海兵隊の装備
ボディアーマー
映画では、歩兵の持つ銃が最大の戦果を上げますが、実際の戦闘では砲兵の放つ砲弾による負傷がほとんどです。SF作家ロバート・ハインラインの遺作「宇宙の戦士」でも、敵兵の頭を下げさせるのが目的で、そもそも当たるようにできていないと皮肉られています。
つまり、破片を防ぐことが可能であれば、それだけ兵力の損耗を防ぐことができ、また兵士たちの生命を救うことができる。そのために急所となる胴体を守るために第2次世界大戦の頃に最初のボディアーマーが採用されましたが、末期だったことと、動きが鈍くなるために多くは用いられませんでした。朝鮮戦争当初も着用していませんでしたが、中盤以降、戦線が膠着状態に陥ってから、士気を維持する目的もあり、ボディアーマーの支給が始まりました。
その後も、アメリカ軍では開発研究が継続されますが、海兵隊と陸軍で別々な進化を遂げます。
海兵隊ではM1951に、白兵戦を考慮した改良型M1955を、陸軍は対破片に絞って新たにM1952を開発し、後に首周りに襟を設けたM1969を開発します。
ベトナム戦争が始まると、海兵隊ではボディアーマーの着用を義務づけました。この方針は定着し、陸軍でも末期にはボディアーマーの着用を義務づけます。
ベトナム戦争が終わり、装備の改編時期が訪れると、一端、分かれた流れをまとめ、陸軍と同じPASGTアーマーが採用されます。首の防御と肩の防御に加え、欠点だった脇腹の防御や、着用性を向上し、ベイルート派遣の頃から、着用が始まりました。
しかし、これらのジャケットは全て対破片用で防弾性能はありません。実際のところ、漫画や映画なら、防弾チョッキを着ていれば核兵器ですら、防ぐことは可能ですが、現実では拳銃弾すら防げません。民間では、耐弾性能のあるプレートを用いた正真正銘の防弾チョッキが開発されていますが、重量やコストの面から、単純に採用するわけにはいきません。
この結果、耐弾性能のあるプレートを差し込む方式が考え出され映画ブラックホークダウンで有名になったレンジャーのボディアーマーで採用された方式は、次のインターセプターアーマーでも採用されました。
新しいアーマーは、首に加えて、喉や股間を守る部分が取り外し可能になり、利便性が向上しました。また、装備を取り付けられるようになり、ベストやベルトなどを用いなくても弾薬ポーチなどを装着できるようになっています。
セラミックプレートを挿入すると重量は、かなり増すのですが、イラク進行作戦や、その後の治安活動で、これによって辛うじて命を救われる例が何件か起きています。
また、最近では両腕上腕部を覆うアーマーも確認できます。
M1955ボディアーマー
朝鮮戦争に採用されたM1951アーマーは、陸軍と海兵隊で二通りに進化しました。陸軍ではM1952、海兵隊では、このM1955ボディアーマーこと、ARMOR.,BODY,FRAGMENTATION PROTECTIVE; UPPER TORSO; (W/COLLAR, M-1955)です。
写真は後期型
陸軍はケブラー繊維のみを使用していますが、海兵隊ではケブラー繊維とドロン(ガラス繊維をポリエステルで固めた板)を重ね合わせています。これは耐弾性のためではなく、白兵戦(ナイフや銃剣)を防ぐためのものです。
内部のプレート。着心地の悪さのそもそもの原因。実は、防破片であり、防弾ではないことはタグにちゃんと書いてあります。
「全ての戦闘による死傷者の 70 パーセントは、破片型兵器によって引き起こされる。 このベストは、柔軟な肩パッドの部分から襟までを含めて、あなたをミサイルの攻撃から守るでしょう。しかし、それは近距離からの全ての小火器による攻撃を保護するとは限りません」 親切……かな? |
ベトナム戦争において、上陸時に着用していましたが、当初は気候の関係から、常時着用している訳ではありませんでした。しかし、後に着用が義務づけられ、これがベトナム戦争の海兵隊の基本スタイルとなります。
しかし、気候のために素肌の上やTシャツの上から着用することも一般的でした。
※第26海兵連隊第1大隊D中隊長と第26海兵連隊作戦参謀(D-2)を歴任したスペンサー大尉(退役)の回顧録によるとケサンでも、北ベトナム軍の砲撃が激しくなるまでは着用せずに過ごすことの方が多かったようです。
着用が義務づけられていたことにより、海兵隊の砲弾による死傷率は減少し、陸軍もそれに習って着用を義務づけるようになります。
右胸の小ポケットは、偶然にもM16ライフルの20連マガジンを入れるのに都合が良いために、海兵隊員たちは、ここに予備マガジンを入れていました(実際にやると良く落ちますが)。
また、M1951の頃から、アーマー下部にはM1910装備のワイヤーフックを取り付けることが可能になっていましたが、ここに装備を取り付ける例はそれほどありません(そもそも、取り付けるための装備が、ほとんど消え去っていたのもあるでしょうが)。
実際にやると腰の辺りでばたついて非常に動きづらくなります。これはM1910装備が根本的に抱える問題でした。
さて、この重く、着心地も悪いアーマーは、防御性能だけは陸軍のM52や後のM69よりも優れており(若干の耐弾性も持ってはいるので)、ベトナム戦争初期に派遣された第25歩兵師団のヘリコプター部隊「ショットガンナーズ」ではヘリコプターの床に敷き詰めて応急の防弾床を作るために利用もしていました。
※輸送ヘリは地面を確認するために足下がガラス張りになっているためヘリのパイロットはふくらはぎを負傷することが多かったそうです。頭に来て武装ヘリを志願するパイロットもいたとか。
海軍でも、艦船に装備される防弾着として利用されています。その際、背面に文字が入ります。
1980年に入ると、PASGTアーマーが採用されますが、1983年の第3次ベイルート派遣初期の頃まで使用は続けられています。
M-1955とともに使用されたグローインプロテクター。通称フラックおむつ。蒸れるとか言いますが、下部は完全に開いているので通気性は悪くは無いでしょう。ただ、腰の部分で閉めるとか、吊すようにはできていないので、非常にずり落ちやすいのではないかと。 |
M69フラグメンテーションボディアーマー
朝鮮戦争に採用されたM1951アーマーは、陸軍と海兵隊で二通りに進化しました。陸軍ではM1952、海兵隊では、M1955ボディアーマー。陸軍では、更にM1952に改良を加え、1968年にM69アーマーと呼ばれるARMOR,BODY,FRAGMENTATION,PROTECTIVE WITH 3/4 COLLARを採用しました。
陸軍では、ベストにナイロン繊維のみを使用し、あくまで砲弾の破片に対処するためと割り切っています。M1952からの変更は、襟を設けて首を守るようにしたことと、意味の無いエポレットを廃止したことです。
ベトナム戦争において、陸軍は海兵隊と違いボディアーマーの着用を義務づけていませんでしたが、68年以降の写真を見る限り、後期では陸軍もボディアーマーの着用を義務づけたか、推奨したようです。
同様に当時の写真を見ると、海兵隊でも、M69を若干数使用していたらしく、M1955の代わりにM69を着用している姿を見ることができます。
着心地ですが、M69の方が遙かに上回っています。しかし、体に密着するため、M1955の方が若干涼しく感じられます。