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装備=ユーティリティ

 創設当初の海兵隊の衣装は、イギリス海兵隊の物をそのまま真似した物でした。

 ある程度、予算がつくようになると独自の衣類を製造、供給するようになります。しかし、第1次世界大戦では、陸軍の要求に従って、フォレストグリーンの制服を捨て、陸軍と同じ制服に身を包むことになり、釈然としない彼らはボタンだけを海兵隊の物に付け替える最後の抵抗を示しました。

 1930年代に海兵隊に装備局が誕生する頃には、組織のありようにも変化があり、陸軍とは別に装備の開発を実施、1941年には、ヘリンボンツイル生地のユーティリティユニフォームを採用します。

 採用しますが、支給は予算が無いこともあって、開戦時点では、まだコットンカーキ(通称:チノ)の上下が主流で、フィリピンやウェーキアイランド、そしてガダルカナルに上陸した第1海兵師団の海兵たちは、戦闘用には動きにくいコットンカーキの服で戦うことになります。

 ガダルカナルの増援として、派遣されてきた第2海兵師団の海兵たちは、ユーティリティを着用しており、以降、沖縄まで使用されますが、末期には改良型のM44ユーティリティユニフォームも採用(本格的な支給は朝鮮戦争から)。

 その後、M53、HBT生地から、コットンサテン生地に変更したM58ユーティリティ(ファティーグとは決して言わない)を採用。独自路線を歩みますが、1962年のOG107では陸軍と同じユーティリティ(ファティーグとは絶対に言わない)を不承不承着るはめになります。

 1964年に優秀な熱帯戦闘服トロピカルコンバットユニフォーム―いわゆるジャングルユーティリティ(ファティーグとは何があろうと言わない)が採用されますが、海兵隊は支給に熱心ではなく、結局、後方部隊などではユーティリティユニフォームからの切り替えは完全には行われませんでした。

 ベトナム戦争も半ばの1968年に、アメリカ軍としては久しぶりの―そして初めて本格採用された迷彩服ERDL(俗に言うリーフ)が誕生した際、海兵隊は、即座に全面導入し、陸軍が特殊部隊や空挺部隊に限定している間に完全支給を達成します。

 1981年、ヨーロッパの森林用に開発されたウッドランドパターンを施したBDU(バトルドレスユニフォーム)が採用。これはアメリカ全軍共通のユーティリティ(ファティーグとは断固として言わない)として全面採用され、海兵隊でもカモフラージュユーティリティ(何が何でもユーティリティと呼びます)として採用します。

 その支給が完全に始まらなかった1982年、エジプトとの合同演習ブライトスター82で、リーフパターンが砂漠では目立つことに初めて気づいた陸軍は、デザートパターンを作成。DBU(デザートバトルユニフォーム。6カラー、チョコチップ)を採用。海兵隊もこれらをデザートユーティリティ(ひたすらユーティリティと呼びます)として採用します。

※本当に演習が始まるまで緑が目立つと気づかなかったらしい。

 1991年の湾岸戦争では、陸軍がウッドランドの戦闘服で戦った中、海兵隊はデザートユーティリティを揃えて戦場に挑みます。

※イラクを進撃した第7軍団に砂漠用迷彩服が支給されたのは戦闘終了後でした。

 この際、アメリカとエジプトの砂漠を想定して制作されたチョコチップパターンが、サウジアラビアの砂漠では目立つことに初めて気づいた軍は新しい砂漠迷彩(3カラー)を開発しますが、支給する前に湾岸危機は終了。

 1990年代末に海兵隊は、市街戦を想定した戦闘服の開発に乗り出します。白と黒、そしてグレーのブロックで構成された迷彩服でしたが、予算の都合か、デジタル迷彩の採用のためか、この迷彩服は採用されずに終わります。

 同時期に海兵隊は、アメリカ軍としては初めてのデジタル迷彩となるMCCUUU(MarineCorpsCombatUtilityUniform:無論のこと、ファティーグとは言わない)を完成させ、グリーン、砂漠用と複数のパターンを採用し、順次、BDUと切り替えています。

ユーティリティ(P1941)

M53/M58ユーティリティ

OG107ユーティリティ

トロピカルユーティリティ

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ユーティリティ

P1941

 通称、M41ユーティリティユニフォーム。夏期戦闘服として支給されていたコットンカーキシャツ及びトラウザーズがジャングルでは目立つことや動きにくいことから、ユーティリティのヘリンボーンツイル生地を用いたユーティリティに取って代わるようになりました。

※他にM1941、P1941などの呼び名があります。

 海兵隊では、ガダルカナルに第一派として上陸した第1海兵師団はコットンカーキの上下で、増援として到着した第2海兵師団から着用することになります。

 実のところ、HBT生地は目が詰まっていると同時に厚く、熱帯地の使用に適した生地ではありませんでしたが、他に適した生地も当時は存在していなかったために海兵隊に限らず、陸軍でも夏期戦闘服として採用されます。

