるとし、彼ら自身のためにイメージを作り上げた。かぎつけたことで反乱者が求める多数の隠匿された貯蔵物を露わにする、と彼は言った。

 彼の分隊による多くの発見は、トロビリオンの持つ技能で運ではない。

「それは詳細にわたって我々が注意している」と彼は言った。「我々は何度もそれを証明した」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 イラクの治安のために日夜努力を続ける海兵隊員。そんなとき、奇妙にも故郷のナンバープレートをつけた車と遭遇した。

 故郷を思い出しながら、遭遇したナンバープレートとともに写真に写る。

 何の役にもたたないくせに、のこのこイラクへ出掛けて捕まった三馬鹿たちと違い、彼ら海兵隊員は日々努力を続けています。

 で、その三馬鹿の映画ができたそうですが、パッシングされたのは何より連中が異常なまでの馬鹿だったからというのはキャッチ22ですか?

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2005/5/3の記事

20050511

イラク アル・アンバー(2005/5/3)

 国内の最も高名な大学の一つハーバードの学位は、彼らの選択した組織における仕事の報いに満足した誰かを獲得するだろう。

 ニューメキシコ州サンタフェ出身の25歳の一人の属する組織はアメリカ海兵隊であった。

 ルーベン・マリーンロリーナ上等兵は、彼に最善を尽くすために、彼の先生は日常生活で彼に挑戦したイリノイ州エバーグリーンパークの高校に通っていた。

「私には高校において、夢は手の届く場所にあることを私に示すことによって学校を本当に挑戦的にしたゲストファーソン氏とロンゴ氏という先生がいた。それを私が望めば、私はほとんど何でもしたでしょう」とエバーグリーン私立高校1998年卒業生は語った。

 そして彼が求めたものは、ハーバード大学の高名なアイビーリーグ校に入学することだった。

「私が決してそのような学校へ入るために成績を上げることはできないだろうと考えていた。私は、それが労働者階級近隣からの貧しい子供のためではなく、特権階級を与えられた裕福な者のためにあると思っていた」と言ってマリーンロリーナは笑った。「私は間違っていた」

 彼がハーバードの第1学年に入学した後、彼は誰かのために更に何かすることを決めた。彼は、祖国のために何かする強い必要性を感じた。

「私はただ税金を支払うより、祖国のために更にすることを望んだ」とマリーンロリーナは語った。「私は海兵隊員であることを望んだ。それは以前から私に与えられた名前にある職業だった。私は、彼らが海兵隊に予備兵を持つと思っていなかったが、彼らはそれを私のために行った」

 マリーンロリーナは、大学の学位を取ると、彼は新兵訓練所へ行き、直後に歩兵の養成所に入学した。

「私のためにそれを速く行った。ある日、私はSOIを卒業し、そしてその翌日、私は再び大学の講義にいた」とマリーンロリーナは語った。「現実世界へその環境(新兵訓練)から帰ることは大きな変革だった」

 彼が学校へ戻ったとき、特に伝統的な自由な大学で彼は異なって見られると予想していた。

「私が戻ったとき、私は驚いた。人々は、私のところへ来て、そして私が彼らの国を支持する一人であることに対して感謝した」とマリーンロリーナは語った。「私が教練に行かなければならなかったとき、私の教授はとても理解してくれた」と彼は加えた。

 マリーンロリーナによれば、その集団は海兵隊員であるという彼の決定を非常に支えてくれた。

「私が初めて配置に着いたとき、人々は、私の家の外に現れ、そして私のために声援をくれた。それは大変な、そして非常に謙虚だった」

 学校と海兵隊双方の持つ彼の支援網によって、彼は政府における学士号と国際関係における規律によって2004年に卒業することが可能になった。彼の知識はイラクの街路で有益な材料である。

「それは実際に更に良く地方の人々を理解するのを助ける」と彼は説明した。「私は我々がパトロールで外出する前にできる限り多くの表現と観衆を学ぼうとする」

 彼が文化が非常に重要であることを認識する別の理由は、彼がアメリカで生まれた彼の家族の第一世代だからである。

「私の父は、メキシコから。そして母はコロンビアから来ました。良心は私が産まれる前に両親の出会ったアメリカに移住した」とマリーンロリーナは語った。「軍の部門に属したのは私の家族において、私が最初であったので両親は私のために非常に怯えた。しかし、私はそれが祖国が私を送る場所へ行く、私の義務であるということを知っている」

 マリーンロリーナがアイビーリーグ教育を受けるとしても、彼が言うには、それは実際一つが成功することを可能にするあなたの個人的な励みと支援網である。

「それは実際に問題とはならず、あなたの背景と、それは実際あなたの心によって変わる」と彼は加えた。「私は、私が、私の家族、友人そして愛する者がいなかったら全てのことを夢見ることができなかったであろうと言うことを知っている。なぜなら、結局、あなたが誰であるか、或いはあなたがどこへ行くかが問題となるからだ。だから、(家族の)支援に関して、あなたは何でもすることができる」。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 ハーバードを卒業した後、自分の名前にマリーンが入っていたために海兵隊に入隊したマリーンロリーナ上等兵。両親は移民ですが、それでも、彼はアメリカで生まれた若者として志願し、そしてイラクへ派遣され、そこで彼の知識を有効に生かしています。

 アメリカでは、ベトナム帰還兵の迫害の経験から、今では帰還兵たちに対する迫害だけはするまいと心がけているそうです。兵士には人権が無いとばかりに、家族すら迫害する馬鹿教師がいたりするどこかの国とは違います。

 自衛隊の撤退を叫ぶ連中は、普段は自衛隊員を迫害するくせに、自分たちのイデオロギーのためには厚顔無恥にも利用しようとする。その手の羞恥心の無い連中の態度は、キャッチ22などですましてはいけない話でしょう。

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2005/4/27の記事

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USSキアサージュ(2005/4/27)

 4月26日の真昼の太陽の暑い最中に、第26海兵遠征隊(特殊作戦能力有)の81mm迫撃砲小隊所属の海兵たちは、アフリカにいる間中、上級共同火器支援砲撃訓練のジブティの後ドリア射撃場で、小隊の8門の迫撃砲システムの内、4門を撃った。

 第8海兵連隊第2大隊大隊上陸チーム武器中隊に属する四つの砲チームは、近接航空支援及び精密機器狙撃射撃と連携した様々なターゲットへ130発を十二分に発砲した。

 この演習は、MEUがアフリカ地域担当の共同統合任務部隊がホーン岬を通過する間に幾つかの特別な能力を磨くための機会だった。

 迫撃砲拠点における海兵隊は、狙撃兵及び航空機を含めて射撃を調整している間に迫撃砲弾を発射した。彼らのこの調整を支援するのは前線観測員であった。

 これらの海兵隊員たちは、砲弾の威力を見るために有利な地点となる稜線の高い位置に配置された。彼ら観測者は目標の座標を砲チームに伝え、そして、彼らと他の火力支援資産間の調整を援助した。

 一端、彼ら観測者が座標を計算したならば、彼らは火力指揮センターを経て、その情報砲撃部隊へ渡した。この情報に基づいて、FDCは目標に砲弾を送るために使用する砲弾のタイプ、装薬量、そして偏差及び高度を決定した。

 FDCが、司令を砲撃舞台に中継したので、観測者の地点近くからの狙撃手の射撃は聞こえるだろう。ほとんどの彼らの狙撃兵が射撃を中止した直後に、迫撃砲チームは彼らの砲弾で目標をかき立てた。時計仕掛けのように、81mm迫撃砲の衝撃は、ヘリコプターとジェット機を含むMEU航空機からの近接航空支援を従えていた。

 アフリカの訓練が完了し、その小隊は彼らの砲身を包んで、テロリズムに対する世界的規模の戦争を支援を続けるため、第26MEU(SOC)配置によって、水陸両用強襲艦USSキアサージュに戻った。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 アフリカで、訓練を続ける迫撃砲チーム。単独の弾幕ではなく航空攻撃と強調した砲撃となると綿密な訓練が必要になるという訳です。

 実は、別な記事に手をつけていたのを断念して、こちらにしたのはキャッチ22。

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2005/4/17の記事

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イラクファルージャ(2005/4/10)

 10年前まで、少数のイラク人しか病んだ祖国が民主国家として花開くとは思いもしなかっただろう。

 およそ2年後に連立内閣は、第一歩を踏み出した。この国は安全で、市民の全てが安全に生活できる場所へと前進し続けている。

 しかし、この努力が達成されるには連立内閣の兵士たちの存在が不可欠である。それどころか、恒久的平和は国家自身の治安部隊の努力と、その一般市民におけるイラクの人々、個々の勇気によって成し遂げられる。

 イラクの息子たちは、シャヒード・ヒーダー・ラヒームのように、彼らの命を危険にさらしながら、都市の検問所に毎日要員を配置し、海兵隊と並んで街路をパトロールする。

 彼らが任務を果たすために、ラヒーム軍曹、彼の将校たちそして同僚の下士官たちは軍隊の新兵を養成する。彼ら新入生はイラク軍の将来である。海兵隊第6海兵連隊第1大隊に支援されるイラク軍第2旅団第1大隊及び第2大隊は、"ライオン"訓練と知られる12日に及ぶ訓練計画を開始するために、4月10日に連合部隊を結成した。このプログラムは、イラク軍下士官と将校の仕事を、海兵隊の監督かで新兵訓練項目を教え、AK47突撃銃射撃術、戦闘における応急処置そして基礎的な地図とコンパスの読み方を高めた。

 ケネス・R・シルバース二級准尉(第6海兵連隊第1大隊機関銃手)によれば、カリキュラムの射撃術については、いかに多様な射撃地点から正確に撃つかをイラク軍兵士に教える。

 シルバースは、破壊的な力の使用ができない状況において、イラクの兵士が、むしろ脅威を殺して無効にするための射撃をどうすればよいのか知っていなければならないと説明した。同様に正確な射撃が見物人の死傷者と二次的損害を防止するのに役立つ、と彼は付け加えた。

