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管理人の独り言

2004年度

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2004/12/29

 少し古い話になりますが2004年7月14日に、降伏したテロリストから鹵獲した武器です。

 ほとんどが、世界で最も人を殺したことで有名なソビエト(現ロシア)のAK47カラシニコです。

 もっとも、AK47はソビエト(現ロシア)製とは限らず、偽叛狂惨盗が、

「あなたの政権を応援します」

 と応援した自国民を殺しまくってクーデターで処刑されたチャウシェスク政権下で生産されたルーマニア製の物も混じっていますし、中国や北朝鮮には主要な特産品ですから、その辺りも混じっているでしょう(中国産は無いようですが)。

 まあ、サヨあこがれの国だったソビエト原産の兵器が大半を占めるのはいつものことです。自国民200,000,000人殺しただけでは足りなかった国ですから。中国も65,000,000人殺して、まだ現在進行形で虐殺やっている国だから、そんな国の武器がテロリストの主要な武器になっているのは当たり前です。

 さて、やっと本題です。先日、ニュースでテロリストの映像が流れました。撃っていたのは1944年アメリカ軍がドイツ軍のMG34及びMG42に触発されて取りあえず作ったM1919A6でした。60年経ってまだ現役。こういった武器は、第2次世界大戦後の軍再建の際に供給された武器が元となっています。

 第2次世界大戦の武器がまだ現役というのは実のところ驚くことではなかったりします。サヨ憧れの侵略国家ソビエトがアフガニスタンで戦っていた時、ムジャヒディンの中にはマスケットライフルを使っていた者もいましたから(先込式で18世紀に主流だった物)。

 さて、上の写真ですが。二つほど、非常に気になる武器があります。

 Kar98K
 Stg44(MP44)

 です。Kar98は1898年に採用されたGew98の改良型で第2次世界大戦までドイツ軍の主力ライフルだった銃の歴史に燦然と輝く名銃です。

 さて、話は変わり。

 1942年頃、これまでの分類とは違った銃がドイツで誕生しました。戦闘のデータで長距離射撃に意味がないことと、近接戦闘では何よりも連射性能が重要だということ。また、それには反動の少ない弾薬が必要であること。これらのデータから、全く新しい銃が誕生します。

 ところが、当時、ドイツを支配していたちょびひげ親父アドルフおじさんは、

「そんなのいらね」

 と突っぱねます。全く新規の兵器を投入すると補給が混乱するためです。しかし、自分たちの思想が優れていると固く信じる開発者たちが取った行動は、

「総統。これは新しい機関拳銃(MaschinenPistole:英語ではサブマシンガン)です」

 と言って生産続行。実はMP大好きのアドルフおじさんはすっかり騙されて生産を許可。

※将来完成するだろう思想で、無理矢理、物を作るのがドイツのやり方です。トヨタが開発したハイブリッド車も、ホンダが実用化した暗視装置付きの車も1945年までに開発したのですから。

 東部戦線では、この新兵器の威力は絶大でした。主流だったKar98Kは優秀なライフルでしたが、装弾数5発のボルトアクションですから、近接戦闘では下士官などが持つMP40ほど取り回しが良くありません。逆に野戦ではMP40のような拳銃弾を使用する武器では射程が短いため存在の意味がありません。つまり、この新兵器の存在はこの問題を一気に解決したのです。

 もっとも、アドルフおじさんはそんなことなど全く知りません。ところが、ある時、東部戦線の兵士が騎士鉄十字章を受けるためにベルリンへ呼ばれました。

 アドルフおじさんは、この英雄に、

「君は今何を望む」

 と上機嫌に尋ねます。新兵器の事情を知らない英雄は、

「総統。我々にもっと新兵器を送ってください!」

 と応じます。

 アドルフおじさん、詳しい話を聞いて遂に騙されていたことを知りました。騙していた人たちは肝を冷やしました。即座に事実解明に調査が行われます。

 ところが、これで判明したのは新兵器が極めて優秀な兵器であることでした。こうなるとアドルフおじさんも、文句は言えません。そこで、

「この新兵器を突撃銃(StumGewehr)と名付ける」

 とこうして新兵器はMP44(MP42、MP43と進化していました)はStg44と名を変え、ここに新しい分類が生まれました。突撃銃(英語ではAssaultRifle)と呼ばれるようになった新兵器は現在では一般的な武器になっています。