 なお、ポケットにふたがないと物が落ちるということがおそらく採用後に判明したために次のM44ではフラップが設けられ、胸ポケットはボタン式になります。

 胸のUSMCのマークは、以降、ほとんど全てのユーティリティに押されることになります。
ボタン

陸軍は、13個の星ですが、海兵隊は、US.MARINE CORPSの刻印

ユーティリティトラウザーズ

陸軍の物や後の物と違いポケットは腰回りの四つのみ。

 1944年に新型M44が採用されますが、その後も生き残り、朝鮮戦争でも使用され、更にベトナム戦争の頃も新兵訓練所では訓練生用に支給されていました。

海軍仕様。色合いも少し濃いめのグリーン。
ボタンは月桂樹。

 また、独自の衛生兵(メディックではなく、Corps man:コアマン)を持たない海兵隊では海軍が衛生担当の兵士を派遣するため、彼らもこのユーティリティを着用します。その際、彼らが着るユーティリティには「USMC」ではなく「USN」のステンシルがプリントされていました。

※或いはUSMCを塗りつぶしてUSNと書き込んでいました。

M43HBT
参考陸軍のM43HBT(海兵隊でも、USMCマークを入れて使用)。ガスフラップ(邪魔で破り捨てていた)があるなど、海兵隊より金がかかった作りです。

 M43も海兵隊で一部使われていました。これを参考にしたのか、次のM44では、このガスフラップが採用されています。

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M53/M58ユーティリティ

M58

 朝鮮戦争が終わり、大幅な装備改変が行われた際に採用。HBT生地がM53、コットンサテン生地がM58。

※M1953/M1958が正式名称かは不明。これまで同様、単にユーティリティユニフォームの可能性が。

 数年後にマクナマラ長官の合理化により、1962年にはOG107に切り替えられますが、完全にではなくベトナムへ派遣された海兵隊員も開戦からしばらくはOG107やトロピカルユーティリティより、主流のユーティリティとして使用されていました。

M58
マップポケット
ズボン。なぜか、片方だけボタン付き。まさか、け……
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OG107ユーティリティ

OG107

 マクナマラ長官の鶴の一声で、各軍(というか各部隊)によってばらばらだった装備をまとめる方針によって、海兵隊でも陸軍と同じユーティリティを採用することになりました。

 それにより、このOG107以降は陸軍と共通のユーティリティを使用することになりますが、次のトロピカルユーティリティの支給に海兵隊は消極的だったために1965年からのベトナム戦争においては、消耗の激しい前線部隊はともかく支援部隊や後方部隊では完全な更新は行われませんでした。

OG107のトラウザーズ背面。全体的なデザインは、これまでのユーティリティと同じです。
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トロピカルコンバットユーティリティ

 1960年代に入って、これまでのユーティリティユニフォームとは違った戦闘服がデザインされました。開発したのは、かつてM42ジャンプスーツ、空挺章をデザインし、ケネディ大統領の前で緑のベレー帽をかぶって特殊部隊の象徴として採用させたヤーボロー准将(退役時中将)。

 このため、デザイン自体はM1943フィールドジャケット採用で姿を消したM42を継承する形となりました。

 通気性を確保するために生地が薄く、全体的にゆったりとして作られたデザインは熱帯地用の戦闘服としては優秀でした。

 が、海兵隊は陸軍と同じにするのが嫌だったのか、予算が無かったのか採用には消極的で、前線部隊には支給しましたが、後方部隊の更新はほとんど行われませんでした。

 一般にジャングルファティーグと呼ばれますが、海兵隊では、トロピカルユーティリティ或いはジャングルユーティリティと呼称するのは陸軍と同じ服なんて着られるか! という意地(だと思います……)。

進化
 ベトナム戦争はアメリカにとって最も長い戦争であったためにユーティリティは何度も改良を受けています。

※初期型等の呼称は、あくまで俗称。実際には細かな変更が度々行われています。

初期型。ボタンが露出し、生地も薄く、肩にエポレットを装備。

腰の調整タブや、ガスフラップがあるなど、一番細かな作りをされているのは事実です。

2nd。露出したボタンがジャングルでは絡むためにフラップを設けて隠しボタンに変更。また、生地も破れにくくするために若干厚めに変更。
3rd、4th。腰の調節タブや格好だけで無駄なエポレットを廃止。また、生地も更に厚くされる。
更にリップストップ生地に変更したのが4thモデル。
初期型
後期型
トラウザー。初期型はボタンが露出し、腰の調節タブもボタンでしたが、ジャケット同様にボタンにフラップが付き、調節タブはストラップに変更。
  また、大腿部のポケットには締め付けてポケットの中身を固定するストラップが付属していました。
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