「我々は、以前にも同様の訓練を行ったが、この新しい訓練の主眼は更に良くなっている」とイラク軍指揮官の一人であるワリヒド・カイリッド少佐は表明した。「それは更に兵士と目標までの距離に焦点を合わせる。我々が実際に前に行わなかった良いことだ」

 カイリッドは、いかに彼の兵士たちが正確な射撃を彼らの照準に合わせることを学ぶかを参照した。

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 ラヒームは、彼の兵士たちが学んでいる中で、特に射撃術と歩兵哨戒戦術は価値のあるレッスンだ、と付け加えた。

「海兵隊は、ハンドシグナル、(パトロール中の)隊形及び射撃術に関する多くを教えることを助けた」と彼は続けた。「彼らのレッスンは、非常に的確で、彼らの手助けが無くては我々は全てを教えることができないだろう」

 彼は言った。これらの技術は、彼の兵士たちにとって有益だろう、と。「彼らと同様に、都市の通りを抜けて歩き、テロリストの潜む家へ入っていく」

 ラヒームは、いかに部屋を掃討するかを教え、狭い空間内でチームとして動く海兵隊室内近接戦闘術(Close Quarter Battle:CQB)に関する彼の兵士たちの新しい知識を参照した。

 更に、応急手当、ランドナビゲーションや軍のしきたりを研究し、兵士たちは教室の中と観覧席で何時間もの研究時間を費やした。

 彼らは、反乱者と戦っている間に、彼らが受けるだろう銃創や榴散弾による負傷を止血帯による基本的な応急手当処置を施すことによって、いかに大量出血を止めるかのような技術を学ぶ。

「海兵隊とイラク軍指揮官の助けによって、我々は同様に有益な学習参考書を得ることができた」とラヒームは言った。

 兵士として彼らの概念の精通を示すために、教練と職務評価を使い果たすために教室教育は実地と一緒に行う。

 これらのテストに首尾良く合格した後、彼ら兵士たちは新兵訓練から卒業する。彼らは同胞の安全と安定を守るためにファルージャにおける異なる歩兵中隊へ配属される。

 ラヒームは言った。それは彼の兵士たちができる限り、迅速にそれらの全教科課程コースを学ぶことは避けられない、と。

「この訓練の後、彼ら(新兵)は、ファルージャの街路に入らなければならない」とラヒームは表明した。「彼らは、今、現在(教材を)できるようにならなければならない。その結果、彼らはお互いによって変わり、そしてそれぞれを見ることができるように他者を支えることができる」

 当分は、生徒も教官のいずれも彼らのアメリカ人戦友と共に働き、そして卒業を期待することを楽しんでいる。

「我々は、我々の感謝の意を友好的なアメリカの兵士たちに表す」とラヒームは語った。「我々は、彼らを兄弟と考える」

「アメリカ人の能力は非常に高く、そして彼らは大きな利益を我々に与えるその能力を我々に教えている」とアマル・アアマン・アブドール・シュミル(兵士)は語った。「我々全員が、街路をパトロールし、訓練が成功することを期待している。私はテロリストからイラクを守ることを非常に嬉しく思う」

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Marine Corps News(U.S.M.C)

 選挙も無事に終わり、残る課題は国内の治安維持。アメリカ海兵隊は、イラク軍が独り立ちできるように、そのノウハウを伝え、イラク軍兵士たちも、海兵隊を教官とし、祖国のために訓練を積む。

 イラクでは、アメリカとの信頼関係が次第に強固になっていき、テロリストとの関係は悪化しているようですが、その辺はあってはならないことなのか報道されることはほとんどありません。イラクの人々も、テロリストが、イラク人ではなく外国人が大半で、テロリストがイラクをどうしようか分からないヘイワ念仏教信者ほど馬鹿ではありませんし。

「我々は彼らを兄弟と考える」と語ったラヒーム軍曹の意見など、一部の人間にはキャッチ22と。

 しかし、世界でも定評のある海兵隊式の訓練を受けるイラク軍。イラク軍兵士の本気度はかなりでしょう。

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2005/4/17の記事

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USSボノムリチャード(2005/4/17)

 第15海兵遠征隊(Marine Expeditionary Unit:特殊作戦能力)は、反乱分子の作戦を崩壊させるため、イラクの南バグダットで一ヶ月間の活動的警護及び治安活動を行った後、第5遠征攻撃集団の船に戻った。

 MEUがクウェートのウダイリ山地で一ヶ月の継続訓練を完了した後にバグダッドでの任務が始まった。

 ロバート・サラスコ少佐(37歳、副参謀。ニュージャージー州プリンストン出身)によれば、

「ウダイリで我々は連合部隊の連携を得るために直接射撃火器全てを我々の空、大砲、迫撃砲と共にもたらすことが可能となった」

 サラスコによれば、クウェートにいる間に、MEUはイラクで戦闘行動を行うために必要とされる特定の訓練を強化した。

「(ウダイリ山地の)トレーニングは、我々に小規模レベルの部隊へ焦点を合わせる絶好の機会を与えた。ACEは、彼らの資格を多くの男に与えることができた。BLTは、彼らの分隊長と班長に、あるレベルの専門技術、技量そして信頼を北へ行く前に与えた」

 一端、訓練を完了した後、MEUはファルコン作戦前線基地へ移動する計画を立てるために一週間を費やした。

 それは僅か六日間で2,000名の海兵隊を運ぶために牽引車両、コンボイそして戦略輸送機の合同を要した。

「通常部隊は、この(行動型を)計画するために一ヶ月を要する。なぜなら、それは大層な物だからだ。我々は全ての部隊が受け持つ集結地点への移動そして合流について論じている。我々には、MEU(SOC)によって標準的な割り当てが7日間あった。しかし、ほとんどの部隊はここに来るまでに一年の計画を要している」とサラスコは言った。

 MEUの航空戦闘部隊第165海兵隊中型ヘリコプター航空隊(増強)は、バクダッドの西に設置されたアルタクァッダム航空基地及びアルアサド飛行場双方から作戦を指揮した。

 理にかなったFOBからの短い飛行であることは、大隊が多数のMEUによる近接航空支援または近接航空支援作戦を支援することを可能にした。

「第15MEUに与えられた任務は、「バクダッドで行われている警備及び治安任務を増強し、拡張する物だった」とサラスコは言った。彼らはMEUが到着する以前、約6週間の間監視されていなかったために反乱分子の活動が増加した地域で、これらの作戦を行った。

 MEUの作戦地域は、要請された数分以内に接触した敵部隊にヘリコプターと砲撃を送ることが可能であり、迅速な再補給任務を考慮したファルコン作戦前線基地から数キロメートル及び大半が田舎の農地の350平方キロメートルである。

 しばらくしてMEUは陸軍第3歩兵師団の一部である第256旅団戦闘部隊(Brigade Combat Team)の指揮下に入り、第256BCTは彼らが割り当てら得たAOで、MEUに案内と指導を行った。

 戦いに飛び込む前に、各要所の指揮官は、第256BCTの陸軍兵士と共に武装ハンビーで地形を学び、そしてAOにおける地形の大多数で反乱分子の活動が活発であることを確認した。

 反乱分子の使う最も一般的な設置された即製爆弾は、SASO作戦を指揮する支援要員の安全を脅し続ける。海兵隊及び陸軍兵士は、小火器、ロケットそして迫撃砲によって頻繁に攻撃を受けた。

「我々は、敵を分析し、そして我々が見たのは、彼らの重点がIED能力であったことだった。それが彼らがそれら全ての成功を研ぎ澄ましている」とサラスコは言った。しかし、彼らの問題は、彼らが爆弾を爆発させるために、そこにいなければならないことだった。

 IEDの脅威と戦うために、1/1大隊上陸部隊A中隊、B中隊そしてC中隊からなる海兵隊は、田舎の農村地帯と近隣の主要道路を徒歩によるパトロールに案内するため、それぞれ10日間、フィールドに行った。

 パトロール中に、彼らは爆発物、爆破されていない軍需品そしてIEDを作るために使われかねない品物全てを探すために車両のチェックポイントと家宅捜査を行った。

 3中隊の各自は、異なる輛の爆発部を発見し、そしてアイテムを破壊する爆発物処理技術者にそれらの発見を報告した。前線中隊に加えて、BLT1/1武器中隊は、反乱分子の活動を崩壊させ、尋問のために留置する特定の目標へ多様な直接的行動強襲を導くための偵察小隊と協力した機動突撃小隊を形成した。

 AOにおける第15MEUの活動は、「反乱分子の有効性を完全に減少させ、また彼らの努力によってその土地における反乱分子の作戦を完全に崩壊させる」と彼は加えた。

 サラスコによれば、MEUが他の部隊ほどバクダッドにいなかったとき、彼らは明確に影響を与えた。巡回されなかった地域に移動した反乱分子は第15MEUの攻撃的な活動によって迅速に取り除かれた。

「この地域は、敵のために"常連の土地"として明確に存在していた」とサラスコは言った。「我々が、軍事作戦の明確な目的を持って入って来て……我々は海兵隊によって、この地域が支配されたことを提示した」

 4月中旬に、MEUはバグダッドから彼らの部隊を撤収し、そしてMEUの全てが戦ったと思われる地域を第3装甲騎兵連隊に移管した。

 これは第15MEUによるイラクへの二度目の戦闘任務だった(最初に、この国を彼らが訪れた二年後)。2003年3月に第15MEUはウムクァスの港湾施設を保有するイラクへの最初の攻撃と、アンナシリヤの都市を確保する後続部隊に随行した。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 治安維持活動を終えて帰還する海兵隊。MEU単位で海兵隊は部隊を交代させながら、治安活動を維持しています。

 これらの活動が功を奏したのか、マスコミが飽きたのか、最近、爆弾テロ騒ぎの報道もずいぶん減りました。一部ではイラク人による外国人テロリスト狩りも行われているそうです。

 一部の人間にはキャッチ22なんでしょうが。

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2005/4/14の記事

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ノースカロライナ州チェリーポイント海兵隊航空基地(2005/4/14)

