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索引の出来事

2005/12/29 12/26の記事 レイジングブルが、イラクへ二度目の突進を行う
2005/12/22 12/14の記事 海兵隊員は"分隊長"の意味を理解する
2005/12/15 12/12の記事 IIMAWの海兵隊員たちはデザート・タロンのために出発する
2005/12/8 12/3の記事 飛行任務中、ハリアーは彼らのかぎ爪を鋭く保つ
2005/12/1 11/24の記事 コブラは、イラクの空を通って舞い上がり、地上の海兵隊員を支援する
2005/11/24 11/20の記事 戦車よりもっと多くに備える対戦車突撃手
2005/11/17 11/10の記事 IIMEF(FWD)は軍団の230周年を祝う
2005/11/10 11/2の記事 装備の重要性を見せられた海兵隊員
2005/11/2 10/30の記事 VMGR-252航空機搭乗員がイラクで作戦を可能にする
2005/10/26 10/18の記事 実弾射撃訓練にフィリピン軍海兵隊が参加する
2005/10/19 10/13の記事 支援海兵隊員たちが戦闘技術を磨き上げる
2005/10/12 10/5の記事 海兵隊員たちと兵士たちは、アル・アサドで倒れた者たちを偲ぶ
2005/10/5 10/1の記事 ベイルート大隊はハリケーン救済への貢献を終える
2005/9/28 9/4の記事 SVBIED攻撃にI中隊は反応する
2005/9/21 9/8の記事 第4海兵師団の栄誉、それは倒れた海兵隊員たち
2005/9/14 9/7の記事
9/9の記事
海兵隊は補給物資を運搬し、ニューオリンズ住民を救う
第4AAV1/8はハリケーン被災者援助のためにマイクホードに配置される
2005/9/7 9/1の記事 ニューリバーの海兵隊員がカトリーナ被災者に支援を提供する
2005/8/31 8/19の記事 2/1が"照らし出す"オーストラリア人の奥地
2005/8/24 8/19の記事 基地安全:沖縄の水難死者の無い492日間
2005/8/17 8/12の記事 打撃の非殺傷パック
2005/8/10 7/20の記事 3/4CAATはファルージャで全てを経験した
2005/8/3 7/28の記事 グループの仕事のために民間業務の最前線のイラクへ向かう
2005/7/27 7/20の記事 VMFA(AW)332が、無事故フライト100,000時間を超える
2005/7/20 7/15の記事 フライングタイガースの機付長は、敵と交戦する訓練を受ける
2005/7/13 7/6の記事 スカウト訓練は、戦場の詳細と風景を提供する
2005/7/6 6/29の記事「 ナヴァホ:軍団における資産を継続すること
2006年上半期掲載分

2005/12/26の記事

20051229

イラク アル・アサド飛行場(2005/12/29)

 海兵中型ヘリコプター航空隊261(増強)がイラクの自由作戦を支援するため、イラク西部で準備をするために戻ったとき、先週、精通した場所へ攻撃ヘリコプターの背後から海兵隊員と水兵たちが吐き出された。

 多数の"レイジング・ブル"航空機搭乗員と整備士たちにとってアル・アサドの飛行場は非常によく知られている。航空隊の海兵隊員の半数近くが去年の7ヶ月近くを不規則に広がったイラクの空軍基地で従事した。

 複合航空隊は第22海兵遠征部隊(特殊作戦能力有)の航空戦闘分隊として現在配置されている。イラクにいる間に航空隊は、それはもう少しで一年間イラクにいる第2海兵師団と共に任務を行う第22MEU(SOC)ともに任務を行うため第2海兵航空団の下で働くだろう。

 ウィスコンシン州ミルウォーキー出身のジェイコブ・マガイアー伍長は、イラクへの彼の二度目の旅をする。彼の航空機が巨大な誘導路の一つに着陸した後、CH-46Eシーナイトの機付長は北のアラビア湾のUSSナッソーからイラク西部までの飛行が"平穏な"と表現し、そして、それから航空機の上に素早く登り、そして彼のヘリコプターを点検し始めた。

「私たちが到着した今、私たちが今夜必要とされる場合に備え、私たちは再び行くためにこれらのヘリコプターの準備をしなければならない」とマガイアーは言った。

 シーナイトの基本的な全機の他に、CH-53Eスーパースタリオン重輸送攻撃、AH-1Wスーパーコブラ攻撃、そしてUH-1N汎用ヘリコプターの全てがCH-46Eと同じ日にアル・アサドに到着した。ヘリコプターの到着する前日にAV-8BハリアーII攻撃機の航空隊分遣隊は飛行場へと飛んだ。

 第22MEU(SOC)はHMM-261(増強)に加えて第2海兵連隊大隊上陸チーム第1大隊及びMEU役務支援集団22の司令部隊から成り立っている。 。MEUは現在イラクのアル・アンバー州に配備される。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 海兵隊の使用するヘリコプター全種類が登場する記事です。

 え? V-22?

 しかし、海兵隊が現在使用しているヘリコプターは全てベトナム戦争で実戦経験済み。別な言い方をすると、改良などはしているにせよ、全て30年、40年に渡って使用していることになります。

 コブラの後継も、AH-1Zとまたコブラですが、機体価格的にはアパッチとそう大差ないので、実績を重んじているのか、単に面倒なのか。UH-60は買って貰えないというより、V-22オスプレイを待っているのでしょうが。

 で、去年は、そのヘリコプターになまはげサンタクロースを乗せて、

悪い子はいねえかあ

 という風に、


逃げる奴は悪い子だ。逃げない奴はよく訓練された悪い子だ。

 というのをやっていたわけですが。今年のクリスマスネタは、まだ面白いのがない。

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2005/12/14の記事

20051214

イラク ファルージャ(2005/12/14)

 海兵隊歩兵小隊に存在する格言とする大雑把な言い方は、もし分隊長がたじろぐか、凍り付くか、或いは失敗するなら考え出された全ての全ての機上の戦略上計画は価値がないと言われる。

 コロラド州カスター郡出身の20歳、クリス・W・アダイア伍長は経験からこの格言について知っている。

 アダイアは、イラクに彼らの二番目に展開された第7海兵連隊第2大隊所属の多くの分隊長の一人だ。去年、任務部隊2/7は連隊戦闘チーム8の一部として攻撃任務に就いた。今回の場合、連隊戦闘チーム8「ウォードックズ」はファルージャの外と中で作戦を行う。これはカリフォルニア州29パーム海兵隊航空地上戦闘センターのための三度目のイラクの自由作戦展開だ。

「あなたは民間の世界では日々、重要な生死に関する決定を20歳の人間に課すことを見ることは滅多にない。しかし、海兵隊において、彼らはファルージャの路上とそれを囲む地域社会の異なった種類の軍事行動で成し遂げられることを頼られ、そして期待される人物となる」とスコット・J・ベーカー一等軍曹(E中隊付軍曹)は言った。

 アダイアは、誰が分隊長であることに関して、一つのもの或いは二つを知っている1986年の映画プラトゥーンでトム・ベレンジャーの演じたボブ・バーンズ二等軍曹の表情と態度を持っている。

 彼はコロラド州ウェストクリフのカスター郡高等学校から卒業した後、2003年に海兵隊に志願した。彼は彼が第7海兵連隊第2大隊に配属される前にサンディエゴの海兵隊新兵訓練所で新兵訓練を、そしてカリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン海兵隊基地で海兵戦闘訓練を完了した。彼がまだ上等兵だった2004年2月に第1小隊の分隊長になり、一ヶ月後に伍長へ昇進した。

「分隊長は分隊の任務の達成に責任があるが、彼は同様に一ダースの他の海兵隊員の生命にも責任がある」とアダイアは言った。「あの基本概念は新兵訓練所の初日からあなたが学び、そしてそれはそしてあながたあなたの部隊を持つとき(海兵戦闘訓練)において増強される」

 そのリーダーシップの基本概念は「初日」から教え込まれるかもしれないが、それは現実の生死に関わる任務において、早速試される。

「ただ、シンプルな乗車或いは徒歩のパトロールに今にも出発の準備は沢山ある」とアダイアは説明した。「全てのことが予めセットされていなければならない、出発準備ができている-もし必要であるなら、個々の任務の研究そして演習、武器或いは弾薬、車両、任務のためにはどんな特殊装備でも用意する。しかし、最優先なのは、あなたはあなたの海兵隊員たちの準備ができていることを確認しなければならない」とアダイアは説明した。

 分隊長は双方に専門的知識を与えなければならず、そして命令を取るか、そしてどのように緊急状態に対処するか、任務全体を見失わないようにしなければならない。この全てがイラクのアル・アンバー州の複雑なそして動的な環境において軍事行動の間に行われる。

 パトロールは毎日行われ、そしてそれぞれが独特だ。彼らは、時間、場所、そして移動方法-昼もしくは夜、都市或いは農村、徒歩或いは乗車のように-によって素晴らしいかもしれない。「そのためのあなたの準備した道筋においてそれは区別されるとともに、パトロールのそれぞれのタイプをもたらす」とアダイアは説明した。しかし、アダイアによれば、準備するべき最も重要なことは不慮の出来事だ-そして若い海兵隊員たちはここでそれを予想することを学んだ。

「増加装甲車両の後部の中へ三階建てのビルから手榴弾が投げ込まれ、コンボイへ自爆攻撃がされ、パトロールルートで埋められたIEDが爆発される−これらは私たちが直面した状況の少しだ」とアダイアは穏やかに言った。

「私たちの仕事は我々の海兵隊員を導き、そして指示し、分隊のために戦術的解決をし、そして規則を守らせることだ」とアダイアは言った。大隊の分隊長たちは彼らの海兵隊員が有効な装備、良い生活環境、肉体の調整、適切な訓練、そして管理を受けることを確実にする。イラクにおいて、分隊長たちは毎日の任務の段階を通して、彼らを指導し、彼らの海兵隊員たちの生命に非常に責任がある。

「彼らの生命はあなたの決定と、あなたがどれだけ圧力下であなた自身を扱うかに依存する」とアダイアは説明した。

 海兵隊員たちは、この負担のために選ばれ、彼らの直面する朝鮮のためにとても準備されている。ベイカーによれば、ライフルマンであるそれらの時間の間、海兵隊員たちは歩兵技術、経験、強靱さ、知性、無私無欲そして伝達技術の特別な融合のために保たれる。

「経験こそ教師だ」と不機嫌にベイカーは付け加えた。「時々、若い分隊長が銃撃による洗礼を受けるが、しかし、あなたは、ここの経験で、彼らを考えられる限りの何のためにでも準備させることを確信することができる」

「あなたがより多くの立場にいると、それはそれだけ容易になる」と現実問題としてアダイアは言った。「自信こそが鍵だ。あなたはあなたがことを起こさせることができることをしっていなければならない」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 記事にあるように、確かに民間の世界では20歳の若者が部下を持つだけでなく、彼らの生命すらも預かるという状況は無いでしょう。

 分隊長より上の階級でも同じで、師団長ともなれば18000名近い人間の生命の責任を持っているわけです。

 こういった方たちの尽力により、一部のえせ平和団体が望んでいたような混乱もなく、無事イラクにおける選挙も終わりました。

 そのためか、非常にあっさりとニュースでは流されています。人が傷つくか、死なないと報道しないというのは口で言っている割には平和なんかどうでもいい、という立派な心がけの表れですね。

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2005/12/12の記事

20051215

ノースカロライナ州海兵隊航空基地チェリーポイント(2005/12/12)

 現在、三個航空隊の中からの航空隊と海兵隊員たちはアリゾナ州ユマの海兵隊航空基地で半年度の海兵航空隊演習の参加のため過去三週間以内に去った。

 デザート・タロン演習に参加する部隊は、海兵航空支援航空隊274、海兵戦術電子線航空隊2、そして海兵航空兵站航空隊14だ。

 MWSS-274所属の副官スコット・ニューウェル准尉は、これが全ての「アイアンマン」が砂漠の嵐作戦以来の動員された最初であると語った。ニューウェルは2006年内頃に設定され、予定されるイラクへの航空隊規模の派遣中に直面するであろうそれらの砂漠の状態に良く似た経験をデザート・タロンはMWSS-274の海兵隊員に提供すると語った。

 イラクにいる間、MWSS-274は航空基地の安全の提供、飛行場の維持、航空機復旧の支援、前線武装整備と補給地点、通信設備維持を行い、そして第2海兵航空団全部隊のために輸送部隊を動かすだろう。

 ニューウェルは、航空隊が派遣のための準備が完了してから7ヶ月を過ごしたと語った。

 VMAQ-2所属の兵站将校ロデリック・キャピリ大尉は、ジェスターがその訓練飛行時間の日まで航空隊を維持することを保証するために訓練課題を使っていると語った。

 つい最近、VMAQ-2の海兵隊員たちの波が、既にそこにいる約40人のジェスターのグループでデザート・タロンのために出発した、とキャピリは語った。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 空物第3弾。

 短い記事はありがたい、というのはキャッチ22。

 エースコンバット5では、今一つ使い勝手が良く分からないEA-6プラウラーです。原型機のA6が退役しても今なお現役。

 大戦略ではそれなりに活躍。

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2005/12/3

20051208

USSナッソー搭載(2005/12/3)

 水陸両用突撃船に搭載され、飛行甲板で減速するAV-8BハリアーII攻撃機と同じような独特の音が発することはない。航空機のロールスロイスターボファンエンジンのうなりは船の最も低いレベルにさえ反響し、そしてそれらの側で明確に耳をつんざくようである。

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 第22海兵遠征部隊(特殊作戦能力有)が可能性のある戦闘任務へ精力的に進み続けるように、この音は部隊の海兵中型ヘリコプター航空隊261(増強)航空戦闘班が、訓練任務のために空へ、そのハリアーの搭乗員を打ち上げへのあらゆる機会を手に入れる。

2005120820051208

 1982年のフォークランド紛争中にイギリス軍パイロットの手によって、その実戦デビューをした少し後の1985年に始めて海兵隊でもハリアーの運用を開始した。その時から、砂漠の嵐、不朽の自由、そしてイラクの自由各作戦において印象的な戦闘履歴を成し遂げ、世界全体に偉大な成功とともに航空機の最新バージョンを海兵パイロットたちは飛ばした。