※現在では天才ブローニングが開発し、アメリカが第1次世界大戦M1918として採用していた軽機関銃が祖とされています。一応。

 しかし、このStg44は生産に手間のかかる武器でした。当時、唯一、自動小銃を全面採用したアメリカ軍ですら、生産が間に合わず旧来のM1903で不足分を補っていたくらいですから、ドイツには新兵器に主力のKar98やMP40の生産ラインを回すほど戦線に余裕もありませんでした。

 結局、Stg44は主流になるどころか、数が極めて少ないままで終わり、、その思想及び技術が戦後各国の新型ライフルの開発に貢献した悲運のライフルとなりました。

※当時の写真を見ると鹵獲したStg44を持っているアメリカ軍兵士の姿もありますが(弾薬補給どうしたんだろう?)。なお、これを多少改良したのがソビエトのAK47です。

 で、上の写真に写っているのが、これです。

こんな奴。

 最も数が揃っていた時代でも品薄だった銃です。

 なぜある?

※まあ、ソビエトが鹵獲した兵器を流した結果でしょうが。その右に写っているのは更に貴重なM1941ジョンソンマシンガンかもしれませんが、はっきりとは写っていません。
・M1941ジョンソンライトマシンガン:1941年から、海兵隊だけが採用してちょっとだけ生産した軽機関銃。一部は爆薬と交換に陸軍の第1特殊作戦任務部隊に流れました。或いは、戦後、製造されたイスラエル製かもしれません(但し、汚れに極端に弱かったらしい)。

2004/12/29

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2004/12/22

 イラクに派遣されている自衛隊の派遣延長が決定しました。

 何かと騒がれていますが、疑問に思うのが、危険な場所だから自衛隊を派遣するなとはどういうことでしょう?

 そのくせ、非武装の人間を送り込めと矛盾した発言まで付随しています。非武装の人間がどうなったかは人質事件などから明らかだというのに。

 また、国連主導の、と言われますが、実はイラクに派遣されている各国部隊が国連の要請に基づいて行われているというのは、あまり、報道されません。とっくに国連主導で事態は動いていて、逆に国連がびびって動いてくれないから、アメリカが治安活動に従事し、各国部隊も同様に活動しているのですが。

 その中で、自衛隊の役割は、治安活動ではなく復興支援です。現地に学校を建設し、道路を整備し、給水設備を整える。これのどこが派兵でしょう?

 先日の参議院選挙で大敗した二つの政党は、イラクのために、と言います。要するに、イラクの住民など学校に行く必要はなく、泥と埃にまみれた道路を走り、泥水を啜っていろと言っていることになります。

 一方で、自衛隊はといえば、現地サマーワから、

「日本軍に手を出したら、一族郎党皆殺しだ」
「日本はもっと軍隊をよこせ」

 とかいわれるほど実績を上げています。オランダ軍陣地が砲撃された時、日本の一部マスコミは自衛隊が引きこもったと悪意のある報道をしましたが、実際には普段と変わりなく作業を実行しており、当時の指揮官は帰国が正しい報道がされないと悔しがっていました。

 結局のところ、自衛隊が活躍するのが妬ましいだけなのでしょう。

 中には、それらの間違った報道を鵜呑みにして、良く考えもせずに反対したり、難癖のように迷彩服を着ていくのをやめて、白い作業着を着ていけ(なぜ、白?)とか意味不明な意見もあります。

 海兵隊は1775年に創設され、1798年に復活してから、現在の地位を確立するまで実に100年以上の時と第1次、第2次両大戦、そして朝鮮戦争と三つの大事件を必要としました。

 自衛隊も、長年、日陰者のように扱われ、日航機123便の救出作戦、社会党政権でなければ被害者はもう少し少なかった阪神淡路大震災の救援活動、最近の新潟中越地震に活躍などでやっとまともに扱われるようになってきました。中には自衛隊の設営した風呂に浸かりながら、自衛隊を非難する恥知らずもいるようですが。