 ハイペースなライフスタイルを送る海兵隊

 彼らの必要な栄養は平均的な人より高い。従って彼らは彼らが生活するために必要とされる栄養を健全なバランスで維持するために彼らの食習慣を監視される必要がある。

 時折、海兵隊員は僅かな果物か適切な朝食を摂る時間がないかもしれない。従って彼らは自分たちの空腹を満たすために最も簡単な手段として不健康なファーストフード店を選択する。

「ファーストフードレストランは、味とコストの両方を追求しているためにそれらのメニューはますます(健全でない方へ)偏って来ている」とマイケル・エドワード(チェリーポイント海軍病院健康管理医)は言った。「安価な製品を作成することに焦点が当てられ、完全に消費者をうんざりさせるくらいに健康を無視している」

 エドワードは、海兵隊員に毎日の栄養摂取の程度を毎日教えている。彼は彼ら海兵隊員から絶えず適切な食事を摂る十分な時間がないということを聞かされる。

「何人かはダイエットに適した食事の作り方を知らない」とエドワードは言った。「非常に少ない割合では適切に食べているが、良い材料と栄養価の高い食事を優先的に与えるために彼らの金を蓄える必要がある」

 エドワードは言うには、彼の見方では、適切な食事を摂る際の特別な処置を執るための動機付けを欠くのは彼らがそのように行うことを妨げている。

「だからといって、彼らがどのような食事をすればよいのか知らないわけではない」とエドワードは言った。「彼らは適切な食事を単に拒絶し、適切な栄養プログラムに従うことに十分意欲的でない」

 余分な体重を減らす「急速減量薬」や特効薬が最近出てきている。海兵隊にとって目下のところ容易なのは正しいことをし、適切に食べることである。

「企業は迅速な答えをだすために想像の薬を常に押している」とエドワードは言った。「私は彼らに細かい用法を読むように指示する。適切な減量食と運動は極めて重要である」

 最近の研究会では、人々は味と価格を優先して食べている。「それは便利である」とレビコウ・レイフィールド(チェリーポイント海軍病院の栄養士)は言った。「彼らは、人々の食事の好みを引き出し、雰囲気と迅速なサービスによって彼らを魅了する」

 ファーストフードには、進退問題と病気に直接的な関連がある。「生活と食習慣を変えることは難しい」とレイフィールドは言った。

 彼女は、人々に子供がいるならば、彼らはテーブルに置かれる物に注意を払う必要があると勧める。幼少期の子供の体に良くない食べ物を与えることは早期に著しい健康問題となるだろう。

「海兵隊員はバランスのとれたダイエット食を食べる必要がある」とレイフィールドは言った。「あなたが健康的なライフスタイルを送ることを望むのならばバランス的に優れた食物群を推薦する」

 年齢、身長及び体重のような幾つかの要素は、個人が何を適切に食べる必要があるかを決定する。成人のための平均カロリーは約2,000である。

 一日当たり、約60グラム以下の脂肪は推奨される。炭水化物、白いパン、米及び穀物そして最も重要なことは健康的なライフスタイルに果物は避けられない。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 記事を書いた人もインタビューを受けた人も、「ファーストフード店嫌い」ですね。

 要するに健康管理のために食事に気を遣っています、という記事ですが、昨年、自分も20キロほど体重を減らしましたもので、そう他人事には感じない話だったり。

 ところで、仕事で以前、健康管理関係のことやっていたんですが、その関係で栄養士の講師を呼んで講演をやりました。栄養士の方、要するに、

「ふざけるな。みのOOO、あるあるOOO」

 といった感じでした。テレビ的には、

「バランス良く食事を摂るのが一番です」

 では、キャッチ22なのでしょうが、栄養士の方は困っているそうです。極端すぎて。

 実際、効果を示すには、本当に極端な接種しないとならないというのもキャッチ22で。

 割と捨てがたい記事だったので、今回、二本立て。

 ちなみに写真のドーナツの塔。多分、食べている分も含めて3,000キロカロリーくらいです……憧れますね。

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2005/4/8の記事

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イラク アル・アサド(2005/4/8)

 即製爆弾と地雷の二つは、反乱者がイラク駐留アメリカ軍及びイラク軍に対して好んで使う武器である。

 これらの武器の一つは海兵隊の第2部隊業務支援集団 (Forward) 戦闘後方支援大隊2と共に動く第8工兵支援大隊によって増強された第6工兵支援大隊A中隊によって着実に武装を解かれつつある。

 中隊の工兵チームは検知を専門にしており、CLB-2の作戦地域を経て一般的に使用される幹線道路に沿った地雷の発見及び破壊を担当している。

 これらのチームは、部隊を保護する一部としてアル・アサドからの輸送部隊CLB-2の派遣ごとに同行し、イラクの自由作戦によってイラクの安定をもたらし続ける。

「地雷や即席爆弾は設置に僅かな人出と技術もしくは度胸を必要とする」とスタントン・C・リー中尉(小隊長)は語った。

「もし十分早い時期に地雷が発見できれば、我々の工兵チームは何を行うべきか決定するための訓練され、装備される」ロサンゼルス出身の警察官として勤務していた召集された予備役兵は言った。「彼らはそれら(爆発物)を適当な場所で破壊する」

 これらの任務を遂行するために、特別に養成され、装備した海兵隊は護送中に発見されたあらゆる地雷を破壊し、そして護送指揮官の指示で地雷を探索する。

 陸海軍携行探知システム14(Army Navy Portable Search System 14)―地面浸透レーダー―や、反乱者が設置した地雷を探知するための特別なチタン製のロッドを使って、これらの海兵隊は地雷探知のエキスパートになるための訓練を行う。

「もしあなたが最初のスタートをしたときには、多くの練習を要する」とネーサン・ワインガードナー伍長(ワシントン州バンクーバー出身)は言った「しかし、しばらくすればあなたは、それに本当に熟達した状態になる」

 が幾つかの作業に関してANPSS14上の地面解析レーダーは地中に埋められた金属物質の形状を海兵隊が特定することを可能にする。

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 もし海兵隊が、金属探知機によって発見した物質が地雷であると判断した場合は、注意深くブローブを使って地雷のおおいを外し、第2の地雷の存在を同様に確認し、一帯を片付ける。一度、おおいを取り除くと彼らは脅威を無力化するために慎重にC4爆薬パックを地雷のある場所に載せる。

 爆発物処理班を必要とせずに地雷を爆発させる工兵チームの有する能力は、爆発物処理班が現場に到着するまでの時間を省くことによって彼らの護送行程を短縮させる。

「もし我々が、爆発物処理班を呼ぶとなると、何時間も待たなければならなくなる」とリック・P・ノーブル(工兵チームリーダー)は言った。

「爆発物処理班は、素晴らしい仕事をするが、彼らは非常に忙しい」とオレゴン州立大学舞台美術専攻学生の予備役海兵隊は言った。「彼らがそこで海兵隊と連絡を取るまでの時間だけ遅れてしまう」

 チームメンバーで、ロウアーコロンビア大学の生徒でもあるドレーパー・ワシントン上等兵は、一帯の除去を行っている間にいつものようにチームのM240Gマシンガンに要員を配置し、それ自身の安全をチームに提供する。必要とあれば、彼は同様に破壊作業を助ける準備が整っている。

 ワシントン州ロングビュー出身でイラクにおける任務で息子の誕生予定を逃した彼は言った。「我々がちょうど護送によって、そこにおらず、そして彼らが我々を必要とした何かに遭遇したとき、それはそれだけ更に多くの危険を任務に与える」

「もし地雷が発見されても、破壊されなければ、その護送隊はあちこちへ動き回って彼らの任務を続けるだろう。しかし、その地雷は、将来の護送隊にとって脅威であり続ける」

「地雷を除去することは護送隊の命を救う」とアンドリュー・ウォーラム一等兵(オレゴン州スプリングフィールド出身)は言った。「それは、この地域の民間人の命を同様に救うでしょう」

「地雷は極端な脅威だった。私たちは海兵隊員を失った」とノーブルは言った。

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 それらのチームは、その脅威を緩和し、そして更に多くの命を救うために望まれた全ての護送隊に同行し続ける。

「私たちは、これまでいくつもの地雷を破壊した」とリーは言った。「その結果、私たちは軍人と民間人多数の命を救ったのかもしれない」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 地雷というのは、進軍を妨げるために最も効果的な兵器です。あの有名なドイツのロンメル元帥は北アフリカにおいて悪魔の花園という地雷原を築き、ドイツ工兵部隊の芸術を発揮させました。イギリス軍は砲撃で吹っ飛ばしたので意味があったのかは分かりませんが、ロンメル元帥が、地雷マニアだったのはともかく、世界で最も地雷を生産し、最も使用されているのが中国で、地雷除去実績が最も高いのがアメリカ軍なんですが、その辺を触れると都合が悪いと思っている連中が多々いるようです。

 地雷に関して、アメリカ軍がなぜか非難されますが、やはり、それはアメリカ軍の除去する地雷は中国製だから? というのはキャッチ22なのでしょう。

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2005/3/21の記事

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沖縄中央訓練地域(2005/3/21)

 3月21日-23日に第3海兵師団第12海兵連隊第3大隊による海兵隊員と水兵は、タイの演習コブラゴールド2005の準備における大隊実戦訓練を行った。

 現在3/12(第12連隊第3大隊)に配属されている第 1 海兵師団第 11 海兵連隊第 2 大隊 F 砲兵中隊指揮官ポール・ M ・ジオッジ大尉によれば、この演習はジャングルの環境とアジア太平洋地域の地形を取り入れ、大隊に習熟させることができた。

「これらの海兵隊(カリフォルニア州アメリカ海兵隊空地戦闘センター29パームス)は、砂漠になれており、そして、このトレーニングは彼らのなれていない自然環境である」と彼は言った。

