装備
ヘルメット
銃の発達で、既存の鎧が役立たなくなり、廃れてから、200年ほど過ぎた1861年に始まった南北戦争は、見通しの良い場所で横に並んでの一斉射撃という古い戦術と飛躍的に発展した大砲がぶつかりあい、その結果、多くの死傷者を生むとともに、「塹壕戦」という新たな戦術を誕生させました。
塹壕は砲弾には非常に有効で、このため、新たに空中で炸裂し、破片をまき散らす榴散弾が登場します。頭上から降り注ぐ破片を防ぐために、かつて廃れた金属の兜が復活します。
アメリカでも1917年にM1917ヘルメットが採用されました。当時のアメリカ軍は国境警備隊に過ぎず、そのため、ヘルメットはイギリス軍の物をそのままコピーしています。
第1次世界大戦で、新兵器「戦車」が登場すると時代は塹壕戦から、機動線へと変わりました。今度は上からの破片だけを防ぐわけにはいきません。
アメリカ軍は、そのため、M1917の縁を切り落とし、そのまま真下に引き延ばすというデザインで、M1ヘルメットを開発し、1941年に採用します。
同年始まった第2次世界大戦もあって、M1ヘルメットは膨大な量が製造され、鍋や洗面器として大いに活用されました。
しかし、被弾性能には申し分のないM1ヘルメットでしたが、着用性には改良の余地がありました。そこで60年代に新素材ナイロンの採用など大幅な改良が加えられます。この改良型はベトナム戦争で、やはり、鍋や洗面器として大いに活用されましたが、着用時の安定性などには根本的な解決にはならず、戦後、新型ヘルメットの開発が始まります。
今度は新素材のケブラー樹脂を用いたヘルメットとなりますが、デザイン自体はM1の左右に張り出しをもうけたものとなりました。
その後、PSGTヘルメットとして採用され、現在に至りますが、開発当初は一般的でなかった暗視装置が安価になったことや性能が向上したことにより、その装着時の安定性が問題になり、内部のサスペンションが改良されています。
M1ヘルメット
M1917の縁を切り落とした上で下部へ延長したのが、M1ヘルメットです。バリエーションは細かく存在し、それこそ一冊の本になるくらいあります(実在します。ハードカバーの分厚い奴が)。
スチール製のシェルと、ライナー(素材は紙からナイロンまで様々)の2つで構成されています。
左がシェル、右がライナー。
1960年代(61年、65年説有り)にデザインが、変更され全高が低くなり、前面の傾斜もきつくなりました。これに伴いライナーの方も大幅に変更が加えられています。正式名称ではありませんが、M2、M1-56などと分類的に呼ばれています。
左が41年から、右が60年代以降の改良ライナーです。素材やサスペンションの作りが変更され、装着時の安定性を向上させています。
右の写真は空挺ライナー。ベトナム戦争中、海兵隊ではなぜか空挺用ヘルメットを多用しています(チンストラップとライナーが違う)。 |
弾丸が命中すると、弾丸がシェルとライナーの隙間を一周して飛び出すという特性を持っています(どこから飛び出すかは運ですが)。実は第2次世界大戦までのドイツ軍ヘルメットに匹敵する避弾性能を持っています。
通称はスティールポット。採用されてから、現在のケブラーヘルメットに更新されるまで、鍋や洗面器として大活躍でした。
※テレビシリーズ「バンドオブブラザーズ」では、弾薬箱を鍋にして調理しているシーンがありました。取りあえず、前線での調理器具は何でもありだったようです。
海兵隊では、当初、陸軍同様むき出しのまま使用していましたが、ガダルカナルの後半からは、ダックハンターパターンのヘルメットカバーを装着するようになります。
ガダルカナルに上陸してから、しばらくはカバーが無く、後半からダックパターンのカバーが支給。とはいえ、ヘルメットカバーは消耗品で、表面はあちこちに引っかけて破損していき、特にヘルメットの縁に当たる部分はあっという間にすり切れて、ばらばらになるとか。 写真のカバーも、あちこち修復されています。 |
このスタイルは戦後も続いた後、1956年頃にミッチェルパターンと呼ばれるヘルメットカバーに交換されます(一部はその後も使用されています)。他にOD単色の物もベトナムでは用いられています。また、防虫ネット付きのヘルメットカバーも継続して使用されていました。
黒いバンドはタイヤのチューブ。海兵隊ではヘルメットバンドの支給は行わず、代わりにトラックなどのタイヤチューブの輪切りを支給していました。海兵隊は陸軍と違ってバンドに小物を挟まなかったとありますが、写真を見るとそんなことはないようです。 ベトナム戦争中は、都合4種類(ダック、防虫ネット付ダック、OD、ミッチェル)のカバーを海兵隊は使用しています。当時の回想によれば、陸軍と違って、破損してもすぐに交換できなかったそうで、要するに在庫から引っ張り出した結果でしょうか。 ※写真のシェルは、形状からして40年代後期のタイプ。60年代以降の物は、もっと全高が低く前面の傾斜がきつい(とはいえ、これまたバリエーションが大量にありますが)。 |
ベトナム戦争が終わるとヘルメットカバーも新しくなり、後期リーフ、そしてウッドランドに変更されました。
左からダック、ダック(防虫ネット付)、ミッチェル、後期リーフ |
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ダックパターン
緑と茶のリバーシブルになっています。タラワ、サイパンでは緑、硫黄島では茶の方を表にしていたようです。 |
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ミッチェルパターン
これも同様。ほとんど緑を表にしていましたが、緑の無いケサン基地では茶の面を表に使用しています。 |
※ダックハンターパターン:元々鴨猟のために作られたもの。ヨーロッパではドイツ軍と見分けがつかないことで同士討ちが頻発したために使用が禁止され、ほとんどが太平洋に回されました。ベトナムでも引き続いて使用されましたが、色合い的に停止している時はともかく、移動すると逆に目立ったそうです(元来、鴨猟用ですから)。
※ミッチェルパターン:1948年にERDL(後のリーフ)として開発、採用されましたが、迷彩などいらないという意見によって、あっさりと破棄。結局、ヘルメットカバーとテントだけに使用されています。
サンヘルメット
熱帯地用防暑ヘルメット。主に後方地域などで着用。あくまで防暑用の物で防御性能は一切持っていません。