 現在、イラクでイラク国民のために働く自衛隊員たちに敬意を表すると共に、マスコミや先日の参院選で大敗した二つの政党が期待するような事件が起こらぬように願っています。

2004/12/22

P.S.
 今年も毎年恒例「NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)」によるアメリカ軍とカナダ軍の総力を結集したサンタクロース追跡イベントが始まりました。1955年に始まったイベントも今年で50回目。

 電話番号の記載を間違えられたためにかかった電話と当時の司令官ハリー・シャウプ大佐のいきな判断。

 という訳で、http://www.noradsanta.org/日本語ページも有ります。

 ちなみに、サンタの赤い衣装は某清涼飲料水メーカーの広告から。

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2004/12/15

 12月8日が真珠湾攻撃の日だったことをすっかり失念していました。ついこないだ年表作ったばかりというのに。(__;)

 フランクリン・ルーズベルト大統領(民主党)がハル・ノートを日本に突き付けたことが日米開戦の切っ掛けとされています。とはいえ、ハル・ノートは決して最後通牒ではなかったのですが。

 実のところ、このハル・ノートの存在を知っていた者はほとんどおらず、もし日米開戦に反対していた共和党が知っていれば激しい突き上げがあったでしょう。

 世論の高まりに結局は開戦反対派の山本五十六海軍大将も折れるしかなく、ならば短期決戦へと真珠湾攻撃の立案に動き出すわけですが、結局、山本五十六提督も、アメリカ人の気質というものを理解しきってはいなかったことになります。

 真珠湾攻撃は、確かに戦艦6隻を沈めますが、これによって、

戦争に反対してようが、賛成してようが関係なくなってしまった

 という世論になってしまいました。戦略的には完璧に失敗だったわけですから。

 戦術的にはどうかと言えば人的損失4000名。戦艦6隻が大破撃沈、航空機損失数百機に対し、日本海軍の損失は未帰還27機、特殊潜行艇全滅、捕虜1名と確かに成功していましたが、人的損失はともかく艦船に関しては戦艦ネヴァダ一隻と標的艦一隻の損失だけで、後は全て修復し戦線に投入されています。

 IF戦記に限らず、第2次攻撃や基地施設への攻撃を実施していれば、と良く言われますが、2次攻撃が成功したかは怪しく(実際、規模も遙かに小規模)、基地施設に対しても修復は用意でしたから、単に双方の損害を増やしただけでしょう。

 もう一つ給油艦の撃沈をすれば、流れ出した重油に引火して艦船を次々と焼いていっただろうと書いてある本もあります。しかし、重油って、そんな簡単に燃えるようなものでしたっけ?

 なお、当時、備蓄されていた重油450万バレルは平時ならともかく実際には艦隊戦僅か一回分ですから、失ったところでたいした損失ではないことにもなります。

 南雲提督がどう考えていたかは作戦語の発言からも明らかですが、何より、アメリカ海軍に大打撃を与えると同時に味方艦隊の温存もしなければならなかったのですから、南雲提督の判断が決して間違っていたとはいえないでしょう。

 1941年12月8日(日本では12月7日)。日本の敗北とともに、海兵隊の伝説が始まった日です。

2004/12/15

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2004/12/ 8

メダルオブオナー

 一人称視点シューティングの傑作メダルオブオナーシリーズ。スティーブン・スピルバーグ出資、軍事顧問がデイル・ダイ海兵隊大尉(退役)。

 毎回、各主人公が一人で奔走させられている割にはタイトルの名誉勲章貰えません。

 一作目ではドイツの化学兵器工場を爆破。

 二作目では単身ベルリンへ乗り込み、機密文書を回収。

 三作目は……今ひとつ終わりがはっきりしなかったな。

 PS2版一作目は単身ドイツ軍の基地へ乗り込み、新型機(Go339)を奪取。

 PS2版二作目では大鳳級空母沈めているのになあ。たった二人で(笑)。ついでに零戦一人で何十機。

 というより、彼ら、一人一人の戦果って、個人のできる範疇超えてますし。OSSって、そんな組織だったかなあ(笑)