 ジオッジによれば、彼らが実弾射撃を行わなかったことを除けば大隊の海兵と水兵は間近に迫るコブラゴールドと同様の配置計画を行った。

「これが私たちがタイに行く前の実地練習である」とジオッジは言った。

 中央訓練地域の至る所の大隊の演習で、敵歩兵部隊が前進してくる動きに対する作戦手順をシミュレートを実施した、とジオッジは説明した。

「私たちは常に前進しており、そして敵との戦いを行う」と彼は言った。

 ジオッジによれば、大隊は数時間ごとに拠点から拠点へと移動した。

「私たちは45分ごとに移動していたように思う」とスコット・W・メロウ伍長(F砲兵中隊電信員)。

 ジオッジによれば、各動きの前に各砲兵中隊から、数人の海兵と水兵は先行部隊を整列させ、そして彼らが砲撃支援をシミュレートするであろう次の地点を探し出すために彼らの現在の地点を離れた。同様に先行部隊は砲撃のための拠点を計画し、各大砲のための通信を開始した。

 ジオッジによれば、その砲兵中隊は拠点に到着し、そして先発隊が拠点を設営した後で大砲を設置した。

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「あなたの大砲を設置し、あなたが動かすより多く、あなたは適した地点を得る」とガリー・G・ホール二等軍曹(F砲兵中隊分隊長)は言った。

 演習で、大隊の海兵隊の志願者たちはアグレッサーを演じ、演習において空砲により各砲撃地点を攻撃して仮想敵軍は小火器の攻撃を行う大隊の攻撃を演じた。

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「空撃ちを実行している間に敵から攻撃されることは更に現実的な感触を訓練に与える」とホールは言った。

 ジョン・マイケル・ゴンザレス上等兵(F砲兵中隊砲兵)によれば、実戦訓練によって大隊の各部署はその技術を実行し、そして新しい物を学ぶことが可能となった。

「私たちは軍曹の仕事を覚える何人か(一等兵)を含んでいる」とゴンザレスは言った。「これは私たちがこれまで行った中で、最良の訓練である」

 セス・M・ナギー軍曹(F砲兵中隊通信下士官)によれば、この演習は大隊の全ての部署における海兵隊がいかに協力するかを学ぶのに役立った。

「この訓練は全ての人を同一旋律上に置き、それは私たちが砲兵中隊に不慣れな海兵隊員を養成するのを助ける」と彼は言った。

 この大隊は、5月のコブラゴールドの間に戦闘即応性を向上させるためにタイ王国海兵隊と共に共同した演習を行っているであろう。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 

 ちゃんとした儀式なのは分かっています。分かっていますが、熱湯コマーシャル、という単語が速攻で浮かんだのは病んでますか?

 例えそうでも、取り敢えず、キャッチ22。

 いい加減、ネタが苦しくなっていたりするのも同様にorz

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2005/3/11の記事

沖縄キャンプフォスター(2005/3/11)

 女性海兵隊員62周年そして国際女性歴史月間を祝って3月11日にバトラー将校クラブにおいて記念祝賀会が開催された。

 今年の女性歴史月間のテーマは、「アメリカを変えた女性」である。そして、いかに彼女たちが選抜女性指導教官プログラム担当の将校を変えていったか歴史的に深い業績を認識する。ドナ・ N ・エバンス中尉は説明した。

「それは親切にも、女性が彼女たちがした全ての仕事のために僅かな表彰を得るのを見た」とエバンズは語った。

 1918年8月13日にオファ・メー・ジョンソンが海兵隊に入隊して以来、アメリカ海兵隊において女性は誇りを持って務めてきた、とエバンズは説明した。

 1919年7月30日に女性予備隊は解散されたが24年後の第2次世界大戦中、「自由の戦いのために」戻った。

 1943年2月にアメリカ海兵隊女性予備隊は再建され、1948年6月12日にアメリカ議会は女性軍統合法令を通過し、最終的にアメリカ軍女性隊員の常設部隊を承認した。

 今年度の祝賀会で表彰を受けた二人の女性キャンプフォスター及びレスター司令官エイドリアン・K・フレザー・ダーリング大佐と第1海兵航空群管理参謀長アン・ L ・クリッテンデン中佐が来賓としてスピーチを行った。

 クリッテンデンは、アメリカの歴史の変化に影響を与えた多くの女性について話した。

女性は、ローザ・パークスが好きである、彼女が信じたもの、そして、そのような行いは他者に感激させた。そして、エレノア・ルーズベルト。その人の社会改革に対する献身、そして公民権への妥協することのない力強い主張は、聞く物に力を与えた。

 夕方遅く、フレーザー・ダーリングは周囲に、何が競争するかいかに問題とならないか。

話した。海兵隊であるということは、宗教もしくは性別より先に海兵隊であるということ。同様に彼女はいかに業績を認める催しがアメリカ海兵隊にとって重要であるかについて触れた。

「多様性と平等の問題に取り組むことには困難がある」とフレーザー・ダーリングは説明した。「このような催しは、違ったやり方では認められないであろう人々の業績を示すのに必要とされる。全ての人々の貢献を評価することによってのみ、我々は国家が(我々に)要求する力を増大させることができる」

 この祝賀会は、共に来て楽しく過ごす各地から集まった女性海兵隊員に与えた、とダニエラ・M・ネトルズ中尉(第3業務支援集団。祝賀会責任者及びは司令部そして支援中隊副官)語った。

「私が思うのは、このゆな催しは女性海兵隊員を更に高い目標を自ら目指せるように鼓舞する」とネトルズは説明した。「もし(若い海兵隊員)彼女たちの前で誰かを見、彼女たちが競うことができ、彼女たちは強い意志とやる気があれば全てが可能であることを認識できる」

 今年度の催しが成功であり、そして彼女たちの時間と業績を捧げる全ての海兵隊員からの助けと支援なしではなしえなかっただろう、とネトルズは説明した。

「私は、私たちの周囲の社会に偉大な影響を女性が行ったことを知った」とラモナマリー・G・ペナラ一等兵(戦闘資格情報センターから来た戦闘報道員)は言った。「このような催しが、私をアメリカ海兵隊員である女性であると誇りに思うようにする」

Marine Corps News(U.S.M.C)

日光江戸村にある某建物の階段を使ってはいません。


キャッチ22?
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2005/3/3の記事

日本キャンプ富士(2005/3/3)

 3月3日、現在、キャンプ富士に配置されている171海兵隊航空支援部隊(Marine Wing Support Squadron)の戦闘工兵は飛行場損傷修理訓練を実施した。

 その訓練は、攻撃され、誘導路にクレーターが生じた模擬滑走路と想定された。飛行場の損害の復旧は、航空機のための離着陸路の応急処置を行った。

航空機の離着陸路を応急処置によって飛行場の損害を修復した。

「飛行場の損害を修復している間、重機捜査員はクレーターを埋め、その後(戦闘工兵)が来る。そして、折り畳まれたファイバーグラス製のマットか、ファイバーグラスで補強されたプラスティックのいずれかでクレーターを覆い、そして航空機が着陸できる地面を提供する」とウィンフレッド・R・マーフィ軍曹(MWSS171戦闘工兵分隊長)は言った。

 海兵隊はFRPを使う訓練を行った。巨大なパズルのようなクレーター上にFRPを置くことから成る、とマーフィーは言った。彼らは飛び出すと各部分をボルトで連結した後、滑走路にボルトで固定される。

「我々は海兵隊を活性化された状態に保つために岩国で規則的に、この演習を実施する。従って飛行場に対して攻撃が行われた時、FRPを置く工程は彼らの第2の天性となるだろう」とマーフィは言った。

 岩国と比べ、キャンプ富士にいる間の滑走路損傷修復演習は平らな土地ではなく傾斜で行わなければならない。そしてM16とガスマスクを使って働かなければならない。アスファルトの変わりに砂利を扱うことの困難も経験した、とリチャード・E・ウィリアムソン(MWSS171戦闘工兵)は言った。

 一部の海兵隊員たちのために、それらは何度も繰り返された演習と同じだった。しかし、計画主任としては初めてだった。

「それは何が行われているかを、あなたは正確に知る必要があり、そして次に何を与える必要があるのかで異なった。君自身の仕事について単純に心配する変わりに、君は他の全ての人が行っていることを確認しなければならない」とウィリアムソンは言った。

「最初は、岩国での戦闘工兵訓練を考慮して全てを想定した富士のADR訓練を実施することは不必要に思われた」とウィリアムソンは言った。「一度、私たちが寒い中、そこに到着したとき、完全装備の私は砂利の上で岩国とどれだけ異なっているかに注目した。そしてあなたが必要であるときは常に仕事をする準備ができている必要がある」

Marine Corps News(U.S.M.C)


亀です。

 極最近の記事の写真です。要するに自然保護にも気を遣ってますという趣旨の記事なんですが、写真はこれだけ。

 まあ、亀は水陸両用ということで(リクガメですが)。先週同様、単体では何がなにやらさっぱりわからないのがすてきです。

 で、先週のレックス君の写真追加。

 どういう状況かというと、腕に食いつく訓練な訳ですが、それはキャッチ22で。

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2005/3/2の記事

イラク アルラマディ(2005/3/12)<

 ユーフラテス川に面した都市の南部分へ反乱分子が爆発物や即席爆弾の材料を持ち込まないようにする海兵隊の最初の防衛線は三人のメンバーと四本足のパートナーである。

 毎日、第I海兵遠征部隊(I Marine Expeditionary Force)の部隊保護任務を行う軍の作業犬ハンドラー、クリストファー・L・オリンガー軍曹 , ロバート・P・ハンセン空軍技術軍曹、そしてマーシャル・S・スプリング上等兵、そして彼らの犬ジャック、ネロ、そしてレックスがしばしばハリケーンポイント野営地の外で三つの車両検問所で車両を検査しているのを見ることができる。

 イラクの自由作戦を支援する三つの作業犬チームは第5海兵連隊第1大隊に配置されている。

「私たちの任務は(歩兵大隊の)VCPを支援している」とオリンガーは言った。「私たちの犬は全ての種類の爆発物を嗅ぎ当てることができるので、IED、手榴弾、ロケットそしてライフルやその弾薬さえも発見が可能です」

