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PARA-MARINE(海兵隊空挺部隊)

空輸

 空挺部隊は、その名とは裏腹に自ら羽ばたいて空は飛べませんので降下地点まで輸送機で運ばなければなりません。当然、海兵隊では独自に抱えている航空部隊と組み合わせて計画が立てられていました。

 一応、空挺作戦において輸送する航空機の種類は問わないともされていましたが、空挺隊員が苦労せずに飛び出すことが可能な扉と、内部で自由に動ける空間が必要とされ、降下間隔は目安として一人一秒とされました。

※ 降下時間が長引けば、それだけ分散降下することとなり、部隊の集結や装備の回収に手間がかかるだけでなく、降下地点を大きく外れた兵士が森や湖沼などに落 下する事事故を引き起こしかねず、逆に短すぎると次の降下者が前の降下者のパラシュートに激突するなどの事故が起きるため。

 司令部では、パラシュート部隊のアイデアを試すために海兵隊飛行隊VMJ-1所属のR2D-1(民間旅客機DC-2の軍用版)輸送機二機を

 R2D-1輸送機:ダグラスDC-2旅客機の軍用版。

 ・710馬力エンジン2器搭載
 ・総重量18,200ポンド
 ・最高速度約336km
 ・降下兵10名を積載可能

 当時、海軍はDC-5(R3D-2)を7機発注済みで、1941年に海兵隊は内4機を受領。ハワイのVMJ-252とクアンティコのVMJ-152に2機ずつ配備。

 有名な傑作輸送機C-47(DC-3。零式輸送機として日本軍も使用。今なお、世界のどこかで現役)は1935年に初飛行し、陸軍航空隊が1940年から採用。海軍でも、1942年にR4Dとして採用し、戦争中568機を受領(陸軍は10,000機以上)。こちらは、

 ・1,200馬力エンジン2機
 ・最大総重量29,000ポンド
 ・時速約370km
 ・降下兵25名を積載可能

 C-47は1943年8月に約80機が海兵隊に引き渡されています。

  当時、海兵隊にはVMJ大隊7個に加え、8番目のVMJも編成中で、R4Dを12機ずつ配備する予定でしたが、ほとんどが航空機もその搭乗員も不足した 状態でした。そのため分散して配備するしかなかったばかりか、陸軍(第11空挺師団及び第503空挺連隊)も含めて、最後まで太平洋方面における輸送機及 び搭乗員不足の問題は解決しませんでした。

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