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装備=サブマシンガン

 第1次世界大戦の塹壕戦用兵器として誕生した機関拳銃(マシーネピストーレ)は接近戦で絶大な威力を発揮し、各国に衝撃を与えました。

 が、それとは別に終戦後、退役軍人トムソン少佐は、連続射撃が可能であり、そのため短射程の銃弾を使用する兵器を考案します。

 その理念は、1942年にドイツで生まれる突撃銃の概念を先取りしたものでしたが、独創的すぎて落ち着かず、最終的には軍が拳銃弾として用いる45ACPを使用することで落ち着きました。

 トムソンは、この新兵器に、「サブマシンガン」という名称を与えます。しかし、軍縮の時代のため、軍の納入はうまくいかず、警察が主な取引先となったことで、ギャングの銃としての誤解を後に生みます。

※実際には高価すぎて、軍の払い下げ兵器の方を使用することが多かった。

 軍への納入は、うまくいかなかったトムソンサブマシンガンですが、この新兵器に海兵隊は着目します。折しも、ハイチのジャングル戦を実施中で、長射程のライフルより、短射程でも弾幕を張れるサブマシンガンの有効性にいち早く目をつけ、採用し、実戦で効果をあげましたが、実数自体は多くはありませんでした。

 第2次世界大戦が始まると、規模が拡大されたことで海兵隊は、M55レイジングブルサブマシンガンも採用します。これらは強襲部隊や空挺部隊に支給されますが、作動不良が多く不評で、結局、M1928トムソンサブマシンガンや改良型のM1の支給が進むにつれ、随時、切り替えられていきます。

 そのM1928も製造コストの問題から、簡略化されたM1を1940年に採用しますが、コストダウンの意味ではうまくいかず、ドイツのMP40とイギリスのステンを参考に、自動車会社ジェネラルモーターズがM3グリースガンを製造し、1943年にこれを採用します。

 M3は更に簡素化されたM3A1が1944年に採用となり、朝鮮戦争を最後に主力兵器からは外されますが、戦車兵の防御兵器として生き残り80年代まで生き残る息の長い兵器になりました。

 しかし、現在では拳銃弾を使用するサブマシンガンは戦場で用いるには中途半端であることから、M3A1以降は、主力兵器としての採用は無く、警備や対テロ部隊の兵器として、ドイツのMP5やM16のサブマシンガンバージョンが使用されるに止まっています。

M1921/M1928トムソンサブマシンガン

M55レイジングブルサブマシンガン

M1/M1A1トムソンサブマシンガン

M3/M3A1グリースガン

M1/M1A1

M1A1
M1
全長:855mm
重量:4980g
口径:0.45in(11.4mm)
装弾数:20発箱形弾倉/30発箱形弾倉

 第2次世界大戦が勃発し、アメリカも軍備増強を始めたことにより、大量の兵器が必要となり、その際、M1928サブマシンガンの製造コストが問題となります。

 メーカーは、渋々ながら、コンペンサイター、バレルフィン、フルアジャスタブルサイトの廃止を軍の要請により行い。更にセレクターと安全装置レバーの単純化、ストックの形状と固定方法の変更。レシーバー上部にあったコッキングハンドルを右側面に移動という改良を行いM1サブマシンガンとして採用されます。

※45ACPのサブマシンガンに、あんな豪勢なアジャスタブルサイトが必要だったとはとても(w

 簡略化したとはいえ、内部構造はほとんど替わっておらず、性能そのものはそれほど落ちませんでしたが、同時に単価の方もそれほど落ちない結果となります。

 結局、削り出しのレシーバーを持ち、複雑な閉鎖装置を持つトムソンのコストダウンはこれ以上不可能で、プレス加工により製造されるM3グリースガンの誕生を促すことになります。

※M1A1は内部構造に若干の改良を加えたもので、M1との外見の差はありません。

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M3/M3A1

M1A1
M3(M3A1)
全長:757mm(ストック収納時579mm)
重量:3780g
口径:0.45in(11.4mm)
装弾数:30発箱形弾倉

 第2次世界大戦が勃発し、大量に兵器を必要としたアメリカ軍は、M1928SMGのコストダウンを計りますが、さっぱり上手くいかず、失敗を見込んでM2SMGを開発した後、イギリスのステンガンやドイツのMP40を参考に、全く新規のサブマシンガンを開発します。

 開発の際、プレス加工を多用することから、ここはプレス加工の専門である自動車産業だろうと言うことで、ジェネラルモーターズ社が開発を行うことになりました。

 こうして1942年12月24日に採用された新型サブマシンガンは、これまでのアメリカ軍兵器の概念を突き崩す形をしており、自動車メーカー製と、その形状故に早速グリースガンの名を賜ったものの人気は今一つで、この悪評は1944年12月からのバルジの戦いで、異常気象の極寒の中、唯一作動した兵器として信頼を勝ち取るまで続くことになります。

 その後、戦闘の経験によって明らかとなった欠陥、そしてコストダウンのために改良が行われ、破損しやすいレシーバー右側面のコッキングハンドルは廃止され、ローダーはストックと一体化された更なる簡易版M3A1が1944年9月に採用されることになります。

 1955年、兵器改編によってM3サブマシンガンは第一線を退きます。しかし、ストックをたたんだ際のコンパクト性から、戦車の防御火器としての使用は継続され、また、創設当初のデルタ・フォースは欠点とも言われた発射速度の遅さや貫通力の低さが逆にCQB戦闘に適していると判断して採用するなど、息の長い武器となりました。

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