 その短距離及び垂直離着陸可能なユニークな能力は、ハリアーに行動範囲、速度、そして印象的な武器搭載量は、MEUに、その長距離攻撃と偵察能力を提供する。

 第22MEU(SOC)はHMM-261(増強)に加えて第2海兵連隊大隊上陸チーム第1大隊及びMEU役務支援集団22の司令部隊から成り立っている。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 海兵隊お気に入りのハリアーの訓練の様子。

 記事中にあるように性能は海兵隊の望みどおりで騒音はともかく、S/VTOL能力を生かし、A4スカイホークの後継機として数々の作戦で活躍中です。

 更に本文中にあるように、その排気音故に、かつて航空ショーで日本に来た時は、あまりにも騒音がひどいので飛行差し止めを食らったことも。

 エースコンバットシリーズ(今度は、あのベルカ戦争、か…)で使えるようにはならないものですかねえ。

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2005/11/24の記事

20051201

イラク キャンプ・アルクァイム(2005/11/24)

 イラクの空を通って舞い上がる海兵隊の飛行するAH-1Wスーパーコブラが、二次的な損害を最小限にするために、彼らの目標に最大限の損害を与えるために精密誘導兵器の使用に慣らされた。

  9月中にイラク西部に到着してから、海兵隊軽攻撃ヘリコプター航空隊369のガンファイターズは、継続する作戦の支援において敵へ正確に誘導された砲弾を切れ目なく投下した。イラク、アル・クァイムからのガンファイターズは、11月17日、彼らの正確に誘導された100発目のAGM-114ヘルファイアミサイルを投下した。

20051201

「私たちは、地上戦の同胞を支援して、次々と目標を破壊している」とジョン・バランコ少佐(ボストン出身、そしてガンファイターズのアル・クァイム分遣隊の指令将校)は言った。「それは今まで敵と接触することなく一日が経過するようにすることはまれだった。私たちは若いコブラパイロットたちを保有している。数名は彼らの最初の派遣で、数名が戦闘を目撃する最初の機会だ。しかし、彼らは全員途方もなく大きな仕事を行っている」

  コブラは、空飛ぶ弾薬庫だ。ヘルファイアの他に、ガンファイターズのパイロットたちは、セミ徹甲弾、高性能爆薬焼夷弾のどちらも発射できる20ミリ旋回機銃、そして5及び2.75インチロケットで地上の敵の驚異を排除した。しかしながら、パイロットたちは彼らが主にヘルファイアをそれが正確であるために使っていると強調した。

  ガンファイターズ所属のコブラパイロットのディーン・オルトマン中尉は彼が以前に発射した5倍以上、ここで彼の最初の飛行の一回の間に5発のヘルファイアミサイルを発射した、とバランコは言った。

「それは戦闘で発射することで、それはそうすることが可能だという大きな勇気を示す」とバランコは言った。「オルトマンは、ただ一つの例で、私たちの中尉たち全員が、同様のストレス下でコブラを飛ばし、大きな仕事を行っている」

  バランコは、コブラパイロットたちが空にコブラを止め、昼も夜も働き、驚くべき海兵隊員たちのメンテナンスレベルを伴わず、地上の海兵隊員たちを支援し、精密誘導兵器を発射することは不可能だろうと強調した。

20051201

「コブラが帰還するとき、彼らはミサイルを発射した後で、あなたは全てのあなたたちの困難な仕事に見合う価値があると感じる」とヒューストン出身のガンファイターズ所属の兵装員ダグ・ジョンソン上等兵は言った。「24時間の期間内に、私たちはフサイバにおけるスティールカーテン作戦の支援においてヘルファイアとともに精密誘導兵器10発を撃ち、それらは即製爆弾と同様に敵を建物から追い出している」

 ジョンソンは、コブラが反乱者を殺すことで、彼らが海兵隊員と無実の一般市民の生命を救うことを彼は理解しているため、どんな場合でも忙しく、そして彼が絶えず働くことを彼は楽しんでいると言った。

「私たちは存分にビルディング内の反乱者にヘルファイアを使う」とコロラド州ウッドランドパーク出身のガンファイターズ所属のコブラパイロットの一人アーロン・ヘイズ大尉は言った。「前線航空管制官の座標における指示で、私たちはコブラ搭載のセンサーでそれを突き止め、そして目標を吹き飛ばす」

  ヘインズは、コブラパイロットの主要な任務が地上の海兵隊員たちのための近接航空支援と死傷者の搬出のための安全の提供にあると言った。

「私たちは、これまでアル・クァイムからの作戦で現在非常に成功した支援だった」とヘインズは言った。「イラクの他のどこへでもそこへ更に多くを撃ちにいく。寒い天候は私たちの鳥たちに最適なより多くの力を与え、少しも私たちの速度を遅くすることはない」

  ガンファイターズは、日単位で戦闘に直面する間、イラク全土で成功している。彼らの士気は高いけれども、彼らは同様にこの戦争の一面にも遭遇した。11月2日、彼らのコブラの一機が墜落し、マイク・マルティーノ大尉とジェリー・ブルームフィールド少佐のパイロット二人が死んだ。

「私がコブラを見るときは常に彼らのことが思い出される」とニューメキシコ州カートランド出身の機体付属任務の品質保証代表者ブレイナード・D・シャーリー軍曹は言った。「私も、彼らの犠牲は私たち全てを象徴する。私たちが信じる目標と私たちがこれらの人々が自由を達成するのを手伝おうとしている。それはこれらの航空機が飛行を続けることを維持するため、私たちがそうすることができる最良の仕事を行うことは私たちをよりしっかりと突き進ませることを望ませる」

20051201
Marine Corps News(U.S.M.C)

 ベトナム戦争で、ガンシップヘリの有効性と重要性が証明され、誕生したAH-1は、今も現役で活躍しています。海兵隊でも、新鋭AH-64が登場しても、やはり、船へ搭載するのに向いていることと、よさ…コブラのアップグレードで十分ということから、後継機も更に改良されたAH-1Zになるようです。

 また、テロリストと違って、アメリカ軍は民間人の犠牲を最小限に留めるために一発あたりの単価が高くても精密誘導兵器を用いています。テロリストを信奉する一部のマスコミ他は、テロリストの方が民間人を殺しまくっている現実は見る気もないようですが。

 アパッチより、コブラの方がかっこいいな、と思うのは個人的意見です。

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2005/11/20の記事

20051120

イラク キャンプ・アルクァイム(2005/11/20)

 このシナリオの写真:海兵隊ライフル分隊がイラク西部において壁に囲まれた構内に向かって進む。ポイントマンが門に到達したとき、穴だらけの壁と金属門の内側からの自動火器の銃撃がほんの数インチだけ海兵隊員をそれた。

  反乱者はドアと窓の防備を固めて集結して内部に居座った。あなたはどのように彼らを根絶し、そして海兵隊員に死傷者を出さずに構内とその建造物に押し寄せることを可能にするか?

  呼ばれたペンシルバニア州ウェインズバーグのスティーブン・L・フィリップス上等兵とニューヨーク州オルバニーのポール・J・コルクホーストの二人は第6海兵連隊第3大隊I中隊所属の対戦車突撃手だ。

「大部分、私たちは(ライフルマンの)攻撃する際に致命的となるだろう襲撃目標と突破口にいる」と海兵隊に志願する以前はパッケージデザイン技術者として働いていた27歳のフィリップスは言った。「私たちは直接突入することなく標的を追い出す手段を持っている」

  フィリップスが語る手段とはMk-152肩撃ち対戦車兵器で、これは本質的にロケット発射筒だ。肉体と血の歩兵を銃弾の潜在的な悪夢の中へ送り込む場所で、ロケットが建造物の中の目標を排除するために使用することができる。

「もし(ライフルマンが)建物の中を素早く解放することが必要であるなら、或いはもし彼らがそれが破壊されることを必要とし、そしてそこで戦車が発砲することができない地域であるなら、彼らは私たちを呼び出す」とシェーカー高校2004年度卒業生19歳のコルクホーストは言った。「私たちはドア、鍵、弾薬を吹き飛ばすことができる。私たちは(破壊を)伴い、穴を開け、ビルを壊し、そして車両を食い止める」

  もう一つの対戦車突撃手の任務の場面は破壊の行使だ。もし海兵隊分隊が頑丈な鍵のために構内の門を通って進入することができないなら、突撃手はドアと他の障害物を吹き飛ばして破壊するように訓練される。

「私たちはキャンプ・レジューンで市街突破コースを通過し、そして歩兵の訓練所で破壊訓練パッケージを受けた」と海兵隊で4年の義務を終えた後にパイロットになるためにエムブリー・リドル航空大学へ参加することを考えているフィリップスは言った。「私たちは訓練を通じて多くの経験を得る」

「私たちは同様に基本的な地雷除去を教えられる」とコルクホーストは言った。「私たちは地中の地雷のための探索機と地雷探知機の操作方法を教えられる」

  シナリオについては…それはそれ自体はシナリオではなかった。それは現実に起き、そしてフィリップスとコルクホーストは、「片付いた家」にいた。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 警察は、犯人の立て籠もる建物へ突入しなければならない。軍隊は、ただそこを吹き飛ばす。

 そのために訓練を受けた隊員の記事。

 別な記事が気が乗らなかったので、こちらに変更。

 この記事の写真に写っていたのが、M249SAW。ですが、ストックが引き出し式。現地改造なのか、新タイプなのかはわかりませんが。

 以前から、M249が欲しいと思っているのですが、サバゲに使える機関銃の性能に関してはキャッチ22なのと高いので手が出ません。

2005/11/10の記事

20051110

イラク・キャンプ・ファルージャ(2005/11/10)

 海兵隊誕生日の伝統を維持することにおいて、第2海兵遠征軍(FWD)が司令部内の中庭で11月10日、ケーキをカットする式典を催した。

 IIMEF(FWD)司令官ステファン・T・ジョンソン少将とIIMEF(FWD)付最上級曹長ゲーリー・W・ハリス最上級曹長に従って100人を越える海兵隊員と水兵が式典のために出席していた。

  部隊における最古参の海兵隊員IIMEF(FWD)対テロリズム部隊保護指令将校ゲーリー・I・ウィルソン大佐58歳とIIMEF(FWD)最年少のG-2オフィスの通信センターオペレーター、そしてシステム管理者のライアン・エバリー上等兵19歳が式典における名誉を与えられた。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 今年も、巨大ケーキを食べる式典がやってきました。

 色合いについてはキャッチ22。

 1937年にケーキ・セレモニーが始まり、いつの頃からか毎回、こうして巨大ケーキを作り、最年長者に最初の、最年少者に次の一片を分け与えるようになりましたが。そんなケーキの制作風景(場所は違いますが)

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2005/11/2の記事

20051110

イラク キャンプ アル・カイム(2005/11/2)

 第3機動突撃小隊は、第1機動突撃小隊とともにいた場所において交替を行ったとき、一日中狙撃された。

 アラバマ州レーシースプリングス出身の第6海兵連隊第3大隊武器中隊第3MAP対戦車突撃手ブラッドリー・A・スナイプス上等兵が彼のM-2.50口径機関銃の後ろで彼のハマーの銃架から担当の地域を見張っていた座っていたとき、それは起きた。

「私たちは既に決まった場所で(第1MAPと)交替し、そして一日中ワジを越えてくる狙撃を受けていた」とスナイプス(22歳、ブリューワー高校2002年度卒業生)は言った。「誰かが野球のバットで私の頭を殴ったように感じたとき、私は銃架の上で、ただ呆然と理解できずに座り込んでいた」

 狙撃手は、彼のケブラーヘルメットをかぶった頭に直接命中させ、スナイプスの彼の頭の側面を垂直に撃っていた。

「私はショックを受け、私は何が起きたか理解できなかった。私は、"私がまだここにいるか?"と考えたことを覚えている」と彼は言った。

 スナイプスは銃架の中に落下した。それは彼が彼のヘルメットのおかげで、事実、まだ生きていると悟った時でもあった。その上、ハマーの運転席内に飛び込んだ不完全に粉々になったもう一発の銃弾が、彼の.50口径機関銃の銃把の一つを貫通して破壊した。狙撃手はそれから車両のタイヤへ照準を合わせ始めた。

 少し後に、彼は彼自身を落ち着かせ、そして彼の機関銃で狙撃手と交戦するために銃架の中へ5フィート11インチの体格を支えて引き上げた。

 オハイオ州ケンブリッジ出身のジェレミー・S・ウィルキンソン中尉(第3MAP小隊長)によれば、彼の小隊の火力と航空支援からの500ポンド爆弾が結局狙撃手を沈黙させた。

 ブラッドリー・スナイプスの生命は彼の装備によって救われた。

「私は本当に驚いた。それは長距離ならば7.62mm弾を止める能力があると想定されていた。十分に、それはできた」と彼は言った。「装備の効果を疑うな。これが証拠だ」

 現在、アフガニスタンにおける戦闘任務のベテランであるスナイプスは、彼のヘルメットを記念として残そうとしている。

「私は、"そうすることができなかった小さな弾丸"を伝える記念額とともにケースに入れることを望んでいる」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 狙撃されたもののヘルメットによって助かった隊員の話です。

 共産圏の軍隊と違って民主主義の軍隊では、兵士の命も無駄にはできません。映画や漫画と違って、かつては耐弾性能のあるヘルメットもボディアーマーも重量がかさむだけで、一般的ではなかったのですが、今ではそれが最低限の条件となっている訳で。

 映画スリー・キングスでは、PASGTアーマーが止められないAK47の弾を止めたりしていますが、私の知っている限りでは、20mm機関砲弾を防いだ漫画がありました。アーマーはともかく中の人間が持たないと思うのですが、防弾チョッキを着ていれば、頭を撃たれようが、核兵器の攻撃を受けようがおそらく平気なのが漫画などでは基本です。キャッチ22です。

 ところで、この記事。スナイパーに撃たれたスナイプス上等兵ということで。Sniper(狙撃手)にSnipes(狙撃)が撃たれた、と。

 普段使っているInsurgent(反乱分子)ではなく、Sniperという記述にしたのは語呂合わせ?