※OSS。現在のCIAの基礎となった組織。

 さて、当初、11月11日(10日にすればよかったのに)だったのが、18日になり、25日となった最新作パシフィックウォー。

 太平洋ものでは、PS2版「ライジングサン」に次いで二番目となる作品。舞台はタラワから始まり、回想シーンから真珠湾、マキン、ガダルカナルへと。

 これまでのシリーズと違い、今回は一人だけの軍隊ではなく、部隊としての行動が。というより、思いっきり、Call of Dutyシリーズの影響を受けていないか、と。

※CODのスタッフとMOHのスタッフは同じ。

 ゲーム的にはCODの方が好きですが(ただ、各主人公の話がとぎれとぎれという感じが。ついでにいえば、ソビエト軍燃え)。

 そんな訳で、システムに大幅な改変が加えられ、全くの別物となった今作。部隊指揮の方は意味があるのかないのか、不明ですが、仲間が実に頑張ってくれる。普通ですが。

 しかし、今回も日本軍はつっこんでくること。ドイツ軍はひたすら撃ちまくってくるだけでした。この辺り、アメリカ人の日本軍感がしっかりと現れています。

 でも、100式短機関銃の銃身握って振り回すのはどうか、と。

 ライジングサンほど、ひたすら追い掛けてはきませんが、血塗られた丘(ガダルカナル島最大の激戦地)で、ひたすら突撃を仕掛けてくる日本軍は恐ろしいです。

 何はともあれ、洋ゲーなので、クリアさせてやろうという優しさは当然のように微塵もありません。

 ハードのクリアは可能だとは思いますが……。実戦モード(一発当たれば終わり)でクリア可能な人います?

2004/12/ 8

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2004/12/ 1

 第101空挺師団第506空挺連隊。バンドオブブラザーズの題材となり、ヒトラーの別荘地イーグルネストを駆け上がった部隊。

 第442連隊。第2次世界大戦時に編成された日系人部隊。受けた勲章の比率は他の部隊を上回りますが、その損害も決して少なくなかった部隊。

 上記を踏まえて。

 写真はロバート・イズミ氏。日系人の方です。1944年6月に、当時の多くの若者同様、陸軍に志願入隊し、日系人ですから、当然、第34歩兵師団第442連隊に配属されました。

 しかし、三ヶ月後の1944年9月に、第101空挺師団第506連隊第3大隊G中隊に転属しています。当時は人種ごと(というよりも、白人、黒人、そして日系人ですが)に各軍とも部隊を分けていました。人種混合の部隊が作られるのは、後年ベトナム戦争の少し前の事になります。

 ですから、イズミ氏の空挺師団の転属は異例といってもいいでしょう。

※当時、442連隊がそうであるように、黒人だけの師団が創設されています。海兵隊では、当初、入隊そのものを禁じていましたが、増員のために制限を緩和します(戦後、また戻りますが)。その後、人種によって部隊を分けないことが決定した後も海兵隊は唯一抵抗を続けていましたが、結局は時代の流れとともに混成されていくことになります。

 イズミ氏は、第506連隊G中隊ではイタリア、フランス、そしてアルプスで作戦に従事。ヒトラーの別荘地イーグルネストを駆け上がった一人ともなりました。

※念のため、E(イージー)中隊ではなく、G(ジョージ)中隊です。

 さて、終戦から2年が経過した1947年にアメリカ陸軍航空隊は空港の機内にいたトルーマン大統領のサインを持って独立し、ここにアメリカ合衆国空軍が誕生します。

※その日、危篤状態の母親の元へ駆け付けるためトルーマン大統領は既に飛行機に搭乗していましたが、書類が届くまで離陸させませんでした。空港の機内に書類が届けられ、それにサインをしてから大統領機は飛び立ちましたが、結局、母親の臨終には間に合いませんでした。