 IED、そしてをIEDとして作成された車両を止めるため、爆発物を運搬させないために、毎日、無作為に選ばれた40台から50台が検査される。

 27歳のフェーンデール(ワシントン出身)によれば、爆発物のた臭いを感知するよう訓練された犬が、臭いを拾い上げると彼らの犬は自分のハンドラーを見て座る。

「ジャックがシートに座るとき、私はその車両或いは運転手に何かがあるということを知ります」と彼は言った。「それから、私は更に詳細な科学検査を行います」

 ハンドラーは、彼らの犬が異常を感じた車両に吹きつけ残留手巣をを行うとともに運転手や乗客に対しても条例に定められたテストを同様に行う、と彼は付け加えた。

 先週、ジャックはここで一人の男のトランクにブリーフケースがあるのを発見した、と彼は思い出す。「痕跡を覗けば、それは何も無かったので、それは爆弾を作るための作業がそこで行われたか、或いは材料があったかどちらかを意味していた。同様に運転手の手からは残留物の痕跡を見付けた」

同様に海兵隊マーシャルアーツプログラムで黒帯を取得したオリンガーと、彼のジャックはイラク人が所有するべきではない多くの物資を発見した。

 最近、一つの車両が自動拳銃とAK47を積んでいるのを発見した、と彼は言った。

「ジャックは正に彼らの上を選んだ」と彼は説明する。「私が武器を発見した後、私たち(イラクの治安部隊指揮官と海兵隊)は、彼を拘束し、そして更なる尋問のために彼を連行した」

 ハンセン(34歳、バージニア州ハースヴィル出身)は、数日前にVCPを働かせており、彼の犬ネロが車両の上で警報を出した。

「すぐに私は、そこに何かが入っていると言うことを察した」と作業犬ハンドラーとして四年の経験を持つ彼は言った。「そこで確認された残留テストは車両と運転手の手からTNTを検出した。彼は尋問のために拘束され、すぐに連行された」

 スプリング(21歳、オレゴン州アシュランド出身)は彼の犬レックスとハリケーンポイントと精神病院の間でVCPを遂行中に最近彼ら自身の発見をした。

「レックスは車のドアの中で反応した」とアシュランド高校の2001年度卒業生は言った。「私には貨幣をサイドポケットに詰め込んであるとしか見えませんでした」

 貨幣を表に出してテストを行うと、それは爆発物の痕跡を持っていた。しかし、その運転手には陽性反応が出なかった、とスプリングは言った。

 軍の作業犬が、彼らのハンドラーから支払われる報酬は金の形ではない。彼らはコンと呼ばれる玩具で遊ぶ時間と特別配合のドックフードを与えられて働く。

 ハンドラーが彼らの犬のために投げて追跡させるコンは、雪だるまと良く似た形の黒いゴム製の物体である。そのデザインは投げるとどこへ弾むか予測できず、犬もそれがどの方向へ弾むか全く分からない。

「コンは獲物を追跡する犬本来の野生の本能を引き出すように設計されている」とオリンガーは説明する。「彼らが働けばそれを得ることができる。彼らがその間ずっとそれと遊び続けている間、コンは犬を仕事から解放するだろう」

 オリンガーは、その概念は毎日の食事の際に、その人の好物を与えるような物だと説明した。しばらくして、彼らは感心が無くなるとそれを話してしまう。ひょっとするとそれは彼らのお気に入りではないかもしれない。

 軍の作業犬は、国防総省の獣医によって処方された特別配合のドックフードを与えられている。彼らの犬は朝と夜の一日二回食事を与えられる。

「彼ら亜他に何も持つことができない」とオリンガーは言った。「私たちはあまりにも価値のある彼らが働き続けることではなく、病気にならないことに関して気を遣っている」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 犬、それは人間と古くから共に生活した動物。ということでイラクの検問所で活躍する爆発物検知犬の活躍の話です。

 軍における犬の活用の歴史は古く、ローマ時代にまで遡るそうです。

 海兵隊においても、1920年代にジャングルで犬を活用し、その実績を持って戦闘犬部隊が第2次世界大戦において編成され、当時、発足した部隊では珍しく現在も生き残っている希有な例です。

※空挺部隊潰し、強襲大隊潰し、ナヴァホ通信部隊潰し……。

 そういや、昔、成田空港の車両検問所にいた警察犬で、一匹だけ当直に立っているとき必ず常に右を見続けている奴がいました。そうでなかったら、落ち着きが無かった奴ですが、一体、何だったのかはキャッチ22で。

 この写真だけだと、何だか分からないのも一興

トランクを検査するレックス君(三歳)
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2005/3/2の記事

ノルウェー(2005/3/2)

 ヨーロッパの国家において不安定と不安が噴出した。社会と民族の緊張によって二つの民族に分割し、状況は沸騰点に達した。国際連合安全保障理事会は地域を安定させ、平和を保つために多国籍軍の派遣を決定した。

 この状況は歴史の本の一章のように聞こえるが、グリフィン2005演習に参加する多国籍軍機動部隊が直面するシナリオと同じである。

 ニューヨークオルバニーの基地から来た第25海兵連隊第2大隊F(FOX)中隊は、演習に参加する15カ国13.000名からなる部隊の第25海兵隊対地機動部隊の一部として架空の最前線にある。

「(ノルウェーの)気候は、我々が経験した中で最も厳しいうちの一つである」とショーン・カラヴァジャル軍曹(第25海兵連隊第2大隊F中隊第2小隊長)は言った。「豪雪、強風のために中断することはほとんどない。我々はイラクにおいて極端な一例を見た。従って、我々は、今、正反対を味わっている」

 海兵隊が、単に周囲からの驚きに対して注意しながら天候と戦う必要はなかった。

「我々は野戦訓練演習の一部として(安定と安全)作戦を実施している。そしてSASOに関して、あなたは何が起きるか決して知らない」とカーバジャルは言った。「あなたが一分で車両検問所に要員を配置している次には三次元の障害と交戦状態にあるだろう」

 何人かの海兵のために、バトルグリフィンは最初に参加した大規模演習である。

「ここに来る前に私は、それが寒いと予想していたがそれは間違いでした」とジョセフ・J・シラー上等兵(第25海兵連隊第2大隊F中隊第2小隊ライフルマン)は言った。「それは寒いのではなく、完璧に凍るような不愉快さでした。私が配置に着いた最初の時、それがちょっとした驚きでした天候、異なる部隊そして地方の文化の組み合わせは大いに学ぶことがあるのですが、どういう訳か私はそれを楽しんでいます」」

 バトルグリフィンは、海兵隊が可能性のある連合国家たちと共に、その戦略とシステムの相互運用性をテストすることを可能にするためにノルウェーに承知された演習である。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 この演習で、各国軍、ノルウェーの気候で、演習以前に防寒対策に追われているそうで、産経新聞には「新たな冷戦勃発」と書かれていたりもしました。

 先日、自分も、て状況でした。撮影は、以前、六本木ヒルズで買ったプラモデルカメラです。

 そういえば、以前も似たようなことを書いた気がしますが、それはキャッチ22で。

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2005/2/19の記事

ワシントン(2005/2/19)

 晴れ渡った土曜日の朝、アメリカ海兵隊―過去そして現在―の戦い、そして軍団の歴史において最も血塗れの戦いの内の一つで死んだ人々を慰霊するための時間を設けた。

 硫黄島に旗を揚げた海兵隊の60周年となる2月19日を記念してアメリカ海兵隊第33代総司令官マイケル・W・ハギー大将は、バージニア州アーリントンのアメリカ海兵隊戦没者記念碑の記念セレモニーを主催した。

 ハギー大将に促されて立ち上がった戦いに参加した海兵隊退役軍人たちを、「偉大な世代」として彼らに相応しい式典により、彼らの愛国心を今日の海兵隊として彼らの栄光と勇気を讃えた。

 司令官及び海兵隊ワシントン司令部指揮官テリー・M・ロッカードとともに、フランク・コールドウェル海兵隊大佐(退役)、硫黄島の生存者は記念碑の土台に花輪を捧げ、彼の戦友である海兵隊隊員そして水兵たちに敬意を表した。この式典には、約70名の硫黄島生存者が出席した。

1945年2月23日、摺鉢山の頂上に掲げられた国旗は、海兵隊の勇気、粘り強さと武勇を最も認識させる象徴の一つになった。硫黄島における戦いは太平洋における連合軍の勝利にとって極めて重要であったと証明された。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 調理写真四連発。レトルト食品もフリーズドライもアメリカ軍の発明だ。

 大量の食事を作らなければいけないのは分かりますが、やはり、旨そうに見えない。まあ、軍と言うよりもアメリカ的にそうだ、とも言いますが。

 それでも、軍のコックの腕は割と上位に位置します。

 陸軍はね。海兵隊は……キャッチ22?

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2005/2/12の記事

2005/2/6-12005/2/6-2

岩国海兵隊航空機基地(2005/2/12)

 2月12日、海兵隊航空兵站大隊12は、戦闘から生き残るための基礎的技術を海兵と水兵に提供するためにノースサイドパビリオンで戦闘訓練を実施した。

 航空隊は、海兵隊が7t車で輸送されているときの待ち伏せをシミュレートした。海兵と水兵は、複数のケースにおいていかに防衛陣を形成するかを学び、そして乗り物からの攻撃を行った。

 サービスメンバーで構成された分隊規模の部隊は、車両上で攻撃を手本にした。

 左右からの奇襲部隊の接触は、残る支援要員が乗り物に対する安全を確保したとき、7トントラックから海兵と水兵を飛び出させる切っ掛けとなった。

 支援要員は車両の側面、敵の砲火が見える方向へと走った。

「海兵隊から、彼らに基本を取り戻させることを理由に行っている」とトーマス・C・ポストン曹長(MALS-12作戦主任)は語った。「それらの多くは、呼び出された本当の意味を忘れていた。何人かは長い期間特別な仕事(軍の専門職)をしている間に海兵隊から学んだ基礎的技術を失った」

「私たちは、敵の砲火によって打撃を受けて行動できなくなった7トントラックを再現し、そこから抜け出すことを実行しました」とアンドリュー・B・フェルプス上等兵(MALS-12水力学技術者)は語った。「我々は同じように地域を横切る危険の中でパトロールを実行し、本質的な基本を再検討し、それは非常に効果的でした」