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2005/10/30の記事

20051102

イラク アル・アサド(2005/10/30)

 航空隊の多様な活動部分に協力して、空中要請に最大限の協力のために第252海兵空中給油輸送飛行隊のKC-130Jは維持される。

 航空機が飛べることを地上の整備海兵隊員が保証し、そしてパイロットが操縦する間に、それは航空搭乗員が効率的な安全と効果的な作戦を保証する。

「航空搭乗員無しには、誰も飛ぶことは不可能だろう」とマイケル・S・ロバーツ大尉(VMGR-252所属のパイロット及びクリーブランド出身者)は言った。「優れた、そして悪い乗員の間の相違が、作戦の成功か失敗の間の相違だ」

 志願者の航空機搭乗員は機付長と貨物員の二つの構成要素で成り立っている。それぞれの海兵隊員お仕事は異なり、そして仕事がフライトを通じて展開される。

「皆が飛行前の通常過程を行う」とブレント・J・グリーンバーグ二等軍曹(VMGR-252所属の機付長)は言った。「私の携帯品の維持管理系は航空機が飛べることを確実にさせる」

 機付長が航空機の有効性の確認作業に追われる間に、貨物員が航空機への貨物搭載の準備を行う。

「離陸前に、私たちは積み荷の移行を心配する」とマイケル・G・トレス軍曹(カリフォルニア州ウィロウズ出身の貨物員)は言った。「もし物資が適切に固定されていなければ、乗員を失うことになる。私たちは同様に重心が適切に維持されることに専念している。もし航空機の重心が損なわれれば、それはフライトを危険にさらすことになる」

 空中で航空機搭乗員は新たな作業を引き受ける。貨物員は、地上からの小火器もしくはロケットの攻撃を見張るために航空機の後部に座る。彼らはそう、とトレスは、「鳥の背中の目だ」と言った。給油任務中には貨物員は更に給油中のジェット機へ給油ホースを管理する処置を執る任務を負う。

 その間、機付長はパイロットと多くの仕事を共有し、コックピットに座る。

「私はパイロットを支援する」とグリーンバーグは言った。「私はそれらから離れて幾つかの割り当てられた役目を試みる。もし私たちが緊急手段を抱えていたのなら、私は問題を処理し、そして私たちが継続可能なら作戦指揮官にアドヴァイスをする」

 それは志願した海兵隊員の様々な役割で、基本的には飛行中の補助パイロットとして勤めるが、グリーンバーグは彼らの有効性をテストするために起動させられるエンジンの試運転で航空機に乗り込む軍における唯一の志願兵が機付長、と言ったように、それは彼が気楽に応じられる役割だ。

「私は、これらを飛ばすことができる。難しいのは着陸することだ」と彼は冗談を言った。

 航空機搭乗員チームは作戦終了まで同じような目的に従事し、航空機が地上に到達するまで協力する。ロバーツが記録したように、航空機搭乗員は極めて重要だが、このような新しい航空機での彼らの貢献は極めて貴重だ。

「試験する側から、私たちは私たちがこれらのことに何ができるかを見るためにまだ私たちの肩越しに見ている」とワイアット・L・ラムソン曹長(KC-130Jに従事する最上級曹長代理)は言った。「彼らは期待を超えており、そして(我々の若い乗員という)条件を特に考えると、もっと良くなかったかもしれない」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 イラクで、KC-130J空中給油機を運用する海兵隊。航空戦力の運用に欠かせない空中給油機も、パイロットだけではなく、その乗員たちの協力と努力あってのもの。

 何となく一枚目の写真が気に入って選んだ記事ですが。内容的には、普通ですというのはキャッチ22。

 ところで、自衛隊も空中給油機を導入とか。これで大戦略が多少楽になるな、と(後は正規空母か……)。

2005/10/18の記事

20051019

フィリピン共和国クラーク空軍基地(2005/10/18)

 第31海兵遠征部隊所属の深層偵察小隊の海兵隊員は、実弾を装填した拳銃とライフルの屋内近接戦闘資格取得と訓練のために10月18日、ここでフィリピン海兵隊と航空兵とともに訓練された。

「それは皆にお互いの能力を見る機会を与え、そして我々が強い態度と実例を示すことを保証する」とダニエル・ハウ二等軍曹(オハイオ州クヤホガ・フォールズ出身31歳、そして第31MEU、DRP第1チームリーダー)は言った。

 フィリピン海兵隊の二人にとって、それは彼らが拳銃で訓練した最初の時だった。

「これは私の(M1911A1).45(口径)拳銃を使う最初の射撃だった」とフィリピン海兵隊ディエゴ・ボンケールス一等兵(艦隊偵察大隊偵察海兵隊員)は言った。「アメリカ海兵隊からは学ぶのは最高で、それで私は彼らが私の教師であったことを嬉しく思う」

 全ての軍人がライフルと拳銃の双方を用い、30ヤードから3ヤードの近距離まで随時移動し、近距離射撃場において200-300発を撃った。

 アメリカ海兵隊顧問は海兵隊射撃術基本を彼らの対応者に 空撃ちと実弾射撃強襲によって補強した。

「彼らは多くの戦いを見る」とマイケル・ペトラッシ伍長(ニューヨーク州ロングアイランド出身の20歳。DRP所属の偵察隊員)は言った。「私たちと同じ船に乗る誰もが、テロリズムに対する戦いへ赴く、その時まで私は彼らに射撃方法を教えるのを手伝うだろう-私はテロリズムの根絶に尽力する」

 次の近距離コース上の実弾射撃訓練で、軍人たちは彼らの焦点を「キル・ハウス」施設へ向けた。「キル・ハウス」は市街戦訓練のために用いられるシミュレートされた近接戦闘サイトだ。

 アメリカ海兵隊は教育のためにフィリピン軍部隊に彼らの大規模な訓練と市街戦環境の体験を申し出た。

「もし私たちが近接戦闘を学習するつもりがあれば、私はアメリカ海兵隊から学ぶことを望む」とフィリピン海兵隊のフランシスコ・ラミレス二等軍曹(艦隊偵察大隊通信主任)は言った。「彼らは彼らが何をしているか理解している」

 フィリピン軍の軍人が調査する間にアメリカ海兵隊は幾つかの実弾射撃訓練において「キル・ハウス」を走り抜けた。アメリカ海兵隊員の手本の後に、フィリピン海兵隊員と航空兵が家の感じをつかむためにアメリカ海兵隊員とともに空撃ち訓練で走り抜けた。

 理解し、満足する段階に達した後に、双方のフィリピン軍人が実弾で自分の番を勤めた。

 実弾射撃訓練は、タロン・ヴィジョンと呼ばれる年度の訓練展開の一部だ。演習は互換性を改善し、迅速さを高め、そしてアメリカ軍とフィリピン軍間の専門的な関係を構築するよう意図されている。

 およそ4,500人の第31MEU所属のアメリカ海兵隊員と水兵たちと前方配置の水陸両用準備グループがフィリピンにおけるタロン・ヴィジョンと水陸両用上陸演習(PHIBLEX)2006で二国間の訓練演習において能力を発揮するだろう。タロン・ヴィジョンは10月16日から10月23日まで行われ、そしてPHBLEXは10月21日から11月1日まで行われる。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 フィリピン海兵隊との合同演習の一環として、フィリピン海兵隊に実弾射撃訓練を行うアメリカ海兵隊。

 フィリピンでは軍のクーデターも恒例行事というのはキャッチ22として、長くアメリカ軍と関係を持っていただけに、かなりの掘り出し物も眠っている、とか。

 件のM14も、フィリピン軍の将校の持ち物で、新しい銃を買ったから持ちかけられたそうです。まさにオリジナル。しかも実戦経験豊富な。

 まあ、そう言ったことはともかく。

 わざわざイフェクト処理かけなくてもいいと思うのですが。

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2005/10/13の記事

20051019

カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン海兵隊基地(2005/10/13)

 イラクの自由作戦の支援において厳しい展開から帰還した、ちょうど七ヶ月後、戦闘兵站中隊115所属のトラック運転手と重機運転手がキャンプ・デ・ラズで9月26日-30日、五日間の後方地域安全演習とともに彼らがいずれ戦闘地域へ戻るための準備を行った。

 中隊は第1部隊役務支援集団(1st Force Service Support Group)の一部として去年ファルージャとラマディにおいて直接海兵隊の作戦を支援した。第1FSSGはイラクにおける全ての海兵隊部隊の作戦を食料、弾薬そして医療物資のように兵站支援を提供する責任を負った。

準備段階

 兵器庫で彼らの武器を受け取るのを待つ中隊の海兵隊93人の退屈な目が腕時計のインディゴの光に照らし出された。全ての時計は午前四時三十分を示し、長く厳しい訓練の五日間の始まりを意味していた。

 中隊の小ユニットリーダーによって最初の装備点検の後に海兵隊員は訓練地区行きの7トントラックへと飛び乗った。

 外では二つの観覧席の中に詰め込まれ、その日海兵隊員は身近のクラスに焦点を合わせた。彼らは戦闘地域で重要な全ての役割の基本を学ぶだろう。

 入門クラスの後に、海兵隊員は彼らの毎日の実用的な応用のために彼らのシャベルの鞘を払った:二人用塹壕を掘る。

「これはまた(海兵隊戦闘訓練)振り出しに戻ったようだった」とフェルナンド・フィゲロア一等兵(中隊所属のトラック運転手)は言った。

 二十歳のマイアミ出身者は再教育講座が海兵隊員に常に細かい項目を忘れないようにすることを助けるだろうと言及した。

通信伝達

 起床ラッパの音が午前五時三十分の朝早くにキャンプ・デ・ラズを取り巻く険しい丘全体にこだまし、星の下でまどろんでいた彼ら海兵隊員を目覚めさせた。

 この日はPRC-119ラジオのような通信装備の使用に専念した。

「あなたがどこへ行こうと、あなたは常に(ラジオオペレーターと)一緒にいようとしている」とアシュリー・M・ケリー上等兵(CLC-115所属のトラック運転手)は言った。「しかし、ラジオオペレーターは同様に最初の目標であるため、みんなは彼が倒れたとき、それを拾い上げて、それをどのように操作するかを知るべきだ」

 海兵隊員は同様に戦場でのもう一つの人命救助の基礎を学んだ:衛生下士官。

「海兵隊員は最初の応答者であり、そしてこの知識を必要とすることで生命を救うことにおいて衛生下士官の助けとなるだろう」とヴィンセント・ファン三等兵曹(旅団役務支援集団1所属の戦闘技術訓練教官)は説明した。

 海兵隊員と水兵たちの間の若干の合同訓練の後に、中隊は地上ナヴィゲーションのために周辺の丘へと向かった。

コンボイとパトロール

 以前の日々と異なり、今日の大半は観覧席で費やされたが、実用的な応用の長い時間を我慢することとなった。

 今日の二つの主要な題目:コンボイ及びパトロール中の間の即応行動演習

 完全装備の海兵隊員が交代で7トントラックの後部から飛び降り、そして戦術的パトロールにおいて訓練地域周辺をはい回った。

「(この訓練は)彼らが考えているようにするために行う」とウィリアム・H・スター軍曹(BSSG-1所属の戦闘技術教官)は言った。「多くのコンボイが(イラクでは)待ち伏せによって襲撃されている。今回、海兵隊員たちはコンボイでどのように対応するべきか理解するだろう」

野戦演習

 海兵隊員はその日の午後に行われる野戦演習の準備で彼らの最後のクラス二つを受講した。

 最初のクラスは、核、生物、化学兵器戦争でNBC攻撃に一度でも遭遇した際、彼らが取るべき適切な行動に焦点を合わせた。

 前のクラスの大半が海兵隊員たちの海兵隊基礎知識を新たにさせたが、次のクラス-即製爆発物-は比較的新しい知識だ。

「IEDは、あなたが考えつくほとんどどんな物にでも偽装でき、そして隠されて至る所にある」とジャレッド・A・スコット二等軍曹(キャンプ・ペンドルトン海兵隊基地司令部及び役務大隊所属の爆発物処理専門家)は言った。「彼が視線を(不審物)へ向ける唯一の人である場合に備え、全ての海兵隊員が何を探すか知るべきだ」

 26歳のユタ州レイトン出身者は、もし海兵隊員がIEDの可能性があると何かを疑ったなら、その区域全ての人に警告し、そして爆発物処理班を呼ぶべきであると付け加えた。

「私たちは、海兵隊員の彼の人生を犠牲にする一つの過ちで呼ばれるよりも、むしろ何もないことが分かる一日100万回の呼び出しを受けた方がましだ」とスコットは言った。

 最後のクラスの直後に海兵隊員たちは野戦演習の準備で緊急出動した。彼らは教官たちによって演じられた"仮想敵"から戦闘作戦センターを守るだろう。

 下士官スタッフと任命された士官たちは、彼ら自身の後方地域安全訓練に参加し、基地とコンボイを守るために兵士たちを指揮した。

 海兵隊員は基地の中で歩哨に立つのと同様、その週早くに設置された二人用塹壕を使用した。機関銃陣地の銃撃の守備は、二つの検問所を包み込み、進入する車両の厳重な門のちょうど外側の海兵隊員たちのために安全を提供する。

行軍からの帰還

 演習の最後は夜明け直後の呼び出しで、睡眠の時間もなかった。最後の一押しははキャンプ・デ・ラズ周辺の埃に覆われた丘を抜けての5マイル近くの行軍だった。

 CLC-115所属の海兵隊員の多くが既に戦闘を経験済みと証明されているにせよ、このような訓練が次の春にイラクの流動的な戦場へ彼らが帰還した際、海兵隊員たちが順応するのを助けるだろう。

「これらの授業は生命を救い、そして絶えず変化する(戦争の)状況で海兵隊員たちは開放的な精神を維持しなければならない」とペーペ・ラミレス第1軍曹(中隊付第1軍曹)は言った。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 再展開に備えての再訓練を行う後方支援部隊の記事。

