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PARA-MARINE(海兵隊空挺部隊)

事故

 飛行機から、飛び降りること自体が危険なパラシュート降下ですが、訓練における事故は意外にもほとんどありませんでした。

 これはパラシュートの準備段階から、各自、自分の使う装具の点検を厳密に実施し、更に自らの名前を書いたタグを付けて検査を受けた上で使用していたことによりますが、たった一度だけ例外がありました。

 ニューカレドニアにおける訓練で、一人の降下兵のパラシュートが開かず、予備傘を開こうとしたのですが、パラシュートが開く前にその降下兵は地面に激突しました。

 主傘の梱包が悪かったとも言われますが、ライフルに主傘の吊り索がもつれたためとも考えられています。

※創設以来、海兵隊空挺部隊の降下兵は自分の使用する装具の準備を自ら行うこととされていましたが、末期になるとその規則は取り消されました。しかし、その頃にはほとんど使うこともありませんでしたが。

 他の例では、三人がパラシュートそのものとは関係のない事故で死亡しています。ノースカロライナ州ニューリバーで一人とバージニア州ノーフォークで一人が、降下地点を誤り、溺死。もう一人は、ニューリバーの降下訓練の際に、飛び降りることを躊躇し引き返した際に後続の訓練生と降下索がもつれ、機内でパラシュートが開く事態に陥り、輸送機のドアが彼を殺すに十分な勢いで閉まって彼の体を壁面へ叩き付け、背骨を切断しました。

 これらとは別に、1941年5月15日のサンディエゴで、部隊の創設期からのメンバーで、A中隊を引きいるオシポフ少尉が11名の部下と共に降下訓練を行っていた際、最後に飛び降りようとしたオシポフ少尉は―恐らくは降下索がもつれたために―主傘を捨ましたが、この際、彼が飛び降りる前にパラシュートが開いてしまい、彼は航空機の外へ引き出されました。

 更にケーブルがもつれ、オシポフ少尉は唯一残った肘のバンドにケーブルが引っかかったまま宙吊り状態に陥ります。

 搭乗員は、彼を機内へ戻そうと努力しましたが、成功しませんでした。輸送機は無線装備が無かったためにパイロットは事態を知らせるため、ノースアイランドの基地へと飛ばします。

 これを見て、海軍テストパイロット―ウィリアム・W・ロウェリー大尉と主任航空整備士ジョン・R・マッキャンツは、すぐに複座開放型操縦席を持つSOC-1複葉機に乗り込み、飛び立ちます。

 ロウェリー大尉が機を輸送機へ追いつかせ、ぎりぎりまで接近させると、マッキャンツがオシポフ少尉を操縦席に収容するために作業を開始。作業中、乱気流によって複葉機が押し上げられ、複葉機のプロペラが、輸送機のテイルコーンを12インチほど切断したもののマッキャンツは見事にオシポフ少尉の救出に成功しました。

 オシポフ少尉は、重傷を負ったものの後に復帰。

 救出に当たったロウェリー大尉とマッキャンツ整備士は、この神業的飛行による救出劇により、空軍叙勲十字章が授与されました。

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