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PARA-MARINE(海兵隊空挺部隊)

ソロモン諸島第1部 ガブツ、タナンボコ

ガブツ

 装備類の積み卸しに追われた週が明けた7月18日、USSヘイウッドに部隊は乗り込むとフィジー諸島コロ島へと送られ、上陸演習を7月28日そして30日に実施します。この際、降下するための準備は全く行われ―正確には考えられもしませんでした。原因としては、制空権がなかったこととソロモン諸島までの往復を行うための輸送機がなかったとされています。

 この上陸演習では不手際を通り越して大失敗としか言いようの無い結果が出ましたが、事は急を要するために些細なことは無視されます。

 作戦において、パラシュート部隊には数多くの困難な任務を与えられていましたが、その兵力は、8個小隊361名と一個大隊の半分未満に過ぎず、大半が不評なM50レイジングブルサブマシンガンを装備しただけで、重迫撃砲も機関銃もありませんでした。

※とはいえ、防御側の日本軍も航空隊員400名足らずで、38式歩兵銃37挺、7.7ミリ機銃3挺、13ミリ機銃1挺に過ぎませんでした。

 計画時点の作戦が最高なのは古今東西変わらない事実ですが、この時も、海軍の砲撃と空爆によって日本軍の守備陣地は粉砕できると夢想予想されていました。

 しかし、周囲を囲む珊瑚礁によって上陸地点は限られ、唯一上陸可能な場所はガブツ北東にある船着き場だけで、そこは物の見事に日本軍拠点の真横に位置し、急勾配の珊瑚の高地が各小島の沿岸部を見下ろし、守備部隊が上陸部隊を制圧する最高の条件を揃えている場所でした。

 取りも直さず、1942年8月7日。ウォッチタワー作戦が開始され、アメリカ軍機動部隊は夜明け直前の闇に紛れて、ガダルカナル島とフロリダ島へ向かいました。

 予想していた抵抗も無く上陸は順調に進み、ツラギの抵抗が予想されていたよりも少なかったために、防空巡洋艦サンファンが1,200発の砲弾をガブツとタナンボコへ撃ち込みます。

 正午前には、パラシュート部隊の最初の目標とされた地点に向け、4分間に280発の5インチ砲弾を撃ち込んだ後、空母ワスプの急降下爆撃が島の北側へ空爆を行います。

 12:00。第1パラシュート大隊がガブツ島へ上陸を開始します。砲撃と空爆によって、日本軍の反撃は鈍く、このため、A中隊は僅かな抵抗を受けただけで上陸に成功しました。しかし、日本軍もすぐに防御態勢を整え直し、海兵隊が75ヤードを進んだ時点で反撃を開始し、148高地に対するA中隊の進出を阻止します。

 更に日本軍の砲撃は次の上陸波に対しての攻撃を始め、B中隊は4分後、C中隊が7分後に反撃の中、上陸しますが、B中隊長リチャード・J・ハース大尉がボートから降りた直後、頭部に被弾して戦死、更に大隊の情報将校エマーソン・E・メイソン大尉も上陸直後に致命傷を負っています。

 それでもC中隊所属の2個小隊は上陸するとタナンボコからの攻撃に対する反撃の位置へと行動し、またB中隊も高地の左翼へと移動することで、ある程度の前進を可能にします。

 日本軍は地下掩蔽壕を利用した攻撃を行い、大隊通信将校を戦死させるなど、海兵隊に死傷者を生じさせます。

 空挺隊員は、拠点に肉薄し、手榴弾を投げ込んで一端は沈黙させますが、しばらくするとまた同じ拠点から攻撃を受けることもしばしばでした。

※後の調査で防御陣地が地下トンネルによって結ばれていたことが明らかになります。

 20分後にウィリアムズ少佐が148高地への先導をつとめますが、側面からの日本軍の攻撃に撃ち倒されます。

 チャールズ・A・ミラー少佐は船着き場の破壊された建物に司令所と救急医療所を設置し、作戦指揮を引き継ぎ、統制を始めます。

 14:00にミラー少佐はタナンボコに対する空爆を要請し、その30分後に増援を要請してパラシュート部隊の支援を行わせ、これによりA、B両中隊の少数が148高地に対する東側面からの攻撃を継続。

 空挺隊員たちは、60mm迫撃砲を設置して、148高地の日本軍陣地へ撃ち込み、防空壕からの攻撃にさらされながら接近し、ボードに縛り付けたTNTを投げ込んで一つ一つ潰す方法をとりました。この戦いにおいて、ハリー・L・トーガソン大尉とジョウニー・ブラックン伍長の奮闘が名高く、マックス・コプロウ軍曹とラルフ・W・フォーダイス伍長はサブマシンガンを撃ちまくりながらバンカーに突入し、ハリー・M・タリー小隊軍曹は、その優れた射撃技術で日本兵を狙撃していきます。