 どんな強靱な部隊でも兵站が整っていなければ、その能力を発揮することもできない以上、彼らの役割は戦闘部隊と遜色なく重要な訳ですが。

 重要な訳ですが、小銃第一主義の海兵隊では毎回人集めに苦労するようですがキャッチ22。

 そんな後方部隊でも、湾岸戦争で、

「わーい、補給部隊だ。襲っちゃえ」

 と襲ってきたイラク軍をあっさりと撃退してしまった海兵隊。

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2005/10/5の記事

20051012

イラク アル・アサド(2005/10/5)

 イラク・アル・アサドに配置された海兵隊員と兵士たちが第109歩兵連隊(機械化)第1大隊からの7人の兵士たちを偲ぶ追悼会のためにキャンプ・ゲティスバーグへ集まった。

 式典は、それぞれの兵士たちの軍の履歴の個人を読み上げることを含んだ。ペンシルヴァニア州スクラントンに司令部を持つ陸軍州兵大隊のために、彼ら軍の同業者の部外の倒れた者を、男たちの数人が知っていたため、式典は特に感情的だった。一人の兵士は彼の隣人を失った。もう一人は幼馴染みの友人を失った。

 彼の部下へ語りかける大隊長マイケル・A・コンズマン中佐は、彼の部下へ倒れた者と彼らが命を捧げた作戦を記憶に留めるよう促した。

「これは彼らに生じたことを理解させる正式の設定における時間を与える」と彼は語った。「兵士がそれを行ったとき、彼は作戦に関する彼の心を評価することができる」

 イラクで戦っている男たちは、合衆国の各戦争で戦った一世紀以上の間、召集に応じた第109歩兵連隊の素晴らしい伝統を継続する。

 部隊は、第2次世界大戦において有名なバルジの戦いで戦った。イラクへの現在の派遣以前の大隊の最後の活動は2002年8月に生じて、ボスニアにおいて平和維持活動を行った。

 大隊は、北アル・アンバー省において活動し、アル・アサドと周辺地域の安全を提供した。損失にもかかわらず、コンズマンは、彼の部下たちが戦い続けることを期待した、と彼は言った。

「我々は、ここに来て、そして我々は全ての危険を知っていた」と彼は語った。「我々は上手くやっている。我々は進み続ける。我々が失ったそれらの部下は他のどんな方法も欲しないだろう」

 ペンシルヴァニア州リバティのライアン・S・オストローム二等軍曹は8月9日、イラク・カリヂヤ近郊で戦死した。彼はB中隊所属の分隊長だった。

 ペンシルヴァニア州ホースルティードのウィリアム・L・エヴァンス特技兵は9月19日、イラク・ラマディ近郊で戦死した。彼は派遣されるために動員された直後にB中隊に配属された。

 ペンシルヴァニア州カーボンデールのジョージ・A・プグリエセは9月28日、イラク・ラマディ近郊で戦死した。彼はイラクの自由作戦の支援のために動員されたとき、彼は10年以上の間、大隊に所属していた。

 ペンシルヴァニア州モントローズのダニエル・L・アーノルド二等軍曹は9月28日、イラク・ラマディ近郊で戦死した。彼はペンシルヴァニア陸軍州兵に転属する以前は、1994年から陸軍予備役を勤め、そして2004年に歩兵となって彼の軍の専門職を替えた。

 ペンシルヴァニア州グリーンフィールド・タウンシップのエリック・W・スレボドニック軍曹は9月28日、イラク・ラマディ近郊で戦死した。彼は2001年9月11日の僅か数ヶ月前にペンシルヴァニア陸軍州兵に志願し、そして最近軍曹に昇進していた。

 ペンシルヴァニア州ホースルティードのリー・A・ウィーガント特技兵は9月28日、イラク・ラマディ近郊で戦死した。彼は高校を卒業する前に志願した。ウィーガントの任務はブラッドレー戦闘車両を操縦することを含んでいた。

 ペンシルヴァニア州アテネのオリバー・J・ブラウン一等兵は9月28日、イラク・ラマディ近郊で戦死した。彼はB中隊所属のライフルマンだった。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 陸軍と合同の追悼式を行う記事です。

 海兵隊ではなく、ペンシルヴァニア州兵の第109歩兵連隊、の記事ですが。

 日本でも、捏造があまりにも多すぎて、捏造報道、と言うとどれを意味しているか分からないマスコミもありますが、そこの系列テレビ局が、

「どこに行ったらいいのか、分からないので」

 などと自分たちのレベルを知らしめる発言を直に聞いたこともあります。それで、良く報道機関を名乗れるな、と。

 は、ともかく、やはり、陸軍の方が装備がいいのはキャッチ22にて。

 ところで、陸軍の新型迷彩の効果はいかがなものなんでしょうか?

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2005/10/1の記事

20051005

ノースカロライナ州海兵隊基地キャンプ・レジューン(2005/10/1)

 USSイオージマを降りた第2海兵師団第8海兵連隊第1大隊所属の海兵隊員たちは、そしてノースカロライナ州キャンプ・レジューンのオンズロー海岸へと踏みだし、今日、特殊任務海兵航空/地上機動部隊は聖バーナード郡のハリケーン・カトリーナとリタの通った跡における作戦を終えた。

 徐々にカトリーナによってもたらされた損害の見積もりが明白になり始め、大災害への連邦政府の対応が望まれた。ニューオリンズの多くが、海面数フィート以下の状態であり、水の大きく広い地域から、市とその周辺都市を守るために設計された堤防システムを圧倒し、ポントシャトレイン湖から多量の水が押し寄せた嵐同様の急上昇で水浸しにされた。

 大量の水の結果として生じた大洪水は、その区域の多くを水中へと沈めた。嵐のうねりが5フィート近い潮で、それらに押し寄せたとき、同様に湖の北にある市もハリケーンの憤怒を感じた。

 命令を受け取った12時間以内の後に、歩兵大隊は、レーバーデーの遵守で四日間の週末の休みを与えられていたそのレザーネックたちを呼び戻していた。ベイルート大隊が派遣前訓練から、人道的援助作戦の非常に広範囲の観察のため装備を移していた、とアリーは語った。

 大隊は、ルイジアナ州スライデルにおいて9月6日に主要な救済と復旧作戦を開始した。部隊は、地元の業者によって提供された家具倉庫を作戦の基地として使用し、そこから部隊の計画を立てた。

 第10海兵連隊第2大隊E砲兵中隊だけではなく、第2海兵師団第2戦当工兵大隊からの戦闘工兵たちの分遣隊の大隊付各中隊は同様にスライデルの中の地域はもちろん、ミシシッピー州ピカジューンとルイジアナ州マイクホードに同様に配置された。

「ベイルート大隊」として知られる大隊は、すぐに食べられる何百という食事を配布し、そして何千という家と市役所の清掃を支援した、とドナルド・L・ファンクハウザー曹長(大隊作戦主任)は語った。

 破壊は広範囲にわたり、そして様々だった。電気、給水そして他の公許事業は障害を受けた。家が突風となって吹いている風と上げ潮によって粉砕され、そして水に流されていった。全体として国と比べ、同様に活気のある地域の金融の被害もひどかった。最も重要なことは、生命の損害はまだ記録され続けている。

 大隊は作戦を通じて、州と地方当局と共にその作業を調整した、とクリス・R・コチンスキー大尉(大隊航空将校)は語った。

「我々は、スライデルの市長によって保証された優先権が確認されたことを保証し、そして大隊によって作業を行った」とコチンスキーは語った。

 これらの優先権を念頭に作戦の明確な市民生活と共に処理された。

「我々は、市の経済基盤がスライデル市民が彼らの家に戻る前に昨日していることを保証しなければならなかった」と彼は語った。

 合衆国の提供した中で、家の清掃と他の人道的支援の提供の仕事は海兵隊員に法律の変わった定めを与えた。連邦軍兵士は、国境内の中で派遣されることに関して厳しい規則で拘束される。合衆国法典の第10条と第32条が、このような立場において作業を行う場合に続く州の州軍と連邦軍各部隊の具体的な手続きの概要を示す、とスティーブ・B・カーン大尉(大隊作戦将校)は語った。

「私が思うに、公民研究と歴史における巨大な授業が随分と第10条と第32条に関する海兵隊員の教育になった」とカーンは語った。

 海兵隊員は、ここで彼らの時間に著名な人物の訪問を受けた。「フルメタルジャケット」訓練教官であり、退役した一等軍曹R・リー・アーメイは彼のケーブルテレビショーのために海兵隊員を訪問した。

 もう一つのカテゴリー5の嵐、ハリケーン・リタが確認され、そして大隊が作戦基地を設置していたマイクホードの都市を目指して進むとして座標が示されると海兵隊員たちはUSSイオージマに乗船し、そしてそこで嵐に耐えた。損害の算定と、1/8の海兵隊員たちからの援助のための要請がされなかった後、レザーネックたちを、ここで上陸させるまで止まるとともにヴァージニア州ノーフォークのその母港のためにイオージマは航海を定めた。

 キャンプ・レジューンに戻ってすぐに、1/8は第24海兵遠征隊とともに彼らの2006年の派遣の準備訓練を再開するだろう。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 カトリーナの損害復旧に尽力する海兵隊。リタの方は、マスゴミが期待したような被害には幸いなりませんでした。

 そんな現地で復旧作業を手伝う海兵隊員たちを訪問するR・リー・アーメイ一等軍曹(退役)。そんな一等軍曹(退役)殿のファンサイト「R LEE ERMEY.COM」はこちら(海外サイトで音声流れますので注意のほどを)

 のっけから、ありがたい説教を訊かせてくれるのですが、映画の方で、あの口調を拝聴できる最新の作品が、テキサス・チェーンソーの変態保安官というのはキャッチ22。先日の深夜アニメにもご登場されたのも、キャッチ22にて。

 一方、ニューオリンズに軍隊を派遣しろと叫び、派遣されたら、撤退しろ、ハリケーンごときにかまうなら、私をかまえ、と暴走しまくっている笑顔で逮捕された女性はすでにマスコミからもめでたく見放されたそうで。

参考リンク:Meine Sache -マイネ・ザッヘ-

 実際に、そうやって電波とばしている連中と、実際に復旧作業に努力している軍隊がいます。あなたが災害にあった遭遇したとき、遙かかなたの安全な場所で意味不明なことを口走る連中と、実際に目の前に手を差し伸べてくれる軍人たちのどちらが信頼できますか?

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2005/9/4の記事

20050928

イラク ヒット(2005/9/4)

「来たぞ、SVBIED!」は、大爆発が建物を揺り動かす前に、海兵隊員が聞いて覚えている最後の言葉だ。

 彼らの周りの世界が埃、瓦礫そして機関銃射に包まれてから、海兵隊員は突然彼ら自身が床から彼ら自身を持ち上げ、そして装備を手に入れようと争っているのを見いだした。

 第25海兵連隊第3大隊I中隊は、躊躇することなく挑発ではない攻撃に反応し、そして迅速にそれらの攻撃者を逃走させた銃撃を加えた。

「ロケットが我々の陣地の上空を飛んでいったとき、私は安全な屋根の上にいた」とエリック・A・ハルツ上等兵(ニューヨーク州ポツダム出身。そして第1小隊所属の射撃班長)は語った。「私が見下ろすと、車が我々に向かってスピードを出しているのが見え、そして、私が主力火器が発砲していないことを悟ったとき、それを交戦させるために攻撃陣地へ向かった」と彼は続けた。

「.50口径はすでに動かなくなっており、そして私は緊急戦闘確認の時間が無く、それで私のSAW(分隊支援火器:squad automatic weapon)をつかむと射撃を開始した」と23歳のクリストファー・J・マーシェウカ上等兵(ニューヨーク州オールデン出身)は説明した。「その全ては迅速に起き、それは映画か何かのような感じがし、そして次にそれは爆発した」

 ビルの内部、2フロア下の第2小隊からの彼ら海兵隊員たちが、彼らが警告の叫びと喜寿掃射を聞いたとき、パトロールを行う準備ができていた。他の者たちが準備を整え、そして最悪の状況のために準備する間に少数が廊下の突き当たりにおける陣地で戦うために走った。

「私は接近する車両と我々の.50口径が発砲していなかったのを見た」とニューヨーク州ロチェスター出身のクリストファー・W・シンプソン上等兵(第2小隊所属の歩兵)は語った。「私が爆発の黄色の閃光を見る前に私は二発をつかむことができた」

「私が覚えている次のことは、天井を見ることと、皆が大丈夫だったかどうかと考えることだった」とジョセフ・J・ドーティ伍長(ニューヨーク州アンゴラ出身、そして第2小隊所属射撃班長、26歳)は語った。「私たち全員が、一分間意識不明になるまで叩き付けられ、そして私たちが目を覚ましたとき、私たち全てが聞いたのは銃撃であり、私たちは起きあがると戦闘へと戻った」

 海兵隊員が土嚢の後ろで戦闘配置につくと、周辺のビルの陣地に陣取った多数の敵と交戦した。何人かの反乱者が我々の屋根の上から戦闘を通じて双眼鏡で我々を観測することが可能だった。

「私は観測者を見つけ、そして彼と交戦した」とドーティ(レークショアセントラル高校1999年卒業生)は語った。「そのとき、私は私が、私のフラックとヘルメットだけで裸足でいることに気づいた。私は他の誰かが来るまで私の持ち場にとどまり、そしてそれから私は行って、私の装備の残りを回収した」

 ドーティは、この戦闘において孤独ではなく、多くの海兵隊員が採取の装備とともに交戦中の持ち場へ急いで向かうと、毎分ごとに彼らの銃撃が行われていないことは、彼らの敗北或いは他の海兵隊員の死を意味することを知った。

「私は、私の周囲を囲む瓦礫を背に目を覚まし、そして2ダースの海兵隊員たちが私たちの援護に走り、そして戦闘配置につくのを見た」とフルトス(2000年度アルデン高校卒業生)は語った。「そこで彼らを見ることは本当に良かった」

「それは時間にして長い瞬きのようで、私は爆発を聞いたことを覚えていないが、私は私の顔の熱を覚えている」とマーシェウカ(2001年度シッテナンゴ高校卒業生)は語った。「一分そこにトラックがあり、次にそこはちょうどクレーターとなった。それは悪夢のようだった」、