 模擬戦は、危険な状況下においてどう行動するか、記憶にかぶった埃を払うことではない。というのも、何人かはメンバーを支援するために毎日の仕事から抜け出すからだ。

 海兵隊のいたるところの作戦活動の増加によって、MALS-12は護送任務を年4回継続する予定でいる。

「それは明らかに成功だった。これはMALS-12に従う水兵たちに訓練を与えることによって基礎的な戦闘技能に触れさせるとともに海兵隊に戻る機会を与える。大半の水兵はM16A2ライフルに全く触れる機会がなかった」

 このイベントは、部隊が動員され、増加した際に、彼らが現実に起こりえる事態に直面した際の訓練を岩国におけるツアーの機会にMALS-12の海兵と水兵に与えた。

「私が優先するのは、もしイラク自由作戦や限りなき自由作戦において増員されたとき、それに見合った基礎知識へ導き、戦士としてMALS-12の海兵と水兵たちを養成することである」とポストン曹長は語った。

2005/2/6-3
2005/2/6-4
Marine Corps News(U.S.M.C)

2005/2/6-5
ドラマ「JAG」の撮影中

 ぺけファイルが放送されていた頃、触発されたような邦題のついた「ネイビーファイル」が放送されました。要するに海軍と海兵隊の法廷ドラマで、ぺけファイルのような話とは全然関係ないんですが。

 このドラマ、第1シリーズで視聴率が悪く打ち切り。そうしたら、別な放送局が興味を示して買い取り、第2シリーズが開始された過去があります。よかったね逮捕されたままじゃなくて、ラブ少佐(主役。現在中佐)。

 第1シリーズ最終回の殺人事件が、上の理由でうやむや、というか無かったことにされたり、相棒のサラ・マッケンジー海兵隊中佐を演じるキャサリン・ベルのピンクのブーツが気になるところですが、やはり、そこはキャッチ22でしょう。

※とあるエピソードで、マッケンジー中佐、「海軍さん」といわれてすかさず、「マリーンです」と修正かけてました。

 というか、まだ放送しているとは。日本では現在5が最終回を迎えました。ローカルですけど。それもキャッチ22な理由でしょう。

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2005/2/6の記事

2005/2/6-12005/2/6-2

アフガニスタン・クナル省(2005/2/6)

 第3海兵連隊第3大隊は、アフガニスタン政府及び合同連合と冬の間に実施していたテロリストの脅威に対する「拍車作戦」を今週完了した。

 コランガル渓谷を示すぎざぎざの雪山の真上でホバリングするCH-47チヌークヘリコプターから飛び降りたI(India) 中隊及び L(Lima) 中隊からなる海兵隊は、渓谷のそれぞれの場所に送られると迅速に展開して非常線を張り、タリバンの隠れ家と目される家の捜索を行った。

2005/2/6-32005/2/6-4

「我々は、速くそして低空で我々の主要目標となる家の一つを飛び越えると、その外側へ飛び降りた」とケレブ・ウェイス少尉(L中隊の小隊長)と語る。「彼らには、頭上から降りてくる小隊に対応するには僅かな時間しか無かったでしょう」

 海兵隊は、目標が逃げる可能性を防ぐために迅速に村へ突入し配置に着いた。海兵隊は一発も撃たずに反政府勢力のメンバーもしくは支持者と疑われる数名を拘留した。

 危険な山岳地形で不安定な着陸を行うヘリコプターパイロット、戦意旺盛な海兵や水兵たちをコランガル渓谷に送り込んだことで、敵に対してアフガニスタンの安全を脅かすなら容赦しないという明確なメッセージを示した。

2005/2/6-5

 春のアフガンそして連合に対する新たな攻撃に備える反乱者の活発な活動は、激しい降雪と急激に下がる気温に覆われる厳しいアフガニスタンの冬の間中、海兵隊が率先して探し出し続けるだろう、と第3海兵連隊第3大隊長ノーム・クーリング中佐は語る。

「地形や天候がいかに厳しいかに関係なく、我々はクナル省におけるテロ活動支援者との戦いを継続する訓練、装備を与えている。我々は何もせずに過ごして、その周辺地域住民を心配させるつもりは無い。我々は敵が我々が攻撃してくることを心配させ続ける予定である」とクーリング中佐。

 もしも海兵隊の到着がそこに潜む反乱者を苦しめるのならば、とコランガルの多くの住民は海兵隊と海軍の大隊が到着するのを見て幸せそうに出迎えた。

アフガニスタン医師の助手は、アサダーバード地方再建隊からの兵士たちと第25歩兵師団第58MP中隊からの女性MP将校の支援で冬のコートの分配と薬物治療を行い、そして、医療行為をコランガル地域に住む約500人の病気の村民と子供に提供した。

2005/2/6-6

「それは素晴らしく彼らに必要な配給と医療行為を与え、人々を助けることができる」とダイナ・アーバンク特技兵(陸軍。MP。オハイオ州ユニオンタウン出身)は語った。「私たちは、ここで単に家の捜索を行って人々と拘留するのが目的ではありません。もし私たちが彼らに尊敬と助けることを示したならば、彼らはテロリスト集団に協力するよりも彼らの政府の方が遙かに良い生活を提供できることを理解してくれるでしょう」

 同様に幾つかのL中隊の海兵たちは、医療品やコートの提供に感謝を表明するコランガル村の長老に出会った。ムジャヒディンとしてソビエト軍と戦った一人の年長者は、アフガニスタンに新しい平和が訪れたのは喜ばしい変化であり、将来、海兵隊とアフガニスタン軍が彼の村からテロリストを見なくなる時まで彼の村のテロリストを捜索すると語った。

「私たちは、あなたが我々に治療と安全を提供してくれることを嬉しく思う」と前記の長老は彼の家での食事に招いた海兵隊に語った。

 連合軍は、更にそこで調子を整え、反乱者からの脅威を排除し続けることによって、クナル省の村の長老の間で確固たる支援を受けることを期待している。

 サンダーフリーダム作戦は、アメリカの大隊と第76タスクフォースによって継続され、アフガニスタン政府とともにアフガニスタン-パキスタン国境に沿って脅威を排除しようとしている。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 先日、雪山トレッキングをやりまして……

 装備の重さに大半がやられました。この写真のように。

 アフガニスタンも山奥となると豪雪地帯があるのだな、と。こういう地形の専門部隊としてアメリカ陸軍には第10山岳師団という専門部隊がいるのですが、参加した相方は第25歩兵師団(本拠地ハワイ)。

 とはいえ、第25歩兵師団は、自衛隊に鍛え上げられているので、実は慣れているかも。

 それはともかく、雪山に砂漠迷彩。防寒装備を持っているんでしょうか? やはり、キャッチ22?

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2005/2/1の記事

イラク・バグダディ(2005/2/1)

 ガイス・サレハ氏はイラクの教育システムが改善することを期待しながら、二つ折りにした選挙用紙を投票箱に滑り落とすと、選挙管理員として席へと戻った。

 サレハ氏(30歳)は、教育改善の関心を持つバグダッドの小学校教師で、初めての投票者であると同時にイラクの独立選挙管理委員会の一員として、愛する祖国を変えると誓った。

 2005年1月30日、イラクで半世紀間で初めて行われた自由選挙で投票された数百万の一つであった。

 サレハ氏は、6歳の子供にサダム・フセインによって指示された教育課程の下で教えるのがどういうものだったかを回想する。

「その教育とは世界史ではなく、サダムの脚色による歴史を教える物だった」とサレハ氏は言う。可能性のある投票者は誰か適任を証明した後で、サレハ氏は部屋を横断して、それらを更なる投票のため、彼の兄弟へ送った。

 2003年初頭にフセイン独裁政権が崩壊した後、外国の文化を含んだ新しいアイデアと知識が教室にあふれかえった。

フセインの独裁政権が 2003 年初頭に崩れた新しいアイデア、及び、知識が教室を溢れさせた後で、外国の文化、政府、及び、イラク、及び、世界の残りの間の関係を含んでいる、とサレハ氏は言った。

 彼の国の学校制度が、サダムの支配から逃れてから、教育課程は拡張されたが、サレハ氏は、更に多くの親と子供に教育システムを支援させるには学校に十分な資金が与えられていないと感じている。

「学校には空調がないので、夏は嫌悪感を抱かせ、冬の教室にはヒーターが無い」とサレハ氏は言う。「子供はたった一つ与えられたペンにすがるしかない。私たちが夢見るアイデアは教室にコンピュータを導入することです」

 また、サレハ氏は外国の教育システムを研究するために、教師を海外に派遣することを提案した。

「私たちは、いかにしてヨーロッパ人やアメリカ人が子供を教育するかを学び、私たちの子供のためにそれらのアイデアを利用することができる」とサレハ氏は言う。

 この選挙は、国民議会275議席と18地方の立法府を作成する。最近選ばれた会合では、憲法を築き、そして大統領と二人の副大統領を選び、次の選挙が行われるまでの11ヶ月間の任期を務めるように首相と内閣に命令する。

「私たちは選挙の成功を望んでいる。なぜなら、それは公正なシステムですから」とサレハ氏は言った。彼はバグダディ投票所の地方と国民議会に賛成の票を投じるための最初のイラク人の一人であり、彼はその日の午後遅くまで選挙管理員として投票所に従事した。

 人口約30,000人の比較的静かな農業町バグダディは海兵隊によって支援されたイラクアルアンバー省にある幾つかの土地の一つだった。

 第7戦闘支援大隊C中隊の海兵隊員は、数千ヤードの鉄条網を張り巡らし、高出力の発電機、車両用障害物と頑丈な柵で守りを固めた。

 イラク軍兵士が投票所内の警備を行ったので、第3海兵連隊第1大隊の兵士たちは威嚇や暴力のあらゆる兆しを探るために屋根の周囲から油断無く監視を続けた。

 バグダディ投票所の最終投票者数は、あまり多くないと見積もられたが―87人の有権者が投票所まで歩いてきた―イラク人とアメリカ人双方が、この選挙がイラクの自由登坂兵の未来のために最初のステップだったことに同意している。