 14:30に、これらの奮闘により、島の東半分の確保に成功しますが、タナンボコからの攻撃にさらされ、西側への進出には失敗しました。

 午後、ミラー少佐の要請により、海軍航空隊の急降下爆撃がタナンボコに空爆を加えると共に二隻の駆逐艦が砲撃を実施。この際、一人のパイロットの誤爆によってB中隊に数名の犠牲者が生じてしまいます。

 それでも、18:00までに大隊は148高地を確保し、頂上に星条旗を掲げます。しかし、タナンボコからの制圧射撃と夜が訪れたために空挺隊員たちはウィリアムズ少佐を含めた死傷者を回収して輸送船へ運び込み、撤退していきました。

 火力支援が行われる中、増援が徐々に行われるとミラー少佐は第2海兵連隊第1大隊B中隊の報告を行いました。彼はタナンボコに対する上陸作戦を実施するように命じ、駆逐艦の支援砲撃の手配をします。

 予定では空挺隊員たちは火力支援の元タナンボコの桟橋から上陸し、同時にC中隊は上陸後の土手道を横断して攻撃を加えることになっていました。これはミラー少佐がタナンボコからの攻撃が午後遅くから減少したことや、B中隊隊長との打ち合わせで島には僅かな狙撃兵のみがいると考えたためです。

 この判断ミスに加えて、作戦開始直後の支援砲撃が日本軍の航空用燃料タンクに見事に命中して燃え上がらせ、この結果、桟橋一帯が照らし出され、上陸用舟艇が闇夜に照らし出される最悪の状況に陥り、作戦は失敗、海兵隊は20:00頃に撤退を余儀なくされました。

 夜間、土砂降りの雨に乗じて日本軍は掩蔽壕やタナンボコまたはフロリダ島から現れ、空挺隊員に攻撃を加えますが、僅かな損害を与えたのみで撃退されます。

 22:00。ルーパタス准将はタナンボコ確保のために増援部隊を要求し、第2海兵連隊第3大隊が8月8日にガブツへ上陸。第3大隊はガブツ攻略の任務の大半を引き継ぎ、午後、三両の戦車の支援を受けて水陸両用作戦を開始します。

 別の小隊も、土手道を横断して攻撃を加えることで上陸を援護しますが、苦しい戦いはその後も続き、日本軍の肉薄攻撃によって頼みの戦車2台が撃破され、更にまた海軍の急降下爆撃の誤爆によって死傷者を出し、8月8日中のタナンボコ占領はかないませんでした。

 その夜。ガダルカナルにアメリカ軍が上陸したとの報を聞いた第8艦隊司令三川軍一中将はラバウルの艦艇をかき集めて、ソロモン諸島へ進出。

 アメリカ海軍及びオーストラリア海軍は連絡の不行き届きから、司令官の居場所も知らないまま三川艦隊の奇襲を受けます。

 真っ先にオーストラリア海軍巡洋艦キャンベルが大破(翌魚雷処分)。

 次にアメリカ海軍巡洋艦隊に接触。アメリカ海軍は航空燃料やペンキが燃えることを知らなかったために直撃弾によって艦載機が炎上、更に甲板に並べたペンキも燃え上がり、それが更に正確な砲撃を招き寄せ、瞬く間に二隻が撃沈、一隻が大破させられます。

 幸い三川艦隊は、サボ島沖海戦(第一次ソロモン海戦)終了と共に海域を離れましたが、夜明けと共に損害を知った海軍は物資の引き上げを中断し、更には上陸した海兵隊を見捨てて遁走します。

 それでも、パラシュート大隊は9日にタナンボコの占領を完了。取り敢えず、ツラギに前線基地を設けることとなります。

 このパラシュート部隊の最初の実戦によって大隊は深刻な損害を受けましたが、不利な状況にもかかわらず、パラシュート部隊の奮闘は際だっているのも確かで能力に対する信頼に見事に答えました。

ガブツ、タナンボコ攻略に関するパラシュート大隊の損害内訳
戦死:
28名
 将校4名と下士官11名含む
負傷:
約50名
 ほとんどが重傷者
 死傷率20%(ガダルカナル上陸初期の損害では最大)
 なお、強襲大隊は10%とパラシュート部隊に継ぐ損害になっています。
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