 戦闘救助員と衛生兵が死傷者集結地点に取りかかり、そして他の海兵隊員たちが弾薬を分配していた。

 他の者たちが、彼らが弾薬を必要とするかどうかを確認するために彼ら海兵隊員は階から階へ急ぎ、ドーティと他の者たちはすでに彼らの爆発製の弾薬を運び出していた。

「私は私のM203のための高性能炸薬弾をつかみ、そして以前の戦闘配置に戻った」とドーティ(イアリコミュニティカレッジにおける2年生)は語った。

 不寝番のまま、海兵隊員は損害と彼ら負傷者たちを数え、状況の把握の算定を開始した。一時的な救急処置所がひどく破損した野戦救急所に隣接した部屋に設置された。

 工兵が時間内に到着し、そして基地を再び強化し始め、一方、衛生兵は破壊された彼らの全ての装備で数多くの死傷者を扱った。

 海兵隊員たち、負傷した者たちでさえ、片付けを手伝い、そして破壊されたものを修復し始めた。その日の終わりまでに主要な防御施設は修復され、全ての負傷者は救出され、そして海兵隊員はまだ戦闘ムードでいた。

「私たちの全ての訓練は上手くいき、彼ら全員が意気投合した。衛生兵、ISF兵士たち、陸軍兵士たち、そして海兵隊員たち」とシンプソン(1997年度ピッツフォードメンドン高校そして2002年度ウェストヴァージニア大学卒業生)は語った。「誰も休むことなく、そして皆が攻撃の間と後に彼らの役割以上の多くを果たした。それは私が決して忘れることがないだろう経験だ」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 ナンバー2が死んだそうで。

 さて、突然の襲撃に、損害を受けながらも迅速に反撃を加える中、負傷した仲間を助けるべく尽力する衛生兵たち。

 どうも報道では、この手の損害が受けて何人死んだかしか興味が無いように感じるのですが、先日も交戦で何人死亡と報じていましたが、なぜか、テロリストの損害は報じないのに矛盾を感じます。

 どこかのマスコミのように、率先して爆弾を持ち帰って人を殺したり、率先してテロリストを支援する報道を繰り返して、本当に望んでいるのが決して平和ではないように思えないところもありますが。

 さて、この記事。実は目についたのは、この写真のせい。

 一番左は、ズボンを履く暇もなく、しかもサンダル履き……左から二番目の隊員は素肌の上にフラックジャケット着用。

 最初見て、海兵隊員はラフだけれど、これは極端だなあ、と思ってしまったのはキャッチ22にて。

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2005/9/8の記事

20050921

カリフォルニア州海兵隊基地キャンプ・ペンドルトン(2005/9/8)

 それは見るべき光景だった-不名誉など微塵も無く共に涙の浮かんだ目をしている成長した男たち。お互いと共に集まったエルマー・J・ダプロンのようなベテランのために、それは記念碑のための式典を遙か遠くへ越えていった。

 国内各所から第2次世界大戦のベテランたちが不朽の業績を捧げ、そして9月8日、ここ第4海兵師団の儀礼で追悼式を開催するために集まった。

「海兵隊で全てが変化していく中で、唯一変化しなかったのは団結心(Esprit de Corps)と常なる忠誠(Semper Fidelis)…それは単にスローガンであるだけではなく、それはあなたの心と魂、そしてそれは決して変化しないということだ」とダプロン(元第10水陸両用車大隊)は語った。「私たちの死傷率のために、私たちが常に共にあるとき、それは最後のものよりいっそう重要に思われる」

 約400人のベテランたちと彼らの家族が偉業を讃えるために南メサスタッフ下士官クラブで集まり、そして第4海兵師団から、彼らの失われた戦友たちを忍んだ。この訪問は師団の復員の60周年記念日を記念した。

 師団が従事していた四つの作戦中に、約82,000人の男たちが一度或いはそれ以上の時間、戦闘を見た。この中から17,772人が戦死、負傷或いは戦闘中行方不明となった。

 苦しめられたベテランたちの集団は横列の中で彼らの日々から起きた多くの変化を一目見るために五日間キャンプ・ペンドルトンを見て回った。

「私がここに配属されたとき、基地の周辺を走っていたのは未舗装道路以外の何も無かった」とジョージ・A・スナイダー(第2次世界大戦中海兵隊の元伍長及び戦車兵)は語った。

 彼ら80代の多くの海兵隊員は、同窓会の間に-彼らが何年もの間見ることの無かった多くの旧友たちと再会した。

「私の気に入ったひとときは、私が第4海兵師団で一緒に勤めた友人の中へ走ったとき、彼の妻と子供に出会ったことだった」とダプロンは語った。

「この追悼式は、痛烈で、悲しく、そして楽しくさせてくれた…私たちは数年の間、それほど多くを失った」とパメラ・C・マーヴィン(パープルハート勲章受章者そして映画俳優リー・マーヴィンの妻)は語った。

 1987年に亡くなったマーヴィンは、サイパンの戦いの間、第4海兵師団と共に従事している間に負傷した。

 マーヴィンの妻は、彼らの古い部隊への賛辞を贈るためにここに集まった何百という第4海兵師団の退役軍人の中にいた。

 去年の間に亡くなった海兵隊員の名前が師団を記念する式典の間に読まれた。

 第3海兵航空団楽団からの海兵隊員が式典の間に海兵隊賛歌と他のアレンジを演奏した。

 全ての名前が読まれ、そして祈りを捧げる呼び声がされたとき、第11海兵連隊からの砲兵中隊が21発の礼砲をならし、それにタップスが続いた。

 家へ帰る前に、第4海兵師団の海兵隊員たちは9月10日、祝賀会の間にもう一度最後の再会を持った。

「義務、名誉そして(経験の)責任を知り、私は決してそれが私のためにした全てに対する海兵隊に報いることがなかった」

 とダプロンは付け加える前に、この単純な信条がこのような再会で重要である理由であると語った。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 第4海兵師団は、ロイ・ナムール、サイパン、そして硫黄島を戦った歴戦部隊です。戦後は解隊され、後に予備役師団として復活し、現在に至っています

 倒れた仲間たちに対する敬意を忘れないのは、どこの国でも同じです。むしろ、そうしようとするとわめき散らすどこかの国の方が異常です。ついでによその国のくせにやかましい所も。

 訳していて、実はリー・マーヴィンの奥さんのコメントが載っていることに後で気づいたというのはキャッチ22。

 なるほど、第4海兵師団の一人としてサイパンで名誉負傷章(パープルハート)でしたか、と。

 ところで、先日、リー・マーヴィン主演の「最前線物語」の再編集版が発売されましたが、映画公開版と違って、全くの良い意味で別の作品になっていました。というか、ぶつ切りで中途半端だった部分もちゃんと作ってあったんですね。

 ちなみに、公開バージョンと再編集バージョンを見比べていたときにメイン機のDVDドライブが壊れました。orz

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2005/9/7の記事

20050914

ニューオリンズ(2005/9/7)

 ハリケーン・カトリーナの後で、ニューオリンズ市と周辺郊外はそこから逃げずに留まった市民たちにとって時間を費やす重要な主要地域となった。彼らはそこを離れる手段がなかったために市の若干の住民が残留していた。海兵隊員がその区域で立ち往生している人々を援助するために航空そして水陸両用車とともに移動して中にはいる。

 特殊任務MAGTFカトリーナの約2,000名の海兵隊員は、更に多くの生存者を派遣し、そして困窮している人々に補給物資を運搬する進行中の任務を行い続ける。

 ミシシッピー及びアラバマ、ルイジアナ支援、ニューオリンズ郊外ルイジアナの海軍航空基地/統合備蓄基地ベル・シャッセに支援運動司令部は置かれる。カトリーナ統合機動はハリケーン・カトリーナの被災者を支援するマルチサービス援助努力だ。

Marine Corps News(U.S.M.C)

2005/9/9の記事

ニューオリンズ(2005/9/9)

 特殊任務海兵航空/地上機動部隊(Special Purpose Marine Air/Ground Task Force)カトリーナからの海兵隊員がルイジアナの自然災害に対応するために9月3日、ニューオリンズに彼らのブーツを配置した。ほんの一日後に、SPMAGTFは第8海兵連隊第1大隊と第4水陸両用突撃大隊の新しい基地になった東ニューオリンズの支部を拡大した。

 海兵隊員は、機械工と伝達者を含めて公平で十分な業務支援の一員としてNASAマイクホード議会機関で同居し、生存者の捜索と後方で作戦を維持するために市の割り当て区域の中で通常のパトロールを行っている。グランツ(歩兵)を引き連れた突撃水陸両用車の格好の組み合わせはチームの遂行能力の中でほぼどんな捜索と救助の作戦も行える。

 毎日、AAVのコンボイが何よりもまず、避難者を回復させ、そして人道的援助を提供するためにニューオリンズの通りへと向かう。残骸から引き出された全ての人員はカトリーナの損害から更に避難させられ、民間当局に委ねられる。海兵隊員は、清掃と詳細な再建の努力を通して周辺地域を改善するために同様に連続的に働いている。

 合衆国海兵隊の派遣と予備部隊の活性化はハリケーン・カトリーナの数千の被災者に人道的援助を提供する連邦政府によって容認されたプログラムの一部だ。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 次第に被害が明らかになっていくカトリーナですが、水没した場所ではやはり海兵隊の水陸両用車の出番のようです。

 開発目的故に図体がばかでかい(M1よりでかい)のに装甲車代わりに使われるので毎回被害甚大なのはキャッチ22として、その図体の大きさが逆に運搬能力の高さと水陸両用の性能が今回のような災害では役に立つと言うことで。

 ブッシュ政権の対応の遅れが非難されているようですが、被害が明らかになる頃には海兵隊は既に出動準備を始めていました。

 まあ、何がなんでも政府非難に結びつけたがるいかれた人間はどこにでもいるということですか。

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2005/9/1の記事

20050907

ノースカロライナ州海兵隊航空基地ニューリバー(2005/9/1)

 約120人の海兵隊員と他の軍人がニューオリンズ市そして住人たちに災害援助を提供するために今日カトリーナ合同機動部隊の支援のために派遣された。出発する海兵隊員は航空機と海兵隊からの海兵重ヘリコプター航空隊461(CH-53H三機)、465(CH-53H三機)、そして海兵中型ヘリコプター航空隊365(CH-46E二機)の混合航空隊で構成される。

 海兵隊員は立ち往生している市民たちが、国の救助期間にアクセスできるように捜索と救援任務そしてインフラの再設置を行い、糧食と人道的援助救援物資を提供し、捜索と軍の他の部門とともに働くように予定されている。

「それは合同された努力になるだろう」とフランク・B・クリサフリィ中佐(HMH-461副官)は語った。「私たちは沿岸警備隊、州空軍、州陸軍、空軍そして海軍(の省)とともに同等に行うだろう。皆が作戦において手を取り合う」

 第29海兵航空集団が部隊の合同に貢献するために六機のCH-53Eスーパースタリオンと二機のCH-46Eシーナイトを派遣した。

「私たちは身近な人々を助けることを望む」とラリー・C・ジョーンズ曹長(HMH-461曹長)は語った。「あなたはニュースを見ると、そこの人々は何も(家或いは全てを)持っていない。そこで私たちが提供することができるどんな種類の援助でも必ずニューオリンズの人々によって感謝されるだろう」

 航空隊と支援部隊は、朝を通じて四波に渡って派遣された。個々の部隊は災害援助地域への最後の行程に入る前に9月1日をフロリダ州ペンサコラ海軍航空基地に到着した。

「人々は即座の反応を求めており、そして普通、保守の必需品とその他全てとともに全航空隊が投薬するのには時間を要する」とダニエル・M・マーフィ大尉(HMH-461のCH-53Eパイロット)は語った。「私たちは、昨日の朝、指示を受け取り、そして私たちは今朝出発するが、それは素早い反応だ」

「私たちはある程度の救援を提供することが可能であるという命令で飛び回った」とクリサフリィは語った。「私たちは昨日の午前11時に展開し、そして24時間以内の後に私たちは出発する予定だ」

 部隊はニュースで悲劇のオリジナル映像を見た後、助けるべきその機会を待った、とクリス・E・キッダー一等海軍下士官(HMH-461衛生官)は語った。

「この手の大惨事を見ることは、私をかなり落ち込ませた」とキッダーは語った。「911と同様の大惨事の難民のシナリオにおいてアメリカ人を見ることは私がほんの僅かでも希望を提供することが可能であると願っている」

 航空隊の華麗羅がどれほど長い期間支援を提供できるかについては不確かではあるが、任務が達成されるまで海兵隊員はとどまるだろう、とチャールズ・D・マコーミック海軍中佐(MAG-29の司令部付き司祭)は語った。

「彼らが私たちを必要とする限り、私たちはそこにいるだろう」とマコーミック。「そして、ここの海兵隊員はそこへ行き、そしてどんな助けでも行う準備ができている」

 助けるべき国の呼び掛けに答えることは派遣される彼らの動機付けを刺激した、とマーフィーは言った。

「私はアメリカ人が軍の保護を受けることを知るのは重要であると思う」と彼は言った。「そして、もし私たちに何かすることがあるならば、私たちは彼らのためにそれを行うだろう」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 被災者の方々におかれましてお見舞い申し上げます。

 時事ネタということで。救援活動開始後の記事もあがっていましたが。

 大災害の時に、日本でもそうですが、やはり、自己完結型の組織の力は偉大です。昨年の新潟の地震の時はボランティアと言いながら、被災者の食料を横取りしようとして現地の職員に嫌な顔をされたと逆ギレしている馬鹿や、被災者を装って食料を横取りしたことを自慢するマスコミがいましたが、そんなろくでなしに言及するのはキャッチ22なのか、報道はされません(ネットでは叩かれていますがね)。

 ところで、先日、捏造新聞が掲載したカトリーナに絡んだ投稿で捏造新聞が大惨事を大はしゃぎになって喜んでいると叩かれています。

 読み方によっては、何かあると自分たちがやった、という連中の戯れ言を皮肉っているとも取れますが……投稿した人(何者かネットではさらされていますが)の真意よりも、載せた側の真意が不謹慎すぎる。