「それら(イラク人)はそれ(民主主義)を必要とし、そしてそれらは時間がかかることを知る。彼らはそれが時間と犠牲が必要であることを理解する。それはその場凌ぎの習慣ではない」とスコット・A・ミラー一等軍曹は言う。彼はIECIメンバーをバグダディまで輸送した第4民事業務集団のチーム主任である。

「私が友人に話し、そして私たちが思うに20年か30年で私たちは幸運をつかむでしょう。しかし、私たちがこれを完成するのには更に多くの時間が必要です」とサレハ氏は言った。

 バグダディ市長執務室から、回されて投票所の入り口を守るイラク陸軍ムスタファ・カミル・アジャ軍曹は、選ばれた者が国家の防衛システムを改編し、彼ら軍人たちに更に優れた装備や組織を提供することを望んでいる。

「新しい政府は、軍を組織し、更に強化する必要がある」とアジャは言う。彼も1月30日に地方及び国民議会に賛成票を投じた。バグダッドに居住する24歳のアジャは、軍の兵籍期間中はしっかりと務めることを望んでいる。

「それ(政府)は、イラク軍の兵役を年数に設定する必要がある。今はすぐに辞めることができて、それが良くない」と彼は言う。

 これらは当然の懸念を持つ熱心な有権者である。アメリカで去る11月に行われた選挙のように、これらの投票がそれらの国家の将来を変えることを希望している。

 アジャによれば、アメリカのように戦時に強い大統領を彼は熱望している。

「私は、選挙によって悪人を追い払う十分な力を持つ一人のイラク大統領が作られることを望んでいる」とアジャは言う。

 他の国民とアジャやサレハ氏が共有する関心事は国家の弱々しい経済である。アジャによると、1989年に1イラクディナールは3アメリカドルに相当すると彼は記憶している。

「私は過去の経済に戻りたい。私は農業や石油精製工場が国に利益をもたらしているのを見る。多くの人々がそれらの場所で働き、そしてたくさんの経験はいらないとサラハ・サレウ(アルマスタンシリャ大学を卒業し、翻訳の学士号を持つ)は言った。

 ガウス・サレハ氏は、イラクの自動車産業が景気づくことを望む。

「全ての家庭が一台の車を持っていたら、素晴らしいことでしょう」と同じくアルマスタンシリャ大学を卒業し、教育に関する学士号を持つガイス・サレハ氏は言う。

 イラクにおけるアメリカの存在には入り交じった反応があるのだが、サレハ氏はアメリカ人が止まることを望む人々が文化革命を予想していると考えている。

 彼の存在はイラクで国際的文化が共存することを表している。濃紺色のスウェード生地のイタリア製トラックスーツを着て、頭は彼がメッカ巡礼を行ったことを証明する赤と白の格子縞で飾っている。彼の頭には黒のサングラスがかけられ、サレハ氏が彼の同国人に対する愛情を語っている間にキューバ葉巻を吹かしていた。

 今、新しいメディアへの出口が開け、イラク人に衛星テレビ、ラジオにインターネット(サレハ氏自身、Yahoo!のアドレスを持っている)といった世界的なコミュニティがゆっくりと浸透し始めている。

「イラク人は、海外の文化や習慣を学ぶことを望む」と、サレハ氏は言った。「私たちが持っていた2つのテレビチャネルの一つはサダムからの一方的な宣伝であった。今、我々は、全ての種類の雑誌やレコードを持っている。ランボーやアーノルド・シュワルツネッガーは、私たちのヒーローでもある」

 サレハ氏が悔やむ僅かな物の一つは選挙に参加したスンニ派が少なかったことだった。まるでシーア派が、例え全てであるとは限らないにしても、議席の大半を占めるかのように思われる。

「私は、その間、ずっと自問する。なぜ? なぜ、スンニ派は選挙に参加しない? シーア派は議席の全てを得るだろう。それが私たちにも恐ろしい」とサレハ氏言う。

第3海兵連隊第1大隊B中隊小隊付軍曹ライアン・W・メルテセン二等軍曹は、それらの選挙がイラク人の掌中に力を返すであろう、と考え、そしてアメリカの成功に通じる出口を開くだろう。

「私たちが、ここにいる全体的な目的はイラク人を解放し、そして彼らに投票させることだった。私たちは今その段階にいる」とメルテセン軍曹(30歳。ウィスコンシン州マディソン出身)は言う。

「それは民主主義と自由、そして豊かな暮らしへ繋がる最初のステップです」とガイス・サレハ氏は言う。

 どちらの声も自由と幸福の追求に相応しい人生を知らせる。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 イラクの選挙も、無事に終わり、一部の連中が期待していたような大規模な混乱もありませんでした。

 この記事を読む限りでは、イラクの人々もアメリカの駐留には確かに複雑な感情が見受けられるもののアメリカと同じような選挙による民主主義政権の樹立を望んでいるのが伺えます。。

 しかし、サレハ氏氏、イタリア製のスウェードのトラックスーツにメッカ巡礼を示す帽子にサングラス。そしてキューバ葉巻を吹かす。実は凄い格好してませんか? ていうかキャッチ22?

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2005/1/31の記事

パンツァーカザーン(2005/1/31)

 先日、第3FAST(艦隊対テロ安全チーム:FleetAntiTerrorismSecurityTeam)中隊第5小隊は、南ドイツスワビアン地方で、一週間のトレーニングを実施した。海兵隊はアメリカ欧州軍司令部及びアメリカ海軍第6艦隊とともにスペイン近くで緊急即応部隊としての半年のローテーションを終えた。

 海兵隊は、シュツットガルトのヨーロッパ海兵隊の本拠地に滞在する間に実弾演習と小部隊歩兵技術からなるトレーニングパッケージを完了した。

 広範囲の戦域にある第1即応部隊として、海兵隊はそれら割り当てられたあらゆる管轄地域で行動する準備が整っていなければならない。アメリカ欧州軍司令部の担当地域はアイルランドから濾紙間、そしてノルウェーから南アフリカまでいたる91ヶ国を含んでいる。

「我々は、METLタイプトレーニングに重点を置くばかりではなく、戦域全体を管理するトレーニングパッケージにより、乗船及び迅速な応答に関し、効率の良い行動能力を得ることを目的としている」小隊長グレッグ・ゴードン大尉。

 メルセデス・ベンツとポルシェの工場から数キロ離れた場所にある地方の射撃練習場を海兵隊は使用することができた。MOUT施設は、実弾射撃場と偵察可能な樹木が生い茂った地域が利用可能だった。

「ロタには同様のMOUT施設がない」とゴードン大尉(テネシー州ナッシュビル出身)は言う。「ここの訓練設備は全てが揃っており、幅広い訓練を実施することができる」

 海兵隊は計四日間を、その場所で過ごし、CQBや偵察活動の訓練を行った。

「我々は、警備部隊として変化に対する心の準備を整えなければならない。その変化は作戦における環境と交戦規則により、途切れることなく起こるようにしなければならない」ゴードン大尉は言う。

 FASTの隊員たちは、太陽が輝くロタを去り、ドイツへ到着したとき、40度の気温差で活動するための挑戦を追加した。これは雪の追加によりトレーニングパッケージは完成した。

「私たちは、常に60度から70度というロタの気候で甘やかされた」とトーマス・イングラム上等兵(20歳。ワイオミング州ダグラス出身)は言った。

 更に低温の環境で行動することは海兵隊に、彼らの衣類に注意を向けた。

「快適な状況を維持するために、重ね着することを試した」とジョシュア・ヘルトン一等兵(19歳、バージニア州ワイズカントリー出身)は言う。「行動するときはアンダーアーマーを着るようにと言われたけれど、待ち伏せで動かない時はフリースを着たことを確認しろと指示された。風が朝の一時、二時か三時に吹き出すとそれは風邪を引きそうになるくらい寒い」

 衣類を適切に重ね着することが重要だと隊員たちは理解したが、ヘルトンとイングラムの二人は、本当の理由が睡眠不足の状態にすることだったと認めた。

「私たちはほとんど眠れなかった」とヘルトンは言う。「実際には不平を言うことはしなかった。戦闘状態になれば同じ状況になるし、私たちを慣れさせ、準備を整えさせようとしているだけだから」

「睡眠不足に冷たいMRE。全ての海兵が私がどんな楽しみを話しているか知っている」とイングラム上等兵は付け加えた。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 NFLはアメリカ人にとって、国民的漢のスポーツ。そりゃ、燃え上がるのは当然さ。

 てな訳で、NFLの試合で燃え上がる三人。手前二人は三等軍曹と特級射手が確認できます。

 前列の二人は女性同伴なのか比較的落ち着いているように見えなくもないのですが、しかし、手前の軍曹殿、吠えてます。

 ところで、チケット当たったよ、といって指名手配されていた連中を逮捕したことが以前ありましたが、今も有効でしょうか? ていうかキャッチ22?