 空軍の独立とともに、イズミ氏は二等軍曹として空軍へ移籍します。朝鮮戦争は空軍にとって初めての戦争となりましたが、そこでは通信士として群山空軍基地に赴任。

 そこで孤児の収容などに携わり、それらの功績で韓国大統領から勲章を授与されています。

 1960年にはトルコにて、U2偵察機の誘導管制を行い、U2撃墜事件にも遭遇しています。

※ソビエト領内で、CIAの偵察機が撃墜され、パイロットのフランシス・パワーズが捕虜となった事件。

 1966年から1967年にはベトナムへ赴任。そこでは撃墜されたパイロットの救出任務―つまり捜索救難任務に従事し、また、救出に必要な地元住民との交渉を担当。これらの救出任務の功績により、青銅星章(ブロンズスター)そして南ベトナム政府から名誉勲章を授与。

 ベトナムから帰還した後は、エドワード空軍基地に勤務し、ジェミニ計画とアポロ計画に携わり、ニール・アームストロングやエド・ホワイトとも交信を行いました。

 1969年からは沖縄に勤務し、最後はトラヴィス空軍基地で最上級曹長(Chief Master Sergeant)として1975年に退役。

※つまり、下士官として、実質、最上級の地位です。

 退役後は、海兵隊の地域奉仕の店舗の一つであるウッドホビーショップのマネージャーとして27年間を務めあげ、2004年9月20日、民間人としての最高齢海兵隊員として承認されました。

 ロバート・イズミ最上級曹長(退役)。すごい方です。

追記

 更にマリリン・モンローの同級生でもありました。

2004/12/ 1

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2004/11/24

 ファルージャ掃討も一段落つきました。

 ザルカウィは、すでに逃走していて、作戦の完全達成はできませんでしたが、その辺は、とっくに承知していたような気もします。作戦開始後、すぐに逃亡していたことを発表している辺り。

 というより、事前の退去勧告の時点で、さっさと逃げていたんでしょう。

 アメリカ軍は戦死38名、負傷者320名。イラク軍は戦死6名、負傷者28名。対するテロリストは戦死1200名と捕虜1.052名。

 この死傷者数、湾岸戦争を超えていますが(とはいえ、湾岸戦争の戦死者約20名は味方の誤爆です)、敵が防御を固める市街戦だったことを考えれば、軽かった方でしょう。

 かつて1968年のテト攻勢で、やはり、第1海兵師団が戦った有名なフエの戦いでは、25日間の戦闘でアメリカ軍及び南ベトナム軍は、16,700名を投入し、アメリカ海兵隊戦死142名、負傷者857名、アメリカ陸軍戦死74名、負傷者507名、更に矢面に立って奮戦した南ベトナム軍第1師団は戦死384名、負傷者1,830名。合計で戦死600名、負傷者3,194名。北ベトナム軍及びベトコンは6,400名を投入し、死傷者推定5,000名(もしくは8,900名)、捕虜89名。民間人の死者行方不明は5,800名(内北ベトナム軍とベトコンによる処刑は判明しているだけで1,200名)です。

 テロリスト支援放送局アルジャジーラでは、アメリカ軍の攻撃で建物がほとんど破壊されたと報じる中、リアルタイムで他の放送局が流す映像では建物がほとんど残っていたり、

「退却しろ。ここは駄目だ! 民間人が多すぎる!」

 といって撤退する海兵隊の姿が流されたり、マスコミの情報操作にとってはありがたくない時代のようです。

 そんな中、アメリカNBCによって、海兵隊員の捕虜銃殺事件が発覚し、一部ではしゃぎ始めたようですが、報道からすると海兵隊の部隊が捕虜を虐殺したような感じですが実際には、海兵隊員一名が捕虜一名を射殺したということです。

 まあ、テレビカメラがある前だろうがなかろうが、そういうことをしでかす馬鹿は裁かれて当然ですし、すでにアメリカ軍は調査に乗り出しているそうです。結果については、その頃、マスコミの関心があるかどうかですので、世間にどうなったか知れ渡るかは不明ですが。

 しかし、これではしゃぐ連中、テロリストを絶滅危惧種と勘違いしているのか、

「アメリカ軍は捕虜を虐殺した。アメリカ軍は撤退しろ」

「武装勢力は人質を殺害した。アメリカ軍は撤退しろ」

 と簡単に言えば、言っていること、同じじゃねえか、と((--#)。テロリストが、これまで行った残虐行為は容認しているくせに、アメリカ軍となるとこれです。そのダブルスタンダードは、何が何でも、アメリカ軍にはイラクから撤退してもらって、イラクをテロリストの天国にし、世界を争乱の渦に巻き込みたくてしかたないということでしょう。

 しかし、不思議なのはイラクのことをろくに知らない例の三馬鹿+二馬鹿みたいなイラクには何の訳にもたたない電波飛ばしているような連中は必ず無事で、イラクのために尽力している技術者や先日殺害されたイラクで30年暮らしながら援助していた女性(イスラム教徒で、あのザルカウィ派ですら、彼女の殺害には眉をひそめた)のような人たちが殺害されるのは、どうしてでしょうね?

