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PARA-MARINE(海兵隊空挺部隊)

ソロモン諸島第2部 タシムボコ

 8月、日本軍がガダルカナルの飛行場を取り戻すために―いわゆる「東京急行(駆逐艦等による輸送作戦)」によって部隊や物資を部隊を揚陸していることが判明しました。

 第1海兵師団は、8月21日にテナル川の戦いで一木支隊を壊滅させていましたが、全体的には兵力も物資も欠乏したままでした。

 そこで師団長ヴァンデグリフト少将は8月の終わりにツラギの強襲大隊とパラシュート大隊の二つの大隊をルンガポイント近くのココナツ園に移動させますが、大隊の実働人員は既に300人を割っており、指揮官も一時的に大尉が務めている始末で、ヴァンデグリフト少将の命令で第1強襲大隊に吸収されます。。

※指揮官のミラー少佐は、この頃、野戦病院に入院していました。ミラー少佐以外にも、多くの海兵隊員がマラリアなどで戦線を離れており、部隊を合流させることで重火器は不足したままでしたが、辛うじて通常の歩兵大隊規模にすることができたほどです。

 強襲部隊の二個中隊が、9月4日にサボ島の偵察を実施しましたが、日本軍を発見することはできませんでした。

 9月6日までに集められた報告では日本軍が新しい部隊をタシムボコに集結させていることが明らかになってきます。

 この動きに対し、エドソン中佐と師団の作戦参謀ジェラルド・C・トーマス中佐は9月8日に東京急行に対する強襲計画を計画します。

 情報によれば、ヘンダーソン基地及び村に対して、西に防衛拠点が置かれ、2-300名の日本軍がいるとされていたため、エドソン中佐は村の東に回り込み、背後から攻撃を実施する作戦を立てます。

 利用可能な船舶は二隻のAPD(高速輸送駆逐艦)にマグロ漁船、このため強襲部隊指揮官は部隊を二つに分け、各ライフル中隊は9月7日の夜明け前に夜陰に紛れて出発し、降下兵部隊と武器中隊を乗せて上陸地点へ向かうこととされました。

 9月7日夜、現地人斥候はタシムボコの日本軍が数千に増強されたという情報をもたらしました。

 師団の作戦計画担当は、報告にある日本軍は敗残兵が集結した物であり、誇張であると考えました。

 しかし、9月8日05:20に上陸した強襲部隊は、その情報が正確であったことを即座に悟りました。

 彼らは砂浜近辺で、整然と置かれた救命具、多数の塹壕そして37mm対戦車砲を発見します。この日本軍は、川口支隊(川口少将指揮)の3,000名で、彼らは既に内陸へと移動しており、300名の殿部隊がタシムボコの日本軍陣地を守るために残っていました。

 しかし、この部隊ですら、強襲部隊の第一波と同程度の規模を持っていたのです。

 小隊同然の規模でしかないD中隊が砂浜に止まる中、他の中隊はタシムボコの西へと移動を開始しますが、すぐに日本軍は海兵隊に向けて激しい抵抗を開始します。

 エドソン中佐は、日本軍の側面を突くために一個中隊を左に向けて展開させ、これにより、07:55にパラシュート大隊(C中隊)は25分以内に上陸することができました。

 11:30。パラシュート部隊(208名)はD中隊と海岸で合流し、防衛陣地に入ります。

 エドソン中佐は、タシムボコの西から上陸する部隊が日本軍の罠に陥っているのではないかと懸念し、二回、師団に対して増援の要請を行います。

 これに対し、師団からは強襲部隊とパラシュート部隊に対し撤退するよう命令が来ます。

 エドソン中佐はこれを拒否し、正午までに日本軍の制圧に成功します。

 強襲部隊は村に入ると、食料、弾薬そして75mm砲の部品を発見すると敵の補給基地を破壊し、3時間後に合流した部隊は日暮れまでに師団の基地へと帰還しました。

 この攻撃はガダルカナル戦における目立たない勝利でしたが、死傷者8名(戦死2名、負傷者6名)の損失に対し、日本軍27名を倒し、更に武器弾薬の破壊により日本軍から火力を奪い取ることに成功しました。

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