 かつて、911に生存者に対し、お悔やみを申し上げた馬鹿議員がいましたなあ。

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2005/8/19の記事

20050831

オーストラリア北部地方(2005/8/19)

 第1海兵師団大隊上陸チーム第2大隊第13海兵遠征部隊(特殊作戦能力有)所属の海兵隊員は、五日間の機動演習中にオーストラリア奥地を襲撃した。

 第13MEU(SOC)は険しいフィールド環境における貴重な訓練経験を求めて部隊のバスに乗り込む前に地上戦闘部隊BLT2/1は8月15日に寄港地オーストラリアダーウィン州都にドック入りした。

 BLT1/2を構成する各歩兵中隊はダーウィン近郊のバンディ山とカンガルーフラッツ演習場に人員を割き、小隊と分隊規模の部隊を交替させながら、様々な武器と戦術を通して双方とも厳しい地形の戦闘技能を維持する努力をし、そして彼らが現在の西部太平洋に展開前の六ヶ月間の進捗スケジュールの間に十分な戦術の調整を行い研ぎ澄まされた。

 ディオーネ・D・ウィースナント二等軍曹(BLT1/2E中隊機関銃班長)は、訓練の最初の二日間の作戦は主に個々の兵器システムによる"バトルサイト・ゼロ"を得ることだったと語った。一般に"BZO"と呼ばれる距離と照明のような目標の必要条件によってそれぞれの武器による正確な照準調整を行えるようにすることがゴールとされた。

「私たちはちょうど今外地の距離の射撃練習場で、300-800メートルから目標を撃っている」とインディアナポリス出身者は言った。「最後の夜、私たちは、(ゼロの)私たちの光学ユニット」

 ウィースナントは"ものをいう機関銃"ががたがた言う中で穏やかに話し、18時間のトレーニングの日々の結果、絶え間ない昼と夜の射撃の重要性を強調した。「私たちが危険な道に入るとき、私たちは私たちの目標に命中させている」

 フィリピンの人道的支援援助作戦が第13MEU(SOC)によって安全確保の提供が成功した後、赤道を横断したBLT2/1の主な挑戦の一つが急激に上昇するオーストラリアの気温だった。

「暑さは"苦難の訓練"の相応しさには比較する物が無い」とウィースナントは言った。

 訓練所として、オーストラリア奥地はそこに居住する人々と比べても同様にユニークな環境を提供した。木、丘、雑木林と巨大なシロアリの巣が、大半は既にカリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン海兵隊基地の不毛な丘でもっぱら訓練されたBLTの戦士たちに未知の地形を提供した。

「海兵隊員は、発砲し、木、丸太、藪と小山周辺をパトロールすることに手尾帰欧しなければならない」とウィースナントは言った。「それはキャンプ・ペンドルトンとは違った何かだが、それらは自分の家のような場所ではない」

 タイ・ブリテン上等兵(BLT2/1G中隊所属のライフルマン)は暑さと心身を疲れさせるスケジュールにもかかわらず、訓練は非常に有益だと言った。

「私は2、3ヶ月、(武器)を撃たなかった」とテキサス州リーグシティ出身者は言った。「私はそこで発砲することを楽しんだ」

 射撃練習場は、17レンジの一つがカンガルーフラッツ演習場で、多数の形状、大きさ、そして色を備えた標的を取りそろえ、それを司令によって射撃するように海兵隊員は指示された。

 訓練は、彼らがWESTPAC05-1の間に実施するよう海兵隊員が要求される任務のために準備することの小さな段階のちょうど一つだったが、にもかかわらず作戦上の準備を調整することに対しては重要な作戦だった。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 オーストラリアの一風変わった地形で射撃訓練を行う第13MEUの戦士たち。日々の訓練会ってこそ、正確な射撃が行われる。

 先日の横田基地のイベントで、AT4に触れる機会がありました。確かに、あんなサイトでは練習しないと当たらないなあ、と。

 ついでに一緒に展示していたM72。LS(アリイか)のM72より、実物のM72の方が安っぽかったのはキャッチ22。

 ところで、オーストラリアをやたらと持ち上げる人がまれにいますが、8月末から9月初めの戦勝記念日中に現地の日本人形見が狭いを通り越して現地にいられないくらいひどい状況になるとか。以前、研修でオーストラリア人の講師が、自分の国は素晴らしい。人種差別もなくなった、と言っている側で、研修生の一人が、旅行中に歩いていたら、突然、バナナと罵られてジュースをぶっかけられた事実を語った途端にしどろもどろになったのも。

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2005/8/19の記事

20050824

沖縄キャンプ・フォスター(2005/8/19)

 海の安全強化キャンペーンが昨年4月に始まったことが、海上警報とともに水難事故死の現象の一員になった、と基地安全当局者は語った。

 今日、部隊地位協定メンバー(SOFA:Status Of Forces Agreement)を巻き込んだ海難事故死者の無い日が連続492日に達した。

 ショーン・M・カーティス(キャンプ・バトラー海兵隊基地の職業安全及び健康専門医)は彼は司令部の努力が一連における部分的な原因だと信じると語った。

 カーティスによれば200年1月から2004年4月15日にかけて、17名のSOFAメンバーが沖縄海域で死んだ。

 カーティスによれば、二名の軍人が同様にボロポイントとして知られている島で最も危険な地の一つである残波岬からの強い流れで溺死した沖縄における最後のSOFAの水難事故は2004年4月15日に発生した。

 これまでの16ヶ月間、基地安全当局者は地域への海の安全案内を浸透させた。

 新入りのSOFA全職員が毎週月曜日と水曜日必須の新人研修において海の安全ビデオを見る。

 アームドフォースネットワーク(AFN:Armed Forces Network)は、テレビとラジオ放送を役に立つ海の安全案内で満たし、キャンペーンの強い同盟者だった、とカーティスは語った。

「AFNは私たちの最大の支援者だ」と彼は語った。「人々は同じコマーシャルを見ることが嫌になっているが、それは彼らが働いていることを意味している」

 三つの新しいコマーシャルが現在制作中だ、とカーティスは付け加えた。

 地域にとって入手可能な最良の資産の一つが海上状況(Sea Condition)警報システムだ、とカーティスは語った。

 システムは、四つの段階で分析される:状態無し、注意、警告、そして危険、を報せる手段であり、海面状態の危険或いは高波を沖縄基地のSOFA全人員に忠告する。

「状態無し」がカーティスによれば、水に入る最も理想的で、そして最も安全な状態。

 SC注意では、嘉手納空軍基地ウェブサイトによれば、正確に地方の条件を算定できる経験豊かな人員だけが水に入るべき。

 SC警告では、もし彼らが彼ら自身の状態に対処できると信じるなら、水中活動の優れた経験を持っている者だけが水に入るべき。

 水域がSC危険と分類されるときは、SOFAメンバーは、どのような理由で荒れ水に入るべきではない。

 カーティスによれば、2000年1月から2005年4月15日にかけての溺死事故では、17名のSOFA人員の80パーセントが波が高い状態で発生した。

 経験豊かなサーファーが高い波の状況で、沖に流された二つの最近の事件がシステムの有効性を強調する、とカーティスは語った。

 8月5日、嘉手納第33及び第31救難航空隊からのHH60ペイブホークヘリコプターの乗員が、嘉手納マリーナ近くの兼久海浜公園でサーフィン中に沖に流された沖縄海兵隊員の19歳の息子を救助した。

 7月16日、日本の海上保安庁のヘリコプター乗員が、伊計島でサーフィン中に沖に流された沖縄勤務の水兵を救出した。

 彼らが流されたとき、水兵は彼と友人が一緒にサーフィンをしていたと語った。水兵のパートナー(サーフィン歴26年)は辛うじて約30分後に陸に泳ぎ着くことに成功した。水兵は同様に幸運ではなく、救助されるまで彼は海で三時間を過ごした。

「私は彼がそれをなし得たと思わなかった」と水兵は彼のサーフィンパートナーについて語った。「私はどこにも彼を見付けることができなかったので、最悪の状況を恐れた」

 水兵の恐ろしい考えはすぐに、彼自身の状態の冷静な現実に変わった。

「私はただ自分自身に語り続けた。26歳で、それはあまりにも若い。私は帰ってみせる」

 風が伊計島で速度を増すとき、流れが危険になる、とカーティスは語った。その区域が島周辺の七つの最も危険な地域の一つに指定された。基地安全当局者によって公表された七つの場所の大きな印が危険の海岸へよく行く人に警告する。

 カーティスによれば、もし水兵と彼の友人が若干の重要なミスを犯さなければ伊計における事故は避けることができたはずだ。

 伊計地域を水兵と彼のパートナーは良く知らなかった。そして二人は単独で出掛け、そして他に誰もサーフィンをしていなかったにもかかわらず海に入った。

「もし地元の住民が離れているか、或いは誰も泳いでいないか、それらはおそらくなぜかという良い理由である」とカーティスは語った。「それはおそらく危険な状態だからだ」

 海の状態は、沖縄の一つの側面からもう一方まで違っている。島の東シナ海側は太平洋側と違った状態を持っているかもしれない。

 この広い分類のためにSCシステムは、若干の批判と論争にさらされた。多くの水中狂がシステムは十分正確ではないと不平を言うが、水兵によればシステムは申し分のない理由によって配置されている。

「私が、今後外出するとき、渡した確実に海の状態をチェックするだろう」と彼は言った。最新の海の状態は、嘉手納空軍基地ウェブサイトwww.kadena.af.milの中「天気」で確認することができる。

 沖縄の海上緊急事件の際は、誰でも即座に緊急即応を始めるためにどんな電話からでもダイアルすることができる、とカーティスは語った。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 たまには軍事を離れて……というより毎回イラクネタは飽きてきたのはキャッチ22。

 海難事故死者492日達成。その達成には危機管理のためのシステムと各自の意識の啓蒙が必要とやっていることはどこも一緒です。何かあったときだけ喚き出す馬鹿は不要です。

 こういう努力の方は、まず報道されませんが。

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2005/8/12の記事

20050817

ノースカロライナ州キャンプ・レジューン海兵隊基地(2005/8/12)

 どこがで和平交渉と銃撃戦が行われている間に軍人の時間と努力を費やす活動がある。しかしながら、特殊作戦訓練集団が何が市民の不安と論争の解決の間に生じることは作戦の成功にとって言うまでもなく重要であることを理解している。

「もしそれが戦闘でないのなら、それは戦争以外の軍事行動を考慮した」とネイサン・W・トンプソン二等軍曹(戦争以外及び非殺傷兵器軍事行動の主任教官)は言った。「時々、あなたがしようとしていることは単純だが、あなたは状況によって殺傷兵器を扱う必要が無い」

 軍人に関する作戦の例は個人的安全の詳細と非戦闘員の退去だ。それは成熟し、積極的な結果で全ての状況を取り扱う心構えができている海兵隊員を作り上げる8人の教官たちの、このSOTGチームが求める集中するポイントだ。

「我々が訓練で最も重要だと考えるのは個人の考え方だ。我々は非殺傷と殺傷の力をいつどこで使うかを教える」とトンプソンは言った。

 現実のシナリオが認知する驚異の曖昧無い地帯を必要とするため、直接ライフルを扱う代わりに非殺傷兵器は状況の激しさを減少させるためにちょうど正しい量の部隊を用いる要求と適合する。

 全ての武器は個人に対する固有の驚異となるが、その驚異は致死的である必要はない。

「武器は、それが鋭い外傷を作り出さないから、非殺傷と考えられる。もしそれが個々の皮膚に入らないなら、それは非殺傷と呼ばれる」とトンプソンは言った。しかしながら、使用された多数の兵器はそれが異なった方法で運用されていれば致命的な結果を引き起こすかも知れない。この気の利いた小道具の配備にもっと相応しい用語は、「致死的一歩手前」だ、とトンプソンは言った。

 非殺傷兵器は、警棒、トウガラシスプレー、手錠、スティンガーボール、テイザー、白兵戦技術と他の群衆もしくは個人を制御するために用いられる兵器を含んでいる。

 ジェームズ・P・ボーカー軍曹(MOOTW/NLW教官)は海兵隊員がどのように控え目な制御技術と引き金を引くことの誘惑を区別することを教えられるか説明した。

「我々は力の連続性を教え、それはあなたが毎回最大限の部隊を使用しなくても良いことを意味している。異なった人々のために異なった段階がある」とボーカーは言った。「他の人々が攻撃的であると同時に若干の人々は従順で、受動的であるかもしれない。力の連続性はそれらの異なった段階のそれぞれを扱う。それは我々がここで教えることだ。常に銃を扱うことがあなたの唯一の選択ではない」

 非殺傷の知識は派遣部隊の成功に最も適し、それはMOOTWの訓練が特殊作戦の有能な資格取得のために必要とされる理由だ。

「それは現在の戦争の戦い方だ。明らかにそれはテンポを変えている」とリー・J・ブルーノ軍曹(MOOTW/NLW教官)は最近の文化的に微妙な対立に言及して言った。

 非殺傷兵器と非戦闘的作戦のために訓練することは戦争における海兵隊員のより大きな範囲での有効性を与える、とブルーノは言った。

「我々は更に多くの戦術を持っているが、我々はただ状況を制御するために致死的ではない人々に対し、致死的な力は使用しない」と彼は付け加えた。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 非殺傷兵器とその技術の開発に一番賢明なのはアメリカだと思うのですが。

 暴徒が投げる殺傷兵器「石」に対抗して、軍や警察が非殺傷兵器のガス弾及びゴム弾(どちらも当たり所悪ければ死にますが)の使用すると非難する連中がいますが、そういうのは、犯罪を増長させて治安が悪化した社会を望んでいるということでしょうか?