 取りあえず、マスコミが絶対報じない写真

2004/11/24

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2004/11/17

 今回は軽めに。

 腹が減っては戦ができぬ。古今東西、兵は強いのに補給が絶えて敗北した例は数限りなくあるくらいです。

 食事は軍に限ったことではありませんが、軍というのは常日頃食事には頭を悩ませています。

 まず、量の確保と、それらの効率の良い調理。そんな訳で軍のコックというのは、かなり鍛えられるようです。

 というのは最近の話で、過去は、

「え? 料理をやったことがある。わかった。お前、料理当番」

 という感じです。その料理というのが例え卵を割っただけであろうと。ただ、料理の腕が本当にいいと将校が当番兵に任命してしまうので、結果、兵士たちの食卓には芸術的(ピカソのような)な料理が並ぶこととなりました。

 しかし、戦場では、こった料理などできません。それでも、18世紀や19世紀は前線で調理をしていました。イギリス軍など、表面は炭のようなウェルダン、中は血が滴るレアというステーキなどを良く提供していたようです(世間では、生焼けと言いますが)。逆にフランス軍は前線でも非常に手の込んだ調理を行って兵士に支給していたために、少ない量でも十分な栄養をとることができました。

 ただ、毎回毎回調理をするのは手間がかかるし、緊急の対応ができない。そこで登場したのが、あのナポレオン・ボナパルト。彼は遠征軍を率いて各地を転戦した際に、その必要性に気づき、

・保存が可能
・携行が用意
・調理しなくても食べられる

 という条件を満たす軍の携行食糧の開発に懸賞金をかけました。

 ここに世界で初めて瓶詰めという技術が誕生します。瓶に調理した食料を入れ、コルクでふたをし、蝋で密閉するという世界初の瓶詰めは食糧問題を解決し、現在でも、広く用いられています。

 しかし、この瓶詰めには重大な欠陥がありました。今も昔も軍隊は激しい運動をする場所です。

 そう。瓶詰めは割れやすかったのです。戦闘中に割れると、背嚢の中は悲惨なことになりますし、食事もとれない。

 採用してから、ようやく瓶が割れることに気づいた軍はさらなる改良を目指します。

 紆余曲折の後に誕生したのが、缶詰です。缶詰は瞬く間に軍の携行食糧として普及しました。

 保存が利くからといって、50年前の代物支給してたりなどは普通にあったそうですが。

 保存が利き、持ち運びがしやすい食料を追求し続けた各国の軍隊―中でも、戦争をやるためには、そこにインフラを持ち込んでからやるという徹底ぶりを見せるアメリカ軍では、重い缶詰をやめ、フリーズドライ製法を誕生させ、さらにはレトルトパックも開発します。

 現在、アメリカ軍では、60年代後半から、フリーズドライの携行食糧へ切り替え、さらにレトルトパックのレーションに切り替えました。現在のメニューには、TERIYAKIなども含まれていたりと種類も豊富になっています。

 さて、ここで海兵隊を代表する料理を紹介しましょう。SOSと呼ばれる料理で、海兵隊にとって無くてはならない伝統の料理です。

材料
ハンバーガー 1/2ポンド
 動物性マーガリン、または、バター
 刻んだタマネギ1カップ
 小麦粉
 ニンニク2粒
 醤油
 ウスターソース
 牛乳2カップ
 塩
 胡椒
 スライスしたパン
調理法
 肉を褐色になるまで焼いて取り出す。
 そこにマーガリン(もしくはバター)を加え、タマネギを投入し、炒める。
 ある程度まで炒めたら、そこに小麦粉を加え、さらに2-3分。
 次にニンニク、醤油、ウスターソースを加え、ひたすら混ぜる。
 牛乳を加えてかき混ぜ、できあがったものをパンに乗せる。
漢バージョン(レジューン基地版)
材料
ハンバーガー1ポンド
 ビーフストック粉
 プレーンフラワー(中力粉)
 塩
 黒コショウ
 ウスターソース
 牛乳1パイント

