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フィールドジャケット

 アメリカ軍は、1930年代に画期的な発想を幾つか閃きました。大半は現実に追いつかせるために中途半端だったり、消え去ったりでしたが、その中でも、戦闘服と制服を別にし、アウトドアのウインドブレーカーを軍用に転用したことは後に各国も真似する画期的アイデアでした。

 この初のジャケットがフィールドジャケット(通称M41)になります。

 1943年には更に画期的なM1943フィールドジャケットが誕生し、後の各国のジャケットに大きな影響を与えました。アメリカ軍においても、M1950、M1951、そしてM65の全てがM1943のマイナーチェンジで、1943年の時点でほぼ完成した野戦用防寒着が開発されていたことになります。

 海兵隊においては、本来、南国―ハイチ、キューバ、そしてフィリピンと熱帯地方が活動の中心であったために専用の防寒装備は保有しておらず、陸軍の物をそのまま着用していました。

※冬季の作戦となったデタッチメント(硫黄島攻略)や悪天候に見舞われたアイスバーグ作戦(沖縄攻略)などでフィールドジャケットを着用する姿が見られます。

 第2次世界大戦が終了した後も、この体勢は変わらず、1950年に朝鮮戦争が勃発した時も陸軍の防寒装備をそのまま支給しています。

※意地なのか、独自発注はかけていたようですが。

フィールドジャケット(M41)

M1943フィールドジャケット

M1950フィールドジャケット

M1951フィールドジャケット

M65フィールドジャケット

フィールドジャケット

FieldJacket

 正式名称フィールドジャケット-世間一般では、M41フィールドジャケットと呼ばれる第2次世界大戦中の象徴とも言うべきジャケットは1935年に開発が始まり、1940年に原型が誕生、その後、試用が続けられた後に採用されました。初期はポケットにフラップがついていました(M38)が、本格的な支給が始まる際には省略されています。

襟の閉鎖

首周りと胸元の襟を閉鎖することが可能。

ジャケット自体の防寒性が低いので意味はあまりなさそうです。

腰のボタンは、止めることで暖かい空気が外へ逃げないようにするためのものですが、ジャケット自体の防寒性が低いので意味はあまりなさそうです。

 このジャケットは、試験の時点ではなぜか優秀でしたが、すぐに着用時にずりあがって不快感を与えるデザインであり、元々、アメリカの砂漠を想定したカーキ色の配色は汚れが目立ち、派遣されたヨーロッパの風土では目立つと不評でした。また、防寒性能も、裏地の毛布を軽量化のために薄くするという本末転倒な妥協で損なわれていました。結局、次のM1943の開発が1942年には開始されることになります。

 海兵隊においては、独自の防寒着を所有していなかったために、作戦時期が冬の硫黄島や悪天候に見舞われた沖縄などで着用している姿を見ることができます。

参考
有名な硫黄島の星条旗を掲げた一人ハーロン・ブロック伍長。フィールドジャケットを着用しているのが確認できます。(もう一人フランクリン・サウスリー一等兵も着用している)。

硫黄島攻略は2月で、気候的には熱帯に属する物の現地の気温は0度前後と寒く、当時の写真やフィルムを見るとウールシャツ、ユーティリティ、更にフィールドジャケットを着用と厚着をしています。

 余談ですが、ヨーロッパで戦った某小隊が着用していたフィールドジャケットは、ポケットは4次元ポケットで弾薬と手榴弾が幾らでも出て来るうえに、直前にびしょぬれになっても一瞬で乾く速乾性を備え、更に誰が着てもサイズが自動的に調整されるという素晴らしい性能を持っていました。対するドイツ軍の軍服も同様でしたが、現在、この技術は失われたようです。

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M1943フィールドジャケット

M1943

 フィールドジャケットの欠点を一応は把握していた軍では、1942年から、後継となるジャケットの開発を始めます。このジャケットは、それまで兵種ごとに存在していた衣類全てを更新するものとされていました。

 こうしてフィールドジャケットの傑作M1943が誕生します。大型ポケット四つを備え、それまでとは違い、下に防寒用のライナーを着用することで防寒性能の調整ができるという画期的なジャケットは、軍用ジャケットの基礎となり、アメリカ軍だけではなく、各国のジャケットの基礎ともなりました。

 支給は1943年から始まりましたが、途中でイギリス軍のバトルドレスが気に入ったアイゼンハワーがM1944ウールフィールドジャケットの開発を命じ、それを優先させてしまったために遅れに遅れて完全に更新するに至らず、空挺部隊のように後方で無為に時間を過ごしていた部隊はともかく本当に必要とされた最前線の通常師団にまでは完全に行き渡ることはありませんでした。

 海兵隊も、作戦地域が地域だけに本格的に導入することはありませんでしたが1950年に半島の付け根の土地を根城にしている武装集団が先端にある土地へ侵略を開始して朝鮮戦争が始まると急遽防寒装備が必要となったために支給し、その頃、既に誕生していた改良型M1950と平行して使用されています。

襟の閉鎖フラップ

M41と比べて格段に進化され、確実に襟元が閉鎖されるようになっています。


 ヨーロッパにおいては前線で、M41との更新が行われたため、ラベルには詳細説明が記載。


プリント版のラベル

ライナー。単体での着用は禁じられていましたが、規則通りに着用するアメリカ軍兵士がいたら、その方が珍しい。


ライナーの裏地

 コットンフィールドトラウザー(通称M43パンツ)。それまで兵種ごとに存在していたズボン全てを更新するものとされ、特にM1943用ではありませんでした。

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M1950フィールドジャケット

M1950

 M1943は誕生した時点で、ほぼ完成したジャケットでしたが、日本駐留の第8軍により、改良が行われ、1949年7月にスペックが制定。MQ1と命名されます。

 これが朝鮮戦争の勃発により急遽採用されることとなり、1950年11月にM1950フィールドジャケットとして採用されます。

 この行われた改良は、ライナーをボタンで固定するためのボタンが裏地に付けられただけで、外見上の違いはボタンの糸が表面に出ているだけで、写真ではまず見分けが付きません。

※海兵隊が独自発注をかけたM1950も存在するようですが。

M1950
変更点
ライナーを固定するためのボタンが追加。それだけではありますが、後のM1951、M1951パーカー、そしてM65パーカーに引き継がれた画期的な発想でした。

(写真は襟部)

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