 何となくトンプソン二等軍曹の発言に皮肉が混じっていたり、写真と記事の内容が一致していない気がするのはキャッチ22です。

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2005/7/20の記事

20050810

イラク ファルージャ(2005/7/20)

 道路脇の爆弾の耳をつんざくような爆発は地面から装甲車両を3フィート持ち上げ、道路の下、20フィートのちょうど手前までそれを投げた。

 一帯周辺の埃が治まったとき、海兵隊員は彼ら自身の点検のために彼らのハンビーを降りた。皆が驚いたことに誰も負傷していなかった。

 これは第4海兵連隊第3大隊の合同対装甲チーム(Combined Anti Armor Teams)のすぐ近くで点火された68の道路脇爆弾のちょうど一つの現場だった。

 都市で毎日パトロールを行い、大隊の緊急即応部隊として従事する間に大隊の二つのCAAT部隊の海兵隊員は都市の中のここで毎日約12時間を過ごした。

「私たちは常にそこにいる」とジョー・G・ラミレスIII世二等軍曹(31歳。CAAT-1の小隊付軍曹)は言った。「そして私たちは、激しく撃たれた」

 チームは途中待ち伏せと狙撃手に耐えた。

「私たちは私たちのトラックがIEDに遭遇している間、弾丸が私たちの窓に衝撃を与えるようにした」とラミレス(テキサス州ビーヴィル出身)は言った。「私たちは私たちの機関銃手の防盾の一つに(RPG:Rocket Propellrd Grenadeが)跳ね返ることさえあった」

 ラミレスによれば、派遣中のいっそう忘れがたい事件の一つは父の日に起きた。パトロール中に都市を通過する際、40人以上の暴徒が待ち伏せし、アサルトライフル、機関銃、そしてRPGでCAAT-1の海兵隊員を襲撃した。

「連中は私たちに40人で襲ってきた」とラミレスは言った。「私たちは26人を殺し、そして一人の死傷者も出さなかった」

 爆弾、待ち伏せ、そして狙撃兵の全てを通してCAATの海兵隊員は僅か3名の死傷者を出しただけだった。ニコラス・A・クラーク二等軍曹(34歳。CAAT-2小隊付軍曹)によれば海兵隊員は低い死傷率については多数の理由がある。

「それは海兵隊員の訓練と経験に大いに関係がある」とクラーク(ミシガン州オリヴェット出身)は言った。「それはちょうどあなたが行うように訓練されることを実行する事態だ」

 CAAT部隊の海兵隊員の大半が、イラクの自由作戦の支援で少なくとも二度派遣されていた。

 彼らは経験が要因であることに同意するが、若干の海兵隊員は彼らの装甲車両の頑丈さに賞賛の大半を与える。

 クラークによれば、爆発と敵の銃撃の全てを通し、一台の車両も敵の攻撃で失われることはなかった。

「トラックはまさにそれだけタフだ」とクラークは言った。「私たちは、私たちが、その一つを失ったと思ったことが何度か合ったが、煙がはれた後もそれは元気だった」

 理由がどうあれ、武器中隊の海兵隊員は火と金属の試練を体験し、対テロ戦争を支援して突き進み続ける。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 テロリストの襲撃で身を守るのは、海兵隊員の訓練と経験。そして、頑丈なトラックのおかげだそうです。

 映画で有名なブラックシーの戦いでも装甲ハンビーのタフさは証明されています……まあ、車両隊が一番死傷率高かったのですが、、、

 写真と記事の内容が合致していないのはいつものことなのでキャッチ22。

 ちなみに第4海兵連隊は、コレヒドールで一端壊滅しましたが、その後、再建されました。第1強襲(レイダース)連隊と呼ばれた部隊から。

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2005/7/28の記事

20050803

カリフォルニア州キャンプ・ペンドルトン海兵隊基地(2005/7/28)

「安全と安定化」

 そう遠くない昔、海兵隊員は、このような表現によって当惑しただろう。

 階段の踊り場での話、軍によって地域を確保すること、サダム・フセインのような独裁者を追放することは確かに彼の電球を照らしただろう。しかし、公共事業計画、そして教科書を配りながら、反乱軍に対して油断無く見張り続ける? とんでもない。

 本当にそれは異なった世界で、今日の海兵隊員のためにより広範囲の技能の習熟を、そして民主主義国家のより柔軟な側面のための才覚を持っている専門家のデビル・ドッグを必要とする。

 そのような一つのグループ-第6民間業務集団(6th Civil Affairs Group)-が秋、イラクに彼らが派遣されるための準備に向けて土曜と日曜日に集中的な訓練を受けた。

 グループの作戦は、「軍と民間の間に相互に作用する」ことだ、とトッド・W・ライダー中佐(グループの参謀)は語った。

 第6-主に国中の海兵隊予備役部隊からの将校と幹部下士官で構成されている海兵隊予備役-は特別なCAGである。以前に、CAGは選挙を実施し、学校を再建し、おろそかにされているか破損した基礎構造を再建し、そして水と薬のような必需品の配給を保証することに専念していた。しかし、イラク政府にそれらの業務を引き継がせることによって、第6CAGは新たな視野を示すだろう。

 ヘレン・プラット中佐(第6CAG副官)は部隊が、民間支援業務で、「イラクの人を助けることに向けられる」だろうと言った。ゴールは、政府がCAGの役割を変わることができるように、「イラク政府に焦点を合わせ」始めることだ。プロセスは、現在進行中の「イラク警察構築」に類似している、と彼女は言った。

 従って、第6CAGは、間もなく標準的になるかも知れない前例の無いフィールドトレーニングを経験した。それは見難関の軍事作戦センター-民間メディアを取り扱う方法から、CAGの作戦の中枢を設置することまで及んだ。

 センターは、ハリウッドの映画セットを思わせた。防衛戦には螺旋状鉄条網が張り巡らされた。電力と窓の壊れた荒れ果てた平屋が中枢の役をした。

 訓練は、イラク人の扮装をした海兵隊の演技者も含んだ。彼らは、地域で一般的な長い髪、ひげ、ローブそしてかぶり物を身につけた。

 他の参加者が、模擬即製爆弾を爆発させ、暴徒の役を演じている間に参加者はCAG幹部たちを出迎えた。

 色々な意味で、訓練基地は適切だった。ヘルメットとフラックジャケットを着用した海兵隊員の災難のために今にも倒れそうな華氏約100度のうだるような暑さのイラクの夏を再現した。基地の住宅-航空兵がちょうど数年前に彼らの家族と共に済んでいた場所-が引き倒され、アラブ語の落書きをスプレーでペイントされた。海兵隊員は、誰もいなくなった家の損害を心配せずに済んだ。

 暑さにさらされた中、フル装備を着用することは若干の苦痛を引き起こしたが、それは本物の人道支援作戦のために準備する価値を持っていた、とライダーは語った。

「一つでも普通の特徴が(作戦への)圧倒的な真実で、役立つことを望む」とライダーは微笑みながら言った。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 来年には、イラク駐留アメリカ軍は大幅に削減されることが報じられ、治安活動よりも、人道的支援の方が重要になっているという訳ですが。

 世間で報道されるのは、テロリストが何人殺したか、ばかりですが、最後の悪あがきで自体は案外、順調に進んでいるのかも知れません。

 そんなのはテロを支援するどこぞの馬鹿にはキャッチ22、と。

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2005/7/20の記事

20050720

サウスカロライナ州ビューフォート海兵隊航空基地(2005/7/20)

 戦術ジェットで、戦争と平和を通じて無事故で100,000回のフライト時間を達成することはまれだ。

 5月24日に、海兵戦闘攻撃航空隊332のムーンライターズは、このマイルストーンを創設以来27年目の業績として達成する最初の海兵戦術ジェット航空隊となった。

  ジェームズ・エイモス中将(第2海兵遠征軍司令官)は個人的にムーンライターズを祝うために7月20日に航空基地を訪れた。

「これはとても意義のある業績だ」とエイモスは語った。「これは他の海兵戦術航空隊によってなされなかった。それは抽選に当たるようなものだ。これはほとんど不可能な業績だ」

 式典の間、ムーンライターズはゲーリー・ヴァン・ガイセル(ボーイング社海兵隊プログラム東部マネージャー)からプラークを贈られた。

「私は多くの賞を配りましたが、これは私が今までにこのような賞を配った中で最初のものです」とヴァン・ガイセルは語った。「これらはもっとも安全なジェット機であり、私たちは、これの一部であることを誇りに思っている」

 ムーンライターズの最後のA級事故は1978年にA6イントルーダーの飛行隊が飛んでいたときだった。

「すばらしいこのことは運によって起こるのではなく、それはすばらしい飛行隊が獲得する」とロバート・S・ウォルシュ大佐(第31海兵航空団司令官)が5月24日、イベントの立会人としてフライトラインに集まった海兵隊員のグループに言った。「君たちの全てにおめでとう。そして、レコードブックにようこそ」

 ムーンライターズが彼らの無事故期間を積み重ねている間、航空隊は新たな作戦で、そして新たな基地に新しい航空機へと変遷するする三つの主要な変化を経験した。

 62年前に航空隊は編成され、1958年から1993年6月16日までノースカロライナ州チェリーポイント海兵隊航空基地に配置されていたが、そのとき、航空隊はVMFA(AW)332に再度指名され、ビューフォート海兵隊航空基地に移籍し、そこでF/A18Dホーネットに変遷した。

「君が今日まで、この戦隊が朝鮮戦争から戦闘のための作戦準備ができている航空機を操縦していたという事実を考慮するとき、このマイルストーンの重要性は驚くべき意味を持つ」とデビット・ウィルバー中佐(ムーンライターズ指揮官)は語った。「この記録は、A6で60,000時間、そしてF/A18で60,000時間の結果で、そしてそれは時代の長い期間に渡って多くの沢山の人々のコンビネーションだ」

 全ての航空戦隊に変化は絶えず続く、人員の引き渡しは割引であるはずがない。ウィルバーによればマイルストーンを現実にした-過去と現在の-全てのムーンライターズに名声の多くが与えられる。

「この航空隊の指揮官であることを名誉に思うが、それは私以前の部隊指揮官に対する誇りでもある」とウィルバーは語った。「それは彼らのフライト時間全ての期間に航空隊のプロ根性、忠誠と海兵隊の責任の本物の証だ」

 マイルストーンマーキングフライトはパイロットのグレッグ・サムマ大尉と後部座席武器管制官マーク・ボースネム大尉によって行われた。サムマによれば航空機とパイロットの安全性を保守尾することは航空隊の海兵隊員のための週七日/24時間の仕事だ。

「パイロットとして、私は航空機にサインをする一人かもしれないが、それはジェット機が発信する準備ができていることを確認した私の後ろに連なる海兵隊員が、地上を去る前に同様に有能な作戦が完全になされているからだ」とサムマは語った。「それが空中にいる仇は、私の手にあるが、私たちが地上に帰還するとそれを交換する。それは本当に若い、そして年配の海兵隊員たちの整備によってこれは成されている」

 マイルストーンは同様に、サンマによれば、ムーンライターズチームが上から下まで卓越した行いによったことを証明する。

「私たちは、全体としてムーンライターズとして何か正しいことをし、そして私たちはそれを得るために努力を続けるつもりだ」とサムマは語った。「私たちはの特質は個人、パイロットと整備担当海兵隊員まで航空隊の中のSショップ全てが正しいことをしていることだ」

 ウィルバーによれば、このマイルストーンに達するために正しい部品を組み立てることは同様に戦隊の外で多くの利点をもたらすことができる。

「我々が目的を達成するフライト時間は航空機搭乗員と整備員双方による困難な仕事によって成されたが、これには他に多くの人々が関係している」とウィルバーは語った。「他の航空機、空を管理する航空管制官と(我が海兵隊員たち)を支援する全ての海兵隊員。それは本当に結合された努力だ」

 ウィルバーによれば、保安問題は単に傷害を防ぐだけではなく、同様に海兵隊の作戦完了の能力を維持することについての問題だけではない。

「我々は組織として、共同体として災難を減らすために我々ができることの全てを行っている」とウィルバーは語った。「このマイルストーンは正しいことの業績だ。これは航空隊だけではなく、海兵隊全体の業績である」

 記録を更新したF/A18は、しかしながら5月24日にただ二つの座席を有するだけだが、ボースネムによれば、コクピットは記録を達成するkとおを手伝った全てのムーンライターズの精神に満ち溢れていた。

「私が、この飛行機で飛ぶことは、ここで起こる出来事の最も小さい部分です」とボー砂ナムは語った。「その賞賛は1日24時間働き、そしてこれを達成するために前線にいる海兵隊員にこそ相応しい。私は、ただ、この航空隊でともに飛べるとは運がいい」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 100,000時間の無事故記録という前代未聞の偉業を成し遂げた航空隊の記事。それを達成したのは、表舞台にたつパイロットたちの力だけではなく、整備員や航空管制官などあらゆる―全ての海兵隊協力があってなしとげられた。

 F18の開発も、採用もすったもんだあったとかはキャッチ22で。

 運用開始直後、機体に亀裂が入る欠陥があったとかも。

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2005/7/15の記事

20050715

沖縄普天間海兵隊航空基地(2005/7/15)

 トレーニングシナリオ:対空ミサイルで武装した分隊規模の敵部隊が沖縄の海岸沖に存在する。ヘリコプターパイロットは彼らの「Phrogs」が敵軍の島へ飛行中に発見されないようにし、目標との接触の機会を持ち、そして敵を除去するための部隊を送り込まなくてはならない。機付長は、M2-.50口径マシンガンを用いて島にいる多数の目標を取り除くだろう。

 海兵中型ヘリコプター飛行隊(Marine Medium Helicopter Squadron)262(増強)のフライングタイガースは、現在第31海兵編成部隊(Marine Expeditionary Unit)に所属し、6月28日に行われた演習中に島を襲撃した。パイロットと機付長が訓練の間に協力して働いた。航空機部門リーダートレーニングは、航空及び空中戦砲撃によるパイロットの照準技術の発展、機付長の射撃技術の向上を意図していた。

 全ての飛行任務はチームワークの強い意識を必要とする。ヘリコプター飛行隊の全体の準備が整うと、ヘリコプターの飛行をパイロットがコントロールし、機付長はヘリコプターが作戦のために準備ができていることを確認し、長時間働く。