 上記の調理方法はアメリカ海兵隊広報誌「LEATHERNECK MAGAZINE」によります。

 どうして、そこのFAQ(良くある質問集)に、これが入っているのかは謎です。なお、「」の原文は「Manly Man(男の中の男)」です。

 さて、このSOSの味ですが、私は食べたことがありません。しかし、この伝統料理を海兵隊は、「Shit On Sand」と呼んでいますが、元海兵隊報道員グスタフ・ハスフォードは、著書の中で、海兵隊の食事を、こう記しています。

「残飯でもいいから分けてくれてもいいじゃないか。俺たちの食っている物はどうせ残飯みたいなものなんだから」
 引用元:フルメタルジャケット(角川文庫)

2004/11/17

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2004/11/10

 229年前の今日11月10日、大陸会議は、大陸海兵隊の創設を承認。ここにアメリカ合衆国海兵隊が誕生しました。

 2004年11月8日(日本時間9日未明)、第1海兵師団がファルージャへの攻撃を開始しました。今回、合同で作戦を行うのは、陸軍第1歩兵師団(機械化)BIG RED ONE。意図的かどうかは分かりませんが、海兵隊と陸軍が揃って第1師団を投入する共同作戦となりました。第1次世界大戦の頃、一時は編入され、直後、嫌がらせのように追い出されて第2歩兵師団に組替えされた曰く付きの相手でもありますが、第1次世界大戦の際に編成されて以降、アメリカの関わった戦争のほとんどで、その名を轟かせた第1歩兵師団です。相手にとって不足は無いでしょう。

 第1歩兵師団は味方ですが。

 今回の作戦でも、マスコミが望む騒ぐほど、アメリカ軍とイラク軍の犠牲者は出ることもなく終わるでしょう。湾岸戦争でも、昨年のイラク戦争でも、大口叩いていたのは敵(イラク軍とシンパ)とマスコミだけでしたから。

 ニュースの映像を見る限り、マスコミが同行しているのは、海兵隊とテロリストどものようです。

 戦闘になると、毎回、マスコミは民間人の犠牲者、特に女性と子供の死傷者数をとかく強調します。人が死ぬのがそれだけ嬉しいのでしょう。

 かつて、ジム・モリス大尉(退役)は、自らの経験を綴った著書「グリーンベレー(原題WAR STORY)」で、テト攻勢後、事実とは正反対のことを書くマスコミ報道に対し、吐き捨てるように書いています。

「何がアメリカのジャーナリストだ」

 作戦開始翌日の東スポの一面よりも事実を伝えられない―いや、伝える気もないのでしょう―先日の参議院で大敗した政党の機関誌ではニュース映像の写真を使って、アメリカ軍に逮捕されたテロリストをかばうように、

「手足を縛り、銃を突きつけられて俯せにされる男たち」

 と書いていました。世界情勢が荒れることを望んでいる彼らからすれば、テロリストの逮捕など、とんでもないということで、イラクが荒れてテロリストの温床になることこそが望みの連中は、実はテロリストなど支援していないイラクの民衆がどうなろうと知ったことではないようです。

 今作戦が成功しても、イラクの情勢が落ち着くかは分かりません。

 しかし、平和平和と喚くだけの連中とは違い、アメリカは―例え、それがアメリカの利益のためであれ―自ら手を汚しながらも、世界の秩序を保とうと努力しています。

 私は、決して、戦争を賛美するつもりはありません。しかし、戦争を否定するつもりもありません。

 平和のために戦わなければならない。それが現実です。

 平和のために犠牲となられた多くの軍人たちに哀悼の意を表し、この場は締めさせて頂きます。

 2004年11月10日

 追伸:次からは、もう少し肩の力を抜いて書くつもりです。

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