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PARA-MARINE(海兵隊空挺部隊)

ブーゲンビル

  1943年11月1日に、第3海兵連隊と第9海兵連隊は、トロキナ岬から北西にかけてのブーゲンヒル沿岸地域を奪取し、同時にプルアタ岬を襲撃した第3強襲大隊は増援が来るまでに一帯を守る日本軍一個中隊と75mm砲一門を撃破する成果を上げました。

 この後、数日間、海兵隊は占領地域を広げるために内陸へ前進するのですが、前進中、小規模な日本軍偵察部隊との接触が時折ある程度で、この時期の本当の敵は密生したジャングルと砂浜からすぐに始まる沼沢地という地形でした。

 11月20日までに、I-MAC は、第3海兵師団の全てと第37歩兵師団に加え第2強襲連隊をブーゲンビルに投入していましたが、空挺連隊も当初計画に基づき、予備部隊としてベララベラ島から派遣されることが決定し、第1空挺大隊が11月22日に輸送船に乗り込み、翌日、強襲連隊の予備として合流します

 ブーゲンビルに到着し、予備部隊となった空挺部隊ですが、司令部が積極的に予備部隊を使うことを望んだことと、ちょうど日本軍第23歩兵連隊がアメリカ軍の北東の高地を占領し、砲撃を加えてきたために、この脅威を取り除くためにも、東西の海岸線から内陸に沿って強襲をかけ、日本軍の補給基地と通信網を破壊することで注意を引き付け、日本軍砲兵部隊を排除することを決定します

 これを受けて11月28日夜明け前、第1空挺大隊長リチャード・ファガン少佐は、コイアリ東10マイルのニートに強襲大隊M中隊と砲兵を上陸させるためにオブザーバーを派遣します

 計画では、空挺部隊が攻撃を開始した後、強襲大隊は哨戒基地を守り、司令部が撤退を命令するまで止まることになっていました

 しかし、日本軍の空爆が行われたため、作戦決行は24時間の延期

 11月28日真夜中、大隊739名がトロキナ岬側で、上陸用舟艇に乗り込み海岸を離れます。空挺大隊本隊も、割り当てられた目標へ向かいます。

 M中隊と司令部中隊は本隊の1,000ヤード東に上陸したのですが、上陸してきた海兵隊を、どうやら味方の補給部隊が到着したと勘違いした日本軍将校が砂浜を歩いてくると突然話しかけてきました

 話しかけた相手が、味方の補給部隊ではなく、敵上陸部隊だと気づいた将校は、あっさりと降伏

 この珍事で、上陸地点の近くに日本軍の大規模な補給物資集積場が存在していることが明らかとなりました

 本隊を率いるファガン少佐は、集積所周辺にいる日本軍部隊が自分たちより遙かに規模が大きいと考え、即座に防御陣を敷きます

 コイアリ上陸後、防御陣を敷く空挺大隊。

 一番手前の海兵が手にしているのが、当時、主力だったにもかかわらず、あまりにも作動不良が多くて不評だったM55レイジングブルサブマシンガン(折り畳みストックバージョン)。

 夜が明けると日本軍は、後方に上陸した海兵隊に対し、90mm迫撃砲、擲弾筒、機関銃そしてライフルを用いて攻撃を開始し、その火力を増す中、海兵隊の防衛ラインへ肉薄攻撃を仕掛けます

 09:30頃、状況が多少改善したため、その隙に強襲部隊と司令部要員は砂浜まで後退しますが、大隊の無線機は故障しており、I-MACとの連絡ができない状態でした

 しかし、不思議と味方の155mm砲は、正確に日本軍陣地に砲弾を叩き込んでいます

 というのも、ファガン少佐は知らなかったのですが、強襲中隊が独自に無線機を所有しており、独自に連絡を取っていたのです。しかし、これらの通信が、後に事態を混乱させていくことになります

 午前中にI-MACは包囲された部隊を救出する案を検討していました

 11:28。第3海兵師団の持つ75mm砲を取り付けたハーフトラックが手配され、更に近接支援のための航空機も用意します

 ファガン少佐は作戦を中止し、撤退する許可を求め、13:18に撤退計画を要請しますが、大隊の通信手は返答を受け取ることができず、ファガン少佐は、乏しくなってきた弾薬の補給に奔走するはめになります

 このとき、どういう訳か、ファガン少佐も司令部も火力支援要求以外の連絡で砲兵との通信を使い、状況的には仕方ないものの本来の用途を侵害していました

 作戦が終わった後、ファガン少佐はM中隊の通信手が狼狽し、彼の承認を得ないまま午後の間中、弾薬の供給を要請し続けていたと述べています

 16:00に上陸用舟艇が到着し、部隊を引き揚げようとしますが、日本軍が即座に迫撃砲による砲撃を開始したために失敗。一端、退いた後、即座に再度の接近を試みますが、やはり、海岸からの激しい攻撃を受けて接岸できませんでした

 日没になり、ジャングルの視界がなくなったことで、事態は更に混沌とし、日本軍による夜襲の可能性が増加しました。

 この時、空挺大隊の降下兵たちは、弾薬は底をつきかけ、大半の武器が砂だらけになってまともに動かなくなっており、手にしていたのは撃退した日本軍の武器をという始末でした

 18:00に駆逐艦フラム、ランスドーン及びラードナー。そして二隻のLCI砲艦が現れ、近距離砲撃を行い日本軍の迫撃砲陣地を沈黙させます

 これで19:20にボートは海岸に到達することができ、支援砲撃の中、空挺大隊と強襲大隊は整然と後退を始めます

 最後に落伍者がいないことを確認するために数名の海兵隊が21:00まで残り、上陸用舟艇に乗り込み戦場を後にし、撤退は完了しました

 この襲撃は、計画どおりに行かず、失敗した作戦の一つに含まれますが、それでも多少の成果はあげています

 日中の補給所に絡んだ戦闘では、日本軍の弾薬、食料及び医療品などの大量の備蓄を破壊することに成功し、また―正確な数字を確認する術はありませんが―おおざっぱに見て日本軍に死傷者300名の損害を与えています

 確実にいえることは、戦線後方を襲撃した作戦はアメリカ軍が別な場所で―ヒトラーがイギリス軍コマンドゥを恐れて10万の兵力をノルウェーに釘付けにしたように―同様の戦術を行うのではないかという懸念を日本軍に抱かせたことでした

 しかし、一日の戦闘で装備の大半を失っただけでなく、人的損害も空挺大隊兵力の約20%にあたる戦死17名、行方不明者7名、負傷者97名(内三分の二が後送を必要としました)と大きく、その代償は大きなものとなりました。

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