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2005/1/12の記事

2005/1/12-12005/1/12-2

アル・アンバー(2005/1/12)

 第31MEU(海兵遠征軍)第23海兵連隊第1大隊は、1月12日、ハジサン市内をパトロールする姿を示した。

 指揮官は、反乱者の活動に関する情報を受け取り、パトロールを地元の椰子の果樹園へ急行させた。パトロールは到着すると即座に、援護のために車両として使った戦車やヘリコプターから降りた。果樹園の大きな区域に迅速に非常線を張ると海兵隊は綿密な捜索を開始した。

 ユーフラテス川の縁に沿った果樹園を通り抜け、海兵隊は地元に挨拶をしながら、最初の報告を裏付ける追加の情報を求め、反乱軍の武器と隠れ家の捜索を行った。

「私たちは敵の活動と存在を掃除するために向かい、そして私たちの存在をお尋ね者に意識させる」と第3機動突撃小隊の突撃兵ベン・マクガイア伍長(25歳、テキサス州レッドオーク出身)は言った。

 イラク人は海兵隊が突然到着したことに驚くと同時に、好奇心に満ちた顔つきと新鮮な果実で海兵隊員をもてなした。

「私が思うに、我々が一般市民との良好な関係を作ることで全てが順調に向かう」とマクガイア伍長は書き留めた。

 捜索は、反乱者とその武器を隠すために用いられている地域の洞窟に関する情報に駆り立てられたが、しかし、洞窟の発見はできなかった。

「我々は噂の洞窟を発見できなかった。しかし、我々は爆弾を作るための物資と爆発物マニュアルを発見した」と第3MAPリーダーのビル・ヘンダーソン軍曹(27歳。オースティン出身)は語った。

 このパトロールは、部隊の新しい能力を示す重要なデモンストレーションだった。それは最初の頃、大半がテキサス州の予備兵からなる海兵隊員たちは戦車やヘリコプター部隊によってパトロールを行った。

「私は、戦術的に……人々が感銘を受けたと思っている。それが結合した兵器と資産の有効な使用だったから」とヘンダーソン軍曹は語った。

 海兵隊員は、迅速に、しかし、完全な捜索を行った(同じ道を引き返す行程を取りながら、積み重ねられたがらくたや堆肥の山を調べている)。パトロール部隊に派遣された工兵は、金属探知器によって怪しい場所を探査したが、何も見つけられなかった。

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 この地域が問題ないと決定された時、海兵隊員たちは果樹園から撤収し、基地へ戻った。

「我々は全ての品を発見できなかったが、誰も負傷しなかった。だから、それは良い日だった」とヘンダーソン軍曹は語った。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 在日米軍は、民間交流を盛んに行い、地域と親睦を深めています。沖縄県も、基地があるから財政成り立っているところがあるので、住民の大半は実のところは米軍にいて貰いたいのが本音。

 騒いでいるのは、県外の馬鹿が大半。

 その地域密着の交流活動として、Making mochiに参加しました。

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クリスマスに。

 本文の説明では、MOCHIと書いてあります。で、「MOCHI(Japanese rice cake)」と説明してあります。

 これ、「餅(餅)」と訳す訳で。つまりは、

モチモチですね。

 まあ、露光不足で心霊写真になっているのも気になる写真ですが。ついでにいうと海兵隊員は一人も写って無いんです。ていうかキャッチ22?

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2005/1/17の記事

タイ王国空軍基地ウタパオ(2005/1/17)

 1月18日、USSエセックス(LHD-2)はUSSボノムリチャード(LHD-6)とインドネシアスマトラ島沖で合流し、12月26日の津波の被害者に対する人道主義援助及び災害救済を援護する。

 エセックスはアメリカ中央司令部作戦地域から派遣され、人道支援任務が完了するまでインドネシアスマトラ島沖に残る。

 エセックスは、第536統合支援部隊(ロバート・R・ブラックマン中将指揮)の指揮下に入る。エセックスは、海軍の揚陸艦で4機のMH-53大型貨物輸送ヘリコプターと2機のMH60ヘリコプター、そして二隻のホバークラフト(LCAC:LandingCareerAirCushion)を装備する。船はヘリコプター及び水陸両用艇による沿岸地域への貨物輸送能力を有し、今回のような救援任務に必要な条件を満たしている。

 その上、エセックスには必要とされるならば、高水準の病院設備を提供するための能力を持っている。

 ボノムリチャードは、津波被害の当日から、スマトラ沖に係留し、以降、ほぼ24時間連続の救済活動を実施してきた。この船は本来アメリカに帰還する予定であったが、中央司令部の作戦地域に残り、仕事を継続する。

 ボノムリチャードは、ヘリコプターとLCACによって1,500万ポンドから2,750ポンドの救援物資を送り届けました。

 第536統合支援部隊は、主催国の要求に基づき、救済援助を順調に進めるための支援を継続するだろう。しかしながら、計画では多数の政府とNGOの救援活動が始まると地域の救援活動を調整しながら継続することとされている。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 志願者募集の合間に一人の女性が70秒の懸垂を試し、それを見守るマーシャ・ストークス二等軍曹。

 そう腕立て伏せと懸垂は軍隊において、体力作りなどに必須の運動です。

 ということで、


史上最強のぷーさん(昨年行われた何かのイベントにて)

 入隊した時は、まさか、ぷーの格好で懸垂をやらされるとは夢にも思ってもいなかったろうなあ。それでも、海兵隊のモットーは、「Semper Fidelis」。

 というか、何の因果で、伍長はこんな格好をするはめになったんでしょう? そして、この着ぐるみはどこから持ってきたのか? まさか海兵隊の制式装備? ていうかキャッチ22?

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2005/1/5の記事

アル・ラマディ(2005/1/5)

 月明かりに照らされた真夜中、海兵隊はそっと小さなイラクの村にある農家を包囲した。

 安全な場所から、霧の中、戦士たちは武器に弾を込めると金属のドアを伺った。

 別の海兵隊は、そこへ突進すると、閃光手榴弾を投げ込む。

「今だ! 行け!」

 閃光手榴弾の爆発によって、中にいた者は武器を持ち上げることができずに制圧は完了した。

 テキサス州及びルイジアナ州の召集兵は、夜間の非常線及び奇襲攻撃を行っていた。

「この非常線そして奇襲攻撃の目的は、私たちの作戦地域の反乱者を粉砕することによって選挙前に安全と安定を保つ大きな努力の一部です」

 とジェッセ・A・ノリエガ二等軍曹(第31MEU第23海兵連隊第1大隊B中隊)は語った。

「私たちの中隊による奇襲によって、テロリスト容疑者や彼らの武器貯蔵庫という重要な目標を押さえ付ける立派な仕事をしています」

 重要な目標の他にテロリスト容疑者とされる男性は尋問のために襲撃の間、拘束されている。

「私たちが重要な目標を追跡するとき、何人かの抑留者は、悪い時にちょうど居合わせた人々です」とテキサス州サンアントニオから来た警官は説明した。「私たちの行為は、広く掃除をするより、むしろ外科手術のようなもので、反乱者の発見は私たち海兵隊そして周辺の安全に繋がります」

 罪の無い村人や農場主との良好な関係を維持するために、海兵隊は地方の指導者たちと共に働き、そして、特別な作戦を始める前に何が起きるかを説明する。

 ドアを蹴り開ける前に、舗装されていない道路上の7トントラックやハンビーから降りると海兵隊は奇襲をかけるために徒歩で、すぐ近くの農場を横切り、密かに前進した。

「時々、野生の犬が騒々しく吠え立てて奇襲を邪魔することがあります」とマット・オコーナー上等兵(B中隊第3小隊機関銃手。サンアントニオ出身のバーテンダー)と語った。「しかし、イラクの人たちは普通は気にしません」

 最初の目的地では、地域全体を捜索し、重要な目標と思われる建物を立ち入り禁止にする。

 常にルールは厳格に守られる。中にいる者は丁重に扱われ、海兵隊員に凶器を向け、危害を加えようとしたことが確認されない限り、発砲はしない。

「時折、特定の目標は私たちの最新の情報にもかかわらず、そこにいない」とノリエガ二等軍曹は言った。「テロリストそして反乱者は、連中が持つあらゆる武器を手に村及び特定の家に常に止まっているとは限らない。何度も、連中は人を使って武器や(即席の爆発物の)材料を隠すことをしている」

 何人かの海兵隊員が、徹底的に捜査を行い、抑留者を確保すると同時に海軍衛生兵は年配の女性と子供たちに注意を払い、必要なら、医療行為を行う。

 海兵隊が、何の成果も無くキャンプに帰還したとしても、それらの努力自体は無駄ではない。

Marine Corps News(U.S.M.C)

先週の続き

 映画ナイトメアビフォークリスマスで、一番凶悪なのはサンタでした。


悪い子はいねえかあ

「逃げる奴は悪い子だ!

 逃げない奴は良く訓練された悪い子だ

 最近のサンタは、海兵隊の輸送ヘリでプレゼントを運び、悪い子には12.7mm弾をぶちこむようです。気をつけましょう。

 左と奥にいる人はトナカイさんでしょうか? キャッチ22?

※サンタクロースもマリーンだったようです。確かに、緋色は海兵隊の色です。

2004/12/31の記事

ファルージャ(2004/12/31)

 7tトラックのアイドリングはベッドに潜り込んだ海兵隊員たちをがたがたと揺さぶる。

 このひどく寒く暗い12月朝、疲れた目で、彼らは監視所へ護送隊が進み始めるのを眺めた。

 第8海兵連隊第1大隊B中隊は、ファルージャ遠隔の農地の治安のために毎日活動している。

「私たちは、我々の部隊がここにいることを示すためにどこへにでも向かう」

 第3小隊のティームリーダーであるロバート・M・ランダース伍長は語る。「我々はイラクをイラク人にとって安全な場所にしようとしている」

 ファルージャ掃討作戦が完了した後、第8連隊第1大隊はファルージャ外縁の農場及び村の治安活動のために都市を後にした。

 農場を経由して、7-15キロメートルをパトロールし、歩き回って汚れた姿で眠りにつく。これは我々の地域を横切り、都市へ帰ろうとする反乱者を阻止し、村人たちに安心感を与えるために重要です」

 海兵隊の存在を示すことは農地において反乱者を阻止する目的も持っている。

「都市郊外が安全であることを我々は確認します」

 と第3小隊の斥候ウェイン・E・ボウマン伍長は語る。

「反乱者が農場を経由して都市へ密かに潜入しないことを確認するために我々は歩哨を立てる。我々はパトロールを行うと同時に反乱軍と、その武器を油断無く警戒する」

  市内の凄まじい戦いから、中隊の任務は一変した。

 安心感は別として、我々がここにいることをイラクの人々に再び示す作戦の目的には意味がある。

 しかし、郊外には反乱者よりも更に無情な敵がいた。それは天候だった。

「寒い? 本当に寒いのは夜だよ」

 とボウマン伍長は言った。

「しかし、我々は夜にはキャンプファイアーを作り、それは一定の士気を盛り上げている。こうすることで、暇をつぶせるし、仲間たちと冗談を話すことで僅かでも社会的な時間をもてるからね」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 昨年のクリスマス。海兵隊員の良い子の元にもサンタさんがやってきました。


……どうつっこめば?

 何か違うような気がするのですが、多分、気のせいです。そういうことです。キャッチ22。

※抱かれているのは大隊付曹長。

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