「イラクで私は全体的な作戦成功に機付長がいかに重要な存在であるかを見た」とアレックス・T・クッシュニル中尉(HMM262(増強)航空装備将校)は語った。「機付長は何でも屋だ。彼らはヘリコプターを我々のために準備する連中だ」

 ヘリコプターが飛行する前に、機付長がヘリコプターを点検し、作戦の必要条件のとおりにキャビンを準備し、燃料を補給し、必要とされる全ての装置を獲得する、とライフ・D・スカレッヅヴィグ伍長(HMM262所属Ch36E機付長)は語った。

「我々は全ての作戦に従事する乗員と武器と同じように航空機の機械に関して責任がある」とスカレッツヴィグは語った。「我々は武器が正常に機能することを確認し、我々が引き金を引くとき、彼らが発砲できるように準備を行う」

 シナリオの間、12-14人の敵兵士が対空ミサイルによってヘリコプターに驚異を与えた。目的は、発見されていない伊是名島へ部隊を送り込むために飛び、そしてあらゆる敵の兵員そして装備を捕獲することだった。

「訓練は、我々が戦闘準備が万端であることと飛行のリーダーシップを築くのを助ける」とクッシュニルは語った。「飛ぶことは腐敗しやすい技術で、我々は常に熟練している状態のために訓練を積む必要がある。我々がMEUにいる間、我々は通知を受けた瞬間に出発することができるから、我々は準備に集中できる」

 彼らが彼らの作戦中、能率的に働くことができるように機付長が日単位で訓練する必要がある、とブランドン・P・プラット上等兵(HMM262所属Ch36E機付長)は語った。彼らはヘリコプターの中で全てを処理し、そして他の僚機を意識していなければならない。

「我々が戦闘に行くまで、我々の仕事は常に訓練することだ」とプラットは語った。

 機付長は彼らの同僚の海兵隊員に献身と責任の大きな思慮を持っている。彼らはあらゆる作戦を完了させるために航空機の全ての面で準備されていることを保証するために困難な仕事の長い時間を費やした、とスカレッツヴィグは語った。

「数日、我々は一日の内、13或いはそれ以上の時間を費やす。しかし、それはその価値がある」とスカレッツヴィグは語った。「私は、この仕事を愛している。私は私自身が海兵隊で他の何かをしているとは想像できない」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 操縦技術その他の腕が落ちないように訓練を怠らないヘリコプター乗員たち。その一人は、この仕事を天職とし、それ以外の自分を想像できないとまで。

 ところで、以前のネタですが、


逃げる奴は悪い子だ。逃げない奴は良く訓練された悪い子だ!!

 これも、機付長の仕事……キャッチ22。

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2005/7/6の記事

20050706

グルジア・トビリシ(2005/7/6)

 知識と情報は、今日の世界では戦場の準備と計画にいたるうえで決定的である。スカウト偵察は、軍事行動に必要とされる時期を得た正確な情報を収集する課題に取り組む指揮官が用いる重要な手段の一つである。

 合衆国海兵隊はスカウト偵察訓練を、進行中のグルジア防衛及びスタビリティ作戦プログラム(GSSOP)に参加するグルジア人の兵士たちに最近行った。

「この訓練の目的は、基礎偵察、観測報告そして偵察報告技術を(グルジア人の)第23軽歩兵大隊スカウト小隊に提供することにある」とジョン・ボルト大尉(GSSOPスカウト小隊教官)は語った。「最終的に、これらのスカウトは確実でなければならず、敵意を持った状況において単独で生き残ることができなければならない」

 それでもなお、ボルトが語るにはグルジア軍兵士はとても熱心で、迅速に観念を吸収していく。「彼らは訓練に刺激され、彼らは教官全員のエネルギーと熱心さをたちどころに物にしてしまう」ボルト(マサチューセッツ州アーリントン出身者)は語った。

 旧ソビエト連邦理論の産物であるグルジア軍は、アメリカ軍と非常に異なる。二つの明確な違いの部分は、下士官に対するアメリカ軍の信用と指揮官の意志の中で割り当てられる作戦の成功と最も低いレベルの主導権を与える分権的管理である。

 彼らの訓練中、ボルトはそれを説明した。「我々は、スカウトチームのため、彼らが障害が訪れたとき-将校の直接的な指揮無しで行動し、それを彼らが克服することができるようにするために兵士たちを西洋式の訓練にさらした」

 スカウト小隊の訓練は、地形航法、フィールドスケッチ、哨戒偵察、そして情報報告技術を含み、それらは戦場における指揮官の目と耳を有効に増大させるだろう。訓練中、スカウト小隊は、様々な実弾射撃訓練を行い、そして大隊指揮官へ第23軽歩兵大隊内の仮想中隊の報告するために、彼らの任務を記録する努力をした。

「訓練は、実施空、うまくいっている。しかし、我々の最大の試みは、解釈者によって全ての我々の言う事が解釈されることである」とボルトは言った。

 総合的に、彼らの軍の対応とグルジア人の人々は、GSSOP海兵トレーナーを歓迎した。最新のGSSOPtask forceは、手として海兵隊歩兵と小火器トレーナー、海軍緊急医療訓練チーム、空軍通信技術及び陸軍画像通信そして兵員直接通信網から成る。

 他のGSSOP訓練は、旅団規模以上の指揮及び統制訓練を含む、大隊レベルもしくは独立中隊の歩兵技術、平和維持任務、専門校学、兵站、偵察及び通信技術訓練からなる。

 更にタスクフォースの任務は、バグダッドの国連派遣のためにセキュリティの提供を助けることによってイラクの自由作戦支援に従事するグルジア歩兵大隊のローテーションに加わる予定のグルジア軍第23軽歩兵大隊及び他のグルジア大隊の訓練である。

 第23軽歩兵大隊は、8月13日に訓練を完了する予定であり、そして別の部隊による訓練が8月下旬に始まるだろう。

Marine Corps News(U.S.M.C)

 グルジア軍に偵察任務に必要なノウハウを叩き込む海兵隊。

 ソビエト時代とは違った教えに、熱心にグルジア軍の兵士たちは訓練に励んでいるようです。

 正確な情報を取得し、それが正しく受け取られることがどれだけ重要かは歴史が証明し、必ずしもうまくいかないのも同様に歴史が証明していますが。

 実のところ、最初、ジョージア(Georgia)州だと思っていました。グルジア(Georgia)共和国でしたね、というのはキャッチ22で。どうりで装備が違うと思っていたら……

※たまに素っ頓狂な翻訳家がジョージア共和国などと字幕に書いたりしますが。

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2005/6/29の記事

20050629

イラク アル・アンバー ハヂサ(2005/6/29)

 多くの過去の戦争において、ネイティブ・アメリカンは、アメリカを安全な状態に保つ事への大きな貢献を果たした。ナヴァホ・コード・トーカーズは、最も記憶に残る立場にいる。

 今、アリゾナ州及びニューメキシコ州から来たナヴァホ族のメンバー4名は、テロリズムに対する戦争において戦い、そして彼らの先祖が記憶されていることによる彼らの人々と合衆国海兵隊に戦争の英雄としての新たな一章を書き込んでいる。

「私は、我々が最良の戦闘部隊において、祖国のために戦っているために我々が志願することを誇りに思っている」とレイソン・レッドハウス軍曹(第25海兵連隊第3大隊武器小隊所属分隊長)は語った。「私は、同じ不足からの私の同胞の側で戦うことを同様に誇らしく思う」

 スティーブ・ジェイクス曹長(第5民政問題グループスタッフ下士官)、ジョナサン・D・マッケンジー軍曹(L中隊小隊偵察員)、チェストン・E・バイロン上等兵(L中隊第1小隊歩兵)、そしてレッドホースの全員が合衆国最大の特別保留地の一つナヴァホ・インディアン特別保留地で成長した。

「私たち全員が、ニューメキシコ州シプロックで育った。バイロンと私は同じ高校を卒業し、そして私たちのライバルはレッドホースの高校だった」とマッケンジー(シプロック高校1996年卒業生)は語った。「私たちがライバル学校であったとしても、私たち全員が海兵隊員であり、そして私たちは任務を行うために、ここにいる」

 彼らが軍団に加わった理由はそれぞれ違う。レッドハウスの理由は、彼の兄弟が原因だった。

「私の兄弟が海兵隊におり、そして私も同じようになることを望んだ」とレッドホース(キートランドセントラル高校1997年卒業生)は語った。「私は人生に変革を望み、そして部族の他の人々から離れることを望んだ」

 彼らのような海兵隊員は、運命に従って多くのことを与えられると知っている。合衆国海兵隊におけるナヴァホ族の活躍は良く知られている。

「合衆国海兵隊と直接関係があるナヴァホ族の間には多くの軍の伝統がある」と46歳のジェイクスは語った。「私たちのうち、何人かは私たちが最高の敬意を払うナヴァホ・コードトーカーズと親類である」

 彼らにとって、彼らの先祖は、役割の模範であり、ヒーローである。

「私たちは、彼らを熱心に見習って努力しています」と20歳のバイロンは語った。「彼らは、(部族の)英雄だけではなく、海兵隊の英雄でもあります」

 彼らの英雄のように決然として、彼らはコードトーカーズと同様に家族と家を後にした。予備役から離れ、彼ら海兵隊員は状況を最大限利用し、そして互いを非常に信頼する。

「私には、キャンプヒットに配属されたL中隊に兄弟がいて、そして私たちが分かれた時、私は自分の指揮が低下するのを感じました」前記のバイロン(レッドハウス(Kinlichinii)、そしてWater Flows Around ( Toohagliinee )氏族)。「私は、私が自分の面倒を見るために、彼らが巡っていることを知った時、彼らが別な兄弟の組み合わせのようだと考えました」

 彼らが家族から離れることは、彼らに新しい信頼を築かせるために役立ち、そしてナヴァホ族から、彼らのような戦士を集めるのに役立った。

「これは私が持つ配属されて四度目の経験であり、そしてそれが実際君にファミリーとホームの進化を実際に教えてくれる」前記のレッドハウス(Honey Comb People (Tsenjikini) そしてSleep Rock People (Tsenahaabilnii)氏族)。「イラクの幾つかの地理的特徴は'Rez(インディアン保留地のあだ名)を私に思い出させ、そして知人とそれについて話すことができるのがいい」

 彼ら海兵隊員全員が、進行中の作戦に対する彼らの貢献が非常に評価されると言うことを知っており、そして、彼らはその一部であることを喜びに思う。

「私は、これらの人々の住む貧困状態を見て、誰も、こんな風に生きてはならない。だから、私たちはここにいる」前述のマッケンジー(The Folded Arms (Biitaanii)そして Red Cheek (Kiinxichinii) 氏族)。「私は、私がここで彼らのような人々を助け得るならば、私がRezにおいて助け得る(人々を)と知っている」

 海兵隊が戦争における技術を進歩させ続けたように、機会均等においても同様に進歩した。

「私は1977年、最初に海兵隊に志願した時、私は戦場で、あまり多くのナヴァホを見ることは無かった」前述のジェイクス(The Bitter Water (Todichini) そしてCoyote Pass (Mai Desghichni)氏族)。「これは私がかつて経験した中で、最も危険で、しかし、有意義な作戦の一つである。彼らが作戦に出動するとき、私は彼ら兵士たちのみではなく、彼ら全てのためであると更に感じる」

 引退間近のジェイクスは、海兵隊におけるネイティブ・アメリカンの彼の見解に基づく展望と、彼の広範囲にわたる時間の経過を少しの間熟考した。

「私は、普通、私の行く先々で部隊におけるネイティブ・アメリカン唯一の代表である」とチャボット大学1992年卒業生は言った。「私は、いかに民族の多様性と感受性に関して海兵隊の見解が変わったかを理解し、そしていかにそれが正しい方法の階級にいたるネイティブ・アメリカンの新しい流れに影響を及ぼし方に注目した」

「私は、向上するための更に多くの英雄を(人々)に与えるだろう彼ら若い戦士にガイダンスと進路を提供するために常にそこに行った」とアリゾナ州シンリから来たシンリ高校1977年卒業生は言った。

 彼らの配置転換日が近付くので、彼ら誇らしげなナヴァホ海兵隊員は将来とそれがもたらすであろうものを期待する。

「私は、私の家族との私の業績に関して熟考することを期待する」前述のマッケンジー。「私は、行動がwたしの子供のために良い模範を示したと言うことを知っている」

 バイロンは、彼が予備役に戻るとき、役目のモデルであり続けるつもりである。

「私は、更に多くのビジネスをその状態に至らせることによって私のコミュニティを助けることを望む」とバイロンは言った。「私は、このビジョンの実現を助けるためにアリゾナ州立大学のビジネスとマーケティングで自分の学士号を取得し続けるだろう」

 彼らは、彼ら自身の将来の計画を持っているが、彼ら全ては今まで届かない所にあった得意な見解を共有する。

「私は、我々全員がナヴァホ族フェアパレードに参加するチャンスを得ることを願い、そしてナヴァホ・コードトーカーズと同様の敬意を受ける」と言ってレッドハウスは微笑んだ。「(人々の)だけでなく、我々海兵隊と祖国の英雄として」

Marine Corps News(U.S.M.C)

 ナヴァホ族と海兵隊員としての二つの誇りを持って職務を遂行するナヴァホ・コードトーカーズの子孫たち。

 かつて、白人と黒人を同じ部隊に配属させるという改革が行われた時、最後まで抵抗したのが海兵隊でした。しかし、一方で第2次世界大戦中、人種を問わずに部隊編成を行っていました。ナヴァホ族の通信暗号員は、戦争の勝利に大いに貢献したとして、2001年から、彼らの業績を称えて名誉勲章が授与されています。

 そういった動きが、映画「ウインドトーカーズ」の切っ掛けともなっています。映画は出来映えはともかく、ナヴァホ・コードトーカーズを世に知らしめた功績は評価していいと思います。

 戦艦の主砲と同じ威力のM1バズーカとか、たった一個で辺り一面を炎の渦に巻き込む手榴弾とかはともかく、白い鳩と二丁拳銃と滑り込みながらの銃の乱射が無かったのが惜しまれます、というのはキャッチ22でしょうか?

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